第9話 顔が近くない?

 二十二歳年下の教え子にキスされました。


 結局の所、手だけでしたが……。






 年齢イコール彼氏がいない歴、更新ストップでいいのでしょうか……?


 いや……西洋風に考えると挨拶?


 でも……ここ、コテコテの和風世界だし。




 間近で見ると、本当に整った顔立ちをしている。色が白くて、目鼻立ちがすっきりしていて、あの頃のあの子がこんな風に成長したんんだ、と思うとしみじみと感慨深い。






 幼児期も造作の整った子だったけど、まだ愛らしい部分があった。それがそっくりそのまま消失した感じだ。




 どこに行った?




 それを補管するように入ったのは、なんというか人を喰ったような不遜というか計算高さというか?




 まあ、幼児期にそんなものがあっても困るが、もうちょっと天真爛漫系に成長すると思っていただけに地味にショックを受けている。






 あの頃は、お母さんや先生と結婚の約束をする子がたまにいる。身近に可愛がってくれる人だからだ。




 もちろん同級生も周りにはいるが、まだまだ甘えたい盛りなので、大概年上と居るのが居心地が良いと感じる子がいるのだ。




 まあ小学生になればあっと言う間に卒業する淡い感情だ。




 そんな約束をして喜んでいた瑠佳君は、今とは別人の純粋な子供だった訳だが、行動原理は変わっていないとも言える。




 約束を何年も覚え続けた上に、行動に移すなんて、そんじょそこらの思い込みとは訳が違う。


 相当のロマンチストかと思いきや、行動原理だけで、実際の行動は計画的で根回しがされている。むしろリアリストだ。


 一体どんな人生を送って来たんだろう?




 まあ、普通ではないんだろうけどさ。




 宮様だものね。四の宮は気楽とは言っていたけど? 言っていたっけ? そんなに厳しくはないと言っていたのだっけ?




 東宮問題などにはまったく関わってこない身なのかしらね。うん。


 しかしー


手にキスされちゃったんですけど……。


 思い出すと赤面が止まらない。


 なんか、その一瞬だけで、そういう気持ちの方に一気に感情が傾いた。



 つまりは彼が私の恋愛の対象内に入った事を意味している。キス一つで入っちゃうんだ。


 再三言いますが手ですよ? 


 私ってチョロ………。


 キスされたら、して来た人を誰でも彼でも好きになるのかしら? そんなに節操ないの?



 実験してみたい所だけど、そんな実験は現実問題出来ないし、したくもない。


 うーん。


 どうしよう?


「凪子」


 呼ばれて私は顔を上げる。


「意志を聞きましょうか?」


 瑠佳君と目が合うと、やはり気恥ずかしい。


 まるで恋人同士だ。


 キスする前ではなく後に聞いてくるのが、なんだか策略にはまっているみたいで、不本意だ。



 ……けど意志は伝えないと。



 私は火照る頬に手を当てて、考える。


 私はどうしたいのかな?


 恋人が欲しくない訳じゃない。むしろ欲しい。

 閨の教育係というのは、たぶん恋人じゃない。

 係というからには仕事なのだ。



 ただ、教育の内容上、もちろん情のようなものは確実に入ると思う。嫌いじゃやっていけないもの。



 私が想像する将来は、普通に結婚して普通に赤ちゃんを産み、その子を溺愛しつつ、徐々に歳を取ってお婆ちゃんになる……くらいしか考えたことがない。仕事も続けていたと思う。


 でも異世界の宮様の閨の教育係というのは、全然違う、想像もしたことのない世界だ。


 いや、もう、なんていうか、そんな世界想像したことがある日本女子はいないと思うが……。


 しかしー


 私って平安時代好きなんだよねー……。


 似ているだけで、異世界な訳だけど、似ているって重要だと思う。


 これだけそっくりなんだから、普通に平安時代と思っても大丈夫なんじゃないかな?


 陰陽師だって存在する訳だし、もしかしたら百人一首的な何かもあるかもしれない。

 会ってみたいわね。平安風の超絶美男子に。


 まあ、目の前にもお一人様いらっしゃいますが……。


 想像しただけでもミーハー部分は満たされると思う。


 そしてさっき瑠佳君も言っていたけど、子供は絶対に欲しい。


 この時代避妊という行為がないわけで、そういう事をすれば恋人だろうが係だろうが問答無用で妊娠するだろう。



 瑠佳君の子供を妊娠するのだ…と思うとちょっと怯むが、しかし現代日本に帰ったところで恋人の宛も妊娠の宛もない。


 もの凄く現金なことを考えれば、出産に一番近い現実が待っているんじゃないかな。


 残酷なようだが、一般的に四十三歳くらいが妊娠ギリギリと言われている。出産可能な年齢なんて、人間二十五年間くらいなのだ。



 私はそのうちの十七年をもう失ってしまった。

 後、八年。



 確実に行きたい。


 ……あれ?



 今、私血迷ってる?



 もの凄い足下見て、選択間違えようとしてる?


 意地を張って突っぱねるのが正解なのかな?


 ーーでも


 大切なのはプライドや虚勢じゃない。


 とにもかくにも本心が大切なんだ。


 取り返しのつく事って世の中にいっぱいある。


 その反面、取り返しの付かないものもやっぱりあるのだ。


 間違えないように…慎重に…慎重に…。


 よし。


 自分の本心を箇条書きにしてみよう。


 そうしたら、変な損得関係なんか入れずに、決断が出来るかもしれない。


・結婚したい→イエス。


・子供欲しい→イエス。


・恋人欲しい→イエス。


・閨の教育係になりたいか→閨はともかく子供の教育に付いては好きな分野だ。


・このまま元の世界に帰れず野垂れ死にしたいか→ノー。


 日本の諺に『苦労は買ってでもしろ』というのがあるが、買ってまではちょっと……と思う。


 いや、ここみんな素直に思うよね。お金出して苦労を買うなんて…ないない。


・瑠佳君の事が好きか→……(赤面)


 好きか? と言われればきっと好きだ。ただちょっと前まで子供として好きだった。今はたぶんもう少し複雑。彼と過ごす未来もありなのかな? 嫌いな人と結婚するより数十倍はいいのかな。人生色々なのかもな。 



・時が経って、異世界と元の世界が繋がった時、私は帰って恋人を作って結婚して幸せになれるかな→これ精神的な問題じゃなくて時間的に厳しい。瑠佳君の言動から考えて、とてもじゃないが一年二年の感覚で時空の道が通じるとは思えないのだ。


 仮に十年だった場合、私は四十五歳。


 危険だ。


 そんな危なっかしい選択肢は怖くて選べない。


 うん。なんとなく答え出そう。


 私は顔を上げる。



 月明かりが揺らめいている。


 今、何時なんだろう?


 夜の始まり?


 真夜中?


 夜明け前?



 始めは薄暗い部屋だなと思っていたのに、大分目が慣れたせいか、月が明るく見える。


 部屋を明るく照らしていて、何だか照明の明かりより柔らかい。


 瑠佳君の輪郭が月明かりで境界が曖昧になる。


 この人と肌と肌を重ねるんだろうか?


 明日からそんな現実が待っているのだろうか?


 吉原に売られた女の子達はこんな心境だったのかな?


 いや、全然違う。


 彼女達は守ってくれるはずの親から、お金の為に売られたのだ。


 一番信じていた人から、売られてしまった。


 そうしないと生きていけないから。


 そして親もお金の為に、大切な子供を手放した。お金がないって怖いな……。


 ちなみに、今現在一円も所持してないよね、お金。大丈夫か私っ。



「凪子、意志は決まりましたか」



 やがて、随分と時間が過ぎてから、瑠佳君の声が、この部屋に響いたのだ。






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