番犬

 

 十条の当主が部屋から去った。


 しかし、自分はその場を動けない。先程言われたことが、頭の中に反芻していた。


 零の家、名前、あの方のために使われる9のつの家。そして。


 安倍晴明。


「皆さん、帰りましょうよ。泊まるって勘違いされてるっぽいですし」


 なんでもないように話しかけてきた我が隊長。そうか、この人は知らないのか。あの、根拠のない噂話を。


 術者、それも9つの家の人間や総能の上層部に近い人間の間に、昔から流れている噂がある。


 零様の正体は、あの安倍晴明の子孫である、と言うのだ。


 そして自分達術者と零様が白と黒に別れたのは、何か現代では想像もつかない、大きな陰陽術を達成するためではないかと。自分達は、安倍晴明の術式に組み込まれた駒なのではないかと。


 こんな、妻が見ていたテレビの都市伝説の方がまだ出来がいい噂話。本気で信じている術者は、少なくとも袖に線のある着物を着た術者にはいないだろう。しかし、それでもどこかで。


 零様の本当の名前は、かの史上最高の陰陽師、安倍晴明なのだと。


「.......ちょっと、待ってください」


 八条隊長が隊長に声をかける。副隊長である自分が事情を説明しなければ、と思ったが、隊長にこんなことを話してしまって良いのだろうか。ただでさえ夏の1件で立場が危ういお方だ、こんな根拠の無い話のせいでこの人をさらに追い詰めるわけにはいかない。後ろに座った中田が、不安げに自分を見ているのがわかった。


「? はい」


 八条隊長の言葉にぽけ、とした表情で大人しく座ったと思った隊長は、3秒も立たずに動き出した。だが、それを追いかけるほどの余裕が、今の自分にはなかった。


 なぜ、この家から安倍晴明の名前が出てくるのか。この家が名乗っている十条と言う苗字は、おそらく自称であって隊長達の9つの家とは無関係だろう。彼らの家は元々、09までしかないのだから。

 では、なぜこの家が安倍晴明という名を知っている。疑問が振り出しに戻った時、いつの間にか立ち上がっていた隊長の会話が聞こえた。


「.......和臣様。まさかとは思いますが、本気にされていますか」


「え? .......もしかして、さっきの話ですか? あっはは! あんなの天地がひっくり返っても本気にする訳ないじゃないですか! 俺そこまでバカじゃないですって!」


 無邪気な笑い声に、奥歯を噛むことしか出来ない。自分もそう笑って言いきれたら、どれだけいいことか。

 しかし、なぜか無関係なはずのこの家が、自分達の頂点の最大の秘密を知っている。

 この事実だけで、八条隊長も六条当主も、自分も。身動きが取れなくなっている。


 急に隊長の笑い声が止んだ。それから、こそこそと何か聞こえた後で。


「.......お、俺家の人に帰るって言ってきます!」


 その言葉が自分達に投げられたと気づいた頃には、隊長と水瀬さん町田さん、それに隊長の監視の姿は部屋になかった。まだ廊下でドタバタと音がするので、すぐそこにいるのだろう。

 慌てて追いかけようとして、六条当主にくん、と着物を引っ張られた。思わず背筋を伸ばし立ち止まる。


「どうかなさいましたか」


 六条の当主、六条調唄は若い。確か隊長の兄上と同い年だったと思う。しかし、それでもあの9つの家の当主の1人だ。あの、一条の当主と同じ。

 腹の古傷がじくりと疼いた。


「おや、六条さん? どうしました?」


 頷いた六条当主は八条隊長も立たせると、いきなりしゃがんで長机をひっくり返した。慌てて手を添える。


「これは.......」


 机の裏にはられた紙。そこには、資料に見た昨日の札のように赤い文字で、「たすけて」と書かれていた。


「この家、探りましょうか」


「.......」


 貴様が命令すんじゃねえ、と腹の底から思ったものの、中田が抑えろ、とアイコンタクトしてきたのでなんとか熱い思いを飲み下した。おー! と無音で腕を上げた六条当主が歩き出したのに続いて、黙って部屋を出る。


 しかし、今まで廊下にいると思っていた隊長達おらず、代わりに驚くような精度の式神が一体自分達を待っていた。隊長の式神だ。


「.......はあ。七条くんはまた、勝手な行動ですか」


 思わず拳を握りガンをつけてしまったが、中田が小声で部長、と呼ぶものでなんとか色々と押さえられた。中田が隊長達について行かなかったのは、おそらく自分が八条隊長に何かすると心配しているのだろう。

 確かに、俺は八条隊長が気に食わない。なぜなら、俺の隊長を少なからず敵視しているからだ。隊長の敵は俺の敵だ。

 だからと言って、昔のように後先考えず殴りかかったりはしない。自分のせいで隊長に迷惑がかかるのは以ての外、さらに自分ももういい大人なのだ。いい加減落ち着かなければ、とメガネのツルを押し上げた。


「部長、先程までそこら中にあった人の気配が消えました」


 中田の言葉は確かだ。この屋敷に入った当初、至る所から感じていた視線や人の気配が、今では1つもない。なぜ急に、自分達への監視をやめたのか。隊長達がこの場を離れたことに関係があるのだろうか。今回隊長にこの件を任せたのは、零様本人だと言う。もしかすると、この屋敷は隊長に何か。


「なぜ、この屋敷は今、私達への警戒を解いたのでしょうか。七条くんが何かしたんですかね」


 あぁ?


「部長」


「はっ、すまん中田、声に出てたか?」


「いえ、顔に出ていました」


 六条当主が音も無く笑っていた。八条隊長は相変わらず胡散臭い笑顔のままだ。

 その後、がらんと人気のない屋敷の中を警戒しながら探り、隊長達と別れてから1時間ほどが経った。


「八条隊長、1度屋敷の調査を中断し、我々の隊員と隊長の捜索を優先していただきたいのですが」


「七条くんなら大丈夫ですよ。あれだけの実力者です、この屋敷の術者が全員でかかっても敵わないでしょう」


「ですが」


「なぜ、あなたは七条くんを心配するのですか? 彼は誰より強いはずです。あなたに心配されるような術者ではない。あなたは随分私を警戒していますが、私程度の術者が何をしようと、彼は何ともないのですよ」


 びきり、と自分のこめかみに血管が浮く音がした。六条当主が自分の顔を見上げ、あら、と口に手をやる。中田は必死に小声で部長、と繰り返していた。


「.......知ってんだよ、そんなこたぁ」


「.......はい?」


 あの人が誰より強いなんて知っている。誰より強い心を持っていると知っている。でも、だからなんだ。強い人の心配をしてはいけないと、誰が決めた。


「.......失礼いたしました、八条隊長」


 だから自分は、彼のために動く。奥歯を噛み締めながら、八条隊長に頭を下げた。途端ごり、と音がして、奥歯が割れたことを知った。


「おや、八条様に六条様、どうなさいましたか?」


 廊下をやって来た、黒い着物の女。その後ろには、ぞろぞろと男を引き連れていた。20人はいそうな男達を、もはや隠す気も無いのか。そう思い、男達を確認して。


 数人の着物や肌に、赤黒い汚れを、見た。


「.......部長」


 震える中田の声が聞こえる。


「.......あの人達、どこも、怪我、していません」


 いきなり六条当主が動いた。人の多い廊下を鋭く駆ける彼女に反応して、目の前の男達が腰を落とす。八条隊長と自分も、戦闘態勢に入り。





『ゆ』


『る』


『さ』


『な』


『い』




 腹の底から這いずる恐怖に、動きを止められた。

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