溺れる者は浮き輪を掴め
労働
狭いアパートの一室。
じゅうじゅうと音を立ていい匂いを放つフライパンを振りながら、洗濯を終えた洗濯機が鳴らす軽い電子音を聞いた。
開けた窓から新鮮な空気が入り込んできて心地よい。コンロの火を止めて、大皿に野菜炒めを盛った。それから、先程作ってタッパーに入れて冷ましておいた料理5品を無理やり小さな冷蔵庫に詰める。元々中を占領していた腐りかけの食材は全部使ったし、訳の分からんペットボトルは全部出したので、なんとか全てを押し込むことが出来た。
シンクにたまった洗い物もさっき済ませたし、澱んでいた部屋の空気も爽やかだ。洗濯機から柔軟剤の香りがする洗濯物を取り出して、狭いベランダに干そうとしたところで。
「.......いや! なんで俺が全部やってんだ!? 干すぐらい自分でやれ!」
部屋の真ん中でぼけっと俺が作った昼飯を食っている同大学ラグビー部3人組に、怒りとともに洗濯物を投げつけた。
「わ、悪い和臣! 今すぐやる!」
俺たちのたまり場になっているこの部屋の主、四国出身熱血スポーツマン藤田が慌て洗濯物を干しに出た。よし、それでいい。
「和臣、嫁に来ないか。俺はこの料理が毎日食べたい」
食欲の化身、最近俺とは体重の桁が違うと発覚した幸田。
料理を褒められるのは満更でもないが、俺の嫁ぎ先は既に決まっている。本来こんなむさくるしい部屋の世話など焼いている暇はない。葉月の部屋には入ったことすらないのに。泣ける。
「ここまで来たらもはや母ちゃんだろ。ところで和臣、プロテイン飲むか? 四国出身としての使命感だけでカツオ味プロテインを買ったら、今月1番のハズレでさ」
筋肉に心を蝕まれた男、毎度ゲテモノプロテインを買っては俺らに持ってくる坂田。あと俺は貴様らの母では無い。
久しぶりにこの部屋に来たら荒れ果てて健康に害がありそうだったから仕方なく窓を開けて仕方なく洗濯機を回しただけだ。あと食材がもったいないから火を通しただけだ。勘違いするなよ汗臭い男ども。料理はともかく、俺は掃除が嫌いだ。
「和臣は普段から家の手伝いとかするのか? あっという間に料理すげー作るし、洗濯物はいい匂いするし、すげーな」
「俺の母ちゃんより料理うまいぞ」
「洗濯物干し終わった! 和臣、本当にありがとう! 久しぶりに人並みの暮らしをした気がする!」
騒がしい奴らと狭いテーブルを囲んで座って、自分で作ったゴーヤチャンプルーをかき込む。うん、やっぱり水原さんの味にはあと一歩。
「和臣夏休みは全然ここに来なかったからなー。バイトか?」
「まあそんなとこ」
色々あって今も玄関の外にいる監視の人がついたり先輩達にフラワーボーイとからかわれたりしたが、まあそんなとこだ。
「俺らも部活だったから大したことはしてないけどな。筋トレの夏だった」
「四国にも帰れなかったな」
出した分の料理が食い尽くされ、新しく野菜炒めを出したら半分を幸田に食べられた。またぎゃあぎゃあと騒がしくなる。やる予定だったレポートは未だ白紙。リュックの中のトカゲはとろとろ眠っている。
「あ。そうだ和臣、新しいバイトに興味ないか? 深夜の警備なんだけどさ、人数集めていくと商品券貰えるんだ。時給もすげー高いぞ」
「ない」
野菜炒めを口に入れながら言った。あいにく、深夜バイトは間に合ってる。
「頼むよ和臣ー、貰える商品券が高級デパートの肉屋で使えるんだよ。食いたいだろ? 和牛」
「俺からも頼む! なんでも急に前のバイトが辞めたらしくてな、どうしても明日の警備に手が回らないって言うんだ! 困ってる喜田さ.......人を放っておけないだろ!?」
喜田さんって誰だ。ていうか。
「バイト明日かよ! 行かねぇよ!」
「「「え、和臣予定あんの?」」」
「俺をどんだけ暇人だと思ってんだ.......」
本気で、純粋にただただ驚いている3人を見て、怒りを通り越し泣けてきた。それなりに忙しくしてるよ。明日は暇だけども。でも俺は暇を愛している。そうやすやすと手放せはしない。
「う、嘘だろ.......和臣がダメなら、喜田さんに一体なんて言えば.......くっ! 俺は、困っている喜田さんさえ助けられないのか!? 俺は、俺は.......っ!!」
だん、と眉を寄せた藤田が床を殴った。大げさだろ熱血スポーツマン。
「部活の奴らも俺ら以外ダメだったしよ.......喜田さんも、俺達しか捕まらなかったって言ってたのにな。和牛もナシか.......」
「喜田さん、悲しむだろうな.......プロテイン、持ってくか」
だから、喜田さんって誰。
何故か無駄な悲壮感を溢れさせている3人を無視して、野菜炒めを口に入れる。別に、俺は何も悪いことなんてしてない。確かに明日の夜は暇だが、見たいテレビがあるし珍しい調味料も試したいしぼーっとしたい。喜田さんには悪いが、俺は暇を楽しみたいんだ。
「.......喜田さん、明日娘さんの誕生日なんだって」
「.......」
「そう言えば喜田さん、最近腰が痛いって言ってたな」
「.......」
「喜田さん、すっげぇいい人なんだよな」
やめろ、見知らぬ喜田さんの情報をそれ以上よこすな。俺に罪悪感を持たせるな。明日のテレビ鑑賞中に絶対喜田さんのこと思い出しちゃうだろ。料理中に喜田さんの娘さん、寂しいだろうなとか思っちゃうだろ。いい加減にしろよ。俺は暇、暇なんだ。暇なんだよ!
「.......それ、何時から?」
「「「うぇーい」」」
3人がころりと表情を変えてハイタッチを交わす。こいつらめ。
「言っとくけどお前らじゃなくて喜田さんのためだからな! あと現地集合は無理だぞ! 迎えに来いよ!!」
「「「仕方ねぇなー!」」」
世の中から戦争が無くならない理由がわかった。人間ってこんなにも人を憎めるんだ。
10時に迎えに行くからなー、と手を振る上機嫌な3人に飛び蹴りしたいのをおさえてアパートを出た。あいつら全員タンスの角に小指をぶつけ全治2週間の痛みを引きずりますように。
「.......和臣様」
「ひいっ」
地の底から響くような声に飛び上がる。振り向けば、髪を乱し瞳から光を失わせた監視の人がいた。
「.......アルバイト、を、なさる、? 隊長である、あなたが?」
「あ。いっけね。電車乗り遅れるー」
「待ちなさい! 待ちなさいそっちは駅ではありません!! 待ちなさい!!」
電車には乗り遅れた。
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