第二章 ~『追放されたクラリス』~


「ゴブリンもあらかた狩りつくしたな」


 倒したゴブリンの魔石を拾い上げ、傍にある岩壁を叩く。拳が壁にめり込んで、ひび割れが奔る。ゴブリンたちから奪った力は、彼の腕力を大きく向上させていた。


「ゴブリンの次はオークでも狩るか……いや、今の俺ならもっと上位の魔物でも――」

「グギギギギッ」


 アルクの耳にゴブリンの唸り声が届く。独特の重低音はゴブリンチャンピオンのモノだ。まだ生き残りがいたのかと声のする方角へ向かうと、ゴブリンを狩る二人の男がいた。


(なんだ、あいつら……)


 アルクは茂みの陰から二人の男の様子を伺う。


 男の内、一人は目を開けているのが分からないほどに細い目つきの銀髪の青年だ。青白い肌と白装束のせいで、幽霊のような印象を受ける。


 もう一人は気の弱そうな茶髪の青年で、銀髪の青年に怯えているのが態度から分かる。どちらが上の立場なのかは見るだけで明白だった。


「マルクスくん。君、僕に逆らうのですか?」

「そ、そんな……俺はトルーマンさんに逆らったりしませんよ」

「ふぅ……どうやら君は僕の恐ろしさを分かっていないようですね」

「そんなことは……」

「僕に逆らうとこういう目に遭うんですよ」


 トルーマンと呼ばれた銀髪の青年がゴブリンチャンピオンの頭をガッシリと掴む。


「グギギギッ(離せ!)」

「良く吠えるゴブリンです。五月蠅いから死んでください♪」


 トルーマンは掴んだ手に力を込め、驚異的な握力で頭を握りつぶす。手の中で顔をミンチにされたゴブリンチャンピオンは、魔素を散らして命を落とした。


「マルクスくん」

「ひぃっっ」

「そんなに怯えないでください。まるで僕が悪者みたいじゃないですか」

「い、いえ、そんなつもりは……トルーマンさんは素晴らしい人です」

「分かればよろしい。僕の命令には絶対服従。そのことを肝に銘じておくのです」

「は、はい」

「では命令です。クラリスさんと縁を切りなさい」

「え?」


 茶髪の青年マルクスはトルーマンの要求が理解できずに、呆気に取られる。


「あ、あの、意味がよく分からないのですが?」

「なら言い換えましょう。あなたの大切な女性を捨てろと命じたのです」

「で、でも、それは……」

「クラリスさんの代わりは他にいくらでもいるでしょう。しかしあなたの命は一つしかない」

「だ、だけど、それは……」

「マルクスくん。これは命令なのです」

「くっ……」


 トルーマンの理不尽な命令にマルクスは頭を抱える。どうすべきかと悩んでいた彼の前に、大きな背嚢を背負った少女がやってくる。


 少女は絹のような金色の髪を腰まで伸ばし、海のように青い瞳を輝かせていた。白磁の肌と整った顔つきにモデルのように高い身長は、男なら誰もが振り向く美しさだ。


「ごめんなさい。遅れてしまいました」

「クラリスさん、あなたはこんなにも重い荷物を運んでくれていたのです。遅れるのも無理はない」

「トルーマンさん……ありがとうございます。こんな役立たずの私を……」

「あなたは頑張っていますよ。ねぇ、マルクスさん」

「は、はい……」

「本当? マルクスも私が頑張っていると思う?」

「ま、まぁな」

「えへへ、嬉しいなぁ。私、マルクスの役に立てるなら雑用でも何でも頑張るよ♪」


(まるで追放される直前の俺だな……それにクラリスって娘の外見がマリアそっくりだから、変に感情移入してしまう)


 髪型や身長の違いはあったが、顔付きや雰囲気は瓜二つだった。だからこそ追放された苦い思い出を想起させる。


「そういえば……マルクスくんから何か言いたいことがあるとか……」

「お、俺は……」

「マルクスくん!」

「は、はい!」

「さぁ、勇気を出して。君の気持ちをはっきりと口にするんだ」


 トルーマンはマルクスの背中を力強くパンと叩く。恫喝にも似たスキンシップの恐怖から、歯をガタガタと震わせる。


「マルクス、どうかしたの?」

「ク、クラリス……」

「ん? 気分でも悪いの。だったら膝枕してあげるから、横になって休む?」

「すまない! お前をパーティから追放する」

「え?」


 追放を宣言されたクラリスは理解が追い付かずに思考を停止させる。しかしすぐに気を取り直して、ヘラヘラと笑う。


「やだなぁ。マルクスも冗談が酷いよ」

「冗談じゃないんだ。もう一度言うぞ。お前はもうこのパーティにいらないんだ」

「そ、そんなの……や、やだよ。捨てないでよ、マルクス」


 クラリスは目尻から涙を零して懇願するが、マルクスは恐怖に負けて、冷たく突き放す。彼は彼女よりも自分の命を守ることを優先したのだ。


「わ、私、マルクスと一緒にいたい。離れたくないの」

「うるさい! 追放は決定したことなんだ」

「わ、私、何か悪いことしちゃったのかな? ご、ごめんね。謝るからさ。許してくれないかな?」


 クラリスは引き攣った笑みを浮かべて謝罪する。しかしマルクスは彼女がパーティに残ることを認めない。


「クラリスさん、僕がパーティに残れるよう説得してあげようかい」

「トルーマンさん! 本当ですか!?」

「もちろんだとも」

「やっぱりトルーマンさんは良い人です」

「よく言われるよ」


(酷い男だ……あの男のやり方は女衒師のやり口そのものだ)


 トルーマンが使っているのは、相手を苦しませた後に、その痛みから解放してあげることで好感度を得る心理術だ。


 有名な例だと、暴力を振るう彼氏がその後に優しくすることで依存させる手法もこれに当たる。脳は苦痛から解放されると、救ってくれた人に好意を抱くようにできている。クラリスの心にはトルーマンへの確かな信頼が生まれていた。


「トルーマンさんが追放しなくていいのなら俺は……」

「おい!」

「は、はい」

「あなたは本当に役立たずですね」

「え? で、でも、追放を許すと……」

「そこから無理にでも反対するのがあなたの役目だったのに……あ~、飽きてしまいましたね~」

「飽きたとはどういう意味でしょうか?」

「そのままの意味です。あなたはもういらない」


 トルーマンはマルクスの頭をガッシリと掴む。頭蓋骨が軋む音と、苦悶の声が響く。


「トルーマンさん、マルクスを離してください!」

「いいや、駄目です。彼は殺さないと」

「そ、そんなの駄目――」

「はい、死んだぁ♪」


 トルーマンの手の平は血でベッタリと赤く染まっていた。頭蓋骨を砕かれたマルクスは、頭を潰され、命を落としたのだ。血を流して崩れ落ちる彼に、クラリスは駆け寄る。


「や、やだよ、死なないでよ、マルクス!」

「いや~つまらない茶番劇で終わりましたね。台本通り進んでいれば、僕史上、最高傑作も夢ではなかったのですが……」

「だ、台本?」

「僕の趣味は仲の良い二人の絆をグチャグチャにすることなんです。今回はあなたを僕に惚れさせ、持て遊んでから二人とも殺すシナリオでした。それがこんなつまらない終わり方で幕を閉じるなんて。僕は脚本家失格ですね」

「は、ははは、はははは……」


 クラリスは涙を零しながら乾いた笑みを零す。悲しさと絶望が入り混じった笑みは、狂気さえ含まれていた。


「これで物語は終わりです。あなたには死んでいただきましょう。最後に言い残すことはありますか?」

「わ、私、トルーマンさんのこと、信じていたのに……」

「人を見る目がありませんねー、来世では簡単に人を信じないようにするんですよ」


 トルーマンはクラリスの頭に手を伸ばす。その手には明確な殺意が込められていた。


(あの男は強い。助けるのはリスクが高すぎる。だが……)


 アルクは涙を流すクラリスに自分を重ねる。こんな理不尽な人生の終着はあまりに不幸だと、彼の身体は意識しないままに動き出していた。


 超スピードで茂みから飛び出すと、クラリスを抱きかかえて、トルーマンと距離を取る。彼は突然の闖入者に訝しげな視線を送る。


「誰ですか、あなたは?」

「俺か? 俺は通りすがりのメンタリストさ」

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