こぼれ話(11)
はづきちゃん
海のすぐ近くにある、ちょっとした地方都市。
せっかくちょっとした砂浜があるのに、潮の流れが速いとか複雑とかで、安全のために夏場も海水浴場にはならないもったいない街。
それでも子供達は砂浜から離れた海岸で毎年遠泳大会に参加させられる、そんなどこにでもある普通の街。
そんな街の、少し大きな小学校で。生徒も先生も保護者も、みんなが話題にする女の子がいた。
はづきちゃん、だ。
まず、姿勢が違った。入学式でソワソワする生徒の中で一際ぴんと伸びた背筋に、驚くほどハッキリ整った小さな顔が乗ってた。
はづきちゃんは全てが他の子と違った。1年生にしては少し背が高いのも、驚くほど足が速いのも、驚くほど勉強ができるのも。
いじめっ子がたとえ男の子だろうと何人だろうと、無表情で返り討ちにするのも。上級生相手でも、いけないことはハッキリ注意するのも。
全部全部、違ったのだ。
勉強も運動もできなくて、4年生になってもよく男の子からいじめられるような私とは、何もかも違った。さらに私は気も弱いものだから、ドッヂボールではいつも真っ先にメガネのある顔を狙われていた。そして、いつも笑って言われるのだ。「ぐずだなぁ!」、と。
「あら、あなた達は随分鈍臭いのね」
1度も相手にボールを与えず男の子達全員をコートの外に出したはづきちゃんは、顔を赤くした男の子達に無表情でそう言った。そして、私の方へ歩いてきて、持っていたボールを渡してくれた。4年生になって初めて、はづきちゃんと同じクラスになった。
「目を瞑るから当たるのよ」
「.......あ、あの、はづきちゃ」
「投げてみたらどうかしら? 背中を向けて逃げている子が狙い目よ。足元に投げるといいわ」
「そ、そんな.......できないよ。可哀想だもん」
「スポーツに可哀想もなにも無いわ」
はづきちゃんはそのままスタスタコートの奥へ行ってしまった。
それから、私は体育が好きになった。
「はづきちゃん、5年生もクラス一緒だね!」
「ええ」
5年生になって、気づいたことがある。はづきちゃんは無表情だけど、割と感情豊かだ。ちょっとずつだけど、あまり動かない表情の後ろにある気持ちが分かるようになった気がする。
たぶんはづきちゃんは、曲がったことが大嫌いで、はづきちゃんにちょっかいを出す男の子も嫌いで、うじうじしている私も好きじゃなくて、でも私と宿題をやるのは好きで、夕方手を繋いで一緒に帰るのは大好きなのだ。
「ねえはづきちゃん、どうして夜が怖いの?」
今日はちょっぴり遊びすぎて、もう日が沈みかけていた。空に、少しだけ夜の色が混じってきていた。
「.......私、そんなこと言ったかしら?」
「だって、いつも早く帰ろって言うから」
さっきから少し落ち着きがなかったはづきちゃんは、キュッと唇を噛んだ。それから、見たこともないぐらい不安そうな顔で、私の手をしっかりと握りながら。
「.......お化けが、出るからよ」
私は、本当に驚いてしまって何も言えなかった。はづきちゃんが初めて見せた泣きそうな顔にも、あのはづきちゃんがまだお化けを信じているのも、全てに驚いた。だから。
私は、はづきちゃんと繋いでいた手を離して、自分のランドセルの肩紐に手をやった。
あの時、なんで手を離してしまったのか、今でも後悔する時がある。あのはづきちゃんがあんな顔をしたのに。助けて貰ったのに。
なんで、私は手を離してしまったのか。
「はづきちゃん、お化けなんていないよ。サンタさんと一緒だよ。ママ達が、私達を怖がらせるために嘘ついてるんだよ」
お化けに攫われちゃうから、夜にあの砂浜から海を見ちゃいけないよ。これはここら辺では有名な話だった。私も小さい頃は信じていたが、大きくなってからはもう嘘だと分かっている。要は潮の流れが速くて危ないから近寄るなということだろう。
「.......いるのよ」
「はづきちゃん、5年生でお化けなんて信じてる子、いないよ」
あの時のはづきちゃんは、表情は動かなかったけど。きっと、ひどく傷ついていた。
子供な私は、私のヒーローであるはづきちゃんがお化けなんて子供っぽいものを怖がるのが許せなかったのだ。はづきちゃんは、なんでもできる負け無しの最強ヒーロー。そんなことを、思っていたのだろう。
「.......そう」
「それよりはづきちゃん、日曜日の夏祭り一緒に行こうよ」
「.......ええ」
そのまま、私達ははづきちゃんの家の前でバイバイした。
私の家はあと10分も歩かない所にある。毎日歩いている通学路を、いつも通り歩いていると。
「
はづきちゃんの叫び声がした。あれ、何か忘れ物をしたのかな、と思って。
声の方を、振り返った。
「え?」
空から落ちてきた木材は、ぼぎ、と嫌な音を立てながら私の上に落ちてきた。いや、嫌な音を立てた私の上に、落ちてきた。
「双葉ちゃん! 双葉ちゃん!」
そこからは、よく覚えていない。気がついたら病院で、腕の骨が折れてメガネが割れていた。それ以外はかすり傷ぐらいしかなく、たった何日かの入院で済んだのは奇跡だと言われた。
突風により工事現場から飛んできた角材にぶつかって傷も残らないなんて、運が良かったね、と。
でもはづきちゃんは、お見舞いに来てくれなかった。
「.......はづきちゃん」
「.......」
1週間ぶりに学校で会ったはづきちゃんは、いつも通りの無表情だった。いや、違う。無表情は無表情でも、本当になんの感情もない、無表情だった。
「はづきちゃん、ごめんね。あのね、私全然大丈夫でね」
「.......私、お化けはいると思うわ」
「え?」
口を開いても、全く、なんの表情も浮かべていないはづきちゃんに、私は少しだけ怖くなった。
「はづきちゃん、お化けは」
「私、やることができたの。失礼するわ、
はづきちゃんは、私のことを双葉ちゃんと呼ぶ。少し前に名前が似てるね、って、名前まで仲良しみたいだねって、言ったらちょっと笑ってくれて、それから名前で、呼んでくれたのに。
「はづきちゃん!」
「夜は気をつけた方がいいわ」
それから。
はづきちゃんは、遊んでくれなくなった。夜が怖いはずなのに、遅くまで図書館にいて1人で帰っていた。ママは、はづきちゃんは私が怪我をした時を見ていたから、びっくりしちゃったのよ、と言っていたが。
絶対、違う。
はづきちゃんと仲直りできないまま、私達は小学校を卒業した。
中学校も同じ学校だったのに、全く会話は無かった。中学生になってさらに綺麗になったはづきちゃんは、男の子からはアイドルのように扱われ、一部の女の子からは嫉妬され、残りの女の子からは神様のように扱われた。
全国模試では1桁の順位だし、陸上部じゃないのに県大会の記録を塗り替えたし、相変わらず弱い者いじめをみたら相手が誰でも返り討ちにしていたし。自転車のひったくり犯を走って捕まえるし、迷子の子供と腰を痛めたお婆さんを同時に背負って交番に行くし。はづきちゃんは、はづきちゃんだった。
「.......はづきちゃん」
中学の卒業式に、なっていた。式が終わったついさっき、口を滑らせた先生からはづきちゃんが遠くの高校へ行くことを聞いた。
「なにかしら、渡辺さん」
「ど、どこの高校、いくの?」
「八鏡高校よ」
聞いたことも無かった。膝が震えた。卒業アルバムを握りしめた両腕も、ぶるぶる震えていた。
最後のページの寄せ書き、沢山書いてもらえたの。小学校の時より、沢山書いてもらえたの。はづきちゃんのおかげでスポーツが好きになって、バスケ部に入ったから、友達ができたの。はづきちゃんのおかげで、友達に自分の意見を言えて、喧嘩しても仲直りできたの。
「あ、あ、の」
喉がしまって、声が出なかった。この3年、ずっと同じ無表情のはづきちゃんは、今もその無表情で黙って私を見ていた。
あの頃の、ちょっと楽しそうな無表情も、気まずそうに視線をずらす無表情も、たまに本当に嬉しそうに笑う笑顔も。もうずっと、見ていなかった。
「.......元気、でね」
「ええ」
寄せ書き、書かせて。連絡先、教えて。仲直り、させて。
ありがとうって、言わせて。
「.......はづきちゃん!」
いつの間にか下がっていた顔を上げれば、もうそこにはづきちゃんはいなかった。
桜の開花が、ひどく早い年だった。
飛ぶように過ぎたはづきちゃんがいない高校生活は、最低なことに、楽しかった。
「ねえ」
保育士になるための専門学校からの帰り道。ゴミ箱にハマりながら笑顔で迷子になったと言う見知らぬ着物の男性を交番に送り届けて、少し遅くなっていた時だった。目の前に、女の子が立っていた。
「私、ずっと言いたかったことがあるの」
相変わらず凛と、澄んだ声だった。
相変わらず整った顔は小さく、手足は長いしスラリと細い。前より長い黒髪は潮風に揺れて、くびれた腰に張り付いていた。
「.......また双葉ちゃんって、呼んでいいかしら?」
ちょっぴり耳が赤くて、上目遣いで。
見たこともないぐらい、表情豊かな女の子が、そこにいた。
ーーーーーーー
葉月は、いつもは表情少なめですが感情がある一定のラインを超えると途端に爆発するタイプ。泣くのも怒るのも、照れるのも一定ラインを超えると一気にオーバーリアクションになります。そして意外とそのラインは低いです。
和臣と出会ってから、表情豊かになってきたはづきちゃん。(ゆかりんのことを町田さん呼びなのは年上だから一応気遣ってるだけです)
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