呪歌

 


「『呪い』だって、言ったじゃない!!」



 視界の端に見える花田さん達3人の目が見開かれた。あまりの言葉の重さに、あまりに異質な部屋の空気に。


 あまりに残酷で唐突な人生の幕引きに、皆気づいてしまったのだ。


「.......じょ、冗談! 冗談やめてよ葉月! ね、七条和臣! 笑えないわよね!? 全然面白く無いわよね!?」


 ゆかりんの必死な声にも、なんの言葉も返せない。ぱたり、と俺の頬を伝って雫が畳の上に落ちた。それを見て、全員ひっ、と短く息を吸う。


 俺は決して泣いていない。


 零れた雫は、何度繰り返しても同じ答えに辿りついてしまう思考に、溢れて止まない冷や汗だ。


「.......嘘でしょ? ね、嘘よね? その子供も、ただのドッキリよね? .......ねえ!! 答えてよっ!!」


 部屋の中央。畳にべっとりと赤黒い何かで描かれた術式。先程腐った座敷わらしにスイッチを入れられたそれは、今も禍々しく、狂気的に働いていた。


「.......この世には」


 じうじう音がする。触れた素肌から、腐り落ちた指環から。

 その音に負けそうなほど細い声が、自分の喉から出た。4人が黙り込み、息を詰めて俺を見ていた。


「.......『呪い』というものが、ある」



 この世には、『呪い』というものがある。

 ここで言う『呪い』とは、一種の法則、術式のことであり、現在ではその使用どころか、知識の入手すら固く禁じられている。


 しかし、今俺達の目の前で働く術式は、確実に『呪い』であった。


 俺達が現在使う術と、『呪い』には明確な違いがある。


 現代の術者が使う術は、人が妖怪や霊を退治するためのもの。

 一方『呪い』とは。

 人が、人を害する為だけに、作られたもの。



 この世には、『呪い』というものがある。



 たとえどんな術式でも、動かすには力の流れと、それを起こす原動力がいる。

 現代の術者は、言わば術式に霊力を流すための外付けエンジンだ。術者自体が、術のエンジン、心臓部なのだ。

 しかし、『呪い』のエンジンは術者ではない。エンジンは『呪い』の術式、仕組みの中に、既に組み込まれている。術者がやるのはただスイッチを入れるだけ。

 呪いは、術者の霊力で動くのではない。


 殺した、奪った命をエンジンに。


 術者から独立した別の命の原動力で、人を殺すのだ。奪った命の規模により、動かせる術式の規模が決まる。虫1匹を殺して使える『呪い』と、「人」を殺して使える『呪い』では、人を害す規模が違う。


 以前、変態からこの事を聞かされた。耳を塞ぎたくなるような、おぞましい話を。自らそれを使ってみせた男が、ヘラヘラと口にしたのだ。

 そして、怯える俺に奴はこう言った。


 ――はははぁ! 和臣くん、忘れちゃいけないよ! この世には、『呪い』というものがあるのさ!


 そう、言ったのだ。


「.......現代の術者に、『呪い』の解除は不可能だ」


 誰の顔も見れなかった。みんな、黙ってじうじう腐っていく俺を見ている。腐った座敷わらしは、今はもう大人しく俺に抱かれていた。本来は人に友好的で、愛らしいはずの座敷わらしが腐るほど、どうしようもなく穢れてしまうほど、この場は人の命で汚れている。

 しかも、『呪い』のスイッチを入れさせるためか家の利益のためか、こんな場所に、長い間逃げられないよう無理やり縛り付けて。


「.......ごめんな」


『うん。ちゃんと殺すね。だから出してね。ちゃんと数字の人間を殺すから、もう出してね』


 腐ったおかっぱ頭を、腐った手で撫でた。

 目の前の術の規模は、恐らく異常だ。一体どれほどの命が使われているのかすら想像できない。

 ただ。俺が何をどう足掻いても、この場の5人を殺して有り余る規模であるということは、どうしようもなく分かってしまった。

 もうスイッチは入れられてしまった。たとえこの場から逃げようが、目の前に書かれた術を消そうが関係ない。俺達は既に、『呪い』にかかっている。正確に、的確に処理をしない限り、『呪い』は解けない。もう暫くすれば、全員死ぬだろう。


「.......俺達じゃ、どうしようもないんだ」


「嘘よ。あなた、文化祭の時握りつぶしてたじゃない」


「なっ!? 本当ですか!? 隊長!!」


 花田さんがばっとこちらを見た。ゆかりんと花田さんも。やめてくれ、期待しないでくれ。結果は分かっているのに、どうせ絶望するのに、俺に希望を重ねないでくれ。


「.......あれは、札を剥がした時点で無効になるよう変態が作ったものだ。それに、そもそもの原動力がこれとは違うんだよ」


 あれは、変態が変態自身の命を使って動かした『呪い』だ。殺しても死なないアイツが新しく作った、酷く自己完結した新しい術式だ。


「大丈夫よ! 絶対、絶対大丈夫だわ! あなたがやらないなら私がやるから、教えて? お願い、和臣お願い」


「無理だ。現代の術者には呪いの解除も、呪い返しも不可能だ」


「あなたの弟子ができるって言ってるのよ!? お師匠さんが諦めてどうするのよ! 大丈夫、こんなの余裕よ!」


「現代の術者じゃ無理なんだよ。術も知識も霊力もその扱いのセンスも。全部足りないんだ、陰陽師のようにはいかない」


 投げやりに言って、腰からランプを取った。ガラスにへばりついているトカゲを見て。

 思い切り、ランプごと放り投げた。

 がしゃん、と隣の部屋の奥で音がして、いつも明るく輝く金のランプは見えなくなった。トカゲは人では無いので呪いにはかかっていない。だが、この場にあの炎を置いておくのは嫌だった。全てが終わった後、ここへ来た優しい誰かに拾われることを願った。


 ゆかりんと中田さんが泣いている。花田さんは、片手で頭を押さえ座り込んでいた。

 ずっと無理して笑っていた葉月は。


「.......私、勉強したのよ。星も、神様も、あなたが前に言った私達に足りない知識、勉強したのよ!」


 怒って、怒鳴って。


「それに!! 私、霊力の扱いには自信があるの!!」


 光る瞳で、腐った俺の胸ぐらを、掴みあげた。じうじうと、葉月の白い指から音がする。またべしゃりと動き出した座敷わらしの首が、ぎこちなく葉月を見あげた。


「いい加減何か言いなさいよ!! ばかずおみ!!」


「.......」


 霊力。呪い。知識。陰陽師。今の術者ではもう手が届かないと、失ってしまったと思っていたそれら。


 ヘラヘラ笑う、ムカつく程大きな白い背中が、脳裏をかすめた。


「.......葉月じゃ、霊力が足りないよ」


 腐った俺は、今まで伏せていた目で。


「何とかするわよ!! 舐めないでちょうだい!!」


「.......前に足りない知識は星と神様って言ったけど、本当はもう1つ足りないんだ。陰陽師は星とかの正の知識と、『呪い』に関する負の知識、両方揃えなきゃいけない。でも、今は誰もそんなこと出来ない。禁止されてるからな」


「何とかするって言ってるでしょ!? 大体のことは、力を込めてやれば解決するのよ!!」


 見据えた。まっすぐ、ただ真っ直ぐに。

 葉月を。花田さんを、ゆかりんを、中田さんを。


 立ち上がって、笑って、胸を張って、足を肩幅に開いて。


 最高のハッピーエンドを、見据えた。


「.......とんでもない理屈だな。根性論かよ」


 暴れる座敷わらしを、押さえながら。


「お弟子さん。あなたに足りないものは、霊力と負の知識.......いわゆる『呪い』の知識です」


 花田さんに、笑って目配せした。ぽかんとしたゆかりんに、おどけたように眉を上げて見せる。中田さんには、ウィンクをお見舞いしておいた。


「そして、俺に足りないのは、霊力の扱いのセンスと正の知識です。バカなんですよ、あなたの師匠は」


「.......何が言いたいの?」


 ざっと頭を下げた。腐る座敷わらしに噛みつかれながら、最大限の敬意を持って。


「不出来な師匠に、力を貸して頂けませんか?」


 俺の最高の弟子に、助けを乞うた。


 葉月の目が見開かれる。頭を下げた俺を、全員が動きもせず見ていた。


「ちょっとすいません。3人で、ちょっとだけこの座敷わらしを相手してもらっていいですか? 終わったらすぐ、水場に連れていくので」


「.......隊長、それは」


「この相手はちょっと大変だと思いますけど、頼ってもいいですか? ちなみにこのままだと俺は呪い殺される前に腐って死にます」


「.......おまかせください! 隊長、今すぐそれをこちらに!」


「気をつけてお願いします!」


 無理やり腕に噛み付いている座敷わらしを引き剥がし、花田さん達の方へ向けて下に下ろした。ずりずりと、腐ったそれはすぐにそちらへ向かって動き始める。

 さて。呪い殺されるまで、あと数分。恐らく呪いにより弱って動けなるなるのはもっと早い。ふざけた態度で時間を無駄にした分、急がなければ。


「葉月、いいか? 右手上げて、そのまま霊力を流しておいてくれ。何があっても、流し続けてくれよ」


「わ、わかったわ」


 葉月が右手を上げて、霊力を流す。ただ流しているのではない。もっと複雑に、緻密に、正確に。現在の術には全く不必要な、鋭すぎるセンス。そして、現代の術者が失ったそれでしか辿り着けない陰陽師が使う複雑な力の流れを、葉月1人で作り上げている。

 後ろからゆかりんの、「だーーーっ!! やってやろうじゃないのーー!!」という叫びと、がんっと地団駄を踏む音が聞こえた。その後に、花田さんと中田さんの術を叫ぶ声も。


「ふーー.......」


 無理かもしれない。馬鹿げているかもしれない。変態だって、こんなことができるなど言ったことは無かった。


 だから、研ぎ澄ませ。失敗は許されない。

 俺が全て掌握し、管理しろ。のだ。

 無理矢理にでも、道理を超えてでも、やり通せ。


 もっと遠く、もっと高く、もっと深く、もっと近くに。もっと強く、もっと烈しく、もっと静かに、もっと優しく。

 目指す場所は、あの背中。白くムカつく、あの背中。


 躊躇うな。

 超えろ、絶対的な境界を。帰り道など知らなくていい。後先など考える必要もない。


 握れ。

 この手で、触れたことのない境界を、糸を。アイツが引かせた、線を。


 手繰り寄せろ。

 信じる糸の先の、成功を。



 静かな思考の中、腐った臭いのする手を上げた。そのまま、思い切り振りかぶって。


「へい、ぱっちーんっ!」


 葉月の手のひらに、自分の手のひらを打ち付けた。

 乾いた音が鳴って、合わさった手のひらで、俺の『呪い』の知識とありあまる霊力が、葉月の知識と霊力の流れに合わさる。いや、合わせる。葉月が流す霊力の流れを壊さぬよう霊力を上乗せながら、いつもよりもっと高い位置から、今だけ許される絶対的なワガママを通して、糸を紡ぐように、合わさるはずのない他人の知識同士を絡めて。


 いつか見た、理解の外にいる陰陽師の術式が。いや、それよりもっと高い場所にある術式が。


 動いた。


 そして。

 俺は、葉月に手を引かれて、戻ってくる。


「.......え?」


 気の抜けた葉月の声。部屋の床の上で、注ぎ込まれたエネルギーを使うことなく働きを止めた術式。自分達にかけられていた『呪い』は、しっかりと解かれていた。


「な、何よ今の? 今ので、終わったの?」


「うん。さすが、俺の弟子だ。最高だよ」


 零れた笑みをそのままに、後ろのみんなを振り返ろうとして。


 ガクンっ、と。


 抜ける力と揺さぶられるような不快感に、倒れ込んだ。


「な.......!?」


 目線だけ動かせば、葉月も花田さんもゆかりんも中田さんも、倒れて気を失っていた。

 なぜだ、なぜ『呪い』が消えていない。目の前の術式は、きちんと解いたはずなのに。


『殺さなきゃね。七、来た、から殺さなきゃね。殺したら、出ていいからね』


 腐った座敷わらし。

 その、腐った着物に包まれていた背中が見えた。小さな子供の背中には、小さな、それでもこの場の人間を全員殺すのには十分な、『呪い』の式が。彫られていた。


「は.......」


 なんて執念。なんて周到。なんて醜悪。なんて忌むべき行為と心。


「.......く、そ.......」


 葉月が気を失った今、もう『呪い』相手に打つ手はない。

 俺は、霊力が多くみんなより『呪い』に対して少しだけ耐性が強い。

 だから。

 俺はこのまま、大切な、大好きな人達が死んで行くのを、見つめて死ぬのか。


 これは、なんて。







「...............................死霊を、切りて」




 隣の部屋の入り口が、すぱんと真っ二つになった。その向こうから、鋭い目の男がやってくる。


「.....................................放てよ、梓弓」


 腰に、輝く刀を下げてやってくる。


「.....................................引き取り給え」


 金の装飾だった。銀の意匠があった。翡翠が鞘に輝いていた。祭儀用の刀のように凝った装飾に、それでいて確かな「武器」としての存在感を持った刀だった。

 鋭い目の男は、美しい深紅の糸が巻かれた柄に、恐ろしいほど無駄を切り詰めた動きで手を伸ばし。


「...................経の文字」


 カッ、と目を開いた。見たことのないような、猛々しい、雄々しい表情で。確かに歯を食いしばり、爛々と見開いた瞳を輝かせ、全身の力を乗せて。





「――――【ざん】」




 遅れてやってきた踏み込みの音が聞こえる頃には、“呪いを斬る”一条の宝刀に『呪い』を断ち切られた座敷わらしが、可愛らしい瞳を瞬かせ、ごろりと床に転がった。

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