第7話<カクヨム版>姉妹たち、聖夜に向けて

クリスマスパーティー準備



 りほちゃんよくできましたカード、というものを発行した。

 発行元は姉である、春崎涼香はるさきりょうかだ。

 経緯はまったく複雑でもなんでもない。いつものように、里帆りほがお風呂上がりのドライヤーをかけている最中だった。

 ぱたり、と里帆がその場にぶっ倒れたのだ。

『えっ!?』

 同じく隣で髪にドライヤーをかけていた涼香はそりゃもう慌てて、里帆のもとに駆け寄った。

 里帆は床に倒れたまま、虚無感に支配された顔で、ぽつりとつぶやいた。『メリットがない』と。いったいどういうことなのか。

 詳しく聞き出すと(きょうだけは涼香が髪を乾かしてあげた)里帆は、スピーカーから垂れ流される雑音のように、ぼそぼそと語り出す。

 身の回りのことをがんばってやろうとしていたけれど、その糸がぷっつりと途切れてしまったのだとか。

 最初は真面目に聞いていたものの、話を要約すると、里帆は『やる気になるような、ご褒美がほしい』と主張しているのだった。

 なるほど……なるほど?

 そこで涼香と里帆が頭を突き合わせて考えたのが、りほちゃんよくできましたカードだ。里帆が『自分はこれだけのことをやった』と報告し、その成果が認められた場合、スタンプが一個押される。

 スタンプがすべてたまると、涼香からご褒美がもらえる、という寸法だ。

 ちなみに未華子みかこは最後までご褒美の実装を反対していた。自立のためにやっていることなのに、里帆だけご褒美がもらえるなんておかしい、と。

 確かに……と納得したので、里帆が目的を達成した場合、未華子にも同じようにご褒美をあげることになった。安請け合いをしてしまった気がするが、出した言葉を引っ込めるわけにもいかない。

 こうして、里帆は毎日「ドライヤーした」「宿題した」「きょうの授業は寝なかった」などの報告を重ね、順調にスタンプカードを埋めていった。

 そして──。


「──そろそろ一枚たまりそうだねえ、里帆さん」

「うん」

 足先も冷えるようになってきた季節。涼香は就寝前、里帆から報告を受けて、彼女のスタンプカードにハンコをふたつ押した。お互いパジャマ姿だ。

 里帆ががんばっているということもあり、スタンプカードは二週間経たない間に、もう埋まりそうだ。もうちょっとマス目を増やしておけばよかった気がする。ちなみにハンコは、春崎印のガチの印鑑である。

「貯まる直前にもう一度釘を刺しておくけれど……。あんまり無茶なお願いは、聞けないからね?」

「わかってる」

 こくこくとうなずく里帆は、いっぱいに咲いた春崎印を眺めて、うっとりしている。

 本当にわかっているんだろうか。里帆はイマイチ考えの読めない妹であるから、涼香はそれなりに不安だ。

「……ちなみに、どんなのをご褒美にもらおうとしていた?」

「聞きたい?」

「うん、まあ。あげるの私だし」

「だったらね、こっそりと教えてあげる」

「それは嬉しいなあ」

 あげるのは私なんだけど! という叫びを喉奥に引っ込めたまま、涼香は里帆の唇に耳を近づけた。

 ふぅ、と息を吹かれた。

「ひゃっ」

 慌てて離れて耳を押さえると、里帆は口元に手を当てて上品に微笑んでいる。

「ふふっ」

「いたずらっ子だね……」

「里帆ね、お姉さまをろーらくしようと思っていて」

 頭の中で、漢字の変換がうまくいかなかった。

「ろーらく……籠絡ろうらく?」

「そう」

 小首を傾げた里帆の大きな瞳が、涼香を見つめる。ワンサイズ小さな人形のようにほっそりとした人差し指が、唇に突きつけられた。

「考えたの。お姉さまが、里帆のことを世話したくてしたくて、たまらないよ、ってさせちゃえば、里帆は楽ができるって」

「ええ……?」

「だからね」

 もう一度近づいてきた里帆が、涼香の耳たぶに吐息を吹きかけながら、ささやいてくる。

「スタンプカードがたまったら、キス、しよ」

「え!?」

 涼香は大いに狼狽ろうばいした。背中をドアに引っ付けるほどに後ずさると、里帆はくすくすと笑っている。

 絶世の美少女の誘惑は、どこまでが冗談かわからない。

「いや、あの、里帆さん……?」

「スタンプカードがたまるまで、あと少し。楽しみね」

「さすがにそれは……ご褒美でやることではないっていうか。せめてほっぺたぐらいにしてもらえませんかね……? おでことか……」

 すると、里帆はベッドに腰を下ろしながら、「まあ、それでもいいよ」と許容してくれた。ありがたい。いや、ご褒美をあげる側なのになんでこんな振り回されているのかわからないけれど!

 そこで未華子が戻ってきた。

「ふう、きょうのボランティア活動はこれにて完了ですわ。……あら? 里帆さん、もうちょっとでスタンプ貯まるんですのね」

「そうだね……。あの、未華子さんもできればお願いは手加減してくれたら助かるなーって……」

 顔を赤らめている涼香がそう言うと、未華子は心得ているとばかりに大きくうなずいた。

「もちろんですわ。というか、最初から『ご褒美』は決まっておりますもの」

 こちらの会話に興味なさそうにベッドに寝転んでいる里帆を横目に、涼香は思わず緊張してしまう。

「え、ええと……それって、どういうものかな?」

「ええ。決まっていますわ。お姉さまのご褒美だって、私は自分のためではなく、誰かのために使ってあげたいんですわ」

「な、なにそれ」

 自分の身柄が妹ではない誰かを幸せにする? 予想外の前置きに、涼香はおののく。

 未華子は両手を組み合わせて、天井を見上げながら告げてきた。

「ですから──ぜひとも、里帆さんのスタンプカードのマス目を、今の8倍にしてあげてくれませんか?」

「……………………は?」

 そのつぶやきは、里帆のもの。

 未華子は心から神を信じるシスターのように、きらきらとした目をしていた。

「だって、目標が遠ければ遠いほど、人はやる気になるのではありませんか。私も聖母を目指して早十年。いまだ母なる愛は遠く、されど気持ちは燃え続けておりますもの!」

 と、言い終わる前に、里帆が未華子の顔面に枕を投げつけてきた。

「未華、きらい!」

「今はそう言っても、いつかきっと里帆さんは私に感謝するときが来るんですのよ……」

 あ、だめだ。未華子は陶酔しきっている。

「ははは……」

 かくして、未華子のプランを聞いて、すっかりやる気をなくした里帆。『涼香籠絡作戦』は未然に防がれたものの、スタンプカードシステムそのものも頓挫してしまった。

 涼香のもとに残ったのは、やっぱりモノで釣る作戦はいけない、という戒めと──そして、このスタンプカードシステムが、うららや汐音しおねの耳に入る前に廃止になって良かったな……という安堵であった。


 ***


 明日葉あすはの心は、満ち足りていた。

「ねえねえ、お姉さま! お姉さまがオススメしてくださった本、とーっても面白かったですの!」

「そうですか。それはよかったです」

 子犬のようにじゃれついてくる千沙都ちさとに、明日葉は心からの笑みを見せた。

 ここは明日葉の寮部屋。明日葉は第三期になって、千沙都と真悠まゆのふたりを妹にした。千沙都と真悠はもともと友達同士ということもあり、仲は良好だ。

 さらにここからが大切なところだが、ふたりは気性がとても穏やかで、そして読書家だった。明日葉にとって、理想のような妹たちであった。

「千沙都さんも、読んだんですね。ふふ、石田も明日葉お姉さまに貸してもらって、夢中になって一晩で読んじゃったんですよ」

「そうなんですの! 明日葉お姉さまの妹になってから、毎日、どんなに時間があっても足りませんの!」

 真悠と千沙都は、両手を合わせてきゃっきゃとはしゃぐ。

 椅子に座ったままその様子を眺めながら、明日葉は「ふぅ」と頬に手を当てた。

「これが私の望んでいた、日常……」

 決して、第一期と第二期の妹たちに問題があったわけではない。そう、むしろ問題があったのは自分自身だ。

 明日葉は今までずっと、人付き合いを苦手に思っていた。特に、うらら&未華子と同室になった第二期は、死ぬかと思った。いや、いい意味で、いい意味でだ。

 それに、最終的には順応することもできた。まるで荒療治だったけれど、そのすべては無駄ではなかった。

 仮に第一期に、千沙都と真悠を妹に迎えていたところで、明日葉はきっとふたりとうまく言葉を交わすことはできなかっただろう。

 だからきっと明日葉は──姉として妹を教育する立場でありながら──自分を育ててくれた妹たちに感謝するべきなのだ。

「千沙都さんも、真悠さんも、いろんな本を読んでいらっしゃるんですよね。もしなにか面白いものがあれば、私にも教えてください」

「まあ、明日葉お姉さまにオススメしたい本ですの!? それでしたら、あの……」

 千沙都が胸の前でもじもじと指を絡ませる。明日葉は彼女を安心させようと微笑みかけた。

「わかります。自分の好きな本を紹介するのは、恥ずかしいですよね。まるで、自分の脳の中身を覗き見られているような。ふふ、でも心配はいりませんよ」

 明日葉は胸に手を当てて、にっこりと笑う。

「私だって、物書きの端くれです。こう見えても、それなりに守備範囲は広いんですよ。千沙都さんが面白いと感じる本、私にも教えてくれませんか?」

「明日葉お姉さま……」

 千沙都はほわんとした顔で、明日葉のもとに机の上から電子書籍リーダーを持ってきた。

「で、でしたら、でしたら」

 その場からそそくさと真悠が離れていったことに、明日葉は気づかない。

「あの……ほんとのほんとに、どんびきしたり、しませんか?」

「ええ、もちろん。約束します」

 力強く念を押すと、ようやく警戒心を解いてくれた。

 千沙都の差し出してきた電子書籍リーダーに表示されていたのは、もちろん誰彼構わず見せるわけにはいかないような肌色成分多めな本の類。

 まさかの内容に、明日葉も動揺を隠せなかった。

「あの、これは」

「真悠さんにオススメしたこともあるんですけど……」

「そ、そうなんですか?」

「はい……。でもそうしたら、この板をブン投げられてしまいまして……」

 思わず視線を真悠に向けると、彼女はこほんと咳払いをした。いつになく、彼女の顔が赤く染まってしまっている。

「……それは、千沙都さんが悪いです」

 頬を膨らませて、真悠がそっぽを向く。

「だって、あんなの……。まだ早いです、千沙都さんには」

「大丈夫です、真悠さん! 文芸作品には、年齢制限がありませんの!」

「そういう問題じゃありません!」

 ふたりの言い争いを聞きながら、明日葉は苦笑いする。なるほど、千沙都の趣味はずいぶんと偏っているみたいだ。それはそれで、まあ、うん。

「約束は約束、ですからね。私も、新たな扉を開いてみます」

「まあ!」

「ええ!?」

 千沙都の黄色い声と、真悠の悲鳴が同時に響き渡る。

「どうですか? 真悠さんも。ねえねえ、真悠さんも今なら」

 うきうきとすり寄る千沙都に、真悠は断固首を振った。

「石田はけっこうです!」

 まさか真悠も、自分が少数派になってしまうとは、夢にも思わなかっただろう──。


 ***


麒美島きびじま女学院は、クリスマス会とかはやるの?」

 世間話のように涼香が尋ねる。

 明日葉と帆南ほなみ、それに涼香は放課後、三人で暖房の入った温かな学食に集まっていた。姉同士の懇親会は、出会ってからずっと続いている定例行事だ。

「特にそういうのは、ありませんね。食堂のメニューに、ケーキが追加される、ぐらいでしょうか?」

「そうだね。いつもと変わらない日だよ。翌日も学校だし。ああ、あとはあれかな? 寮のラウンジにクリスマスツリーが飾られるかな」

「有志が飾り付けを担当するんですよね」

「暇そうにしていると、手伝いさせられることもあるみたいだよ。だからわたしは、去年逃げ回ってた」

 帆南が小さく舌を出して、明日葉が笑った。

 まったくタイプの違うふたりだが、姉同士の連帯感で、ずいぶんと仲良くなった。やはり共通の困難に立ち向かう仲間というのは、大きい存在だ。

 ともあれ、クリスマスに特別な行事を行う予定はなさそうだ。それなら、と涼香はふたりに話を切り出した。

「いや、実はね。文化祭も、その前のパジャマパーティーも、妹たちが主導でイベントを作ってくれたじゃない? だから、クリスマスぐらいは、わたしたちがなにかしてあげたいな……って思いまして」

 そう告げると、帆南は案の定、面倒くさそうな顔。

「わたし、親からクリスマスには関わるなって厳しく言われちゃっててさ」

「帆南さん、意地悪ですね。私は素敵なアイデアだと思いますよ。できることがあれば、なんでも協力しますね」

「うう、ありがとう、明日葉さん」

 涼香は泣き真似をしつつ明日葉の手を握る。その後、じっとりとした目を帆南に向ける。帆南は目をそらした。

「といっても今からじゃ、大したことはできないんじゃないかな。人手も足りないわけで」

「うん。だから、クリスマスカードを用意して、ケーキを作るぐらいでどうかな? ツリーもさ、寮の倉庫にホコリかぶってしまわれているのもあったんだ。飾り付けはみんなでやろうよ」

「みんなって、妹たちも? それって結局、いつもと変わらないんじゃ」

「いやいや」

 涼香は首を振った。

「私たちが一緒にやろうって言い出すことが大事なんだよ。たぶん。ほら、準備だってきっといい思い出になるだろうし」

 涼香がぐっと拳を握りながら言うと、帆南もついに説得されたようだ。大きくため息をつく。

「わかったよ。ただし、わたしはクリスマスカードはパス。自分の気持ちを形に残すのは、あんまり好きじゃないんだ」

「了解了解。帆南さんは恥ずかしがり屋だもんね」

 睨まれて、涼香は愛想笑いを浮かべた。

 こうして、初めて二年生主導でのイベントが開かれることになった。


 ***


 ちなみに、サンタさんにお願いしたいプレゼントをリサーチしようとしたら、それは帆南に止められた。購買部に取り寄せられる品目には制限があるため、あとでがっかりさせるかもしれないという話だ。

『だから、贈りたいものを贈ればいいんじゃない?』と、帆南は言ってくれた。それはそれで、なかなかの難題だったのだけど……。

 クリスマスの準備は進み、そして、当日になって。


 涼香は学院長に呼び出された。

 子供の誰もが夢を見て、サンタクロースにプレゼントをねだる清らかな日を目前に控えて。彼女はそこで、新たに自分の道を選び取るための決断を、しなければならなかった。


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電撃G'sマガジン2月号(12月28日発売)掲載 第8話へ続く


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