例のあの時

 とある病室。

 先程監視対象が目を覚ました。と思ったら、ガバッと起き上がり点滴を引き抜きとんでもない速さで病室を逃げ出した。.......今、何が起きた。


 慌てて監視対象.......『呪い』の知識所持で罰則を受けることが決定した七条和臣特別隊隊長を、追いかけた。別に、相当な怪我なのにいきなり走ったことが心配だとか、点滴を引き抜いて大丈夫だろうか、とかの私情は一切ない。私は、監視対象から目を離してはならないのだ。


「ウチの隊員はっ!?」


 やっと追いついた七条隊長は、廊下にある公衆電話に向かって怒鳴っていた。そして、しばらく電話を耳にあてていたと思ったら、ずるずると座り込んでしまった。

 医者を呼ぼうとして、思いとどまる。彼はあくまで監視対象。たとえ彼が倒れようと、私は彼が倒れたとだけ報告書に書きさえすれば良い。そう、私は彼に関わってはいけない。


「.......はい、はい。明日京都に.......はい。はい」


 座り込んだまま、青い顔で電話を続ける七条隊長。思わず通りかかった医者を睨んでしまえば、驚いた医者に七条隊長はずるずると病室に引きずり戻された。


 それから、彼はずっとべそをかいていた。嘘でしょ、とは思ったが私情を抜き去って記録を付ける。

 京都へ行って罰則を受けた後も、ずっとべそをかいていた。この人は本当に隊長かと疑った。たぶんこの仕事はあなたに向いてないから辞めた方がいいと、何度も言おうか迷った。もちろん一切接触することなどなかったが。


 それから、彼は特別隊の隊員が入院している病院に毎日通うようになった。彼らの会話も、私は余さず記録した。

 盗み聞きだし、この会話は彼らだけのものだし、こんなに仲の良い仕事場があるなんて信じられない、などという感情は破り捨てた。私はただ記録を取るだけ。七条隊長は罰則規定違反の極悪人、だから監視されて当たり前なのだ。

 この温かな時間を踏みにじられて、当たり前なのだ。


「.......ぐす」


 隊員達の病室から出た後、もはやお決まりの泣きべそタイムに入った七条隊長。帰りの車の中で泣きべそをかきながら、総能本部の書庫から持ち出した術の本を読んでいる。もちろん本の内容に問題が無いことは記録済みだ。だから七条隊長がいくらそれを読もうと問題ない。全く、問題ない。

 そんなに落ち込んでるのに勉強なんてしなくていいじゃない、などとは決して思わない。怪我を治すのに専念した方が良い、とも決して思わない。もう仕事を辞めてしまえ、などとも全く全然思わない。

 私が所属する調査記録委員の直属の上司達は、七条隊長をこの仕事から逃す気は微塵もないのだ。従順で、優秀な手駒が欲しいのだ。五条隊長並の実力があって、命令に逆らわなくて、話が通じる、駒が欲しいのだ。私もその方針に従う。なぜなら、それが私の仕事だからだ。


 彼を軟禁して言うことを聞かせろ、と言われたらやる。

 それが仕事なら、私はやる。


「.......あの、そろそろ名前.......教えてくれませんか?」


 まだ若干泣いている七条隊長が、私に話しかけている。監視者の、私に。今まで、何度丁寧に話しかけられても、決まった言葉しか返さない、私に。


「監視対象に監視者の情報を伝えることはできません。私のことは居ないものとして過ごしてください」


「えぇ.......なんて呼べばいいんだ.......」


 ぱたん、と本を閉じた七条隊長。前を見つめる目は赤いし、顔には疲労が滲んでいる。あぁ、この顔はダメだ。私は、この顔を知っている。荒れ果てた自宅の鏡に、よく映るこの顔を。


「.......酔った」


 よく見たら彼の顔色はめちゃくちゃに悪かった。車の中で本なんか読むからだ。体調も万全では無いのに。


「.......ん? 管理部?」


 虚ろな目で窓の外を見ていた七条隊長が、運転手に停車するよう指示する。運転手が黒い袋を渡そうとするのを、七条隊長が困ったように笑いながら断って外に出た。運転手の方が困っていた。


「.......うーん?」


 ふらふらと遠くを見ている七条隊長。その視線の先、ぽつりぽつりとまばらにある民家の屋根の上。そこには、総能の黒い着物を着た数人の人影があった。どうせ妖怪の目撃情報でも出たとかで、夜の見回りをしているのだろう。ここに住む人達のために。


「.......ん?」


 車を降りてきた運転手が、首を傾げる七条隊長に黒い袋を差し出す。だから違うって言ってるでしょ。

 七条隊長は、ふわふわと空を漂ってきた白い一反木綿を見ていた。しかし、屋根の上のこの地方の管理部の職員達はそれに危なげなく対応する。


「ちょっとこれ持っててください」


 ぽん、と七条隊長は私に本を押し付けて、屋根の方へ走り出した。当然のように私も走り出す。私は彼を監視し続けなければならない。それが私の仕事だからだ。


「えっ!? 来ちゃダメですよ!」


 途中で私が追ってきているのに気がついた七条隊長が慌て出す。これも記録しなくては。


「まあいっか」


 これも記録。


「【三壁さんぺき守護しゅご三歌さんか】!」


 屋根へ駆け上がる足場に使った術を、私のために消さなかったのも記録。

 腰を抜かして屋根から落ちかけた1人の管理部職員の襟を掴んで助けたのも記録。

 一反木綿退治のために上ばかり見ている職員達の前に飛び出したのも記録。


 さっきまでべそをかいていたのに、犬歯を見せて不敵に笑ったのも記録。


 足を肩幅に開いたのも記録。

 胸を張ったのも記録。

 腰にぶら下げたランプを、そっと撫でてから胸元に手を入れたのも記録。


「理科室にあるサイズ感を見習え! かさばるんだよ、このザコ骨格標本! 【滅糸の三めっしのさん至羅唄糸しらべいと】!!」


 一反木綿に気を取られ、管理部職員が気が付かなかった目の前に迫る餓者髑髏がしゃどくろにかけた言葉も記録。

 人差し指にだけ銀の指輪をはめていたのも記録。

 圧倒的質量と硬度を誇る、人を握り潰して食らう真っ白で巨大な人骨が、垂直に上がった銀の糸に貫かれたのも記録。


「あはは、やっぱり上ばっかり見てると危ないですねー」


 にこりと笑いながら振り返って、ガクガク震える職員の背中に優しく手を置いたのも記録。


「お疲れ様です。今度は全員で退治するんじゃなくて、何人かは前を向いてた方が良さそうですね」


 管理部職員全員を気絶させたのも記録。


「えっ!? ちょっと、嘘でしょ!? なんで!? 俺まだ名乗ってないのに!?」


 さっそく半べそになったのも記録。


「はぁ.......俺何かした.......?」


 この人を、監視するのが私の仕事。この人のプライベートも大事な時間も物も、無神経に踏み荒らすのが私の仕事。それも全部、この人を駒にするために。

 極悪人であってほしかった。どうしようもない嫌な奴であってほしかった。こんなに圧倒的な実力を、こんなに鮮烈に胸に残さないでほしかった。

 だって。こんなものを見せられたら。


「.......七条隊長」


「はい?」


「.......肩、大丈夫ですか? 先程その職員を引き上げた時、痛めましたよね。怪我の箇所も、そちらですし」


「あぁ、寝違えた時の方が痛いんで大丈夫です」


 この言葉は、記録したくないと。報告したくないと。


「え、大丈夫ですか? あの、顔色悪い.......気分悪いですか? 1回座った方が.......」


 私にかけられた言葉。

 七条隊長は、あんなに強いのに、いつも泣いてるし。助けてあげた人達に気絶されても、怒らないし。あなたに不幸しか持ってこない私に、普通に接するし。


「あっ! わかった! 暑いんですね! すみません、車戻りましょうか」


 目を覚ました管理部職員に後を任せた七条隊長は、てくてく歩き出した。車に乗って、走り出した景色をぼうっと見ている横顔を見た。先程の不敵な笑みはどこへ行ったのか、酷く気の抜けた表情だった。

 京都総能本部の前で止まった車を降りて、門をくぐろうとした七条隊長は。


「あ、そうだ」


 いきなり方向転換して、どこかへ歩き出した。


「あの、すみません。コンビニってどうやって行けばいいか知ってますか?」


「.......こちらです」


 七条隊長をコンビニに案内して、うっすら汗をかいた七条隊長が、アイスコーナーで真剣な顔をしているのを監視していた。

 でも、段々その顔を見ているのが辛くて辛くてたまらなくなって、アイスコーナーに並べられているアイスばかり見ていた。私は、彼がアイスを買ったらそれも記録しなければならない。たったそれだけのことでも、彼に自由はない。


「ふは」


 思わず肩がはねた。いきなり、七条隊長が困ったように笑い出したから。そして、ひとつのアイスを持ってレジへ向かう。しまった、なんのアイスを買ったのか見逃した。


「はい、どーぞ」


 コンビニを出た七条隊長が、私に渡してきたのは。


「そんなにパピコ好きなんですね。半分こしましょう、2つはお腹壊すからダメですよ。女性は冷えちゃいけないんです」


「は?」


「え? パピコ買いたいけど2本も食べられないからあんなにパピコ睨んでたんじゃ」


「ち、違います。そもそも、私は仕事中で」


「あぁ。そんなこと」


 そんなこと?

 私が、こんなに悩んでいる、仕事のことを、そんなこと?


「2人で内緒にすればいいじゃないですか。俺とあなたしか見てないんだし、ちょっとくらい大丈夫ですよ」


 ぱきん、と。

 七条隊長が、パピコをわけた。

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