伝送

 

『返さない』


 いきなり現れた白い子供が、にこりともせず俺を見ていた。


「さっきまで笑ってたじゃん。そんな顔すんなよ」


『和臣』


 無表情の白い子供がいきなり、ずいっと目玉が触れるような距離に近づいてくる。


『.......遅い』


 低く怒りに震えた声に、首を絞められる。あまりの怒りに、呼吸音も心臓の音すらも止められる。外せない視線の中。


『和臣』


 首を舐められる。首筋に歯を立てられる。

 それでも、一切動けない。ただされるがままに、その行為を受け入れるしかない。


『気に食わない、お前すらも。.......お前、また外へ行く気か? お前はずっとここにいろ。死ぬまでずっと、死んでからもずっと』


 ゆっくりと小さな片手が首から離れて、そっと俺の頬に当てられる。優しく、慈しむように撫でたのは一瞬。白い子供は、一切の表情の変化もなくいきなりがっと指と爪を立てて、頬の肉を引きちぎるように力を入れる。

 ぼとぼとと、小鳥が空から落ちてきた。風など一切吹いていないのに、どこかで木が倒れる音がした。


『愛でてやろう。囲ってやろう。.......お前は、死んだ後も愛いに違いない』


 小さな口が、俺の目の前でぱかりと開いた。そのまま、思い切り頬に噛みつかれる。白く小さな両手に無理やりこじ開けられた口から、これまた小さな舌が入ってきて、長い長い時間舐め回される。その間にも、服の中に手が入ってきてそこら中をまさぐられる。

 そして、小さな指が俺の目玉を。


『和臣』


「ぶはっ!!」


 息が通る。山の地面に倒れ込みながら、眼球を指の腹で強めに押された左目を押さえて咳き込んだ。死ぬ、死ぬと思う人は。

 腕に力が入らず、起き上がろうとしてがくっとまた地面に倒れた。


『和臣』


 返事なんてできるわけねぇだろ。呼吸で精一杯だこちとら。目玉痛いし、取れてないよねこれ。


『.......和臣!』


「げほっ.......」


『和臣』


「.......うん」


 急にぱっと笑顔になった子供は。


『やっと返事をしたな、私の和臣! 良い、良い! あんな格下の混ざり物に血をくれてやったことも、西へ物見に行くのも許してやろう!』


 俺の首に抱きついて、ぐりぐりと頭を押し付ける。そしてどさくさに紛れて舐められる。俺は飴じゃないんですけど。

 先程上から落ちてきた小鳥達が目を覚まし、フラフラと飛び去った。良かった、気絶してただけか。山に音が戻ってきた。


『だが』


 急に小さい子供が離れ、手を取られる。左手の薬指を、白い子供はそっと口に含んだ。べろりと舐められ、甘く噛まれる。上目遣いにも関わらず、もっと高いところから見下ろされていると感じるその瞳に見つめられる。


『鬼ごっこ、今度は見えるところでやれ。私の和臣だ、私が見ずにどうする? あそこは好かない。私達には、見えぬようになっている』


 それは。


『なぁ、和臣。お前は私の物だろう? 見せつけてやれ、私達全てに。この素晴らしくかなしい玩具は、私の物だと』


「.......もう鬼ごっこはしないと思うけど」


『する』


 ふわりと、その白い子供が微笑んだ。それが、あまりに無邪気で、美しかったので。


「いいよ。勝つ」


 きゃはっ、と笑い声をあげた白い子供が、俺の頬を撫でた後走り出そうとした。そこに慌てて声をかける。


「待って! これあげる」


 放り出した泥だらけの鞄から、沖縄の海の写真が表紙になっているノートを取り出した。使用済みだが、まあ表紙が綺麗だから大丈夫だろう。

 白い子供が嫌そうに顔をゆがめた。


『.......私は、和臣が塩辛い水たまりごときに目移りした事。許してはないぞ』


「水たまりって.......海はすごくデカいんだぞ? それにほら、綺麗だろこの写真」


 ノートを渡す。白い子供はじっとその表紙をのぞいて。


『ふん.......』


 俺の手からノートを受け取った。小さな手で大変そうにページをめくっている。いや、中身は俺の落書きとメモくらいしか書いてないから見なくていいのに。ただ表紙の写真はなにやら有名な写真家によるものらしいので、山にも海の良さを知ってもらおうと思っただけだ。


『.......和臣は私が好きか?』


「え? うん」


 ぴょんっと跳ねた子供は。


『許そう! 私の可愛い和臣!』


 きゃはは、と笑い声を響かせながら。白い子供は山の中へと消えていった。さすが海。怒った山も海のような広い心で許してくれたぞ。海行きたい。俺は今沖縄離島管理部の職員なのだし、沖縄旅行なら旅費が浮くのではないだろうか。


「うーみーはひろいーな」


 テンションが上がって軽く歌いながら山を降っていたら、上から結構な勢いでどんぐりが降ってきたので黙った。うるさいってか。ごめんなさいね。

 やっと山から出ると。


「あれ、父さーん! なんでいるのー?」


「.......」


 父が黙って近づいてきて、上から下まで俺のコートを手で払った後頭を撫でてきた。待っててくれたのかな。申し訳ない。


「.......何もされなかったか? 怪我はないな?」


「うん。それよりなんで俺が山にいるってわかったの?」


 歯型ぐらいは付けられたが治ったから無かったことになった。ノープロブレム。


「お前が朝帰りをメールしてきたから.......けど葉月ちゃんに連絡したらバスに乗って家に帰ったと言うから.......なら山しかない」


「いやぁ、気がついたら引きずられちゃって」


「お前は.......もう少し気をつけて歩きなさい。山はお前を殺さないが、もっと危機感を持ちなさい。相手は主だ、私達はもっと距離を保たなければならない」


 当主みたいなこと言うな父さん。本物の当主なんだけど。


「父さん、怒ってる?」


「.......はぁ。父さんはな、入れない山の外で待つのはもう懲り懲りだ。何度やっても心臓が持たない」


「前もやったの?」


「.......学生時代からよくやったよ。戻ってくるとは分かっているんだが、どうしてもな」


「ふぅん」


 当主は大変だな。対して俺。割と好き勝手やってるクズ次男。少し反省してきた。先代も嫌がるわけだ。


「あ、父さん。ふぁっくすってどうやるの? 家で出来るやつ?」


「お、お前FAX知らないのか.......!?」


「そんな重要なものなの.......!?」


 家に帰って、父にふぁっくすを教えてもらった。我が家の固定電話にあんな機能があるとは知ら無かった。やっぱり仕事用に固定電話買うか。


 水原さんに送った札は、1枚だけハルに書いてもらった。


 水原さんは、特に何も言ってこなかった。

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