アメとココア

小道けいな

アメとココア

 私の実家はカフェである。

 住居兼店舗は競技場がある駅を同じ所にある。

 一応、それなりに古い店舗兼住宅だ。

 カフェの店内は喫茶ではなく、長居もできるけれども、持ち帰りもしやすい。

 私が大学を通えるのも、安定経営がされている証拠。ありがたや。


 学校や知り合った人は、かなりの確率でうちに有名な選手が来るかって聞いてくる。

 サッカー選手やラグビー関係者が来たという話は聞く。サインを求めたりしていないため、なんとなく、それらしいなと気づいたり、話をして知ったりする程度。


 あの国際大会で、会場の一つとなっていると考えると、ワクワクする面もある。

 あの子も、出るのだろうか?

 ふと、私は思い出した

 高校生だったときに出会った男の子を。


 サッカーの大きな国際大会がある直前だったはずだ。

 夏の容赦ないゲリラ豪雨があり、私は溜息交じりに激しい風雨を店から見ていた。

 その子は、バス停の屋根の外に立っていた。屋根の下にいても風に流される雨粒は防げないだろう。それでも、屋根の下のほうが若干は濡れ方が違うに違いない。

 その子はジャージを着ており、それは有名チームのティーンズチームのもののはずだ。

 サッカー場とうちの店は駅を挟んでいる。


 だから、その子がなぜそこで呆然と立っているか気になった。

 私は外に出たくはないけど、その子を放っておいてはいけない気がした。

 私は店の傘立てにある、家族用の傘を一つ差し、一つは手に持って外に出た。


「ねぇ! なんで、ココに立ってるの!」


 雨が傘や地面を叩く音がうるさいため、大きめに声をかける。

 彼はその時初めて、自分以外に人がいた事に気づいた様子を見せた。


 驚きで目を見開き、私を見る。

 彼は私より身長は若干高い。

「俺……」

「迎えが来るの待ってるの?」

「……」

 彼は黙り込む。

「うち、そこの店だから、軒くらい貸すから!」

 私は促す。

 しかし、彼は動かなかった。

 お節介だとは思ったが、ジャージを引っ張る。すると、彼は素直に付いてくる。


「ちょっと待って、お父さん! タオル取ってきて」

 店に入るとカウンターにいる父親に声をかけた。

「うわ、お前ずぶ濡れだね。そっちの子は? カレシ」

「冗談に今つきあうつもりはない!」

 きっぱり言うと父は家の方に向かう。


 入れ替わりに母親がバスタオルを二枚持ってやってきた。

「そっちの子、これで頭とか服拭きなさい。ジャージ、乾かすわよ」

「……俺は……別に、これでも……」

「店が濡れるからね! 入り口で止まらないで、こっちに来る」


 母は彼の頭にタオルを掛ける。そして、ぐいぐいと彼の腕を引っ張り、店の、仕切りのある、ちょっとプライバシーが保たれる所に連れて行く。

 奧からモップを持ってきた父が、彼や私が落としたしずくをすぐに拭き取っていった。

 店内で雨宿りしている客も気にしている様子だ。必要以上に近づいては来ない。


 パーテーションで区切られたテーブルの所では、木製のスツールに彼は座ってしおれていた。

 拭ける部分は拭いたけれども全体的にずぶ濡れそうだ。ジャージの上は母がいないため、脱水でも掛に言ったに違いない。


「風邪引くよね……大丈夫?」

「別に……引いたっていいよ」

 ふてくされたような、つまらなさそうな声が返ってきた。


「そ? あ、なんか飲む? せめて体温めないと。三百円以内のモノならおごるよ。ここに連れてきたのは私だし」

 私は太っ腹な所を見せた。

 彼は顔を上げて、どや顔になっている私を見ている。

「……いいよ、いらない」

「なら、飲んでいきなさいよ」

「勝手に連れてこられたのに」

「……あー、もう!」

 私はいらついた。


 私は怒りに任せて離れたように見せる。

 手招きする父の方に向かう。

「あの子、見覚えあるんだよなぁ」

 父はサッカーが好きで、ケーブルテレビとかも契約して見ているくらいだ。

「うーん……あ、そうだ、日本代表の招集話題の前に、顔を見たなぁ」

「でもさ、落ち込んでるよ」

「となると」

 父は眉を中央に寄せる。

 私も同じことを思った。

 代表になれると言われながら、なれなかったということだろう。

「難しいなぁ」

「実力が物を言うし、それに、監督なんかとの相性もある」

「相性ってある?」

「あるある。司令官の好みの戦い方もあるから、そうなると、要不要の人物も変わるよ」

 本当か嘘かわからない話を聞きながら、私も眉が中央に寄る。

 ま、私が考えても仕方がないことなので、やめた。


 理由はともかく、落ち込んでいるのだ、その子は。

 それに、それで命が失われるわけではないのだ。

 まあ、それに向かって練習して、出来ないのは苦しいし、辛いだろう。

 私ができることはおせっかいと知らん顔。

「乗りかかった船だし、プラス三百円、出そう」

 父が言ってくれた。私は父とハイタッチして、メニューを持ってその子の所にいく。


 六百円までおごるというと彼は不審と驚きの顔になる。

「え? なんで?」

「なんで? うーん、なんでだろう? 成り行き? 気持ち? ゲリラ豪雨さらば記念?」

 彼が怒ろうが、泣こうがどうでもいい。笑ってくれるならもっといい。

「……なんで、おかしいだろう、知らない人なのに」

「知らない人だったけど、君が悪い人に見えないから」

 私は思いついた事をぽんとしゃべっただけ。当たり障りのない言葉であることは意識しているけれども。


 彼は一瞬カッと来た様子だったが、みるみるうちに悲しそうになる。肩が落ち、うつむく。


「そっか、悪い人に……見えない……それで、声をかけてくれた」

「そうだね。この豪雨にずぶ濡れなんだよ? 気になるじゃない?」

 下手にサッカーのことは言わないようにする。


「俺は……今回、こそはって」

「ん?」

「何でもない」

 真相をいってくれそうだったけれども、彼はうつむいて黙った。


「ほらほら、これもご縁、うちのコーヒーを飲もう。それか、ココアがいい? 冷房も効いているし、寒くない?」

「……熱が出てもいい」


「あー、もう! お父さん、この子うちの風呂に入れてあげるよ!」


「なっ!」

 彼の方が驚く。

 父は「その方が冷えた体に大切だよね」と同意していた。

「それこそ、他人の家で風呂なんて入れない」

 父と私は「確かに」と言う。


「……ホット、ココア……」


 彼は小さな声でいいながら、メニューを指さした。

「はいっ、ありがとうございます」

 私はホットココアを作る。そして、彼に持っていった。

 彼はコップを両手で包み込むように持つ。私より大きな手なため、コップは小さいのがよく分かる。

 そこのぬくもりからか、彼の表情が緩んだようだ。


 一口飲むと、彼は震えた。そして、また一口、また一口と飲むうちに、顔の血色も良くなる。


「……ありがとう、おいしかった……お金は……」

「おごるっていったじゃない!」

「でも」

「なら、今日は落ち込んだっていいし、しばらく落ち込んでもいい。何があったか分からないけど、前を向いて歩けるようになってくれればいい」


「……知った風にいうなっ!」


 彼は感情を出した。怒りという感情は、悲しみを隠すためのように見える。


 私はひるみそうになったが自分を支える。

「そうだよ! 知らないよ! だから、見たまま、一般的な助言しただけだよ!」

 客や父母の視線が突き刺さる。


「……うっ」

 彼はうめいた。顔を伏せ、しばらく嗚咽を漏らしていた。

 私はそこを離れた。

 しばらく彼は静かに泣いていた。

 雨が止んだ頃、彼も客も立ち去った。


 それ以降、彼は見なかった。

 まだ、サッカーをしているのだろうか?

 それとも、違う道を見つけたのだろうか?


 代表が決まるのは大会前だ。

 でも、誰がどうなるのか、というのは話題に上がる。

 夏の暑いさなか、試合が行われていた。

 うちのカフェにも国際大会用にってテレビを用意していた。

 延期になったけど、それはそれ。

 なら、通常の試合の時も流していた。


 あの子が入っているサッカーチームの試合だ。

 順調にいけば、この中にいるのだろうか。

 試合を見るわけでもなく、ぼんやり音を聞いていた。

 選手のインタビューが行われている。

 延期が決まった夏の話もある。


『今の俺がここにいるのは、あるカフェのおかげなんです』


 自信のある声音。どこか、記憶にあるものだった。

 だから、画面を見た。

 体格や顔つきは自信に満ちている。


 でも、その中に、あの時の子がいた。

「お父さん、あの子だ!」

 父が見上げる。

 それに合わせて常連客達が「なにの話?」と問いかけてくる。


『前、日本代表に召集確実と言われて駄目だった時、落ち込んだんです。でも、なんか、強引に声をかけてきた子がいて、カフェでただ、ココアおごってもらったんですけど……あの球場の近くのカフェで……』


 名前は言わない。知っている人は知っている。

 そもそも、練習場の近くのカフェはここだけだ。


『ここで、インタビューを受けているのはあのカフェへの恩返し。そして、次は活躍する、っていう符号です』


 力強く彼は言った。

 表示されている名前はしっかり覚えた。

 今度こそ、世界大会の地で、そのプレイを見たい!

 私も、がんばろう!

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アメとココア 小道けいな @konokomichi

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