第6話<カクヨム版>そういう姉妹の形 帆南/明日葉編


宮原 未華子VS吉村 うらら


家政婦──もとい、はつらつとした侍女・石田真悠いしだまゆの朝は早い。

 起きてすぐに自分の準備を整えると、ルームメイトである藤麻里帆ふじまりほの身支度だ。

 ぽけーっとして、能動的なリアクションを起こさない里帆は、ある意味では理想の『世話焼かれ役』であった。

 ベッドで起き上がったまま、うつらうつらと頭を揺らす里帆。

 差し込む朝日によって照らされた里帆は、まるで人の形をした宝石のようだ、と真悠は思う。

 ただそこにいるだけで価値がある。磨かれれば、さらに光を放つ。そして、あらゆる人を魅了する。

 入念に髪をかす真悠もまた、里帆の世話をしているだけで、自身が特別な存在になったような気分を味わえてしまう。

「力加減はどうですか?」

「ん……きもちいい」

 あくびを噛み殺す里帆の一挙一動が、ピカピカと輝いている。

 ただ、世の中には宝石に飽きたり、宝石よりも他に好きなものがある人もいる。里帆の姉である帆南ほなみは、そうなのかもしれない。

「真悠」

「はいはい、なんですか?」

 他人を呼び捨てにする里帆の振る舞いは、麒美島きびじま女学院生としては落第モノである。さすがに里帆もまずいと思っているのか、彼女は誰彼構わず人前で名前を呼んできたりしない。ごく一部の相手。それも、リラックスしたムードの中だけだ。

 そのひとりに選ばれていることは、光栄なことなのかもしれない、と真悠は思う。たぶんだけど、うらら辺りは里帆に認識もされていないんじゃないかなあ、と。

「明日ね、朝からおしごとで迎えが来るから。学校、休むね」

「承知いたしました。大変ですね、がんばってください!」

「ん」

 くい、と小さく里帆が首を傾げる。櫛が髪をするりと抜けた。

「がんばることは、なんにも。ただ、座ったり、立ったりするだけだわ」

 雑誌モデルの仕事を、端的にそう言い表す里帆。同年代の大勢がしのぎを削って椅子を争うような仕事も、里帆にとっては当たり前の日常でしかない。

「そうですか。では、石田は里帆さんのお帰りをお待ちしておりますね」

 ただ、最適化されている。

 長い睡眠時間も、極力ストレスを排除した暮らしも、飲み物はほとんど水しか口にしないのも、すべて彼女が一流のモデルを続けるために必要なことだ。

 ただ、本人がそれを好き好んでいるのかどうかは、真悠にはよくわからなかった。半ば義務のようにも見えるし、あるいは心からどうでもよさそうに見える。

 雑事を行わない彼女の手はふわふわで、同年代の中でもとびきり柔らかい。

 そうなるように育てられたのは間違いないが、真悠は里帆の心が知りたかった。

「帰ってきたら、一緒に編み物でもしますか? この冬にかけて、靴下でも編もうかと思っているんですよ」

 と、誘われた里帆は、ぼんやりとしたまましばらくなにも言わず。

「なんで、自分でつくるの? 買えばいいんじゃ……?」

 それはそうだけれど!

「つ、作るのも楽しいんですよ! 自分でデザインを決められますし! なにより、作っている時間が楽しいんです。ほら、里帆さんも麒海祭のときに、メイド服を作ってもらったのは楽しかったですよね?」

「そうかな? あれは、里帆のを作りたそうにしてたから、作らせてあげただけだわ」

 だめだ、ぜんぜん伝わりそうにない。

 人の世話は得意な真悠でも、人に楽しさを教えるのはそうそううまくいかないようだった。



 里帆が島を出て働きに行くことは、ままあった。中等部の頃から里帆は引っ張りだこで、なるべくマネージャーが便宜を図ってくれているものの、それでも月に一度はどうしても避けられない撮影が入るのだとか。

 二日ほど、真悠は寮部屋で帆南とふたりきり。

 普段、ほとんど喋ることもない里帆なのに、いなければいないで、どことなく部屋を広く感じるのは不思議なものだ。

「そういえばきょう、実家のほうから送られてきたんだけどさ」

 夜の時間。勉強をしている最中、珍しく帆南のほうから話しかけてきてくれた。

「石田さん、いつも里帆の世話をしてくれてありがとうね。お礼と言ってはなんだけど、おひとつどうかな」

 見せてくれたダンボールの中には、大量にお菓子が詰め込まれていた。真悠が見たこともないような、北海道の銘菓もたくさんある。

「まあ……石田も選んで、いいんですか?」

「普段、ろくに姉らしいこともできていないからね。といっても、お菓子で釣るなんて、あんまりって感じだろうけど」

 帆南が肩をすくめる。

「いえ、嬉しいです」

「あ、ここらへんは里帆の好みだから、残しておいてもらえるかな」

「里帆さんも、お菓子を食べるんですか?」

 意外そうに聞き返すと、帆南は「そりゃそうだよ」とうなずいた。

「あの子は甘いものが大好きだからね。どれだけ食べても別腹って言ってさ。夕食を残して怒られることだって、しょっちゅうだったよ」

 里帆がいないからだろうか。昔を懐かしむ帆南の声は、優しい響きがした。ここだけを切り取れば、まるで仲のいい姉妹のように見える。

 麒海祭の前。真悠は藤麻姉妹がぎくしゃくしている原因を探ろうと思ってはいたものの、あまり成果は得られていなかった。噂らしい噂もほとんど見つからず、さすがの真悠も諦めかけていた頃である。

 この際だ。真悠は思い切って帆南に尋ねてみることにした。

 とはいえ、切り出し方には気をつけなければ。

「帆南お姉さまは、あんまり、里帆さんには関わらないものだと思っていましたから」

「まあね」

 すると、帆南はあっさりと認めた。

「相手をしてくれている石田さんにこう言うのもなんだけどさ、里帆って誰が相手でも変わらないでしょ。あの子の世界には、自分しかいないんだ」

「自分、だけ」

「そう。だからさ、意味ないんだよ。どんなに気持ちを注ごうともね。ただの一方通行。石田さんは確かに親切だけど、きっといつか、虚しくなってくると思うよ」

「お姉さまは」

 真悠は少しだけ躊躇ちゅうちょしながら。

「虚しくなってしまったんですか? 里帆さんの、お相手が」

「どうかな」

 帆南は里帆の好みのお菓子を取り分けると、ダンボールを閉じて机の下に押し込んだ。

「ただ、私とあの子は姉妹だから、これからもずっと一緒なんだ。ずっと比べられる。それが、飽き飽きしちゃったのかもしれない。きっと反抗期なんだね、私は」

 冗談のように微笑む帆南の、その手を真悠が握る。

「……石田さん?」

「石田には姉妹がいないので、帆南お姉さまの心に寄り添うことはできないかもしれません。けれど、里帆さんだってきっと、帆南お姉さまの気持ちをわかってくれる日がやってくると思います」

「そうかな?」

「はい、きっと……。いいえ、必ず」

 ふふっ、と帆南が笑う。

「石田さんみたいな子が、妹だったら、私ももうちょっとゆるやかにいられたのかな、って」

 だめですよ、そんなことを言ったら……とたしなめそうになり、真悠は口をつぐんだ。

 帆南の気持ちも知らずに、横から口出しするべきではない、と。

 どこまでいっても真悠は侍女にしかなれない。気持ちに寄り添い、支えるまでが真悠のできること。そこから先は……未来を描くのは、自分ではない。

 代わりに、握る帆南の手に、小さく力を込める。

「石田も、帆南お姉さまみたいな素敵なお姉さまがいたら、きっと楽しかったと思います」

 戯れのような言葉にも、帆南は満足して笑ってくれた。

「ま、もうすぐで二期目の姉妹関係も終わっちゃうけどね」

 残る組分けは、あと一回。また帆南と真悠が同じ姉妹になれるかどうかはわからない。

「でも、話したことや、わかりあったことはいつまでも残ります。来年だって、帆南お姉さまはまだ三年生なんですから」

「でもなあ」

 椅子に座った帆南は、頬杖をついて真悠を眺めた。

「涼香さんの大事な妹を、奪っちゃう気には、さすがになれないかな」

 不意打ちだった。

 ぽっと真悠の頬に紅が差した。

「い、今は涼香お姉さまのことは、関係ないじゃありませんか」

「別にいいんだよ私は。たまにやってきて、石田さんをからかう意地悪な先輩として、相手をしてくれれば、さ」

 真悠は珍しくペースを乱されて、顔を背ける。帆南が、楽しそうに笑った。

 それからしばらく、ふたりだけの部屋で帆南と真悠は様々な話をした。帆南はヘアーアレンジするのが好きで、将来の夢がヘアメイクアーティストだというのも、初めて知った。

 里帆が留守になって帆南と心の距離が縮まるのは、なんだか皮肉な話だけれど。楽しい、一幕であった。


 ***


 明日葉はもはや悩むことを止めていた。

 寮部屋で机に向かい合いながら、読書中のことだった。

 右側から、未華子が朗らかに昆布茶を差し出してくる。

「どうぞ、お姉さま。未華子がお姉さまの飲み物をお持ちしました、未華子が」

 そこに、うららが左側からずずずいと身を乗り出してくる。彼女はコーヒーカップを持っている。

「どーぞ、お姉さま! やっぱり読書中にはコーヒーですよね!」

 ふたりに挟まれた明日葉はどうしたか。にらみ合う彼女たちからそれぞれの湯呑みとカップを受け取って、引きつった笑みを浮かべる。

「あ、ありがとうね」

 一事が万事、この調子だ。

 よっぽど相性がいいのかなんなのか、姉である明日葉に差し入れを届けに来るタイミングも似たりよったりなので、衝突は免れないわけで。

 頭上を飛び交う未華子とうららの口論をスルーできるようになったのは、それなりの成長の証かもしれない……などと、明日葉はのんびりとした顔で昆布茶をすする。

(あるいは、慣れちゃだめなのかもしれませんけれど……)

 ふたりの語気が激しさを増す。

「お姉さま、もう我慢できません! きょうこそ決着をつけさせてくださいまし!」

「こちらこそです! こんな野蛮な人は、お姉さまにふさわしくないと思いますケド! 姉妹制度の途中破棄ってできたりしないんですかね!?」

「なんてことをおっしゃいますの、うららさん! それは学院に対する立派な背信行為と受け取ってもよろしくて!?」

「すぐそんな極端なことを言い出して、麒美島の聖母さまはほーんと心が狭いんですね! あたし程度の外部生のれ言、平然と笑い飛ばしたらいかがですか!?」

「もう、もう、我慢なりません! わたくし、この人と同室なんてもう無理ですわ! お姉さま、申し訳ございませんが、お暇をいただきますわ!」

「えっ」

 さすがに驚いた明日葉が本から顔をあげる。しかし呼び止める間もなく、未華子はスタスタと部屋を出ていってしまった。

 うららはドアに向かって、べー、と舌を出す。

(こ、これは……)

 明日葉は冷や汗をかく。

 どちらの態度も、決して淑女としては褒められた行為ではない。もし明日葉が今も理想の姉を目指すのならば、ここはアレをするべきなのだ。

 そう、叱るという行為を。

「……あのですね、吉村さん」

「はい、なんですか? あっ、お姉さま、ようやく邪魔者がいなくなってふたりきりですねっ。これからはどうぞ、吉村うららをかわいがってくださいねっ」

 そう言って、猫のように目を細めながら身を寄せてくるうららに、明日葉は「うっ」とたじろいだ。

 確かに未華子とうららの相性は悪い。だが、それはそうとして、うららが人々の助けになろうと日々ボランティアに勤しんでいる善良な娘なのは間違いない。

 未華子もだ。うららと顔を合わせれば、どちらが長女でどちらが次女か(この姉妹制度に上も下もないのだが)で言い争っているものの、寮部屋を出れば、皆の規範となるような成績優秀、眉目秀麗な女子生徒。

(果たして、私が一時の感情に任せて、叱ってもいいんでしょうか……?)

 明日葉は混乱した。

「どうして、宮原さんと仲良くできないんですか……?」

 目を回しながら尋ねると、うららは神妙な顔をした。

「あたしもですね、三ヶ月も姉妹で一緒に暮らしていたら、ちょっとぐらいマシになるかって思っていたんですケド」

「……けど?」

 小さく横に首を振って、うららは告げてきた。

「あたしと宮原さんはどうやら、竜虎相打つ運命だったみたいなんです。だって頭よし品格よし家柄よしの明日葉センパイの元でも仲良くできないなんて、もう終わってますよ!」

 無茶な理屈の勢いに押されて、明日葉は思わず「なるほど……」と納得してしまいそうになった。

 ただ、それでもまあいいかと飲み込んだのは、理由がある。未華子とうららは同室になって以降、まるで競うように学院への奉仕を励んでおり……。

 結果、明日葉の妹としてふたりの評判はグングンと高まっていった。

 こういった関係もあるのだと、明日葉はまたひとつ知見を得たのであった。


 その後、未華子は消灯前に帰ってきて、明日葉に迷惑をかけたと頭を下げてきた。しかし、再びうららと激しい口論を交わし──結果、今度はうららが部屋を出てゆくことになり、明日葉はもうどうにでもなれという気分でベッドに潜った。

 姉妹制度を実行するまでは、他人と積極的に関わることはなく、また、望むことさえなかった明日葉だったけれども、今は違う。なによりも、うららと未華子がぐいぐいと迫ってくる。

 強制的なコミュニケーションを押し付けられ、それを困惑とともに受け入れるか、否定するかのどちらかの手段しか選ぶことができなかった明日葉も今は、なんとなく受け流せるようになってきた。

 白でも黒でもない中庸。それはある意味で、人間関係においてもっとも大切な要素であるがゆえ──実際、今回の姉妹制度でもっとも人間的な成長を見せたのは、明日葉だったのかもしれない。


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