一章 転生者

1話 出会い


「チーン」


 俺の一日は仏壇に置いてあるリンを叩き、線香をあげることから始まる。

 目線の先に映るは六年前に交通事故で他界した兄――大野健おおのたける。不運な事故というしかなかったがそれでも俺は許せなかった。まるで他人事だと思っていた高齢者の交通事故に兄ちゃんが巻き込まれるなんて。

「そういや今日は兄ちゃんの誕生日だったな」

 五月十日。ゴールデンウィーク明けの誰もがかったるがる頃合いに兄ちゃんは生を受けた。

「でも、兄ちゃんの年が十七のままで止まっているとするなら俺は今年で兄ちゃんと同い年になる。来年には兄ちゃんより大きくなる」

 心の中で兄ちゃんに語り掛けた己の言葉に少し可笑しさを感じてしまった。

『兄ちゃん』と呼んでいる相手より大きくなるなんて。


 遺影の中の兄ちゃんはいい笑顔でほほ笑んでいた。高校生にもなると写真は少なかったが、兄ちゃんが交通事故に巻き込まれる三週間前に俺と一緒にふざけて撮った写真がたまたまあったことに気づき、その写真をトリミングして俺を排除したのちに拡大して兄ちゃんの遺影となった。

「本当にいい笑顔」

 この時は車に飛ばされて三十メートルも引きずられるなんて欠片も思ってなかったのにね。

 一通り話しかけたのちに俺は仏壇の前から立ち上がった。

 なんの変哲もない平日だ。学校にも行かなければならない。


 俺は一階にあるリビングめがけて階段を下る。

 その先に広がる光景を形容するならば『何もない』が正解だろう。

 もちろんテーブルやテレビ。ソファーみたいな生活において最低限必要なものは揃っている。揃っているがそれ以上はない。

 家の個性なんてものはない。 なにせ必要ないのだから。


「おはよう」と誰もいない空気に向けてつぶやいてみた。しなくていいことかもしれないが、なんか止められなくって、ずっと続けてしまっている。


 兄ちゃんが交通事故に巻き込まれた後、最初に壊れたのはお母さんだった。

「ケンちゃんはどこ? ねぇまだ学校にいるの?」って。初めのうちはお父さんと俺とで協力して「もう、帰っては来ないんだよ」と説明していたがお母さんは一切聞く耳を持たなかった。

 そうこうしているうちにお父さんのほうが愛想を尽かしてしまって、離婚を持ち出した。それはそれは見事なまでのスピード離婚。不倫したくてたまらない人には参考にしてほしいくらい一瞬でお父さんは家から出て行った。

 本当なら俺もお父さんについて行ってこの家から出る予定だったのだけど、離婚日当日になってお母さんが「私からショウちゃんまで奪わないで」って見苦しくも床に膝をつけお父さんの裾を引っ張り泣き喚くものだからお父さんも観念して俺を置いて行った。


 どうしてお母さんがそこまで俺に執着したのかは未だに分からない。

 俺がいれば兄ちゃんが帰ってくるとでも思ったのだろうか。


 そしてお母さんはさらに壊れていった。


 夕食時には毎晩のように三膳のご飯が出てくるし、朝食ともなると、俺はまだ当時小学生だったから八時くらいに家を出ればいいにも関わらずお母さんは朝練があるからと六時に起きては朝ご飯を作った。

 一応俺のことも認識してくれていたらしく七時半くらいにもう一つご飯を作ってくれる。

「あれは地獄だったな」

 ホカホカのご飯と冷え冷えのご飯を朝から二膳分食べるという苦行の日々。だが、俺がその二膳を完食しているにも関わらずお母さんは「二人とも全部食べて偉いね~」と独り言を呟きながら洗い物をしていた。

 もちろん母の異常行動が家のなかだけで収まるわけがない。

 町の人みんなに「昨日はケンちゃんがね――」とどこから思いついたのかホラを吹いて回る日々。次第に『頭がおかしい』というレッテルを張られたお母さんのもとに誰が呼んだのかお医者さんが来た。

 結果、精神障害。

 お母さんはすぐに病院という名の檻に閉じ込められ、ついにこの家には俺一人となった。


 生活をするお金ならあった。この家にそれなりの貯蓄はあったし、縁としては残っている母方の祖父母が俺に資金提供をしてくれた。それに加えて中学生・高校生である俺一人の生活には大してお金がかからなかったということもあり、普通に生活を送ることができていた。

 学校側も俺の家庭事情を理解し、学校に自由参加という行為を許可してくれたことも大きい。そのおかげで買い物が必要な日などは電話一本で学校を休むことができたのだから。

 おそらくこの生活を繰り返すだけなら十年以上は食っていけるだろう。



 俺は簡単に卵を割って作ったスクランブルエッグを口にし、部屋にかけてあった制服に身を包んでから家に鍵を掛け学校に向かった。

 そして相も変わらず現代文・古文・数学Ⅱ・数学B・英語表現――(以下略)と世間一般の高校生と何ら変わらない授業を受け、家に戻る。

 高校では部活動に所属しなかったからお早い帰宅だ。

「ただいま」

「お帰り」

 これもいつもの日課だった。体にしみ込んだかのように返事が来ないことは分かっていたものの挨拶を入れ込む。

 むしろ挨拶をしないほうが――。

「ん?」

 何か違和感があった気がする。俺は少し自分の記憶を追い返してみた。が、何も出てこない。どこに間違いがあったのかが分からない。

 そして分からないものというのはどうしようもないものと同義である。それ故に考えても仕方がない。

 が、俺がカバンを置くために部屋に向かうと部屋から明かりが漏れていた。

「あれ、今日電気消し忘れたっけ?」

 たまにやってしまうミスだ。一人暮らしをして初めて分かったが電気をつけっぱなしにして学校に行ってしまうことほど電気代の無駄遣いはない。

「やっちまったか」

 後悔の念と今月の電気代請求のことだけを頭の中で回しながら俺は扉を押した。


「あ、お帰り」


 が、その先には目を疑う光景が広がる。

 俺の部屋に誰かがいるのだ。

 何食わぬ顔で床に置いてあるお菓子を食べる用の背の低い机に一階の菓子棚に置いてあったお菓子をどっさりと広げ。緑髪緑眼という現代日本では考えにくい見た目の少女が露出度高めの(肩は丸見えで胸元と腰回りをフリフリの布で隠した)服をまとってボリボリとチップスを頬張っていた。

 その少女はこの事態が当然かのように俺に一声かけたのち、再び食指を動かす。


「いや待て! お前誰だよ。なんで勝手に俺んちに入ってんだよ! てかどっから入ったんだよ!」


 玄関のカギは確実に閉めたし五月の気候なら窓を開けることもない。当然サンタさんが入ってくるための煙突がこの現代日本の、ある程度都会にある我が家にあるわけも。

 だが、彼女としては「どこから入ってきた」問題よりも「お前誰だよ」という発言のほうが問題だったらしく。



「え⁉ 覚えてないの」


と愕然し、口に運ぼうとしていたチップスは逃げるように床へと落ちていった。


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