第二章 ~『メタリックスライムのスピード』~


 準備を整えたアルクは魔物の森に足を踏み入れる。視界の開けた丘陵地は最弱の魔物、スライムが集まるエリアだった。


「スライム相手なら命を落とす心配はない。安全に狩りができるぞ」


 魔物を探すべく、空気の湿度が高い方向へと進む。スライムの主食は主に水だ。水源地に獲物がいる可能性は高い。


「さっそく見つけた」


 視界の先では、液状の魔物が水たまりの上で楽しそうに身体を変形させていた。


(水遊びでもしているのか……まぁいい。あいつはお目当ての魔物じゃないし、空間魔法の実験台に丁度いい)


 空に手を掲げ、空間に穴を開ける。武器商店で実験したように、スライムに狙いを定めて矢を放つ。


 目にも止まらぬ速さの矢が空気を切り裂いて進む。スライムはその矢をギリギリのところで身体を変形させて躱すと、挑発するように、体をクネクネと揺らす。


(このスライム、随分と傲慢な性格をしているようだな)


 人は余裕を持って対処できる課題に直面した時、性格に応じた対処をみせる。簡単に矢を躱せたとしても、慎重な性格ならその場から逃げ去るし、怒りっぽい性格なら矢を放った相手に敵意をみせるだろう。しかしスライムは挑発という手段を選んだ。


(傲慢な相手は罠に嵌めるのが簡単だ。その余裕もすぐに奪い取ってやる)


 アルクは再び空間から矢を放つ。先ほどと同じスピード、同じ威力で放たれた矢は、同じように躱されてしまう。しかし彼は諦めずに一定間隔で何度も同じように矢を放つ。


(そろそろ頃合いだな)


 危機意識は慣れによって薄れていく。大工の仕事は新人の頃よりも初めてから少しした頃の方が危険なように、相手に慣れを与えることで油断させる方法は心理的なテクニックの一つだった。


 アルクは再び空間魔法によって矢を放つが、スピードは先ほどまでと大きく異なる。数倍の速度で放たれた矢は、スライムの意表を突くことに成功する。


 スライムは躱すことができずに、そのまま矢で貫かれた。液体状の身体を飛散させると、魔力の残滓を残して魔石へと姿を変える。


「心をコントロールすれば相手を油断させられる。その結果、格上の相手とだって戦えるんだ」


 アルクはスライムの魔石を拾うと、亜空間の中に収納する。魔石は冒険者組合で換金できるため、貴重な収入源になる。幸先の良いスタートに、彼は口元に笑みを浮かべる。


「次は本命を見つけたいな」


 真の目的を果たすため、アルクは見渡す限り緑の丘陵地を散策する。ノーマルなスライムを見つけては狩りを繰り返し、魔石を溜めていく。


 アルクが狩りを始めてから数時間経過した頃、目の前にとうとう目的の魔物が姿を現す。


 メタリックスライム。それはドロドロに融解させた鉄のような身体をしたスライムで、ノーマルスライムの上位種族だ。


 攻撃力は欠片もなく、ただ逃げることしかしないが、そのスピードは上級冒険者でさえ追い付けないほどに速く、敵意を見せると、すぐに逃げ出す。


「俺は君の敵じゃない。仲良くしよう」


 無害だと証明するように笑みを浮かべると、メタリックスライムは犬の尻尾のようにユラユラと揺れる。スライムなりの好意を示す仕草だった。


 メタリックスライムが好意的な態度を取るのは、アルクが剣や杖を持たず、また身体から発する魔力も少ないために、警戒されていないおかげだった。言い換えると舐められているからこそ、仲良くなれるのだ。


(さて実験開始だ)


「スラスラスラッ(今日はいい天気だな)」


 アルクが覚えた魔物言語でコミュニケーションを試みる。本当に上手くいくのかとドキドキしながら、メタリックスライムの反応を待つ。


「スラスラスラー(人間なのにスライムの言葉が話せるんだね)」


(やったー、実験は成功だ!)


 アルクは魔物と会話が成立したことを素直に喜び、小さくガッツポーズを作る。魔物言語習得のために努力してきた毎日が報われた瞬間だった。


「スラースラー(晴れの日は好きか?)」

「スラスラスーラ(いいや、雨の日の方が好きかな)」

「スラ(それはなぜ?)」

「スラスラスーラ(僕は雨水が大好物で、あのしょっぱい味に目がないんだ)」

「スラ~スラ(そうか。それは良いことを聞けた)」


 アルクはメタリックスライムから好きなモノを聞き出せたことに口角を歪める。


(心理学を応用した会話術は魔物相手でも十分通じるな)


 人は一度会話が始まれば途中で中断することに心理的な抵抗を感じるようにできている。そのため会話を初めてさえしまえば、相手から情報を聞き出せる可能性はぐんと高くなる。


 会話の導入にありがちな話題は今日の天気だ。パーソナリティから遠い内容であれば、最初の会話を拒否される可能性は低く、そこから徐々に本当に知りたい情報へと繋げていくのだ。


 これは営業やナンパをする場合でも同じテクニックが利用されている。道行く人にいきなり『マンション買いませんか?』と声をかけて、『はい、買います』と答える者はまずいない。最初に天気やニュースの話題を挙げて、そこから本当に話したい話題へと繋げる。相手は会話を中断することに罪悪感を抱くため、一度世間話を始めてしまえば、長いセールストークを聞く嵌めになるのだ。


「スラスラスラーッ(悪いがお前の力を貰うぞ)」

「スラ(どういうこと?)」

「スラスラ(お前の好きなモノは雨水だな)」


 アルクはメンタリストの職業スキルを発動する。ステージ一は、相手の好きなモノを言い当てることで身体能力を奪うことができる。彼がメタリックスライムを探していたのは、上級冒険者でも捕まえられないスピードを手に入れるためだった。


「体が軽い。まるで羽のようだ」


 一方、身体能力を奪われたメタリックスライムは自分の身体が重くなったことに気づいたのか、危機感からその場を去ろうとする。しかし動きはナメクジのように遅い。


「欲しいモノが手に入って上機嫌なんだ。今回は見逃してやるよ」


 メタリックスライムの魔石は売れば大金になるが、手に入れた力と比べれば些末なことだ。


 アルクはさっそく手に入れた力を使ってみようと、草原が広がる丘陵地を駆け抜ける。風を切りながら進むアルクのスピードは駿馬よりも速い。


「スピードだけならマリアはもちろんジニスにだって負けない!」


 速さは攻撃に利用することはもちろん、強敵から逃げるための盾にもなる。仲間から追放され、ソロでの冒険を強いられているアルクにとって、危険の回避手段となるスピードは何よりも手に入れたい力だった。


「ははは、景色が一瞬の内に過ぎ去っていく。これがメタリックスライムの見ていた世界……ってあれは!」


 高速で駆け抜けるアルクは、視界の端にメタリックスライムの集団を捉える。数十匹のメタリックスライムたちは水たまりに溜まった雨水に群がり、その水の味を楽しんでいる。


「もしあのメタリックスライムたちのスピードをすべてが俺のモノにできたら、いったいどれだけの速度で動けるようになるんだろうな……」


 最強の座はまだまだ遠いが、最速の男になるのはそう遠くないと、アルクは口角を吊り上げて笑うのだった。

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