第4話<カクヨム版>新たな姉妹たち 明日葉/帆南編
明日葉は悩んでいた。
もともと、
読書家の父と母の家庭に生まれ、物心ついた時から周囲は物語で囲まれていた。
明日葉にとって目に見える世界とはただそれだけの意味でしかなく、異なるいくつもの世界を毎日渡り歩いているからこそ、触れ合いには満ち足りていたのだ。
さらに言えば、本の世界に比べて、実際の世界は不完全とさえ思えた。
現実世界では、悪いことをした人が必ずしも逮捕されたり、報いを受けたりはしない。因果応報が大原則の(もちろんそうではないお話もたくさんあるが)作られた世界こそが、あるべき形ではないかと強く信じていた頃もあった。
さすがに高校二年生にもなり、現実と空想の区別や分別をつけられるようにはなった。けれど、心の天秤はいつまでも物語に傾き続けていることは、否定できなかった。
さて、そんな明日葉だ。
物語に傾倒した彼女が、自分でも『完全な世界』を生み出してみたいと考えたのは、そう不自然なことではなかった。
ここでいう完全な世界とは、なにもSFやファンタジーに代表される世界そのものの構築ではなく、物語を語る一貫性やテーマ性などであった。
明日葉が書いた主なジャンルは、ミステリーだ。
人の情感や衝動を語るのに、いちばん適したジャンルだと考えたのである。
ただ書いているだけで満足だった。誰にも見せる気はなかったが、小説を書き始めて三年ほど経った頃だっただろうか。新しいノートパソコンを買ってもらう際に用途を聞かれ、特に隠す理由もなかったので小説を書いていると伝えた両親が興味をもったのだ。
自作小説を読まれるのは、そう恥ずかしいものではなかった。明日葉が目指していたのは完璧な世界の構築であり、あくまでも世界の一部をディスプレイに書き写しているだけのつもりだったからだ。
資産家の父親と、旧華族の母親の計らいで、明日葉には担当編集がつくこととなった。
その翌年、類まれなる才能を認められた須佐野明日葉は、文壇にデビューすることとなる。
当時、中学三年生であった。
復讐や怨恨、激しい怒りや嫉妬などの負の感情を、青臭く瑞々しい感性で書き綴った彼女の小説は、方々に人気を博し、瞬く間に文芸誌に連載をもつこととなった。
それから二年経ったが、明日葉のスタイルは一貫している。
すなわち、追い求めているのは完璧な世界の構築であり、完全な物語の現出だ。そこに混沌──いうなれば、コントロール不可能なものは存在していない。
なのだが──!
「ですからおっしゃっているではありませんか、吉村さん。それとも、吉村さんでは理解が及びませんでしたか? このレベルの話は」
「ごめんなさい、ちょーっとあまりにも説明がヘタすぎて、ぜんぜん要点を掴めませんでした。つまりなんですか、今度は共用語で喋ってくれません?」
「…………(間に挟まれてオロオロしている明日葉)」
つまり、明日葉は困っていた。
先日それぞれに新しい妹が割り当てられ、明日葉の下にもやってきた。
ひとりは
彼女は前回からの続投だ。
凛とした立ち姿や、どこにいても自信満々な瞳の輝きなど、下級生であるにも関わらず、明日葉にとっては憧れにも似た感情を抱いてしまう。
そしてもうひとりは、
前回は、
彼女は夏休みも学院に残っていたので、あちこちで姿を目撃した。誰とでもパワフルに付き合って、まるで真夏の夜を踊り歩く妖精のように美しかった。
三人は今、明日葉の寮部屋で顔を突き合わせている。
「ですから、吉村さんも新しくやってきた以上、わたくしたちの生活リズムに合わせていただきませんと。郷に入っては郷に従え、ですわ」
「ルールがあるなら守るって言っているじゃないデスか。あたしが気に入らないのは、なんでそれを宮原さんが仕切っているんですか? ってことなんですケド」
「あら、お姉さまにお手を煩わせるまでもありませんでしょう?」
「姉妹制度っていうのは、お姉さまに余計な手を煩わせることに特化した制度だと思っているんですケドー?」
がるるるるると未華子とうららは、顔を突き合わせる。
このふたり、あまりにも相性が悪く、そもそも仲も悪いようだった。
里帆アウト、うららインの寮部屋はまるで、一触即発の火薬庫だ。
明日葉は思わず現実逃避に、今月締め切りの小説の空想に
確かに、確かにだ。
学院長の口車に乗せられて、この姉妹制度に立候補することとなった。
いや、何度も何度も断ったのを押し切られた、と言ったほうが正しいのだが……。
ただ好きなだけで小説を書いていたのならともかく、今の明日葉はプロだ。少なからずお金を払って読んでくれた読者を楽しませる義務がある。
ということは、彼らを飽きさせないために、自身も新しいことにチャレンジしてみる必要があると考えた。
その過程での悩みを涼香や帆南と共有するというのもまた、新鮮な出来事だった。
生まれ育った環境のまったく違う
そう、すべてはうまくいっているのだ。
ただ、明日葉自身の心痛を除きさえすれば。
いまだ町中で出会った野良猫のようにわめいているふたりに、明日葉はやんわりと手を伸ばす。
「あの……」
ギンッと抜いた刃のような視線がこちらを向く。
ひあ……と、その場にしゃがみ込んでしまうところだった。
さすがに妹たちも、姉に向ける類の目つきではないとすぐに反省し、慌てて険を取っていたものの……。
「お姉さま! あたしに問題があるなら、お姉さまから言ってください! そうしたらあたし、ちゃんと改めますから!」
「ですから! 明日葉お姉さまはそういった直接の物言いは、あまり好きではないんです! 吉村さん、あまりお姉さまに面倒をかけては!」
「そんなの、納得できないんですケド!」
これが現実。完璧とは程遠い世界。
そもそも明日葉は、自分が他人にとやかく指図するような器ではないと思っている。
家柄は生まれ持っただけのものだし、勉強の成績に関しても幼い頃から続けるのが当たり前だったから。
極めつけの小説なんて、どこかにあると信じている『完璧な世界』を写し取っているだけに過ぎない。
それに、まだまだ上には上がいる。
誰もが望んでも決して手に入れることのできないものを三つも手にしてなお、明日葉はあまりにも謙虚な、むしろ謙虚すぎる娘であった。
「と、とにかく、あの、言い争いはよしてください。あまり大きな声を出されると、困ります」
ひとまず、ふたりには落ち着いてほしい。
「その上で、訴えがあるなら私がお聞きします。ただし、おひとりずつです」
だって、ふたり同時だときっと自分がいっぱいいっぱいになって、とても平静を保てないだろうから。
ゆっくりと落ち着いて言い放つと、ようやくふたりは静かになってくれた。
「……すみません、お姉さま。少々、騒ぎすぎましたわ……」
「ごめんなさい……」
自分のことを顧みて、頭を下げてきてくれる。
まだ体の緊張は解けていなかったけれど、ようやく明日葉はほっとした。
「はい、それではこれからのことをお話ししましょう。まずはベッドの場所など」
「それはわたくしが上ですわね。もともと上でしたので」
「は? あたしずっと上だったんで、上がいいんですケド?」
また睨み始めるふたりを眼前に、明日葉は頭を抱えそうだった。
これだから、やはり現実は理不尽なのだ。
きっと今回の姉妹期間を経て、自分はまた一回り成長できるだろう。
(恨みます、学院長…………)
本で口元を隠しながら、明日葉は大きくため息をついたのだった。
***
そしてもう一組の姉妹だ。
これはこれは……。と間に座っているのは、侍女志望の一年生、
帆南はベッドに寝転がってスマホをいじっている。
かたや里帆もまた、二段ベッドの上で膝を立てて座りながら、雑誌をめくっていた。
ふたりの間には、一切の会話もない。
もっとも、実の姉妹ならこの程度は当たり前なのかもしれない。学校で改めて姉妹制度で結びついたところで、今さらなのかもしれない。
(かもしれませんが……)
真悠は学習机で明日の授業の予習をする振りをしながら、考えを巡らせる。
特に気まずいと感じることはない。
侍女のエキスパートになるつもりの真悠だ。たとえご主人様がどれほど寡黙で、あるいは家庭内が冷め切っていたとしても、それで自身のパフォーマンスを落とすはずがない。
むしろ、涼香のように優しく、人当たりのない主のほうが珍しいだろう。あの三か月は本当に生ぬるい環境に身を置かせてもらったけれど、ここからがむしろ真悠の修行の日々だ。
それはいいとして、帆南と里帆だ。
顔立ちは、麒美島でもトップレベルの美少女たち。ふたり並べばまさに彫像のような美しさを誇る、藤麻姉妹。学内での人気は同じぐらいだが、世間的にはモデルとして活躍をしていた里帆のほうが、遥かに有名だ。
と、真悠が知っている藤麻姉妹の情報は、その程度のものである。
ふたりともあまり自分のことをぺらぺらと話すタイプではない。
だからこそ、だからこそだ。
(うっ……だめ、だめですよ、石田……はしたないですよ……)
うずいてしまう。そう、侍女の本能というやつが。
ふたりの間にいったいなにがあったのか。あるいは、なにもなかったのか。
隠されているものを知りたくなってしまう。その好奇心が、ぜんぜん抑えられないのだ。
(まさかこんな、涼香お姉さまにお仕えしていたときには、うまくやっていたはずなんですが……)
いやしかし、思い返せば涼香やうららにも、いろんなことをぺらぺらと喋ってしまっていたような気がする。
好奇心と探求心の虫が騒ぐのは、今になって始まったことではなかった。
反省しつつも、真悠は開き直ることにした。
(よし……それでは、石田の目標は、帆南お姉さまと里帆さんのことを今以上に知る……ことにいたしましょう!)
そうだ。侍女として主人の趣味や嗜好、様々なデータを収集するのは当然のことと言えるだろう。
涼香にいたっては、食べ物の好みから、持っている下着の柄と枚数までも把握していた真悠だ。あれだけ全幅の信頼を置かれるというのは、まさに侍女冥利に尽きる。
それが信頼だったか、あるいはただの諦めだったかは、さておき。
真悠はぱたんと教科書を閉じて、本日の勉強を終了する。
「ふう、疲れましたね。石田は紅茶を淹れますが、おふたりはいかがですか?」
「私はいいや」
里帆からは返事すらなかった。
手ごわい。
「では、帆南お姉さまは、なにがいいですか? あとは、緑茶、ほうじ茶、そうそう、夜ですから、ノンカフェインのコーヒーなんかも揃えておりますよ」
「大丈夫だよ。飲みたくなったら自分で適当にやるから。気を遣わないでいいよ」
むむむ。
真悠は微笑みを崩さぬまま「そうですか」と立ち上がった。
「そういえばもう少しで、麒美島の文化祭ですね」
「ああ、そうだね」
「今回はなんでも、涼香お姉さまや明日葉お姉さま、それに帆南お姉さま方の姉妹全員で、ひとつの催しをするみたいじゃないですか。とても賑やかで、楽しそうですね」
「まあ、涼香さんがいるから、きっと仕切ってくれるだろうね」
あら、と真悠は声を弾ませた。
「帆南お姉さま、いつから涼香お姉さまのことを、下のお名前で? 親しくなられたのですね」
「あの子は誰に対しても、心の壁を作らないからね。不思議な人だよ。カリスマ性っていうのかな」
真悠は自分のことのように喜ぶ。
「そうなんですよ、そうなんですよ。うふふ、今年の文化祭、ますます楽しみになってきました」
自宅から持ってきた私物のケトルでお茶を淹れていると、帆南がやってきた。
「あら、やっぱりお姉さまの分もいりますか?」
「石田さんは、人の面倒を見るのが得意なんだよね」
「ええ、侍女を目指しておりますから」
えへんと胸を張ると、帆南はちょうどよかったと薄く微笑む。
「だったら、しばらく里帆の面倒を見ていてくれるかな。同学年だからわかっていると思うけど、あの子、ああいう子だからさ」
「あら……それは、もちろん構いませんけれど」
「よかった。それじゃ、お願いするよ」
肩をぽんと叩かれた。
それだけ言うと、帆南はさっさと自分のベッドに戻ってゆく。
ケトルを手に、ちらりと様子を窺う。雑誌を読んでいたと思っていた里帆だが、どうやら座ったまま舟を漕いでいるようだ。
里帆はどこでもよく寝る女の子だ。とりあえずは、毛布を掛けなおしてあげなければならないだろう。
手早く淹れた紅茶の匂いを味わいながら、真悠は壁の左右、ふたつのベッドを見比べる。
壁を向いたままこちらに背を向けて横になる帆南。そして、二段ベッドの上で一言も発せずに眠りについている里帆。
(むむむ……)
笑顔の奥、眉根がぐぐぐっと寄っていく。
なるほど、なるほどなるほど。
(これは、石田のがんばりがいが、ありそうですね!)
気合を入れ直して紅茶を口に含む。
出来栄えは決して悪くないはずだったが、ひとりで飲む紅茶の味は、なぜだかいつもよりそっけなく感じてしまったのだった。
二学期はこうして、各姉妹、根底に様々な問題を抱えながら始まった。
だがそれは付き合いが深まってゆくにつれ、必ず表層に浮き出てくるもの。
発見できたからには、根治もできるだろうと信じて。
──文化祭に向けて、姉妹の絆が試されてゆくのであった。
――――――――――――
この続きのお話(第五話)は電撃G'sマガジン11月号(9月30日)発売号にて!
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