プロローグ2<カクヨム版> 姉妹前夜の物語・続

帆南と明日葉



「ふう」

 涼香りょうかは荷物を下ろした。まだ授業を行なっている時間帯の寮は静かで、休日の図書館に一番乗りして参考書を広げたような、心地よさがあった。

 ただ、さすがに明日からは騒がしくなるのだろう。本来は二人部屋のはずの寮だが、涼香については余った部屋があったからということで、特例の一人部屋だ。

 あまり叔母の権力でえこひいきをしてもらうのは困ると思いながらも、なるほど、と納得。若干カビ臭く、物置めいた日当たりの悪さ狭さ。『余った部屋』がその通りすぎる。

「でも、落ち着くな……」

 ベッドをぐいぐいと押す。スプリングは新しく、寝床だけはせめてと清潔なものを用意してくれたみたいだ。あとは自宅から持ってきたデスクライトを配置すれば、人の住処としては、じゅうぶんすぎる。

 麒美島女学院きびじまじょがくいんの隅々まで行き届いた気配りに辟易していたわけではないけれど、こういう風に『陰』の気配に満ちた場所に身を置くと、温泉に肩まで浸かったような安心感に包まれる。そんなことまで見越していたんだとしたら、叔母はどれだけ自分のことを理解してくれているのか。嬉しい反面、完全に手玉に取られて癪だな、とも思う。

「って、こうしてる場合じゃない」

 部屋を出て施錠する。わずかに錆びついた金属の鍵は、無骨な割にやたらと手に馴染んだ。

 もしかしたら、祖母や母もこの鍵を手にしたのかもしれないなあ、なんて思って、そこになんらかの感慨を抱こうとしたけれど、うまくいかなかった。とりあえず、うん、歴史を感じる……ということに、しておこう。


 早歩きで、寮の玄関へと向かう。人を待たせていたのだ。

 スリッパから上履きに履き替える。タイツ地のつま先を滑り込ませて、とんとんとかかとを収める。お嬢様学校だから、本来は靴べらを使ったほうがいいんだろうか。そのうち、誰かに見咎められてしまいそうだ。

「ごめん、おまたせ」

 出たところには、ふたりの同級生が立ち並んでいた。

「あ、いえ……大丈夫ですよ」

「もっとゆっくりでもよかったよ。おかげで授業をサボれるからね」

「帆南さん……」

 黒髪の美人が、たしなめるように声をあげる。彼女は須佐野明日葉すさのあすは。自分と同じく、姉候補のひとり。淑やかな所作にも気品があふれている。麒美島の生徒の理想像を体現したような子だ。

 隣のあくびを噛み殺しているショートカットの美女が、藤麻帆南ふじまほなみだ。こちらはリボンタイを外していたり、ブレザーの前を開いていたりで、どことなく不真面目な印象を受ける。顔に薄っすらと化粧を施しているのも、珍しい。

 ふたりは二年生であり、姉妹制度としては涼香の同僚(?)という立場だ。今回は、ふたりに学院内を案内してもらうことになっていた。

「途中、色々と姉妹制度についても教えてくれるんだって?」

「ま、あとでプリント見ればわかるようなことだけだけどね」

「それでも助かるよ」

 ひとまずは、だ。

 スール制度は、一年間で固定のふたりと付き合うわけではなく、三期に別れており、それぞれ違う妹を育てることになるようだ。

 その妹は同じふたりがあてがわれることもあれば、違うふたりに変わることもある。名目としては、多くの少女と触れ合うことによる、精神的な成長を促すように、だ。

 実際、多くの子と付き合うのも、少ない子と深く付き合うのも、どちらもメリットがあるんだと思う。

 そうして一年を通して『姉』をやりきった後に、付き合ったのべ六人の妹、そのうちのひとりと永遠の契りを結ぶ。契りとは、大げさな話だけれど。

 それが、姉妹制度の流れだ。

 なるほど……大変そうだ、と素で思う。

 本舎に足を踏み入れる。学院長室のある、四階建ての白亜の城だ。

 ここには、だいたいほとんどの設備がある。学び舎から、職員室から、学食、保健室、図書館、あとは一部の移動教室も。

「運動場にもここから行くし、体育館もだね。一通り、場所も説明しておくよ」

「うん、助かります」

 一階の学食を通りすぎると、左手には一年生の教室が並んでいた。ガラス張りの窓で、授業風景が覗けるようになっていた。

 すると、下級生の誰かがこちらに気づいたようだ。帆南か明日葉か、あるいはその両方か。鈴虫の鳴き声のように黄色い声が広がってゆき、その騒ぎには老年の教師も苦笑いを隠しきれない。

 さすがの人気だ。帆南と明日葉はどちらも、曖昧な笑みを浮かべて、下級生たちに小さく手を振った。一年生は小鳥のヒナのようにまた、わあ、と色めく。

 おお……と涼香は、わずかに感動を覚えていた。

 こんな風にいかにもな、女子校の『お姉さま』がいるだなんて。

 自分がそのひとりに加わることになるとは露にも思わず、涼香は改めて帆南と明日葉を見つめた。

 もし最初から麒美島女学院に入学していれば、自分も当たり前にこのふたりのようなお姉さまに憧れる生徒になっていたのだろうか。だと思うと、なんだか面白い。

 実際、ふたりの顔の造形は、息を呑むほどに整っていた。白亜の城に佇むふたりの姿は、それだけで出来栄えのいいポートレートが生み出されそうだ。

 一年生の教室を通り過ぎた辺りで、帆南が振り返ってきた。

「でもさ、せっかく妹ができるんだったら、その子に案内してもらえばよくない?」

 涼香は確かに合理的だな、と思いながらも。

「そこはせめて、お姉さんとして格好つけさせてもらいたいなあ」

「姉なんてそんないいものじゃないよ」

「そういえば藤麻さんは、一年生に妹さんがいるんだよね」

「んー、まあね」

 帆南と並んで歩いていく。明日葉は後ろからついてきた。

 ちらりと様子を窺うけれど、特に前に出てくる気もないらしい。帆南が話すなら、任せようという態度だった。

 どうやら同級生だけど、仲がいいわけでもないのかな。実際、帆南と明日葉はずいぶんとタイプが違う。共通点は、並ぶと絵になるってだけだ。

春崎はるさきは、学院長の姪なんだって?」

「そうだよ」

「ふうん、なんかいろいろ大変そうだね」

「今のところはまだ。本格的に学校生活が始まったら、そう思っちゃうのかも……」

 話題に出してはみたけれど、帆南自身は割とどうでもよさそうな顔だった。あまり他人に興味がないのかもしれない。涼香にとっては、慣れ親しんだ勝手知ったる距離感だ。

 ともあれ……場を繋ぐだけの会話は得意だけれど、それでは今までと同じことの繰り返しだ。叔母の挑発するような物言いを思い出し、涼香は咳払いした。

「ええと……藤麻さんは、どうして妹を作ろうと思ったの?」

「え?」

「いや、実の妹がいるんだよね。なんかやりづらくないかな、って」

「キミは意外と距離を詰めてくるんだね。もうちょっと緩やかに時間をかけるタイプかと」

「これからはそういう風に生きていこうかと思って。決意したばかりだから、まだまだド下手なところはご勘弁」

「少し、学院長に似てると思ったよ」

「む……」

「いや、ごめんね。あてつけのつもりじゃないんだ。わたしとしては褒めたつもりだったんだけどな……。つまり、そういうことなんだよ」

「どういうこと?」

 階段を登って、二階へと上がる。ここにあるのは、主に職員室や、特別教室。掃除は主に業者が担当しているらしく、古めいた板張りの廊下はどこもぴかぴかであった。

 誰もいない廊下に、三人分の足音が響く。

 帆南はあけすけなく話をしてくれる。冗談めいた色がフィルターのようにかかっているのが、相手によってはあしらわれてると感じてしまうのだろうけれど、涼香にとっては話しやすい相手だった。

「わたし自身はやるつもりなんてなかったんだけど、学院長に請われてね。二年生の自薦は認められていないんだ。他薦というか、学院長からの任命制なんだよ」

「あーなるほど。だから私も……」

「そうそう。断ると、学院長はしつこいからね……。引き受けたほうがまだマシさ」

 振り返る。

「須佐野さんは?」

「え? あ、私は、何度も断りましたけれど……」

 押し切られちゃったらしい。

 儚げな見た目と、葉擦れのようなささやき声の通り、明日葉はあまり人付き合いが得意なタイプではなさそうだ。

 実は私もなんだよね……と打ち明けたところで、お互い『はあ、それで突然妹がふたりできるのは、大変ですね』と慰め合うことしかできなさそうだ。

「学院長は、どうして須佐野さんに任命したんだろうね」

「私が聞きたいです、そんなこと……」

「意味のないことはしない人だと思うよ。ま、してたらむしろ大問題か」

 帆南が笑う。明日葉は目を伏せた。ふむ。

「んー、私はねえ」

 涼香は口を開く。

 人のことを聞く前に、まず自分のことを話してみることにした。

 なんでそう考えたのかといえば、あまり論理的ではなかった。ただなんとなく、今までしてこなかったことを、やってみようと思ったぐらいだ。

「しばらくずっと人と関わらない生活を送って、数字ばっかり見てたから。そういうのよくないんじゃない? って叔母さんに言われて。いや、言われてはいないんだけど、そういう雰囲気を感じてね。姉もやってみることにしたんだ」

「数字ばっかり見る生活? 銀行マンみたいな?」

「ある意味似てるかもね」

 涼香は肩をすくめた。

 ライバルの目を盗んで、他人を出し抜き、自分だけ成果を手にする。大人がどうやっているのかはわからないけど、平均的な学生よりは社会人の性質に近い気もする。

「だから、麒美島女学院に来たんですか……?」

 明日葉の問いに、涼香は頭をかく。

「ま、そうかな。いろいろと見失っちゃってたからね。だからってわけじゃないけど、これからは人と触れ合って生きていこうと思いまして」

「なるほど。事情ありってわけだね」

 帆南は理解が早い。

「そういうこと。そんな私の事情に付き合わせて悪いけれど」

 学院に来るまで練習した、せめてものにっこり笑顔(人付き合いにおいて、涼香の唯一の武装である)で、明日葉に笑いかける。

「学院長は、須佐野さんにもお節介を焼くつもりだと思うんだよね。どうかな、ここの三人、厄介な人に巻き込まれた仲間ってことで、ええと、たびたび情報交換とかしない?」

「情報交換……ですか?」

「素直に、友達になろうって言えばいいんじゃない?」

 帆南に指摘されて、涼香は腕を組む。

「うーん……姉と妹は、ほら、お互い決まった立場があるでしょ? 役割に当てはめられてるっていうか、ある程度は明確なんだけど。でも友達の定義って曖昧だから……」

 髪を撫でながら目をそらす。そんな涼香の態度に、帆南はふふっと笑って、明日葉は小さくうなずいた。

「なんだか……ちょっとだけ、わかります。友達には、友達としての振る舞いを求められますよね。相手の認識の範疇から逸脱した関係性は、自分がどう思っていようと、友達にはなり得ない……というか……」

「あ、うん、そういうことかな? すごいね、須佐野さん。よく言語化してくれた」

「……共感、できましたから」

 伏せた前髪の隙間から、明日葉の瞳が覗く。その輝きは、人知れず鍾乳洞の内部で透き通る泉のように、稀有な存在感だった。

 三階には、二年生の教室。また、ホールから続く吹き抜けには立派なシャンデリアが飾られていて、それがいちばんいい角度から見られるらしい。

 そう教えてくれた明日葉に、帆南が笑いかける。

「さすがは図書室の姫」

「……その名前は」

 揶揄する帆南に、明日葉が再び陰気な雰囲気をまとう。

「ただ、図書室が好きなんです。たくさんの本に囲まれていると、安心しますから。……これからは、読書の時間も減ってしまいそうですが……」

 確かにその異名は、明日葉にぴったりだった。姫という呼び名も、図書室の雰囲気も。

 涼香は中高と、こういう子を視界に入れないように過ごしてきた。学問が第一優先だと自分に言い聞かせて、趣味を嗜む生徒をどこか見下していたようにも思える。本当に、ひどい視野の狭さだ。

 だから、なにか声をかけてみようと思った。

「妹ができたら、一緒に本を読めばいいんじゃない?」

「え?」

 涼香がなんとなく口にした言葉に、明日葉は顔をあげた。

「でも、それは……。そういうことは、いいんですか? 姉妹というからには、仲睦まじく中庭のベンチでお茶をしたり、勉強をみてあげたりとか……」

「いや、それもさっき言ったお互いの認識の話だと思うけどねえ」

 涼香は人差し指を立てながら語る。

 ぐるぐると脳内で物事をこねくり回すのは、よくやっていた。それをどう出力するかの方法が、まだまだ手探り状態だ。だから、こうして相手に辛抱強く付き合ってもらわないといけない。

「ええと、つまり……。姉妹の定義っていうのも、ふたりで決め直せばいいんじゃないかな、って。類型に無理矢理自分たちを当てはめなくてもね。姉も妹もずっと本を読んでいて、ときおり感想を言い合ったり。あるいは、読み終わったら本を閉じて、そのまま解散したり。ただそれだけで、お互いに与え合えるものはあると思うな」

 なんとか言葉をひねり出したところで、涼香はふと気づく。帆南と明日葉がじっとこちらを見つめている。

「私、なにか、おかしなこと言った?」

「ううん。いいと思うよ」

「はい。……私も、もっと色々と考えてみないと、って思いました」

「そ、そっか」

 自分のせいでなにかおかしな雰囲気になってしまった気はするけれど、仕方ない。効率よく生きるのを止めるというのは、こういうことなのだ。

 うん、割とつらいな。

 ぼんやりと天井を見上げていると、その肩をぽんと帆南が叩いてきた。

「いいんじゃないかな。ちょっと興味出てきたよ、姉妹制度にも」

「あ、そう? 何事も前向きに楽しんだほうがいいらしいしね」

「それだけは間違いない」

 帆南がくすくすと笑う。

 反対側に立つ明日葉もまた。

「では……困ったことがあったら、情報交換しましょう。私も、きっとたくさん困惑してしまうと思いますから……」

「ほんと? いやあ、それはありがたいな」

 姉妹に任命されるほど有名なふたりとのツテを手に入れて、とりあえず学院生活の風向きは良さそうだ……って。

 片手で顔を覆う。気づけばこんな風に実利を第一にものを考えてしまう辺り、まだまだ自分の性質は変えられないようだ。

「ま、のんびりといこうか……」

 四階には三年生の教室と、屋上へと続く階段。それでおしまい。わずかな時間だけれど、一緒に話した明日葉と帆南とは、なんとなくこれからもうまくやれそうな気がした。

「妹よりも先に、姉同士の絆を深めちゃったかな」

「いいんじゃないかな」

「はい……これから、よろしくお願いしますね、春崎さん」

「うん」

 涼香は自分の両手を見下ろし、それからふたりの肩を抱いてみた。帆南は笑いながら、明日葉は焦った様子で。

「なにこれ」

「なんですか……?」

「せっかくだから、お近づきの印に、かな」

 涼香の声は廊下に響き、誰かの賛同も得られなかった。

 うん。人の距離感は、まだまだこれから学んでいかないと行けないな、と涼香は思った。



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