第1話<カクヨム版> 妹たちの昼下がり
(いえ、別に怒ってませんけど……聖母を目指す
そう、マイルドに言い直せば、むかぷんしていた。
ここは
先日、他の五人と 同様に、未華子もまた姉付きの妹になることができた。
残った六人全員の願いが叶えられたことは、大変好ましい結果だ。なのだが……。
(また里帆さんとご一緒に……)
目の前には、明日葉と、そして
(いえ、それはまだしも……里帆さん、かんぜん に寝ていらっしゃる……!)
本を開く
これほど静かな図書館だ。さぞ心地よい安眠が約束されていることだろう 。眠りながらでも姿勢よく足を揃えたりして品の良さを感じられるのは、さすがといったところだが。
(そもそも、この状況こそが……なんなんです……?)
須佐野明日葉は、学院でも有数の家柄、須佐野家のご令嬢である。
その伝統は
それなのに、里帆は爆睡をかましているし。
明日葉は先ほどから本に目を落とし、時々ページをめくる以外は、まるで止め絵のようだった。
(姉妹……これが、姉妹……!)
確かにお互いに気を許しているという関係性ではあるかもしれない。だが、姉妹になって三年目の(倦怠期な)間柄ならともかく、未華子たちはまだ三日目の新米姉妹だ。
教えてほしいことも、山ほどある。
未熟な自分をビシバシと鍛えてほしいのに。
(~~~っ! ですが妹が、一緒にいてくださるお姉さまに、下からグイグイと押しかけてゆくのは、はしたないことですわ……!)
一生懸命、手元の文字を目で追おうとするも、しかし未華子の集中力は霧散してしまう。
だって、読書はひとりでもできますもの !
「ん、ぅ」
メラメラと髪の毛を揺らがせるような気持ちで読書に没頭しようと努力していると、里帆が身じろぎした。小さく口を開く。
ぼんやりと、アクアリウムのような瞳を瞬かせて、小さくあくび。
小首を傾げながら、ささやいた。
「お姉様、とても面白い本でした」
「あら……そうでしたか?」
困ったように微笑む明日葉の前、未華子の中のなにかがブチッとちぎれる音がした。
「里帆さん! あなた装丁しか見てませんわよねー!?」
図書室の静謐をビリビリに破った罪で、未華子は司書のお姉さんに怒られてしまう。それなら、里帆も同じように姉妹のなにかに反した罪で罰してほしかった。
ああ……人の不幸を願うなど、聖母失格だ!
***
「あら、ごきげんよう、未華子さん」
「……ごきげんようですわ」
未華子が聖母失格の烙印によってアイデンティティを失いかけてから、数日後のことだった。
中庭のテラスを通りがかった未華子は、談笑していた真悠と
「ど、どうしたんですの? 未華子さん、なんだか大好きな食べ物を目の前で取り上げられたような顔を、してらっしゃいますの 」
「あら、そうかしら……?
そう言って胸に手を当てる未華子だったが、千沙都は空いている椅子を勧める。
「あの、もしよろしければ、お話お聞きいたしますの。私でよければ」
「ええ、話してください」
「……それでは、少し休ませていただこうかしら」
テーブル席について、ふぅ、と息をつく。
真悠も千沙都も、中等部からの学友だ。真悠はずっと美化委員で、千沙都はずっと図書委員を務めていた。未華子はイベントごとの実行委員を任せられることが多かったため、違うクラスになっても彼女たちとは関わる機会が多かったのだ。
真悠は有能で、千沙都は善良だ。
ふたりに今抱えている悩みを打ち明けようかと、少しだけ迷う。彼女たちは、数少ない妹としての気持ちを共有できる学友だ。
けれど……。
なんか、こう、迷う。お姉さまのいないところでお姉さまについて悩んでいると口にするのは、まるで陰口のようではないか!?
未華子は聖母(役)として、人の悩みをこれまでにいくつも解決してきた。頼られることには慣れているという自負がある。だが、あまり人に相談するタイプではなかった。相談の仕方がわからないのだ。
「いえ、特に変わったことはありませんわ! 私がもし悩んでいるとしても、それは主からの試練ですもの! どんなことでも、解決してみせますわ!」
「ということは、悩んでいるんですね?」
「あっ、いえ!」
「まあ、未華子さんってば! わたしたち、お友達ではありませんの! どんなことでも、お力になりますのよ!」
有能と善良に挟まれ、しかし未華子は気を確かに持つ。
聖母にとって、なによりも大切なのは克己心。
どんな 誘惑にも打ち勝てずに、どうして人の助けになれるのか!
そして十分後。
「というわけで、姉と妹のあり方に、悩んでいるのですわ!」
未華子は洗いざらいを喋ってしまっていた。
「なるほど、そうなんですね」
「ハッ」
遅れて気づく。
な、なんて
精一杯努力したが、彼女たちに心を委ねる甘美な誘惑にはあらがえなかった。まだまだ修行が足りない……。
「ふ、ふたりは、どうなのかしら? その、お姉さまとのこと」
「実はわたしも……その、少し悩んでしまっておりますの……」
千沙都がうつむきながら頬を赤く染めた。
彼女は里帆の実姉である、
「あら……どうしたのかしら」
「大したことではないんですけれど……その、帆南お姉さまは、少し奔放なところがありまして。例えば、お昼休みの後の授業を、その、些細な気分で休まれたり……」
「あら……」
「ちゃんと必要な授業は出ていらっしゃって、テストも素晴らしい点を取っておりますので、わたしが指摘するようなことでもないのですが……」
それでも、千沙都は真面目だから、できるかぎり授業に出たほうがいいと言いたいのだろう。もし千沙都が帆南の妹になっても、同じことを思うに違いない。
「それは、千沙都さんは悪くありませんわ」
だから、未華子は前のめりになって告げる。
「間違った姉を正しい方向に導くのも、妹の務めですわ!」
「ま、間違った姉!?」
「えー、さすがにそれはひどくないですか? あたしは帆南おねーさまと、うまくやってますよー?」
「うげ、
「こんにちはー」
朗らかに微笑む汐音に、最後の理性でさん付けを成功させた未華子は、うっと歯がみする。本物の小悪魔が現れた。
「なんですか、これ? あっ、シスタートークみたいな? わー、すっごく楽しそう。汐音も混ぜてくれません?」
もちろん、感情的に嫌だなんて言えるはずがない。というか、許可を出す前に、汐音は勝手に空いてる椅子に座ってしまったのだが。
はふぅ、と千沙都はどこか色っぽいため息をつく。
「そうなんですの……。汐音さんは、どなたともすぐに仲良くなれて、ほんとに素敵な方ですの……。まるで、天使さまみたいに」
「あははー、千沙都ちゃんはかわいいねえ。よーしよし」
うっとりした様子の千沙都の頭を、汐音が撫でくり回す。千沙都はあうあうと声を漏らしているものの、楽しそうだ。
このふたりは仲が良いというよりも、汐音が一方的に千沙都を子供扱いし、愛でている関係に過ぎない……と未華子は思っている。まったくもう、まったくもう。
「千沙都ちゃんもさ、あんまり難しく考えないでいいんじゃないかなー? 一緒に帆南おねーさまに甘えようよ。優しくしてくれるよ? 千沙都ちゃんは、特にこの辺り、かわいらしいんだから」
「やっ、あのっ、優しくって……そ、そこは!?」
汐音が脇をくすぐると、千沙都の顔はたちまち赤くなった。汐音の言葉はいろいろと刺激が強かったようだ。千沙都は特に想像力が豊かな女の子だから。
「っていうか未華子さん」
汐音は口元に浮かんだ笑みを手のひらで隠し、未華子にしか見せない人を煽るような口調で告げてくる。
「聖母目指している人が『うげ』だなんて言ってもいいんですかー?」
「言ってませんわ」
「そうですかそうですか。あ、アメいります? 甘くておいしいですよ」
「いりません! 食後は間食しないと決めてますの! 前にも言いましたよね!? どうして私を堕落させようとしてくるんですか!?」
「あはは」
汐音はそこから先を言わなかったけれど、きっと『面白いから』に違いない。いい、もう、さっさと話を変えよう。
「では、真悠さんはいかがですか? あのお姉さまは、転入生という話ですけれど」
「あ、待って待って、さっきそこをうららちゃんが歩いていたから、連れてくるね」
未華子が話を振った直後に、汐音がテクテクと走っていって、迅速にうららを捕まえてきた。袖をちょこんとつまんで引っ張ってくる。
「え、なに!? なんなの!?」
「今、楽しいお話してたから、ぜひうららちゃんもご一緒に、って」
「滝口さんがいる時点で嫌な予感しかしないんだケド……」
「お姉さま方のお話をしていたんですのよ」
未華子が告げると、うららも「ああ」と納得したようだ。あとは里帆がいれば六人集合だが、彼女はきっとどこかで
「あ、お姉……ええと、センパイの?」
「ええ」
改めてうららに話そうとすると、自分たちが姉の悪口で盛り上がっていたような気分になって、なんだか下腹の辺りがずーんとした。
だが、千沙都がまるで邪気のない目で大きくうなずく。
「そうなんですのよ! お互いのお姉さま方の、自慢話をしておりましたの!」
「じ、自慢話って」
千沙都の無垢なフィルターを通すと、先ほどまでの井戸端会議も、そういうことになっているらしい。
うららは挙動不審に視線をさまよわせる。
「そ、そんなとこ、別にないんですケド……。あの人は、いい加減で、いつもへらへらしてて、大事なことも言わず、姉としてぜんぜん、落第点です」
「えっ、うまくいってないんですの……?」
千沙都の目にじわっと涙が浮かんだ。うららは「うぇっ」と後ずさりをした。
「……ま、まあ……いいところも、それなりにあるケド……」
「じゃあ、うららさんもお姉さまのこと、大好きなんですのね!」
「違うー!」
まったくもう、これだから内部生は……! とうららの憤懣が未華子にも聞こえてくるかのようだ。違います、千沙都が特別製なだけですわ。
「だったら、石田さんはどうなんですか!」
うららの言葉に、真悠は頬に手を当てて微笑む。
「石田は、そうですねえ。満足しておりますよ」
それはまるで、恋人ののろけ話をするときのような笑顔だった。
「涼香お姉さまの妹になることができて、とっても嬉しいです。 お姉さま、とってもお優しいんですよ」
真悠の目がキラキラと輝く。
「身の回りのお世話もさせてもらえますし、お着替えも、朝食の後の紅茶だって、石田の役目なんですよ。脱いだ制服もちゃんと畳んで、洗濯だって……ふふっ」
この場に、あー……というムードが流れる。
話を聞く限り、めちゃくちゃいい人そうだ。真悠の侍女愛に付き合ってあげているだなんて。
「わあ、よかったですの! 真悠さん、ほんとうによかったですのね!」
「ふふっ、ありがとうございます、千沙都さん」
手を握り合う学友たちは、微笑ましい。
ほんの少しだけど、念願のお姉さまと出会えた真悠のことが羨ましく思う。
(……私だって、立派な妹になりますわ)
ぎゅっと拳を握っていると、汐音がみんなを見回しながら口を開く。
「みんなそれぞれ、いろいろと悩んでいることはあるみたいですけれど、少し待てばまたお姉さまが変わるみたいじゃないですか。一年であと二回、入れ替えがあるんですよね」
「それは、そうみたいですけれど」
だが、せっかくの姉妹制度なのに、姉と心を通じ合わせることができないままで、入れ替えを待つのは嫌だ。
そうか、と未華子はふと気づいた。
ひとりの人と、残り時間が少ないからこそ、今がんばらないといけないのだと。
うかうかと、時間が絆を深めるのだとのんびり構えていたら、なにも起きないまま姉妹制度期間が終わってしまう。そんなのは、ごめんだ。
「……なんだか、あなたに教えられたみたいで、シャクですけど」
「なんですかそれ? 聖母だったら、なんでもない子羊の言葉を解釈し、真実を導き出すものではありませんか?」
「むぐぐ」
「今、むぐぐって」
「言ってませんわ」
ともあれ、残り期間が定められているからこそ。
「私、みなさまに提案があるんですわ。今度、寮で姉と妹の懇親会を開きましょう!」
こうして何事も、積極的に行動をしなければならないのだ。
それに、このほうがよっぽど自分らしいんだもの!
ただ この後、あれよあれよと懇親会がパーティーになり、パジャマパーティーになり、内装や衣装について盛り上がりをエスカレートさせていくことになるのだけど、その辺りは仕方ないだろう。
だって、麒美島の乙女には、何事も楽しむべしと教育されているのだから。それは前学院長から今の学院長へと受け継がれた、なによりも大切な教えであった。
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