第二章 ~『笑顔の力』~


 幼馴染たちの裏切りや、クロサキとの出会いから一カ月間が経過した。その期間、アルクは街の宿屋に引きこもり、貰った本をひたすらに読み込んでいた。


「この一か月間、本当に大変だった」


 寝る間も惜しんで勉強し、本を見なくても文章を読み上げることができるほどに、内容を頭に叩き込んだ。おかげで本は手垢で真っ黒になっていた。


「知識だけじゃない。空間魔法も今では自由自在に操れる」


 クロサキから与えられた空間魔法は収納したモノが腐ることなく、壊れる心配もない。収納できるモノの大きさに制限もなく、空間に敵を閉じ込めることも可能だ。


「魔物言語に心理学、それに空間魔法。冒険に出る準備は整った」


 アルクは意気込んで宿屋を後にする。剣や盾で武装せず、魔法の威力を上げるための杖もない。まるで近くの商店に買い物に行くような恰好で、彼は冒険への第一歩を踏み出す。


 自信に満ちた足取りで商店街を進む。目抜き通りには人が溢れ、商人たちの客引きが活気を生んでいた。


「よぉ、アルク。上物の剣と盾を入荷したんだ。買っていかねぇか?」


 馴染みの武器屋の店主が剣と盾を掲げる。陽光が反射して輝くその武器はどちらも精巧な作りをしていた。しかしアルクは首を横に振る。


「遠慮しとくよ。剣も盾も俺の趣味じゃない」

「なら杖はどうだ? 安くしとくぜ」

「杖も同じだ。必要になったら買いに行くよ」

「期待して待っているぜ」


 店主はセールスを袖にされたにも関わらず、笑顔を絶やさない。愛想笑いを浮かべているのではなく、アルクに対する好意から生まれた笑みだった。


(俺はメンタリスト。剣士でも魔法使いでもない)


 アルクはこの一か月間、学んだ知識を実践で使えるかのテストをしていた。街の商人たちの心を読み、自分に好意を抱かせるように振舞った。おかげで彼のことを悪く言う者は誰一人としていない。


「アルク、おはよう♪」

「おはよう、ケインズさん」

「アルクだーッ。おはよう♪」

「おはよう。良い朝だな」


 アルクは口元を少しだけ吊り上げ、目尻を落として笑みを作る。鏡の前で練習した好感を抱かせるための笑みで、街の人たちに挨拶を返す。彼の挨拶を受けると、皆が機嫌を良くして、頬を緩ませていた。


 アルクは特別なことを一切していない。ただ相手の気に入る笑顔を向けただけだ。


 笑顔を向けられると、相手の楽しみを共有できるかもしれないとの期待から、脳がエンドルフィンを分泌するようにできている。これが笑顔の相手に好意を抱くメカニズムだった。


(心理学は根暗な俺を変えてくれた。明るい性格と人望を得られた)


「アルク、調子はどうだ?」

「まぁまぁだな」


 また一人、馴染みの商人がアルクに声をかける。彼は弓と矢を扱う武器商店の店主だった。


「丁度いい。矢を売ってくれないか?」

「それは構わんが、お前、弓は扱えるのか?」

「まさか。弓なんて弾いたこともない。だから矢だけ売ってくれ」


 アルクは樽に詰められた矢を一束掴み上げると、皮袋から料金を支払う。


「弓もなしに、矢を何に使うんだ」

「ちょっと面白い使い方を思いついてな。試し撃ちしてもいいか?」

「的ならそこにあるから好きに使え」


 アルクは空間魔法によって矢を収納すると、弓矢の試射のために設置された丸い的の前に立つ。


「いったい何する気だ?」

「言っただろ。試し撃ちさ」


 アルクが合図すると、空間に穴が開き、そこから矢が放たれる。空気を切り裂いて進む矢は、的の中心を見事に射抜いた。


「な、何をしたんだ?」

「空間魔法は収納したモノを自由に取り出せるんだが、その際に外に飛ばすようなイメージで放出させてみたんだ」

「その結果が高速で発射される矢か……弓を扱う商人としては複雑な気持ちだ」

「ははは、安心しろよ。空間魔法の使い手は世界にも数えるほどしかいない。弓の需要はなくならないさ」


 アルクは空間魔法と矢の組み合わせが実践でも使えると判断し、さらに追加で矢を購入する。


「そんなに矢を購入するってことは魔物の森へ行くのか?」

「ご明察。山籠もりするのさ」

「山籠もり? その恰好でか?」

「食料は現地調達、寝床は草の絨毯だ」

「ははは、そりゃいい。だが一人は危険だぞ。マリアやジニスはどうした?」

「あいつらとは……色々あってな……」

「喧嘩でもしたのか?」

「まぁ、そんなところだ」

「早く仲直りしろよ。幼馴染は一生の宝だからな」

「そうだな……努力するよ」


 アルクは笑みを崩さずにその場を後にする。メンタリストに目覚めた彼は、自分の感情を表に出さないよう訓練していたが、それは復讐心を消せることを意味しない。


「俺もまだまだだな」


 浮かべた笑顔と対照的に、怒りで拳をギュッと握りこんでいた。血が滲んだ手の平は復讐の炎が燃えるように真っ赤に染まっていた。


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