夏大会

【個人戦前日】

 31勝4敗。紀玄館大学のここまでの成績である。当然、チームとしても全勝。

 夏の全国大会団体戦は、5人制で争われる。そしてこの大会を7連覇中なのが、紀玄館大学だった。ビッグ4有する昨年までの県立大学も、歯が立たなかった。それほどまでに、紀玄館の上位は層が厚いのである。

 そんななか、一年生でレギュラーを張る選手がいた。8回戦、明日香大学戦においても、四将で出て必勝形を築いていた。名前は、松原かん

 細面の顔立ちに、薄い唇。瞬きの数は少ない。駒を持つ手はゆっくりと動き、音を立てずに指す。大学でついたあだ名は「公家」だった。

 ここまで全勝。しかも、ほとんどが圧勝だった。

「今年もあんなんが入ったんじゃあなあ」

 明日香大学の控え選手が、ぼそっとつぶやいた。紀玄館には、毎年推薦で優秀な選手が入部してくる。そして、二十年以上もの間常に全国トップの成績を収め続けている。

 松原は、危なげなく勝ち切った。そして、チームも全勝。紀玄社は、最終戦を残して優勝を決めた。

 ちょうどその時、会場に入ってきた男がいた。蓮真は、盛り上がる集団の中に二人の姿を確認すると、すぐに会場を後にした。



「佐谷君、一緒にどう?」

 部屋を訪れて蓮真に声をかけてきたのは、経済大学の三年生、村原だった。チェックの上着にメガネ、いかにも将棋部員という見た目で、地区の理事長でもあった。

「えっと……」

「せっかくだしさ、将棋しようよ」

「わかりました」

 村原の部屋に行くと、そこにはすでに仁科がいた。地区大会で、蓮真に勝って優勝した選手だ。

「よっ、佐谷。待ってたぜ」

「ほかの人は?」

「飲みに行ったり、帰ったり」

 経済大学は、4勝5敗で6位という成績だった。部員たちはとりあえず「疲れた、よく頑張った」という空気で、この大会を終えた。ただ、村原にはまだ理事としての仕事が残っている。

「帰るって、今から飛行機で?」

「実験とかバイトとか、結構いろいろあるみたいで」

「大変ですね」

 文学部一年生の蓮真にとって、今は夏休み、特に用事があるわけではない。だが、様々な困難を乗り越えて大会に参加しなければならない学生も多い。

「とにかく指そうぜ」

 仁科は、ベッドの上のゴム盤に、駒を広げた。頷いて、蓮真は駒を手に取る。

「それにしても佐谷君、一年生で代表ってすごいよね」

「そうですか?」

「ビッグ4の人たちも確か、一年生の時は代表になってないもんね」

「それは知りませんでした」

「ま、二年からはなりまくってる。まったくさ、あの人らのおかげで俺は三年間駄目だったんだよ」

 過去三年間、個人戦の決勝はビッグ4同士だった。つまり、代表もすべてビッグ4だったのだ。

「そんなにすごかったんですね」

「まったく、四人も揃うなんて反則だって。で、いなくなったと思ったらまた県大と決勝でしょ。びびったよ」

「はは……」

 蓮真も、ビッグ4の噂は入学前から知っていた。だからこそ、県立大を選んだのだ。しかし彼は、ビッグ4を見たことがない。上級生たちが、亡霊について語っているのではないか、と思うことがあった。

「まあいいや、指そう。ビッグ4もマスターは獲れなかった。俺たちで、狙おうぜ」

「はい」

 蓮真は、駒を並び終えた。少なくとも目の前に、まだ勝てていない相手がいる。集中してみようと、彼は考えた。


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