【6回戦】

「一番損な役回りになるけど、頼むね。野村君にしか、任せられないことだから」

 大会前、覚田は野村に言った。野村は黙って、頷いた。

 副部長、そして県立大のエース。野村は、突然二つのものを背負うことになった。昨年まではビッグ4と呼ばれる強い四年生たちがいたので、野村は五番手に過ぎなかったのだ。

 入部した時から、野村は期待されていた。筋がよく、勉強熱心だった。ビッグ4といえども、四人が常に勝てるわけではない。「ビッグ4をつぶしに行けば、野村戦が手薄になる」、県立大は、そういう作戦で全国でも活躍したのである。

 全国大会では、強豪相手に何勝もした。そんな野村がここまで、一勝しかできていない。「野村をつぶせばチームの負けはない」と、一番強いメンバーを当てられ続けているのだ。「ビッグ4相手よりはまし」という感情も、相手にプラスに働いていた。

「……どうしよう……」

 トイレの個室の中で、野村はうずくまっていた。頭をかきむしる。

 頼られていた。けれども、ビッグ4のことが嫌いだった。

 ビッグ4は自分たちが活躍するための計画を立て、他の部員を道具のように扱っていた。野村はそのことに、いち早く気が付いていた。それでも自分が優遇されているので、気分が悪くなかったのだ。

 後悔していた。何の覚悟もしていなかったことに。正確には、もっと悪い状況になって、何の責任も負わないことを予想していたのだ。部員が足りない、もしくはまったく戦えない状況。そうなれば、自分の成績なんてどうでもいい、はずだった。

 佐谷と中野田。二人の新入部員が、状況を変えてしまった。激しい怒りによって、全国を目指す佐谷。そして、負けず嫌いをこじらせすぎて、将棋に熱中する中野田。二人は、ボロボロになった部に、希望の明かりを灯した。

 一年生の時から、野村は気づいていた。部長は、覚田がなると。他の同級生が辞めてしまったので、副部長にはならざる得なかった。しかし最も重要なのは、プレイヤーとして部に貢献することだ。わかっていた。わってはいたのだ。

「……やばい……」

 野村は、扉を開けたくないと思い始めていた。トイレの中で、時間をやり過ごしたい。

 けれども、彼の心の中にある最後の一滴、それが、彼を立ち上がらせた。

「……こんな時も、将棋は好きだ……」

 ふらふらと立ち上がり、野村はトイレを出た。歯を食いしばって、こぶしを固めて、対局会場に向かった。

 やはり、野村の当たりはきつかった。夏島・中野田も強い相手としなければならない。ここで少なくとも二人が勝たなければチームの勝利はないことは、チーム全員が理解していた。

 大きな大きな四枚の壁がなくなり、野村の眼前には巨大な敵がすぐそこに迫ってきていた。相手の膳堂院大学は優勝争いをしており、気合が入りまくっている。全敗チームの、負け続けている新エース。勢いの差は明らかだった。

 それでも。野村の気持ちはまだ切れていなかった。一年生の佐谷は、ここまで一敗で頑張っている。四年生の夏島は、同学年で一人部に残って貢献してくれている。同級生の覚田は、部長に加え選手として、ずっと働き続けている。他の後輩たちも、苦しい戦いを、そして記録をつけるといった作業を、少ない人数でこなしてくれている。

 野村には、皆の頑張りの全てが見えていた。それが彼を、勝負の世界につなぎとめていた。

 前へ。恐れずに前へと、駒を進めていく。心が切れていなかった。決して、常に強い心を持てるわけではなかった。けれども野村は、いつもどこかで踏みとどまることができ、その点でも先輩たちから買われていたのだった。

 力を出し切った。相手玉を受けなしに追い込む。6戦目にして、ようやく二勝目。

 駒を片付けてすぐに、野村は右隣を見た。夏島は粘っているが、形勢は思わしくなかった。左隣を見た。すでに対局は終わっていた。対戦表を見ると、中野田は負けていた。

 北陽、安藤も負けていた。夏島が逆転勝ちしなければ、チームは負ける。すぐそばに、佐谷が立っていた。まっすぐに盤面を見つめていた。

 本当にエースになるべき人間。野村は佐谷に、それを感じていた。

 そして、夏島が頭を下げた。



6回戦

県立大学 3-4 膳堂院

佐谷(一)〇

夏島(四)×

野村(三)〇

中野田(一)×

覚田(三)〇

北陽(二)×

安藤(一)×

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