第13話 傷心

「七条くん、私は帰るわ」


「.......」


「もう7時よ」


「.......」


「私、帰るから」


「.......待って.......」


 床に突っ伏し、顔を伏せたまま言った。自分で言うのもなんだが、消え入りそうな声だった。


「送ってくれなくて平気よ。おばあちゃんが式神を出してくれるそうだから」


「.......違う.......」


「.......なによ」


「.......助けてぇ.......!」


「私、帰るわね」


 水瀬がくるっと踵を返した。華麗なターンがすぎる。


「.......立て、立てないんだ.......! 水瀬、助けてくれぇ!」


 首だけでこちらを振り返った水瀬は、靴の裏に付いたガムを見る目で俺を見た。


「情けないを軽く通り越しているわよ。じゃあ、私は帰るわね」


「見捨てないでぇ.......」


 タケ爺にしごかれ、足も腕も心もがくがくだ。

 もう一歩も動けない。お願い助けて、見捨てないで。


 しかし、水瀬は本当に俺を見捨てて帰った。


 もう何も、誰も信じられない。俺はこれから一人で生きていく。


「和臣、さっさと帰んな!」


 頭上で婆さんが怒っているが、俺だって悲しんでいる。


「婆ちゃん、俺も帰りたいんだよ.......」


「はぁ.......。仕方ないねぇ、家に電話は入れてやる。さっさと風呂入んな」


「ひぃん」


「情けないねぇ.......あたしゃ泣けてきたよ」


 痛みに耐えて風呂に入る。

 婆さんの家の風呂は異常に熱い。俺を茹でる気なのかもしれない。

 なんとか茹で上がる前に風呂を出て、婆さんたちと一緒に夕飯をいただく。

 夕飯は唐揚げだった。婆さんの唐揚げは1個が大きく、味がしっかりついていて美味しい。


 やはり生きていく上で一番大事なのは人と人との繋がりかもしれない。

 人は1人では生きられない。俺はなんて小さな存在だったんだろう。世界って美しい。唐揚げうま。


「和臣、明日も学校あるんだろう? 早く寝な」


「うん」


「お? 和坊、じいちゃんとオセロやらんのか?」


 オセロの板を持って来たタケ爺が、部屋の真ん中に座った。既に白黒の石を並べ始めている。


「じいさんも、早く寝るんだよ」


 その後俺はタケ爺との6回にわたる死闘を制し、清々しい気持ちで布団に入った。


 翌朝、寝ぼけたまま時計を見ると7時50分。


「ん?」


 7時50分?


「おお、和坊おはよう。ばあさんは朝からどっかに行ったぞ」


「おはよう。なあ、タケ爺この時計壊れてないか?」


「ああ、そう言えばズレとったわい」


「そうだよなー! びっくりしたー!」


 こんなの遅刻じゃないか。8時過ぎにはホームルーム開始だ。

 タケ爺は新聞を片手に、湯呑みを傾けながらなんでもないように言った。


「10分遅い」


「遅刻ーー!!」


 急いで制服に袖を通す。

 シャツのボタンは最低限に、ネクタイはもはや結ばずにカバンに突っ込んだ。

 ズボンのベルトをガチャガチャとしめながら玄関へ走る。


「和坊、朝ごはんあるぞー」


「遅刻する!」


「じゃあ持ってくか?」


「ありがとう!」


 もたつきながらも靴を履いている間、タケ爺が持ってきたのは味噌汁と白米。もちろん2つとも茶碗。


「ほれ、持ってけ」


「無理だろ」


 無理だろ。


「あ、箸か」


「いや、違う。タケ爺、よく考えて?」


「おい、遅刻するんじゃないのか?」


「あああああ!!」


 何故か、両手に茶碗を持って走った。

 味噌汁が零れそうだったので信号待ちの途中で飲んだ。

 死ぬほど熱かった。


 学校に着いたのは、ホームルームが終わった後。騒がしい教室に飛び込み、自分の席にスライディングを決めた。


「ギリギリセーフか!?」


「いや、アウトだろ」


 冷静にアウト判定をくれた野球部山田と、もはや顔すらうるさい田中がやってくる。


「和臣アウトー!!って、お前なんで茶碗持ってんの?」


「朝メシに決まってんだろ!!」


「逆ギレじゃねぇか.......」


 席に座って茶碗の白米を食べる。

 まだほんのり温かい。涙が出そうだ。


「和臣、1時間目移動だぞ。早く食え」


「ったく、朝メシぐらいゆっくり食わせろよ」


「なんでキレてんだよ.......」


 クラスの女子達にすごい目で見られた。

 もう知らない。やはり何も信じられない。もう人なんて信じない。

 川田がすでに移動教室に行っていたのがせめてもの救いだった。


 それからしばらく。

 5時間目の体育は、珍しく女子と合同だった。

 やる気はあるが今日の授業は長距離走。

 テンションは最低、コンディションも最悪。


「おい和臣、女子が見てるぜ! 本気出すぞー!」


 テンションは最高、コンディションはうるさい田中が寄ってくる。


「俺はいつだって本気で生きてんだよ。馬鹿にすんな」


「してねぇ.......。まあ、俺は運動部だからな! 悪いが負ける気はねえ!」


「ふっ.......。今日の俺を甘く見るなよ? 全身の筋肉痛に加え、朝のメンタル破壊。心身共に死角なしだ!」


「バッドコンディションすぎる.......」


「高瀬のタイムのダブルスコアを狙う」


「和臣.......情けねぇ.......」


 いつもうるさい田中が静かになった。俺に恐れをなしたか。



 結果として、長距離のタイムは高瀬がクラス1位だった。

 高瀬、女子からの黄色い声援を一身に受けるという罪状で極刑。

 しれっと田中もなかなかのタイムでゴールしていた。

 女子からは特に何も無かったが取りあえず極刑。

 山田はいつも通り余裕を残しさらりとゴール。

 女子からの目線を集めていた罪状で終身刑。


 一方俺は運動部の中では最下位、文化部の中では1位という逆に価値のある順位。

 ゴールした時、川田はちょうど靴紐を結んでいて俺のことなど一切見ていなかった。

 目からも汗が出た。


 悲しみを乗り越えた放課後。

 朝ご飯の茶碗を返しにタケ爺の家に寄った。


「七条くん.......あなた、今日は大変だったわね」


 俺より先に来ていたらしい水瀬が、いつも通りの無表情で言った。


「なにが?」


「あんなに苦しそうな長距離走見たことないわ」


 人の心を傷つけて何が楽しいんだ。

 今の俺の心はガラスどころじゃないぞ。

 もはやフルーチェだ。牛乳入れすぎたやつ。


「今日はおばあちゃんに、七条くんに実技を見てもらうように言われたの。見てもらえる?」


「.......おう」


 タケ爺に茶碗を返してから、弟子の待つ庭に向かった。

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