【5回戦】

「どうだ、大学の大会は」

 二日目の朝。洗面所から出てきた蓮真に声をかけたのは、夏島だった。

「やっぱり、高校までとは全然違います」

「そうか。やっぱり強いな。うち以外に入ればお前の力で優勝したかもな」

「そんなこと言わないでください。いずれ、俺の力で優勝しますから」

「頼もしいね」

 部屋にはもう一人、安藤がいた。早朝からノートパソコンに向かっていた。

「で、安藤はソフトと対局?」

「いえ、解析です。昨日気になった変化があったもので。私の終盤力のせいで負けてしまいましたが、決して序盤は悪くないはずだと思いまして。昨日は互角という解析でしたが、別のソフトでやってみたらやはり私の方がいいみたいでした。どちらを信じるかという話でもないんですが、直観が正しい可能性があるというのは大きいわけです」

 ちなみに、とても早口であった。

 安藤は、将棋ソフトの発展に感動し、将棋に興味を持った。ソフトのことを深く知るために、将棋部に入ったのである。

「よくわからんが、もう一度同じ局面になったら、自信あるんだな」

「そうですね、私はソフトと直感かからそう信じてみたいと思います。いや、もちろんチームのためにももっと評価値の高い局面に持っていきたいとも思いますがそう簡単にはいかないでしょうから」

 蓮真は、安藤のことを温かい目で見ていた。まだ恐れを知らない、将棋を全力で楽しむ様子。蓮真が、ずっと昔に失ってしまったものを、安藤は持っていた。



 会場に着き、蓮真は昨日とは違う空気を感じた。残り三戦となったことで、それぞれのチームが具体的な作戦のもと、目標に向かって気合を入れていた。四連敗のチームは蚊帳の外とばかりに、県立大メンバーを気に掛ける者はほとんどいなかった。

 ただし、次の対戦相手である広山商業のメンバーは、八人のことをきちんと確認した。指で数を数えている者もいた。メンバー表にない人間を書き加えることはもちろんできないので、確認されたのは「数が減っていない」ということである。用事があって帰ってしまうものもいるし、まれにだが、負けが込むと来なくなってしまうメンバーやチームも存在する。

 広山商業は前回四位だったが、県立大以外の上位校とは接戦だった。ここまで一敗できており、まだ優勝の目がある。当然負けるわけにはいかないし、できれば勝ち数を稼いでおきたいという立場だった。

 県立大のオーダーは七将が安藤に戻った。声を出さずに何事かつぶやいて、安藤は席についた。

 そして数分後、彼の目は大きく見開かれることとなった。朝調べていた局面になったのである。そのあとの変化も、ずいぶんと調べていた。どんどんと鼓動が早くなっていった。彼はまだ、盤駒を使い始めてから数か月しかたっていない。ずっとパソコンで、一人で将棋を指してきた。入部してからも、福原とはいい勝負だったが、他の部員にはまだ一度も勝てていなかった。それが今、上位校のメンバー相手に勝ちそうになっている。

 だんだんと、手が動かなくなってきた。自信のあるはずの変化なのに、本当に調べた通りだったか、評価値を間違えて覚えていないか、不安になってきたのである。そして、ちらりと見ると対戦相手の目つきが変わっていた。歯を食いしばり、扇子を何度も膝に打ち付けていた。

 気づいてしまったのだ。

 実は、劣勢であるということ。強い人が、それを自覚してしまった。安藤は、喉の奥に架空の腕を思い浮かべた。そして、飛び出そうになる心臓を、必死で抑えた。

 幸いだったのは、相手が強いからこそ、ソフトが予想する範囲の手を指してきてくれたことであった。終盤近くまで、調べた範囲の手順で進んでいった。あとは寄せきるだけ。

 ピッ

 電子時計の音がした。安藤は、驚いて画面を確認した。数字が減っていく。持ち時間を使い切り、秒読みに入ったのだ。

 安藤は覚悟を決めた。どうせ終盤は弱いのだから、逆転して当たり前だ。人間なんだから。まだ弱いんだから。それでも全力を尽くすんだ。

 実際に、差はどんどん詰まっていった。それでも、逆転までは至らなかった。ついに安藤は、相手玉を詰ましたのだ。

 二分ほど、彼は何も考えることができず固まっていた。そして、最初に考えたのは、「もしかしたらこれでチームが勝てたかもしれません!」だった。そして、対戦表を見た。

 2勝5敗。

 勝ったのは大将蓮真と、七将安藤。間の五人は、全員負けていたのだった。



5回戦 

県立大学 2-5 広山商業

佐谷(一)〇

夏島(四)×

野村(三)×

中野田(一)×

覚田(三)×

北陽(二)×

安藤(一)〇

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