定説
「浅草上空で雷獣が多数確認されました! どうか応援を!」
水を差し出していた葉月の眉が寄る。俺は。
「なぜ俺に応援を?」
びくりと震えた管理部の男性に、俺の言葉に驚いたような葉月。しかし、俺にも知る権利ぐらいあると思う。
なぜなら、俺は雷獣退治にとことん向かないからだ。
雷獣とは。
空に住む妖怪だ。その姿は犬や猫ほどの大きさで、後ろ足が4本ある合計6本足の妖怪。落雷と共に落ちてきて、人や物を傷つける。なので、雷獣が見つかった時には空から地上に落とさないように退治しなければならない。地上に落とした時点で、術者の負けなのだ。
さらには雷獣自体が雷のように電気を帯びているとかで、俺の糸で縛ろうものなら俺が感電する。接触禁止だ。
よって空中で正確に狙いをつけて行われる雷獣退治は、弓の四条の十八番なのだ。
東京は第四隊の宿舎も近いはずだし、俺が呼ばれる理由がない。応援の頼みも、どうも自殺してこいという依頼に聞こえてしまう。
「ただ今、悪天候により交通機関が麻痺しております! 第四隊、四条家の術者の到着に大幅な遅れが出ています! 我々東京管理部職員では、手が足りません! ですので、無理を承知でお願い申し上げます!」
「四条隊長が来られないのか.......。あれ、そう言えばなぜ俺が東京にいると?」
一応人払いをして、上の服を脱いで管理部の着物を羽織る。ズボンは上手く隠しながら脱いで、きっちりと少し大きい着物を着た。そのまま札を胸元に突っ込んで、指環と手袋をはめる。耳を赤くした葉月には強めに殴られた。だって今以外着替えるタイミングないじゃないですか。
「管理部の、サラマンダーの動向記録からです! 秋葉原中に式神と職員を走らせ、七条特別隊隊長を探しておりました!」
それはご苦労なことだが、いい加減隊長呼びやめてくれないかな。一種の精神攻撃だろそれ。わざとか、わざとなのか東京管理部。水原さんを見習ってくれ。仕事は丸投げだがのんびりしてていい人だぞ。
「迎えの車が来ました! どうか、お願い致します!」
「もちろん、任せてください。葉月、ここで待って.......」
東京のど真ん中に、葉月1人、置いて行く。ホストやゲス社長が蔓延る、このコンクリートジャングルに、俺の彼女を。
「嫌よ、一緒に行くわ」
「当たり前だ! こんな所に1人にできるか!」
「あなたの頭の中はどうなってるのよ」
葉月の手を取り建物の入り口に止まった車に乗り込む。助手席に先程の東京管理部の人が乗った瞬間、車が走り出した。
しかし。
「申し訳ありません! 道が完全に詰まりました!」
「了解です」
鞄の奥に、タオルを厳重に詰めて濡れないようランプを置く。濡れると困るゆかりんのDVDは車に置かせてもらう。
そして、目を開けていられないほどの雨風の外へ、車のドアを開けた。
「走って行きましょう! 案内お願いします!」
「はい!」
風で声がかき消されるため、お互い大声で叫んでから走り出した。せっかくの葉月の新しい服はまたずぶ濡れだし、また体が冷えてしまう。そして東京管理部の人足速いな。既に息があがってきた。
「和臣、もっとちゃんと息をしなさい。こんな距離でへばってちゃたどり着けないわよ」
「ま、マジで?」
「約4キロのマラソンね。ウォーミングアップにはちょうどいいペースだわ」
あ、死んだな。このペースで4キロ、完全に俺の限界を超えてる。
「疲れたらおぶってあげるから安心しなさい」
「それは、嫌だ!」
全力で走った。
バケツをひっくり返したような雨のなか、陸で溺れるように息を吸いながら走った。手足の感覚が鈍くなって、口の中に鉄の味が滲んでも走った。だって隣で自分の彼女が顔色ひとつ変えず走ってるから。
テレビでよく見る雷門の前にたどり着いた瞬間、俺は雨が勢い良く流れる道路に顔面からスライディングした。すみません5分待って。死ぬから。雷獣の前にマラソンで死ぬから。ズキンズキンと、頭の血管が悲鳴をあげていた。
「和臣! 走ったらゆっくり歩いて止まりなさい!」
「.......」
息をする事に必死で、目を開ける余裕も返事をする余裕も無い。手足が鉛のように動かない。心臓が痛い。それでも頭にだけは血が巡っている感覚だけがハッキリしていた。
「し、七条特別隊隊長! お願いします! もういつ落雷と共に雷獣が落ちてきてもおかしくありません!」
どくどくと頭を回る血液に、自分の奥深いところで。
ずっと考えていた、問題の。
答えが、出た。
「七条特別隊隊長!」
目を閉じたままなんとか仰向けになって、感覚が鈍い手で印を結んだ。腕がどうしても上げられなくて苦労していると、いきなり手首を掴まれ空に向けられた。なんとか片目を開けてみれば、俺のリュックを濡れないよう抱えた葉月が俺の手首を掴んでいた。
雷獣は、地に落ちた時点で俺達の負けだ。
電気を帯びているため、糸で触れても負けだ。
なら、糸を使わず落とさないようにすればいい。
「はぁっ、よ、ゆー.......はぁ、だな!」
立ち上がれないし胸も張れないが、弟子の前なので格好はつけさせてもらう。
俺の術には個性がない。
葉月のように効率よく霊力を流せる訳でもないし、ハルのように変わり種の術を作ったりも出来ない。他の隊長達のように攻撃特化にしたり、壁の強度にこだわったりすることも無い。
こだわりも個性も無い、相手から読みやすい教科書通りの俺の術。
ずっと、教科書を見てきた。
ずっと、教科書の通り術を使ってきた。
基礎が大事だからと、どんな術でも婆ちゃんは丁寧に仕組みを教えてくれた。
ずっと、術者を辞めても教科書は見てきた。
先人達が作り上げた術式、術のルールに、少しも逆らうことなく、ズレなく従ってきた。
個性なんて出せなくて、頭も良くないから教科書を疑ったことなんてなくて。
ずっと、教科書にあるルールが1番だと思っていた。
ずっと、ずっとずっとずっと。教科書通りに。
だから。
「【
これからも、教科書通りに。
見える限りの空、黒い雲の下一面に。
三角形の壁を、隙間なく横に並べて。
教科書のルールに従って、でも教科書に書かれた上限を超えて。
1万枚の、壁を張った。
「そ、即興.......!? なんて規模だ! ばんかってなんだ!? どんな字を当ててるんだ!?」
空を見上げ狼狽える東京管理部の人。即興だなんてとんでもない。これは、いつもの術、いつもの術式だ。
「.......上限も千も、飛んだじゃない」
苦々しい表情の葉月。さすが俺の弟子。理解が早い。
「.......」
霊力がすっからかんで、気分が悪い。息は上がったままだし、手足の感覚はまだ鈍い。だが。
「.......はは!」
見上げれば見える、自分が張った壁。今までにない規模。理論上できるとされていても、誰もやらなかった、いや、実際には実現出来なかった1万枚。
壁のところどころが雑で気に食わない点はあるが、まあ。
「デカ.......!」
大きいので、良しとする。
一瞬白く染まる視界に、全てを揺らす雷鳴。それとともに、俺が張った壁の上に何かが落ちてきた。小さな獣が、広大な壁の足場の上に。地上に降りることなく、何も害することなく。
「は、はは! ハル、ハル見て! 教科書通り! 教科書通りだけど、教科書には書いてないぞ! ははは!」
吐きそうになりながら笑う。
ハルはなんて言うかな。まだ分かりやすいとダメ出しされるだろうか。こんなの個性じゃないと言われるだろうか。
でも、今はいい。
楽しいから、それでいい。
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