私のシスター・ラビリンス / みかみてれん

みかみてれん/電撃G'sマガジン

プロローグ1<カクヨム版> 姉妹前夜の物語

 麒美島女学院において新設された姉妹制度。礼節を育むためという名目の下、その妹候補として、多くの一年生が声をあげた。

 しかし、その中で最終的に残ったのは六名の少女たち。いよいよ、彼女たちは最終面接へと足を進めた。

 そのために。放課後の教室に残り、学院長からの声がかかるのを待っている状況。よほどのことがなければ、ここで落とされることはない……という話だが。

「ねえ、知ってる? 今回の面接」

「なにが?」

 滝口汐音は一年生の中でも、とくに有名な生徒だ。いい意味でも、悪い意味でも。彼女の笑みは、旅人を湖畔に誘い込む妖精のようなイタズラっぽさがあった。

 聞き返す吉村うららの耳元に、小さくささやいてくる。

「姉役の方って、どうやらふたりしかいないみたいなの。だからこの六人のうち、ふたりが落ちちゃうかもね」

「え、そうなの?」

 どきりと、うららの心臓が跳ねた。もっとも、この学院内ではよほどのことがない限り動揺を外には見せないように努めている。なぜならそれが、お嬢様っぽいからだ。

 だが、生まれながらのお嬢様。真のお嬢様オブお嬢様である汐音は、ふふふと笑うと、軽やかな足取りで窓辺の方へと歩いていった。

 答えないんかい。内心でうめくうらら。せめて出どころや、ソースを教えてくれればいいのに。

 だが、この学院で汐音ほど顔の広い一年生はいない。クラスでも、いつも春一番のようにセンセーショナルな話題を運んでくるのが、彼女だった。

 むう、とうららは眉根を寄せる。

「それは、困ったんだケド……」

 学院長の面接は、六人のうち、ふたりずつが呼ばれる。

 最初はうららと汐音の番だ。そのために本日は、こうして居残りをさせられていた。放課後の教室からは、夕焼けに照らされた海が見える。赤々と輝いて、まるで空と海の境界が消え去ったかのようだ。

 きれいな景色だと思う。ここは立派な学校だ。

 自分は、他のお嬢様たちとは違い、平々凡々な庶民の出身だ。別に、周りもそれを揶揄したり、からかったりはしてこない。お嬢様どもは性格もお淑やかで礼儀正しい。

 ただ、それはそれ、これはこれ。

 うららには野望がある。その源泉はとても子供っぽくて、人に話せば呆れられてしまうようなことかもしれないが、夢なんてきっとそんなものだ。

「あ、滝口さん。そろそろ時間だってよ」

「はぁい」

 振り返りながら、蜜のように笑う汐音を見て、うららはぐっと歯噛みする。

 連中は強く、しなやかで、それにとても可愛らしいやつらばかり。

 それでも──自分は、麒美島女学院の頂点に立ちたい。それはとてもとても、誇らしいことだろうから。


 ――と、話を聞いた学院長が柔らかく微笑むのを、汐音は見ていた。

「でもね、吉川さん。この制度を開設するときにも話した通り、妹になったからと言って、内申点や教師からの評価が上がったりはしないのよ」

「そ、それはもちろん!」

 学院長室。横に座るうららの声が、わずかに裏返る。

「品行方正な上級生のお姉さまから礼節を学び、それをこれから過ごす学校生活の糧として役立てたいと願っております」

「そうですか。なるほど、よい心がけだわ」

 学院長は少しだけバツが悪そうな顔をした。

「ごめんなさいね、意地悪なことを言ってしまって。ただ、もしお互いの思いに行き違いがったら、お互いいい気持ちにはなれないでしょう? だから、吉川さんのことを、もうちょっと教えてもらいたかったの」

「いえ、こちらこそ……」

 この学院でいちばん偉いはずの人物に謝られて、うららはうまく言葉が出てこないようだった。

 そういうところもかわいいな、と汐音は思う。

「では、あなたはどうかしら。滝口さん」

「わたしは」

 花のように微笑んで見せる。

「なんだか、楽しそうだったから、応募しました」

 さっとうららの顔色が変わった。コイツ落ちたな、って顔してる。

 くすっと胸の中で微笑む。その顔が見られただけで、言ったかいがあったかも。

「あら、どんなところが楽しそうだったかしら?」

「上級生のお姉さま方とは、お会いできる機会も限られておりますから。吉川さんみたいに、委員会や部活動に専念していない生徒は、それこそ季節の行事ぐらいではありませんか。それも、少し活躍を拝見できる程度。ですから、楽しそうだなあって言ったんですよ」

 するすると、立板に水のようによどみなく話す汐音は、終わり際にもう一度にっこりと笑った。

「素敵なお姉さまと一緒に、島内を散策したり、お茶を楽しみたいです」

 まるでなにも知らない童女のように微笑む汐音を、隣のうららは『カマトトぶりやがって……!』という目で見ているのだけど。

 決して、そのようなつもりはない。先ほど言ったのは、すべて事実だ。

 この学院には面白い人が多い。一見お嬢様に見えても、様々なものを抱えていたりする。おいしいところだけ食べるなら、退屈はしない場所だ。

 だから、上級生とも触れ合ってみたい。姉妹という関係性は、一人っ子の汐音にはイマイチ、ピンと来なかったけれど。でも、細かいことは決まってから考えればいい。

 汐音は、ただ楽しみだった。

「そう。それでは、面接は以上です。あ、他になにか質問はある?」

「はい!」

 吉川うららが元気よく手を挙げた。

「私はこの制度が続いた場合、来年以降は姉として、妹の育成に励みたいと考えております! ですので、どうぞよろしくお願いいたします!」

 大きく頭を下げるうららを見て、汐音は思わず目を瞬かせた。

 うーん、なるほど。

 学院長室を退出後、汐音はうららに笑いかけた。

「うららちゃん、なんだか妹になってもお姉さまを引っ張っていきそうだよねー。グイグイグイーって。あたし、うららちゃんの妹になっても楽しそうかも」

「はあー!?」

 ニヤニヤとからかうと、案の定、実にいい顔で悲鳴を上げてくれたのだった。


 ***


「あ、ほら、次は私たちの番みたい。楽しみね、ただ学院長とお話するだけなのに、胸がドキドキしてきちゃったの」

「ああほら、落ち着いてください、千沙都さん。そんなにパタパタと、雪の日の仔犬みたいに……」

「あら、それを言うなら花畑で踊る蝶と言ってくださらない?」

 ふふふ、と石田真悠は上品に笑った。

 皆瀬千沙都は中等部からの馴染みであり、大好きな友人だ。

 共に姉妹制度へと応募したのは、示し合わせたわけではない。まったくの偶然だ。けれど真悠はこのことを、不思議な運命だと信じている。

「ねえね、でもわたし聞いちゃったの、真悠さん」

「どうかしたんですか?」

 声をひそめて、大げさに困り顔を作る千沙都。

「実はね、今回の面接で、六人のうち四人しか選ばれないんだって。ふたりは落ちちゃうっていうの」

「えっ。それ、本当ですか?」

「わからないの。でも、みんな噂してたもの……」

 しょんぼりと、千沙都は心から悲しそうに眉を落としていた。

「ねえ、どうしようかしら。わたしが妹になれなかったら……。わたし、ぜんぜん自信なんてないもの……」

「それは」

 自信がないのは自分だって同じだ。

 他に応募した一年生は、あの世界的な歌姫を母にもつ滝口汐音や、親子三代で麒美島に通う名門の宮原未華子。それに、姉候補として有力と呼ばれている二年生、藤間帆南の実の妹である、藤間里帆などが名を連ねている。

 吉川うららだって高校編入組ながら、その学力と運動神経で、あちこちのクラブや委員会から誘いを受けている、目立った生徒だ。

 不安になる気持ちもわかる。

 だけど。

「大丈夫です、千沙都さん」

 真悠は、少し冷たくなってしまっている千沙都の手を、そっと握った。

「心配いりません。だって、千沙都さんはとっても素敵な方ですから」

「真悠さぁん……」

 瞳の潤んだ彼女の目元を撫でて、ゆっくりと頬へと指の背をなでおろしてゆく。

「石田の見る限りは、千沙都さんの魅力は、誰にも負けていませんよ。ただし……今のままだと、負けてしまうかもしれません」

「ええっ、そんなの、困るの……。わたし、どうすればいいの」

「それはですね……」

 たどった指で、くいと千沙都の唇の端を持ちあげる。

「まゆふぁん?」

「自分が落ちるかもしれない、落ちたらどうしよう、落とさないでほしい……なんて顔でやってきた頼りない生徒を『じゃあ可哀想だから落とさないであげよう!』なんて思うような、麒美島の先生はいらっしゃいません」

 ピンと背筋を伸ばして、真悠は語りかける。

 まるで仕えた家のご令嬢を言い聞かせるように。

「選ばれるとなれば、他の方の叶わなかった夢を背負うことになるのです。ですから、毅然と微笑んでいてください。それに、千沙都さんにはその笑顔がいちばん似合いますよ」

 にっこりと微笑みかけると、千沙都はしばらく真悠の目を見つめたまま口をぱくぱくと開閉していたのだけれど。

 やがて目を伏せてこくりとうなずく。今度は自分の指で、唇の両端をいーっと持ち上げてみせた。

「わかったの。真悠さん、わたし、笑顔で面接に行きます。行くことにするの!」

「はい」

 真悠はぽんぽんと、千沙都の肩を撫でる。

「それでこそ、千沙都さんです」

「単純なところが美徳だもの!」

「そうですね」

「あっ、ひどいの! 真悠さん、そんなに笑わなくても!」

 真悠は口元に手を当てて笑う。

 でも、今言ったことはすべて、自分にも当てはまることだ。自分は千沙都のように可愛らしくなければ、純真にも素直にもなれない。

 だからといって、悪いところをアピールしても仕方ない。せめて、妹となって姉を支えたいのだ、という気持ちだけは強くもっておかなければ。それが自分の夢である『侍女』になることと繋がっていると、信じて。

「そういえば、千沙都さんはどうして妹になりたいと思ったんですか?」

 緊張を和らげる意味で、楽しそうな話題を振ってみると、彼女は目を丸くした。それから頬を薄っすらと赤く染めて、はにかむ。

「子どもっぽいとは思うのだけど……だって、いつも寝る前に読んでいるお本みたいに、素敵な物語が始まりそうな予感が、するのだもの」

 ああ、その笑顔ならきっと間違いない。

 真悠もまた「がんばりましょうね」と優しく微笑んだのだった。


 ***


「ほら、ちょっと、ねえ、里帆さん! しっかりしてくださいまし! もう面接の時間ですわよ! 真悠さんと千沙都さんが呼びに来てくださいましたわよ! ああもう!」

 机に寄りかかって眠る少女を、宮原未華子は力いっぱい揺さぶっていた。

 しかし、この人形のような娘──藤間里帆はさっぱりと目を覚まさないのだ。

「里帆さんー! もう、このまま担いで学院長室まで向かいますわよ! この宮原未華子のパワーを思う存分、全校生徒に披露してやりますわ……」

 未華子は腕まくりをする。(実際は淑女としてはしたないのでフリである)

 里帆をよいしょと抱き上げようとしたところで、ぱっちりと彼女が目を覚ました。

「未華」

「子もつけてくださいまし」

「もう時間かな? 起こしてくれてありがとね」

「いえいえ、これも宮原未華子の務めですわ。そう、だから感謝など必要はありません。ルビ:わたくしがやりたくてやっていることなのですから。すべては宮原未華子が自身を高め、よりよく麗しい淑女となるための道程……」

「未華、早く行こ。遅れちゃうよ?」

「あなたという人は本当にもう! いえ、別に怒ってませんけど! 聖母を目指す宮原未華子が怒るなんてことはありえませんけどー!」

 とことこと廊下に歩いていく里帆を早足で追いかけながら、未華子は顔を真っ赤にする。

 里帆のマイペースさに振り回されるのも、いつものことだ。同じクラスになって一週間。未華子はすっかりと里帆担当係として任命されている節がある。

 といってもまあ、誰かの面倒を見るのは嫌いではない。より、母性が育まれるような気もするし。

 問題は、未華子が比較的頭に血が上りやすいタイプの人間である、ということぐらいか。

「そういえばお聞きになりました? 里帆さん。なんでも、今回選ばれるのは、応募者六名の中から四人だけという話ですわ」

「そうなんだ」

「ですから、少しは真面目に面接に臨まないといけませんわよ。途中で居眠りなんて言語道断ですわ」

 こんな小言を言っていると、自分は里帆の母親にでもなったような気持ちになってくる。手間がかかる子ほどかわいいとは言うが。

「ふうん、でも大丈夫だよ」

「あら、大した自信ですわね」

「居眠りしてても、里帆は里帆のままだから」

「だからなんですの!? さすがに里帆さんでも、そんな失礼な態度では落とされてしまいますわよ」

「でも、里帆は里帆だよ」

 こめかみに指を当てて、未華子は難しい顔をした。

 彼女の言いたいことを噛み砕く。

「つまり、動物園のパンダは寝てても見物客からかわいいかわいいってもてはやされるから、同じように里帆さんの価値も減衰することはないって言いたいんですの?」

「里帆はパンダじゃなくて里帆だよ」

「モノのたとえですわー!」

 里帆は美しい少女だ。麒美島は誰もが美しく生きられるよう、礼節や品性を学ぶことができる学校だが、生まれ持った天性の美貌による差というものは、確かに存在する。

 特に里帆は、その美しさを維持するために、両親からの全身全霊のサポートをされて生きてきた。純粋培養の美の化身なのである。

 それは未華子も──麒美島のあらゆる女生徒も──認めるところだ。

 だからといって、妹になれるのはもっとも美しい生徒ただひとり……というわけではない。

「別にいいですけれど、里帆さん。少し意外でしたわ。あなたも妹候補に志望するというのは」

「そうかな?」

「ええ。歯に衣着せずに言わせてもらうなら、面倒事はいかにも苦手そうですのに」

 里帆は少し間を取ってから、ぼんやりとした声をあげた。

「未華に、いつまでもお世話してもらうわけにもいかないし」

「子をつけてくださいまし。あなたが困っているなら手助けしますけれど、そうではない方の面倒を進んで見てあげるほど、暇ではありませんのよ」

「うん、だからね」

 学院長室の前までやってきて、未華子はふと立ち止まった。

 隣に立つ里帆を見やり、眉をひそめる。

「だからって……まさか、あなた。お姉さまに面倒を見てもらう気ですの?」

 そう聞くと、里帆はまるで名画のように微笑んだ。

 蕾みたいな口を開く。

「だって、かわいい妹のお世話をするのは、お姉様の本懐でしょう?」」


 ***


 と、本日最後の面接を終えた学院長は、藤間里帆と宮原未華子に笑いかける。

「それじゃあ、きょうはここまで。最後になにか質問はあるかしら?」

「はい」

 真っ直ぐに手を伸ばした未華子に、どうぞ、と手のひらを向けて促す。

 未華子は緊張の色も見せず、堂々とまっすぐに問いかけてきた。

「今回の妹候補は、六人の中から四人が選ばれるとお聞きしましたわ。なにか選考基準のようなものはおありですか?」

 強い瞳だ、と学院長は思う。一年生の中でも、とびきりに。

「ああ、そのことね」

 苦笑いをする学院長の様子に、未華子は少し怪訝な顔をした。ちなみに、隣の里帆はこちらに視線を向けてはいるが、どうにも興味はなさそうで。なんとも、対象的なふたりである。

「うん、直接私に尋ねてきたのは、宮原さん、あなたが初めてだわ。だからね、ご褒美に……というわけではないのだけど、教えてあげるとしましょう」

 せっかくここまで残った六人の生徒の希望を、摘みたくはないのだ。

 これから、様々な困難に直面した彼女たちは、ありとあらゆる要素によってふるいにかけられ、蹴落とされてゆく。親しい友人同士であっても、競い合わされ、否応なしに優劣が決定づけられる。

 だから、せめてできる限り、この学院の中だけでは、と。

「あともうひとりね、姉候補を増やすことにしたの。もうじき、麒美島にきてくれるはずよ。だから、六人は全員、誰かの妹になれるわ」

 すると、未華子にも、また、さすがに里帆にも安堵の色が見えた。

 学院長はさらに笑って、付け加える。

「ただね、そのお姉様とうまくいくかどうかは、あなたたち次第。うまくいかなくても、きっと得られるものはあるでしょうから、がんばってちょうだいね」

 それはきっと妹たちだけではなく。

 忙しない日々の中で、人との関わり方を忘れてしまいそうになっていた、あの子──春崎涼香にとっても、同じように。


 一週間後。六人の少女たちは一同に会し、講堂に集められた。

 少し遅れてやってきた、春の香りを待つ、そのために。


春崎涼香
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