小鹿


「和臣」


「なんだ優止」


「仕事しろよ」


 真っ暗な浜辺に立って海を睨む。


「だから今頑張ってだな.......」


「.......お前さっきから指パッチンの練習してるだけじゃねぇか」


「なんかそろそろできそうな気がする。指パッチンで好きな場所に行けたり呪術やったりできそうな気がする」


「無理だろ」


 知ってた。俺は大人しく婆さんの家から拝借してきた呪術の教科書を開いた。


「おい、目の前に俺がいるのになんで教科書開いてんだ」


「これ表紙ゆかりんなんだよね」


「中身を見ろや」


 海にかかる大きすぎる呪術は、どこにも綻びなどない。ため息が出るほど緻密に精巧に組まれて、手を出すなんて考えられなかった。


「.......千年か」


 この呪術も、きっと誰かが繋いでいくのだろう。千年でも、二千年でも。だから、その中のほんの数十年は、俺が関わってもいいだろうか。


「.......和臣、中田さん来ねぇな」


「!? 優止お前何言ってんだ!! 下手に名前を出すな!! 食われるぞ!?」


「はっ」


 優止は片眉を上げて笑う。やけに男らしい、いや、漢らしい笑顔だった。


「.......俺が食うんだよ」


「ひえっ」


 腰が抜けた。小鹿も驚きなレベルで膝が震える。

 優止は隊員に呼ばれてどこかへ行った。


「和臣隊長っ!」


「ひっ! な、中田さん!」


 優止、助けて。お願い戻ってきて。俺は小鹿なんだ、肉食獣には敵わないんだよ。


「.......九条隊長、まだお戻りになりませんよね?」


「いやいや、すぐ帰ってくると思いますよ!! すぐ!! もう今この瞬間にも!!」


「.......そうですか」


 中田さんは俺から離れたと思ったら、チラチラと周りを気にしながら浜辺をウロウロしていた。まてまて、総能きっての肉食獣、中田瑠美はどこへ行った。


「.......隊長」


「花田さん!! 中田さんがおかしいですよ! いや、俺は安心なんですけど大丈夫でしょうか!? 食あたり!?」


「.......中田は、追われる恋に戸惑っています。今まで追い回していたのでね。追われる側になって困ってるんです」


「!?」


「いやぁ、九条隊長は随分男前なようで! 本部に平和が訪れるのもそう遠くなさそうですね!」


 優止、一体何者だ。あの中田さんだぞ。あの中田さんをあそこまでもじもじ乙女に変えられるのか。勇者じゃないか。


「和臣」


 葉月がやって来て、すっと花田さんが向こうにいった。花田さんは最後振り返って親指を立てる。爽やかな笑顔だった。


「.......カニ、捕まえたの。見る?」


「え、カニ? 見る」


 仕事をしろと怒られると思っていたのに、まさかカニを見せてくれるとは。というか俺は全く捕まえられる気配がないのだが、どうやって捕まえたんだ。


「わ、ハサミついてる。赤くないな」


「生だもの。茹でたら赤いわ」


「可哀想だな」


 今度からカニの絵を描く時は茶色く書こう。赤はだめだ。


「ところで、そろそろ仕事をしましょう。やる事は少ないけど、仕事はきっちりやるわよ」


「おう!」


 葉月のあとについて仕事をしていく。仕事は全く楽しくないが、葉月と海という俺の好きな物が揃ったのは最高と言えよう。また沖縄に行きたい。


 仕事が終わって、宿舎の風呂に入った後。

 自販機に行こうと部屋を出た所を葉月に捕まった。絶対に1人では行かせないと言われ、1番近い自販機まで一緒に行くことになった。


「.......すぐそこなのに」


「あなた、昨日の今日で良く1人で出歩いたわね。反省しなさいよ」


「.......すいません」


 廊下の隅の自販機は、お茶と水が全て売り切れだった。残りのラインナップは酒と青汁のみ。どんな趣味だよ。


「外の自販機に行きましょう。昼間はまだ売ってたわ」


「うん」


 もう消灯時間なので、たまにしか電気がついていない。真夜中と言うより朝の前といった時間だ。


「「あ」」


 外の自販機の前まで来た時。宿舎の壁際に、誰かがいた。葉月が慌てて俺を引っ張ってしゃがむ。


「「.......」」


 ぎゅっと葉月が俺の口を押さえる。俺も葉月の口を押さえた。なぜならこうしていないと声を出してしまいそうだから。


「.......」


「.............」


 壁際で話していたのは優止と中田さん。優止を助けなくてはと思ったが、どうも様子がおかしい。

 2人は何やら話していて、楽しそうだ。話は終わったのか、中田さんが軽く頭を下げて歩き出そうとした瞬間。


「「!」」


 俺と葉月の手に力が入った。


 優止が中田の腕を取って、中田さんを壁に押し付ける。優止は壁に手をついて、いわゆる「壁ドン」というやつだった。嘘だろ現実にこんなことあるのか。姉の漫画でしか見たこと無かったぞ。

 葉月の手が痛い。顔面が捻り潰されそうだ。


 そして、そのまま。

 優止は漢だった。中田さんは小鹿だった。恐ろしい。


 2人の頭が離れて、また何やら話している。

 中田さんの片腕が優止の頬を撫でた。やっぱり中田さんは肉食獣だ。なぜかほっとしていると。


「「!!」」


 もう俺の顔面は限界。葉月さんちょっと緩めてください。

 優止が壁についた手で中田さんのメガネを取って、またキスした。恐ろしい、恐ろしいぞ。


 その後優止が中田さんを離して、中田さんはパタパタと宿舎へ走っていった。

 そして、優止はくるりとこちらを向いて。

 べろっと舌を出した。そして、ニヤッと笑って帰って行った。


「「.......」」


 なんだ今の。なんだ今の。あと葉月さん痛いので手を離してください。


 その後俺達は一言も話さずお茶を買って宿舎に入った。


「.......葉月さん」


「.......なによ」


「.......肉食獣と小鹿だったら、どっちが好き?」


 葉月は耳と顔を真っ赤にして。


「.......こ、小鹿.......まだ、小鹿」


 俺はべっと舌を出して部屋に戻った。

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