内密

 兄貴と父に小言を言われながら、半泣きで廊下を進む。俺が急に仕切りだし、さらには動物の絵ばかりを描いていたことは謝ろう。うん、確実に俺が悪い。しかし、しかしだ。良く考えて欲しい。1対多数はいじめだろうが。いじめには堂々と立ち向かうぞ俺は。


「お前.......お前仕切るならせめて話を聞け! 絵に夢中になるな!」


「だって一条さんがメガネザルがいいって言うから! 難しいだろメガネザル!!」


「和臣.......ちゃんとしなさいそろそろ.......副隊長にだって愛想をつかされるぞ」


「それは嫌だああああああ!!」


 俺が絵を描いている間、立ち上がって俺の隣にいてくれた花田さんが文字を書いてくれた。花田さんは先程、笑いながら今回も肝が冷えました、と言って経理部の仕事へ戻っていった。本当にありがとうございますごめんなさい。


「と、特別隊隊長! 杉原管理部長よりおはなっ、わあ!!」


 目の前で人が盛大に転んだ時。しかもその人が持っていたお茶とお茶菓子を盛大にぶちまけた時。

 やけにゆっくりと流れる一瞬の間、人の思考は停止すると思う。というか停止した。え、何どうすればいいの。


「だ、大丈夫か!?」


「君、怪我はないか!?」


 俺が動けない間に、父と兄貴がその人を起こす。兄貴がハンカチで濡れた着物や足を拭いて、父は人を呼びにいった。


「も、申し訳ございません!! 七条様!! 第七隊隊長!!」


「火傷は? 捻ったりはないか?」


「申し訳ございません!!」


 よく見れば見覚えのある管理部の人、俺に羊羹をくれた彼女は、真っ青になって謝っていた。


「.......俺ってクズ?」


 何も動けなかった自分に泣けてきて、転がったお盆に割れた湯のみの破片を拾い集める。また羊羹が用意されていたことにも気づいて、余計に泣けてきた。こんなにいい人が大変だというのに俺はただ突っ立ってただけで。


「と、特別隊隊長! おやめください!」


「.......やらせてください。俺このままだと自己嫌悪で潰れそうなんで」


「で、ですが! し、七条の方にそんな! ゆ、指が、破片が!」


 もはや悲鳴のような声をあげ、顔色も悪くガタガタ震えている彼女に、兄貴が慌てはじめる。俺も慌てている。


「落ち着いて、大丈夫だから。和臣、破片はいいからじっとしてろ」


「わ、わかった。何もしない!」


 両手を広げ手のひらを見せ、両膝を床につけた。そのまま動かない。できるだけゆっくり呼吸して、天井のシミを数えることに集中した。シミ1つもないじゃないか。綺麗かよ総能。


「.......これはどういう状況なんだ?」


 それからすぐに人を連れてやってきた父は、泣きじゃくる管理部の人を慰める兄貴と、降伏の姿勢で天井を見ている俺を見て、頭を抱えていた。


 それからしばらく。


「ごめんなさいねん。この子、ちょーっとドジなところがあってん.......悪気はゼロなのよん」


「申し訳ございませんでした!」


「こちらこそなんかすいませんでした!」


 駆けつけた杉原さんの前で、羊羹の人とお互い土下座していた。兄貴と父は帰った。置いてかないでこの状況に。


「じ、辞職します!」


 震える両肩に、涙目で唇を噛んで。見ているこっちがハラハラする顔で、羊羹の人がそう言った。まって今辞めるって言った?


「辞めないで!! 辞めないでください俺の本部での癒しが!!」


「ちょっと牧原、勝手に辞められちゃ困るわよん! ウチはいつだって人手不足なのよん?」


「し、七条家に粗相を働いた私は.......私は!」


 ぶるぶる震えている。よく見れば、兄貴のハンカチを握りしめていた。


「待って待って待ってください!! 別に兄も父も怒ってないんで! むしろ心配してるんで! 俺は夏からずっと名前教えてもらおうと思ってて!」


「.......牧原 結まきはら ゆいと申します。五条家が門下で、本部勤務1年目の23歳独身京都府在住、口座番号は」


「「待て待て待て」」


 杉原さんが牧原さんの口をおさえる。なんでこの人そんなに個人情報言っちゃうの。なんで印鑑くれようとするの。俺をなんだと思ってるんだ。


「あの.......牧原さん。俺、牧原さんにお茶出してもらうと嬉しくて」


 印鑑を返しながら言った。受け取ってくれないので無理やり握らせる。自分の印鑑でしょうが、大事にしてよ。


「.......?」


 杉原さんに押さえつけられて、元々小柄なのがより小柄に見える。半泣きなのも相まって、なんだか小さい子をいじめたみたいで心が痛い。


「本部に来たら、またお茶入れてほしいなーって.......思ってて。だから、辞めないで欲しいなって」


「.......」


 沈黙。まずい、俺はまた何か地雷を踏み抜いたのか。誰か助けてくれて。


「良かったじゃないのん牧原! 和臣隊長また本部来るって言ってるじゃないのん! アンタのお茶が良いってよん!」


 ばしんっと杉原さんが牧原さんの小さな背中を叩いた。やめて、折れちゃう。杉原さんと比べて見ると全てが小さすぎて怖くなる。


「.......」


 牧原さんは、無言で俯いている。まずい、本気で折れたのでは。


「大丈夫ですか!? ハル呼びます!?」


「.......良かった」


 牧原さんは、ぎゅっと目を瞑って。泣いているのかと思うような顔で、ぎゅーっと唇を引き上げた。え。どういう感情?


「じゃ、牧原。アタシ和臣隊長とお話があるからん、仕事戻んなさいん!」


「はい! 失礼しました!!」


 牧原さんは、信じられないほど深く頭を下げて部屋を出ていった。杉原さんは何事も無かったかのようにお茶をすすり出す。


「.......あの、牧原さんは大丈夫なんですか?」


「大丈夫よん、夢が叶って舞い上がってるだけだからん! さ、そろそろアタシ達もお話しましょっ!」


 杉原さんは、その艶やかな唇を引き上げて。


「本部最重要封印庫。それを開けるのは、七条和臣特別隊隊長ねん?」


 ぎらりと瞳を輝かせて。


「アタシ達だけのヒ・ミ・ツ! 教えてあげるわん!」


 部屋にはられた何枚もの札が、働き出した。

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