第一章 ~『通りすがりのメンタリスト』~
不気味な森の中をアルクは一人彷徨っていた。背中に受けた切り傷のせいで進む足は遅い。カラスの鳴く声が森に反響し、不気味さが強調されていた。
「クソッ、痛みが消えない……」
獣道に血がポタポタと落ちる。目から零れた涙は乾き、充血した瞳は、まるで復讐の炎で目を燃やしているかのようだった。
アルクは復讐心で気が立っていた。そのおかげか、周囲の異変に気が付くのも早かった。カラスの鳴き声が急に遠のき、嫌な予感が冷たい汗となって流れる。
「なにかが近づいてくる……」
カサカサと茂みを揺らして迫ってきた脅威は、オークよりも一回り大きな魔物だった。ゴリラから進化した魔物で、怪しく光る黒い体毛が鉄のように硬いことからアイアンゴリラと名付けられていた。
ゴリラと同じく握り拳で地面を突きながら四足歩行し、前腕から放たれる一撃は岩をも粉砕する。
「寄りによってアイアンゴリラかよ……」
アルクでは逆立ちしても勝てない魔物だ。だが助けてくれる幼馴染たちはもういない。彼は足をガクガクと震わせる。
勝ち目がないなら逃げるべきだと、アルクは何とか足を動かすが、背中の切り傷が身体の動きを縛る。逃げても追いつかれるのは時間の問題だった。
「寿命を使ってでも賭けに出るしかない」
メンタリストのスキルは成功すれば相手の身体能力を奪うことができるが、失敗すれば寿命を一年削ることになる。
だがこのまま何もしなければ殺される運命は変わらないのだ。人生を賭けた当てずっぽうに挑戦するしか道はなかった。
(ゴリラから進化したんだ。なら好きなモノもバナナで決まりだ。バナナが嫌いなゴリラなんているものか!)
しかしアルクはスキルを発動させる勇気を持てない。もしリンゴが好物だったらどうしようかと迷いが生まれ、彼の行動を鈍らせる。
「ぐっ……もうなるようになれだ。お前の好きなモノはバナナだ!」
アルクは覚悟を決めてスキルを発動させる。しかしアイアンゴリラに変化はない。失敗したのだと気づいた時には、その丸太のように太い前腕が振り上げられていた。
(俺の人生は失敗続きだ……そして人生の終わりも失敗で飾られる……)
死の恐怖でアルクの視界は白く染まる。脳は恐怖から逃れるために過去の記憶を探ろうと走馬灯を見せる。彼の脳裏に懐かしい幼馴染の顔が映った。
『うっ……死なないでよ、アルク……』
泣いているのは記憶の中にしかいない幼き頃のマリアだ。つぶらな瞳からポロポロと涙をこぼし、魔物に襲われて生死の境を彷徨っているアルクを見下ろしている。
『ごめんね……私のせいだよね……一生賭けて償うから……だからお願い……目を覚まして……』
記憶の中のマリアはベッドの上で眠るアルクを甲斐甲斐しく世話をする。朝起きると着替えを用意し、一時間ごとに汗を拭く、夜寝る直前まで彼の傍から離れなかった。
『起きてよ……ぐすっ……私、あなたがいないと生きていけないの……神様、どうかお願いします……一生に一度のお願いです……私はどんなに不幸になっても構いませんから、どうかアルクを助けてください……』
看病が十日を過ぎた頃、マリアはアルクの傍で涙を流しながら神に祈りを捧げ始めた。身体は動かないが意識だけハッキリとしていた彼は、自分のことをこんなにも慕ってくれる人がいることを喜んだ。
それから一カ月が経過した頃、アルクの傷は癒え、体の自由が利くようになった。マリアは涙を流しながら、『あ、あなたって、本当に体力がないのね』と、彼のことを馬鹿にしたが、その軽口が本意でないことは知っていた。
それは看病に疲れて眠っていたマリアが口にした寝言からも明白だった。彼女は夢の中だと素直になれるのか、素直な気持ちをすべて口に出していた。
『アルクは凄い人……私の一番尊敬している人♪』
『勇気があって……とってもカッコイイなぁ♪』
『私ね……アルクのことが大好き♪』
すべて寝言ではあったが、一カ月間の看病と寝言で伝えられた本心は、アルクに恋心を芽生えさせるには十分だった。
アルクはマリアに告白し、二人は恋人同士になった。彼女は容赦なく彼のことを罵倒するが、子供の頃の思い出が愛情の裏返しだと信じさせてくれた。
しかし最後にマリアは裏切った。愛情と憎悪は表裏一体。彼女への愛の大きさが反発するように、復讐心を滾らせた。
「マリア。絶対に許さない! 化けて出てやるからなああぁ!」
復讐心はアルクの意識を現実に引き戻す。視界一杯にアイアンゴリラの拳が迫り、彼はただ立ち尽くすことしかできなかった。
死んでしまったと、アルクは瞼を閉じる。衝撃と苦痛が彼を襲う瞬間を待った。しかしアイアンゴリラの拳は彼に届いていない。
アルクはゆっくりと瞼を開ける。光の眩しさを受けながら開いた視界の先では、黒いコートとハット帽を被った案山子のような男が、アイアンゴリラの拳を受け止めていた。
「君、怪我はないかい?」
「あ、あんたは誰だ?」
剣士でも魔法使いでも武闘家でもない。胡散臭さを感じさせる男は、色素の薄い唇で弧月を描くと、こう答えた。
「僕かい? 僕はクロサキ。通りすがりのメンタリストさ」
これがアルクの今後の人生を左右する師匠との出会いだった。
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