第2話<カクヨム版>祭りの終わりの夜
「ああ、楽しかったー」
賑やかさの予熱を引きずったまま、汐音が火照った顔で笑う。後ろに続く
汐音はしなを作り、帆南の腕を取る。
「ね、おねーさま、次は汐音たちの部屋でやりましょうよー。なんだかあたし、燃えてきました。もっともっとかわいい衣装、取り揃えちゃいますからねー」
「それはいいね」
「でしょうー? それにしても、みんなとってもかわいかったですね。そうそう、明日葉先輩、あんなにスタイルよかったなんて、意外でしたよねー。未華子さんもたじたじでしたもん。ねー? 千沙都ちゃんー」
首を傾けて話を振ると、千沙都も上気した頬に手を当てる。
「はい。みんなみんな、まるで妖精みたいにきれいで……。ほんとに、真夏の夜の夢のような、すてきな夜でした……」
汐音は帆南の腕を離し、今度は千沙都に後ろから抱きついた。
「千沙都ちゃんは誰がお気に入り?」
「お気に入りというか、ああ、でも真悠ちゃんが嬉しそうに、お姉さまと仲睦まじく寄り添っていたのが、とても印象的でしたの」
「うららちゃんは、ずっと恥ずかしそうだったねー」
「不思議ですの。あんなに似合っていたのに」
「もっともっと千沙都ちゃんが褒めてあげればよかったんじゃない? それが足りなかったから、ツンツンしてたんだよー」
「そっ、そうだったんですか!?」
「うんうん。だから次は、全力で褒めてあげればいいよ。頭の天辺からつま先まで、隅々をね」
「はいっ、そうしますの!」
にやにやと笑う汐音には気づかず、千沙都はうんうんとうなずく。それからぱちんと手を打った。
「あとはやっぱり、
汐音は千沙都からそっと離れ、誰にも気づかれないように帆南の様子を窺う。
帆南に変わりはない。
「そうだね。里帆は怠け者に見えるけど、ああ見えて誰よりも美容には気を遣っているから。常にストレスがないように過ごしているのも、その一貫なんだよ」
そう言って、自然体に
「あははー、里帆ちゃんはすごいですねー」
同調して微笑みながら、汐音は彼女たちのことを考える。
中学時代は常にセットだったような印象の藤麻姉妹だったが、帆南が高等部にあがってからは、ふたりが一緒にいる姿をほとんど見たことがなかった。
口さがない連中は、不仲説を唱えたりしていた。実際のところは、どうかわからない。ただ、帆南にはあまり頓着はないようだったけれど。
汐音だけには、その理由も想像がつく。特別に
千沙都は、帆南の口から里帆の話を聞けて、純粋に嬉しそうだった。
「もっともっと、お姉さまと里帆さんの小さな頃のお話、聞きたいですの」
「そうだねえ」
仔犬のように後ろをつきまとう千沙都を邪険にするでもなく、帆南はベッドに腰掛けた。
「里帆は昔からずっとああだったよ。人見知りもせず、どこでもまるで自分の城のように振る舞っていて」
「それはなんだか、お姉さまみたいですのね」
「わたしかい?」
「はい。お姉さまはいつだって自由で、わたしは憧れちゃいますの! ただ、授業を休んだりしちゃうのは……その、あの、あんまり、憧れちゃいませんけれど……」
ぽんぽんと千沙都の頭を撫でて、微笑む帆南。
「悪いおねえさんの真似をするのはよくないからね。ってこれ、妹の規範であるお姉さまが言うようなことじゃないかな」
「そっ、それはそうかもしれませんけど……」
赤ん坊の頬をくすぐるような意地悪にさえ、千沙都は大げさに反応する。
そんなふたりを、汐音はどこかぼんやりと眺めていた。
汐音の中には、常に違う自分がいる。
すべてを楽しもうとする幼く無邪気で甘えん坊な自分と、そんな自分を俯瞰で眺めている可愛げのない自分だ。どちらも切って切り離せるものではなく、汐音のバランスは常に完璧に保たれていた。
だからこそ、帆南の言葉が彼女の胸のどこから発せられている言葉なのか、汐音にだけはわかった。
わざわざ千沙都に教える必要は、もちろんない。ただ、その共通言語の中で、千沙都だけが気づけずにいるのは、少しだけ不憫に思ってしまう。
しばらく姉との会話を楽しんだ後で、千沙都を誘って浴場へと誘う。帆南は疲れたから、明日の朝に入ると言ってベッドに潜ってしまった。
体を洗ってから、大浴槽に並んで入る。
「ほんとに楽しかったですの……」
はふうと熱い息をはく千沙都に、暇を埋めるような会話を紡ぐ。
「そういえば、千沙都ちゃんは土日もあんまり帰らないよねー。って言っても、あちこち出歩く生徒のほうが珍しいんだけど」
「そうですね。汐音ちゃんは、いろんなパーティーとかに出席したりするんですよね? とっても素敵ですの!」
「あはは、歌姫として世界を回ってるママの、付き添いみたいなもんだけどねー。でも、会場によってはあたしも一曲披露させてもらったりするよ」
そう言って、汐音は声を抑えて歌い出す。ただの鼻歌ですらはっきりとわかるほどに、伸びやかな美声だ。
わあ、と千沙都は目を輝かせた。
「すごい、すごいですの、汐音ちゃん! わたしのためだけのコンサート、とっても贅沢ですの!」
ぱちぱちと拍手する千沙都に、汐音は苦笑いを浮かべた。
「あー、うん。千沙都ちゃんはいいなあ」
「なんでもない、こっちの話」
ぎゅーと千沙都を抱きしめる。柔らかく、温かい。小さな子供のようだ。
彼女の幼さを、汐音は気に入っていた。子どもは皆、かわいらしい。汐音の抜け目なさは、オトナの世界を生き延びるために身についた処世術である。
だからこそ、千沙都にだけは肩の力を抜いていられる。まあ、油断しすぎるのとは少し違う話だけど。
「お姉さまも、楽しんでくれてましたでしょうか」
「もちろん、ずっと千沙都ちゃんが楽しそうだったんだもん。きっと楽しんでくれてたよー」
「だと、いいのですけれど……」
祭りの後の寂しさを引きずるみたいに、どこか肩を落とす千沙都。
汐音は少し悩んだ。
「千沙都ちゃんが気にすることじゃないよ」
「……でも」
「帆南おねーさまは、おねーさまなりに楽しんでいて、それは間違いないよ。でもね、その先に進むのは、きっと難しいんだよね。千沙都ちゃんが悪いわけじゃなくてね」
「それは……?」
もしこれが姉妹になり始めの頃に相談されたんだったら、汐音はあくまでも笑ってごまかしていただろう。それこそ、赤子の手をひねるよりも簡単に。
でも、姉妹には期限がある。
可能性のない道は閉ざしてあげるほうが、彼女のためになるのだと汐音は思ったのだ。
だから、白い指先を持ち上げて、顔の前に掲げながら。
「こうして、千沙都ちゃんの声が聞こえるのも、あたしの歌が千沙都ちゃんに届くのも、空気が震えて振動をしているから。それはわかるよね?」
「え? あの、はい」
急に言われた言葉に戸惑いながらも、千沙都はこくこくとうなずく。
「でも、音を伝えるものがない状態。例えば、宇宙とかだったら、どんなに歌っても、どんなに叫んでも、お互いの言葉は届かないでしょう?」
「はい、そうですね。でも、それが……?」
「うん、つまり、そういうことなんだ」
汐音は曖昧な笑みを浮かべ、しかし決して千沙都には覗き込まれないように焦点をぼやけさせながら、告げる。
「真空状態じゃ、声は響かない。誰が悪いってわけじゃないの。それは、ただそれだけの話」
千沙都は息を呑む。
声ならぬ声で、汐音は告げた。
──つまり、帆南おねーさまは、空っぽなんだよ。
千沙都はそんな帆南にも、ひたむきな愛情を注いでいる。中身を詰め込んでいる。
だが帆南はまるで砂時計のボトルネックのように、あまりにも狭くて、ゆっくりで。
きっと、時間が必要なのだ。帆南にとっては。
「千沙都ちゃんのやっていることは、ぜんぜん無駄じゃないけどね。あんまりがんばりすぎるのもよくないかなって思ってねえ」
「うん……ありがとうございますの、汐音ちゃん。でも、わたしは大丈夫ですから」
にこりと笑いながら、千沙都は立ち上がった。
「わたし、戻ります。お姉さまがお部屋できっとひとり、寂しく寝ていらっしゃると思いますから!」
千沙都の注ぐ愛情はまるで無限大で。
どんなに入れ物からこぼれて床を濡らしたとしても、彼女は注ぎ続けるのだろう。それを虚しいだなんて、まるで思わずに。
愚かで、なによりも、愛らしい。
汐音は千沙都の細い手首を掴む。
「えー? それじゃあたしがお風呂で一人っきりになっちゃうなー、寂しいなー?」
「はわ!? ど、どうしましょう……。し、汐音ちゃん、まだ上がりません……?」
「なんちゃって、冗談冗談」
汐音は自分も立ち上がり、彼女の体に指を這わせる。
「うーん、いい子だねえ、千沙都ちゃんは。あたしが帆南おねーさまなら、千沙都ちゃんのこともっともっと、うーんと愛してあげるのになあ」
「あ、あわわ、し、汐音ちゃん、ちょっとどこに手を伸ばしているんですのー!?」
しかし、自分は千沙都の姉にはなれない。なれないからこそ、こうして仲良くできるのだ。
***
一方で、涼香たちだ。
部屋の片付けを済まし、汐音たちと入れ違いにお風呂から出てきた彼女たちは今、ベッドの前にいた。
「ベッドを並べて、一緒に寝るって……布団ならともかく……」
発案者は、
「せっかくのパジャマパーティーですもの。終わりはやっぱり、川の字がいいです」
「しかもまたこの衣装に着替えてるし……」
うららも自分を見下ろして、うへえという顔をした。
お風呂に入ってジャージで帰ってきた後に、再び露出の激しい、この日のためのトクベツな寝間着に着替えさせられたのだ。
千夜一夜物語のように幻想的な雰囲気の部屋だったから、この衣装もまだ耐えられたものの……。
カーテンやフェアリーライトを剥ぎ取ったただの寮室では、明らかに存在自体が浮いているというもの。
ふたりから立て続けに難色を示されて、真悠も夢から覚めたような顔をした。
「そ、そうですよね。すみません、石田が少し、出過ぎたことを言いまして。ちゃんとお姉さまや吉村さんのご意見に従いますので」
眉を下げてそう笑う真悠に、涼香とうららが同時にうなった。
「うららさん……ここは……」
「仕方ないですね、お姉さま……。お嬢様学院では許されないことかもしれませんケド、あいにくあたしは身も心もお嬢様になったつもりはありませんから」
かくして、意思は統一された。ベッドの両端に立ち、無理矢理に動かす。引きずると跡がついてしまうから、あくまでも慎重に。
「ああっ、お二方! 石田もお手伝いしますからっ」
かくして、二段ベッドの隣に、涼香のベッドがくっつけられた。隙間なくぴったりとくっつけられた上に、マットレスで中央の穴も塞ぐ。
「これでいいんでしょ、これで!」
「作業するのにめちゃくちゃ向いてないな、このパジャマ……」
「吉村さんも、お姉さまも、本当にお優しいです! 石田は感激です!」
うららがため息をつく。
「仕方ないでしょ、まったく……。石田さんっていつもお姉さまとか、あたしに配慮してばっかりだし。こんなワガママ言ったことなんて、ほとんど聞いたことないんだし」
まったくの同意見だと、涼香もうなずく。
そもそも普段からあれだけお世話されておいて、真悠の頼み事は嫌だから聞かない、なんて人間のクズもいいところだ。
「じゃあ、うららさんもきょうは下で一緒に寝るってことだね。やっぱり真ん中?」
「真ん中はお姉さまに決まっているんですケド?」
「うふふ、決まってます」
決まっていたらしい。知らなかった。お嬢様学校の決まりごとかな?
自分の枕を置き直し、即席の幅広ベッドの真ん中に寝転ぶ。
右にはうらら。左には真悠。ふたつのベッドに三人だけど、狭くは感じない。ただ、ふたりの顔がすぐ近くにあることが落ち着かなかった。
「なんだか、ドキドキしちゃうね」
「石田はお姉さまのお顔が近くにあって、幸せですよ」
「あたしはいつも二段ベッドの上だから、なんかヘンな気分ですケド」
明かりを消す。部屋の天井に飾ったままの星が、暗闇の中でもほのかに輝いている気がした。
「気がつけば、あっという間だったね、三ヶ月」
つぶやくと、暗闇の静けさに波紋が広がってゆくようだった。
「あと一ヶ月ですね」
「悔いのないように過ごさないとね」
「大げさですよ、まったく」
うららが寝返りを打って、背中を向けてきた。
「石田は」
横になった真悠は、こちらをじっと見つめている。
「ちょっと……寂しいです。せっかく、仲良くなったのに」
「そう、だね」
その頼りない視線を浴びて、涼香は彼女もただの高校一年生の少女なのだと再認識した。いつもしっかりしているように見えるけれど、それだけではないのだ。
三人で一緒に寝たいと言い出したのも、きっと終わりを意識してしまったからだろう。
「真悠さん。……ううん、真悠」
いつも呼び捨てにされたがっている彼女に微笑みかける。
「お姉さま……?」
「ほら、おいで」
ぎゅっと、真悠の頭を抱きしめる。
「お、お姉さま」
「どう?」
そりゃあ、始まったことはなんだって、いつか終わりは来るものだけれど。でも、今ぐらいは。
「寂しくなくなった?」
涼香の腕の中で、真悠が小さくこくりとうなずいた。
「……は、はい……。おねえさま」
「それは、よかった」
すると、後ろからも体温を感じる。
「……」
なにも言わず、うららが背中をくっつけてきたのだ。
腕に抱かれて幸せそうな真悠と、素直じゃないけれど身を寄せてくれるうらら。
こんなにもかわいらしい妹と出会うことができて、本当に。
学院に来て、よかった、なんてことを思ってしまうのだ。
翌朝、涼香が目覚めると、すぐ近くに微笑んでいる真悠がいて、珍しく寝坊をしてしまったと彼女は照れたように微笑んでいた。その笑顔が見れただけで、彼女のわがままを叶えてよかったと思う。
ただ、「これから毎日三人で寝ましょうよ」という言葉には、さすがにノーを唱えた涼香とうららなのであった。
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