失敗

 上半身裸で冷蔵庫を漁っていたら、小声で「何か着てください」と言われた。現在時刻は夜の1時。家族は皆寝ているか仕事中だ。

 今台所にいるのは、俺と俺の監視にやってきた女性だけ。この人は驚くほど愛想がなく、笑わせようと何をやっても反応してくれない。しかし最近はすこし打ち解けた気がする。初めの頃は話しかけられもしなかったのに、途中からされるようになった説教の時間が伸びたのだ。あれ、これもしかしてより嫌われただけかな。


「上のシャツが無かったんです。なぜか全部洗濯されてて」


 最近本部の書庫に行ったり婆さんの家に居たりとあまり家の人と会わなかったからか、俺の服がまとめて洗濯されていた。あと部屋が綺麗になっていた。


「記録しておきます」


「へいへい」


 監視をあんまり気にしすぎると精神が持たないので、この人には悪いがいつも通り生活させてもらう。花田さんも監視は居ないものとして考えた方がいいと言っていた。


「アイス食べる人ー」


「.......」


「あれ、要らないんですか? パピコの半分」


「.......いただきます」


 トカゲを見ながらぼうっとアイスを食べていると。


「7日後、本当に狐の嫁入りに参加される予定ですか?」


「そりゃあ約束しちゃったし」


 残りのアイスをトカゲにあげる。やけに食い付きがいい。お腹が空いていたのかもしれない。ごめん。


「妖怪の誘いに乗る術者が存在しますか? 退治して問題になる事はありませんが、退治せずに問題になることは多々あります。大体、総能に確認もせず引き受けるなんて.......七条隊長は、現在のご自身の立場が分かっておいでですか?」


「あなた〜の報告次第で首がとぶ〜! へい崖っぷちー!」


「ふざけないでください」


 自分の部屋に戻って、タンスの奥底の浴衣を引っ張り出す。致し方ない、今日はこれで寝るか。


「七条隊長!」


「七条隊長だと兄貴とかぶるんで、名前でお願いしてもいいですか? ていうかこの家で七条って呼んだら全員振り返りますよ」


「ん゛ー!!」


 自分の髪をにぎりしめて頭を振り乱した監視の人。初めの頃より随分と感情が見えるようになった。悪い方の。主に俺がイラつかせているせいかもしれない。申し訳ない。


「あなたは!! なんで!!」


「はい?」


 浴衣に着替えようとズボンに手をかけたら、バンッと部屋の障子を閉められた。


「おやすみなさーい! もしここに泊まるなら部屋は好きに使ってくださーい!」


「ん゛ーー!!!」


 そして、朝。


「和臣! 起きな! あと帰ってきたなら一言いいな!」


「うぐっ」


 両頬を容赦なく引き伸ばされる。


「いだだだだ!」


「それとあんた! 葉月ちゃんに家に居ないってちゃんと連絡してかなかったでしょ! 1週間も放ったらかしにして!」


「ぎいやあああああ!!」


「しち、和臣様!」


「は?」


 血相を変えて部屋に飛び込んできた監視の女性と、俺の頬から手を離した姉が見つめ合う。お互い、目を見開いて固まってしまった。


「あ、姉貴。こちら俺の監視の人、しばらくずっといるから。そしてこっちは俺の姉です」


「.......はぁ?」


「あはは、ちょっとこの間の仕事の時やらかしてさ」


 俺が『呪い』についての違反で罰則を受けたことは秘密にされている。知っているのはあの場にいた特別隊と、零様や監視の人だけだ。なので、俺に監視がついていると知る人はほとんどいない。


「この、バカ!!」


「いたぁい.......」


 思い切り頭を叩かれる。


「この間の仕事っていつの話よ!! その時に言いな!! 2週間も経ってるじゃない!!」


「ごめん忘れてた」


 また叩かれた。監視の人は、本当に驚いた顔のまま固まっている。


「お姉ちゃんこれから百鬼夜行の準備だから! お昼ご飯食べるなら清香と食べてよ!」


「は? え、百鬼夜行? え? ちょっと待って、」


 監視の人が、はっとしたようにカレンダーを見せてくれた。待て、これは。


「やらかした!!」


「うるさい! 大人しく朝ごはん食べてきな!」


 姉に引きずられるようにして居間に放り込まれ、じっとりと俺を見る妹の前に座らされる。とりあえずバターが塗られたトーストをかじってから。


「やらかした!!」


「和兄、その人だれ?」


「ああ、俺の監視の.......ってぎゃあっ!!」


 久しぶりに妹から話しかけられたことに驚きすぎてひっくり返る。後ろに立っていた監視の人がボソッと、「本当にあの時と同一人物ですか?」と言っていた。あの時がどの時かは不明だが、ドッペルゲンガーじゃなければ俺だと思う。


「和兄うるさい!」


「ご、ごめん。だって、反抗期は.......?」


 まさか反抗期と思春期が終わったのか?いや、でも花田さんが言うには数年単位でかかるらしいし、油断は出来ない。もし本当に終わったのだったらそれはそれで大丈夫なのか。専門医への受診を考えるべきなのか。


「知らないし! 和兄のバカ!」


「ご、ごめん」


 ジャムを塗ったパンをかじっていた妹が、目線をパンから動かさずに話し出す。


「別に、平気だったけど。.......私の中学校、夏休みだから」


「は、はぁ」


 俺の大学も夏休みだ。それがどうかしたのか。


「.......和兄、いないから」


「はぁ」


 ここ最近はちょっと真面目に術の勉強なんてしてしまっているから、あまり家にいない。何を得られたのかと言われれば宇宙に思いを馳せるしかないが、とりあえず古い文献ばかり読んでいる。


「.......ずっと、ご飯1人だった。別に平気だけど」


 ざっと血の気が引いた。まずい、こっちもやらかした。


「ごめん!! ごめん清香!!」


「葉月お姉ちゃんも、家に来て和兄のこと待ってたよ」


「うわああああ!! ごめん! ごめんなさい!」


 つん、と食事を続ける妹に、どこか行きたいところはないか、欲しいものはないかと聞きまくる。うるさいと逃げられた。泣いた。


「ごめん.......清香ぁ.......!」


「和兄気持ち悪い!」


「キモくてごめえええん!!」


 台所で皿洗いを始めた妹が、ピタリと動きを止める。


「.......この間、ゆかりちゃんと葉月お姉ちゃんと一緒に、お洋服買ったの。青いワンピースと、サンダル」


「へ、へぇ」


「.......海行きたい」


「了解!!」


 早急に計画を立てねば。パソコンを求め、部屋へ戻ろうとすると。


「葉月お姉ちゃんも一緒がいい!」


「了解!!!」


 ばたばたと廊下を走る。海か、どこの海に行こうか。やはり沖縄だろうか。そんじょそこらの海ではダメだ。もっと妹が楽しくてたまらなくなるような場所でなくては。


「.......和臣」


「あ、葉月! ごめん! 家に居ないって連絡忘れてた!」


 ちょうど俺の部屋に入ろうとしていた葉月が、こちらを見て目をほんの少し開いて固まる。なんだ、どうしたんだ。


「.......その人、誰?」


 目の前の葉月から、凍えるような声がした。


「ひっ」


「.......最近、会えないし連絡もないと思ったら」


「ま、待て葉月、ちが」


「浮気者!!」


 華麗な右ストレートでぶん殴られて、意識が途切れた。

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