龍主

「ほら、主に挨拶しよう」


 手招きして、2人を呼ぶ。

 2人が警戒しつつもこっちにやって来たので、焦ったくなってその腕をぐっと引っ張った。


「「きゃあっ!!」」


「はい、いらっしゃい」


 を踏み越えた2人に声をかける。

 2人がばっと俺を見上げた。


「はははっ! 目が点ってこういうことか!」


「ちょ、ちょっと!!」


「和臣! 頭に!」


「うん?」


 ゆかりんは口を開けて固まってしまった。

 葉月は札を握っている。大丈夫だからしまってくれ。


「ほら、挨拶して。2人を気に入ったみたいだから」


 2人はポカンと口を開けてこちらに視線を固定したまま。

 俺の頭の上に顎を乗せている小さな龍の髭が、するりと俺の頬を撫でた。


「こんにちはって、ほら」


 2人はまだ動かずに口を開けて俺の頭の上を見ている。


『こんにちは』


 とうとう龍が先に挨拶した。


「ほら、2人とも」


「「.......こ、こんにちは」」


 頭の上からするりと龍が降りて、2人に巻きついていく。

 髭がぴくぴく動いていて、嬉しそうだ。


「良かったな、久しぶりに2人も来て」


『和臣も来ぬしな! 久しぶりだな!』


「7年ぶりか?」


『700年は待ったぞ!』


「そんなに経ったら俺死んじゃうから」


 すりすりと2人に尻尾を擦り寄せている龍は、太さは両手で抱えられる程。長さは俺の2倍くらいの、小さな龍だ。


『遊びに来いと言うたのに! 優香ゆうかはどうした? 次も二人で来いと言うただろう!』


「……母さんは、死んだよ。7年前に」


『は?』


 ビシッと空気が凍った。滝を流れる水の音が低く響く。心臓が凍えてしまいそうなほど、空気が硬く張り詰める。


『……そんなわけなかろう。あそこまで魅入られた娘はそうおるまい』


「うん。でも、人なんてすぐに死んじゃうんだよ」


『……本当に?』


「うん」


『もう優香は来ないのか? もう二度と?』


「うん」


 龍がするりと2人を離れて、とぷんっと水に入った。


「おーい。術とかかけ直すからなー!」


『……好きにせい』


 髭だけ水から出して、うねうねと水の中を動いている。


「じゃあ、2人とも。見といてよ、次から任せるから」


「「……」」


 先ほどの張り詰めた緊張からまだ抜け出せていないのか、2人は動かない。


「まずはな、水の流れを邪魔しているものを除いて……」


 岩陰にはられていた剥がれかけの札を取って、新しい物をはる。


「ここと、そこの岩と、あそこの木で結界の意味を作ってるんだ。主の住処が揺らがないように。他の山とかでもこういうのはよくある。覚えておいてくれ」


「「……」」


 一応結界も張り直して、未だ黙ったままの二人を振り向いた。ゆかりんは、そうっと葉月の顔を覗き込んで心配そうに眉を寄せていた。


「ま、こんな感じ。簡単だろ? ただ張り直すだけだから」


「……和臣」


「ん? どうした葉月。さっきの、そんなにびっくりしたか? 大丈夫だって、あの龍別に俺たちに怒ったわけじゃないからさ。それより、仕事は終わったから、もう少し遊んでやろうぜ。どうせ今帰っても電車ないし……」


「和臣!」


 いきなり。葉月がつかつかとよってきて、どんっと俺の両肩を押した。


「へ?」


 ばしゃん、と音がした時には、俺は川の中に座り込んでいた。すぐに龍が泳いできて、俺の足に尾を絡め擦り寄ってくる。


「つ、冷たい! 葉月、なんで!? 俺の何が気に入らなかったの!?」


 ゆかりんも目を見開いて驚いている。

 今回は俺が悪い訳ではないようだ。

 しかし葉月は眉を釣り上げて、怒った顔をしていた。


『和臣! 遊ぶか?』


「わ、ちょっと待て!」


 龍にびゅっと水をかけられる。もう頭から下までずぶ濡れだった。今日着替え持ってきてないのに。


「……え? これ俺が悪い感じ? 今日は真面目に仕事したのに?」


『和臣! 良いもの取ってこようか? 絶対嬉しいぞ!』


「……うん。お願い」


『待ってろ!』


 ぴゅっとまた俺に水をかけて、龍は飛んでいった。

 頭から水を流しながら、まだ怒った顔の葉月を見上げる。


「……葉月さん、一体どうなさったんですか……?」


「葉月、あんたここでストレス爆発したの? 今までの蓄積?」


 ゆかりんがよってきて、葉月に聞いた。

 そうか、今までの蓄積か……。泣くぞ。


「……ばかずおみ」


 葉月が、ゆかりんを無視してづかづかと川に入ってくる。


「わ! 葉月、靴! 脱げって! ビタビタになるぞ!」


「葉月、裾捲りなさいよ!」


 葉月は自分の袴を濡らしながら、川の中にいる俺の前まで来た。


「……仕事を嫌がらないと思ったら、そういう事?」


「……どういう事でしょうか?」


 葉月がぐっと俺の胸ぐらを掴んで、顔を近づけてきた。まさか殴られるのか。


「ひいっ」


「……この仕事、これからも和臣がやりなさい」


「えっ、だ、だって今回は俺が教えて、次からは全部任せようと……だから今回は頑張って仕事して」


「大事な場所でしょう!? 大事にしなさい!」


 ぐっと喉がなった。


「いつもすぐ泣くくせに、なんで今は我慢するのよ! もう濡れちゃったんだから泣けばいいじゃない!」


「……えっと、私、邪魔? あっちに行ってた方がいい?」


 ゆかりんがそろそろと離れていった。


「お母様のこと好きなんでしょ!? 本当は私たちと来たかったんじゃないんでしょう!? なんで我慢するのよ!」


「……えっと」


「そんなに大好きな和臣が会えなくて、すぐに会える私が会わないなんて、バカみたいじゃない!」


 困り果てて葉月を見れば、葉月の方が目に涙を溜めていた。そこで、ふと理解する。


「ああ……。葉月、ごめんな」


「なによ!」


 手で水鉄砲を作り、葉月の顔に向かって水をかけた。


「ああ、濡れちゃったな。もし泣いててもわかんないな」


「……っ!」


 葉月はびしょびしょの俺に腕を回し、ぎゅっと抱きついてきた。

 思えば、この間から葉月はおかしかった。

 ずっと泣きたかったのかもしれない。俺に何も言わなかったのも、不器用な彼女の気遣いで、言わないでくれただけだった。

 川の中でびしょびしょになりながら、葉月の熱い背中を撫ぜた。

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