異臭

 仕事着に着替えた女子達が俺達の泊まる部屋に集まったのは、呼び出してからそれほど時間が経っていない頃だった。


「こんな時間にすみません。さっき、廊下で人以外の声を聞きました。今からその正体を探しに行きます。声は言葉になっていたので、全員注意してください」


「「「了解」」」


「二手に別れましょう。私と水瀬さん、隊長と中田と町田さんで、それぞれ旅館を端から隈無く探していくのが良いかと」


「それでお願いします。1度は総能の調査で何も見つからなかったらしいので、少し細かく確認を」


 そのまま、ゆかりんと中田さんと一緒に宿の端からじっくり妖怪を探し始めた。音に耳をすませ、襖の隙間を見逃さず、大量に放った式神からも異常なしの報告を受ける。


「.......七条和臣。なんも無いけど、あんたはどこで声を聞いたのよ」


「ごめん、わかんないんだ。女将さんに聞くけば分かるだろうけど.......」


 なんだか胸がドキドキとうるさい。嫌な汗が滲んでくる。

 なんだ、この焦燥感は。俺は一体何を焦っている? なんでこんなにも息が詰まるんだ。


「和臣隊長、もう宿の半分は見て回りました。次の部屋が終われば、部長達と合流します」


「.......そうですか」


 なんで何も出ないんだ。おかしい、俺は確実に声を聞いた。この宿には、絶対に人を呼ぶ何かがいる。

 最後の部屋に入り、それこそ血眼になって異変を探す。埃っぽく、物だらけのそこからも手掛かり1つ見つからない。諦めて外に出ようとして。


『.......こい』


「「「っ!?」」」


 聞こえた。中田さんもゆかりんも聞こえたのか、札を構えて腰を落とした。


『来い、来い』


 やはり、小さな女の子の声だ。それこそ、座敷わらしと言った様子の。


『来い、来い』


 部屋の奥の壁から、声がする。隣の部屋か。走って部屋から出ようと、体の向きを変えた時。


「ちょ、ちょっと隊長! 壁! 壁が!」


「幻覚の類い術でしょうか? 見たことのない精度ですね。目視以外では確認できませんでした」


 2人の目線通り後ろの壁を振り返ると、そこには壁ではなく襖が。なんだか黄ばんだような古い襖が、壁に成り代わってそこにあった。


「は.......!? 俺、今気が付かなかった!?」


 俺を欺くほどの術。解かれても何も感じない程の精度で組み上げられたこれは、一体誰が。なんのために。


『来い、来い』


 黄ばんだ襖の奥から、声がする。中田さんとゆかりんを少し下がらせ、札を握りながらじりじりと襖を開けるために手を伸ばす。酷く暗い色をした引き手に、手がかかる前に。


「「「っ!!」」」


 バンッ!! っと、襖が勢い良く勝手に開け放たれた。それ自体にも驚いたが、より驚いたのは襖の向こう側。なんだか空気がおかしな一部屋をはさんだ向こう側には、驚いた顔の花田さんと葉月が立っていた。

 つまり、今襖が開け放たれたことにより、3つの部屋の壁をぶち抜いたような形になっているのか。女将さんが柱があると言った壁の向こう側には、もう一室部屋があったのだ。


『来い、来い』


 その部屋の真ん中に。にっこり笑ったおかっぱ頭の女の子が、ちょこんと座っていた。後ろで2人がほっとため息をついた。向かいの花田さんも、微笑ましそうにそのにっこり笑った小さな女の子.......家に福を呼ぶと言う、座敷わらしを見ている。


 ただ。花田さんの隣にいる葉月の顔が、一気に恐怖で染まるのを見て。


 あぁ、と。俺の中で、絶望にも似た何か暗い感情が、弾けた。



『.......来たぁ』



 にっこり笑った女の子の目が開く。

 そこにあったのは、人を遊びに誘いたいとうずうずしている輝く瞳では無い。


 瞼の奥には、赤黒い空洞。


 両の眼窩から血の涙を流し、体中から腐ったにおいを撒き散らし。


 は、ニタリと口を引き上げた。


 驚愕に、過去の恐怖に、現在の嫌悪に動けなる俺達をよそに。


『.......あは、ハははハハは!』


 かつては家に富を運ぶ妖怪であったはずの腐った子供は、立ち上がって部屋の中央に進み出た。途中でぐしゃりと足が崩れるも、ずるりと這って中央へと手を伸ばす。崩れた足には、錆びた鎖が繋がっていた。

 そこで、俺は弾かれたように走り出した。


『ぎぬらだ。だやじづどが』


「ああああああっ!!!」


 間に合わない。どうやったって間に合わない。

 腐った子供がのスイッチを入れるのを、誰一人止められない。


 それでも腐った子供に思い切り飛びついて、腕の中に抱きしめた。きつくきつく、じうじう腐る音がしても構わずに。腰につけたランプから、じわりと温かさを感じた。


「.......た、隊長!」


「わ、わ.......!」


 完全にテンパっている花田さんとゆかりんに、黙りこくった葉月と中田さん。しかし、葉月だけは口を開かない理由が異なっていた。


「.......か、和臣」


「.......」


 じうじうと、腐った臭いがする。俺の肩を、腐った小さな口で噛みちぎろうとする子供から。それに触れた俺から。


『がぎぬだ。きるたれ。きぢた。きた。来た来た来た来た来た。やっと来た。七が来た』


 殺意。本来、この子供が持つことは無いであろう明確なそれを俺に向け、歓喜に血の涙を流す腐った座敷わらし。葉月は、3人が全ての意識を引き付けられているそれに目もくれていなかった。


『これで出られる。殺せば出られる。やっと出られる』


「和臣っ!!!」


「.......」


 葉月の金切り声にも、何も言えない。泣きそうな弟子の声に、俺は答えられなかった。

 それでも、葉月は構わず続けた。

 人一倍敏感な葉月は、適切にこの部屋にある何かを感じ取っていた。


「こ、これ.......! この、部屋の術! い、今.......動き出したこれって!」


 興奮か、恐怖かで震えるその形のいい唇から、怯えか、不安かで震える声が出る。疑問と確信を抱いた瞳が、震えずまっすぐに俺を見て。


「前の時より、もっと大きくて、嫌な感じがするけど.......! あなたが、これ、まるで自力で動くみたいな、これは、」


 強く抱きしめるほどに動きを鈍くする腐った子供を、より強く抱いた。






「『呪い』だって、言ったじゃない!!」


 この部屋は。酷く、濁った匂いがした。

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