第5話 月夜

「話、始めようか」


「急ね」


 早く帰って寝たいから、とは言えなかった。


「えーっと、まずは.......父さんから聞いてると思うけど、一般人には能力者とか妖怪とかのことは言わないでくれ。あんまり目に余るようだと、総能から罰則がくる」


「わかっているわ。見えない人が妖怪のことを知っても、対処できないもの。興味本位で手を出して取り返しのつかないことになるかもしれないのよね」


 お手本のような答えだな。これ俺もういらないんじゃないか。帰っていいかな。


「あと、水瀬の名前は役所にいった時点でもう総能の名簿に登録されたから」


「ええ」


総能支部ここは表向きは剣道教室と書道教室だけど、京都にある総能本部の支部としてこの辺りの能力者の対応をしてる。なにか困ったらここに来ればいい」


「わかったわ」


 水瀬が真剣な顔で頷く。


「あとは、札の書き方か。ここの婆さん札書くの上手いんだ。習うといいよ」


「……七条くんが教えてくれるんじゃないのね」


「月謝は俺がもつから許してください.......」


 申し訳ないがこれ以上関わり合いになりたくない。そろそろ俺の普通の日常に戻らせてくれ。

 それにここの婆さんは信頼できる人なので、悪いようにはならないはずだ。


「あら、それはありがたいわ。もしかして、七条くんは札を書くの苦手なの?」


「上手くもないし下手でもない。ただ、人に教える自信が無い!」


 キッパリ言い切ると、水瀬は「そうなの」と無表情で言ったきり興味を失ったようだった。


「それから、妖怪退治の方法も婆さんが教えてくれると思うけど、もししっかり習いたいんだったらそういう場所を紹介する」


「ねえ。七条くんは、私の後見人なのよね」


 もはやいつもの無表情で、水瀬がじっと俺を見た。


「うん。一応な、名前だけな。書類上な」


「後見人って、能力者としての私の保護者のようなものと聞いたわ」


「ああ。何かあった時の保証人とかの意味合いもあるしな。お願いだから問題起こさないでくれよ」


「七条くん、全く何もしないじゃない」


「ぐっ」


 痛い所をつかれた。だが、名前をサクッと貸しただけなのだ。元々何をする気も無かったのだ。許してください。


「ほ、ほら。俺ただの高校生だし?」


「七条くんのお父様は、あなたになんでも頼りなさいと仰っていたわ」


「だからちゃんと先生紹介するって.......」


「他人任せね」


 かわいい女子にキツく言われるのはかなり堪える。しかも綺麗な顔の表情が一切動かないのが余計に堪える。


「い、一応、困った時の相談ぐらいは、のるから.......」


「まあ、いいわ。今のところ七条くんが何もしなくても問題はなさそうだし」


「そうハッキリ言われても堪える」


「女々しいわね」


 泣くぞ。

 とりあえず早くこのいたたまれない場から出ようと、立ち上がる。


「じゃあ、婆さん呼んでくるから。あんまり遅くならないで帰れよ」


「あら、七条くんはもう帰るの?」


「俺眠いの」


 もう眠気の我慢の限界だった。早く帰って寝たい。本当なら今頃布団で気持ちよく寝ていたのに。


「自分勝手ね」


 泣くぞ、まじで。


 なんとか泣かずに婆さんを呼んで、さっさとバスに乗って家に帰った。

 あの支部の担当者である婆さんは若い頃相当優秀な能力者だったらしく、今は引退して若い能力者の教育をやっている。実は俺も小さい頃お世話になった。


 家に着けば、靴を脱いでから最短ルートで自室の布団に倒れ込んだ。やっとここに帰って来られた。死ぬかと思った。

 その後は眠気に逆らうことなく、一瞬で眠りに落ちた。


 ふと目が覚めたのは、もう日が落ちた頃だった。

 時計を見ると7時過ぎ。

 夕飯に間に合うだろうか。お腹は空いているので、間に合わなかったら困るな、と思って部屋を出た。


 居間に行くと、まっさらな机とむすっとした表情の妹しかいなかった。


「あぁ、夕飯もう終わっちゃった? 台所にまだ残ってるかな……」


「ううん。ご飯まだだよ。外でなんか出たから、お父さんもお姉ちゃんも行っちゃった。孝兄は、しばらく帰れないかもって」


「そうか。じゃあ、兄ちゃんとご飯食べよう」


 妹はまだむすっとしていたが、仕方ながいと言うようにこちらに目線をやって。


「うん。和兄が寂しいなら、一緒に食べてあげる」


 夕飯は、焼き魚だった。

 俺は魚が好きじゃない。味がどうこうと言うのではなく、魚が肉と同じポジションを取っていることが理解出来ないのだ。

 だったら俺は肉が食べたい。俺は、肉が、食いたい。


「和兄、お風呂入ったらオセロやろうよ」


「いいぞー」


 妹とは最近あまり一緒に遊ばなくなったが、家に父達がいなくて不安なのかもしれない。珍しく遊びに誘われた。

 任せておけ、兄の全力のオセロを見せてやる。


「あ、でも和兄オセロ弱くてつまんない」


 そういえば、妹が小学生になってからどの遊びも俺が一度も勝てなくなったために遊んでくれなくなったのだった。


「まあ、今日はいっか。和兄、私先お風呂入っていい?」


「いいぞー」


 妹を待っている間、台所を物色する。

 やはり、魚だけでは食べた気がしなかった。お腹がすいた。

 ゴソゴソと台所の棚を漁っていると、ニコニコとお手伝いの明恵さんがやってきておにぎりを握ってくれた。

 台所の机で1人明恵さんとおにぎりを食べていると、ポケットに入った携帯が震えた。着信は、昼間別れた水瀬からだった。


「はいもしもしー、七条ですけど」


「七条くん! どうしよう、ここがどこかわからないの!!」


 いきなりの大声は、やけに焦った声音だった。


「水瀬? 一回落ち着け。どうした、迷子か?」


 なら警察を呼んだ方がいい。水瀬は引っ越して来たからまだ道が分からないのだろう。もう夜だし、昼間とは景色が変わって見えて迷子になることは不思議ではない。


「い、家の前の角を曲がっても家につかないのよ!」


「道を間違えたんじゃないか? 」


「いいえ、何度も確認したもの。でも、お婆ちゃんのところに戻ろうとしても戻れないのよ。ここはどこ? 今までこんなことなかったわ!」


 迷子は不安になる。それは良く分かるのだが、もう少し落ち着いて話してもらわないことには俺もどうしようもなかった。


「水瀬、落ち着けって。周りに人は?」


「いないわ。さっきから1人もいないのよ」


「何か店とか、目印になるものは?」


「景色はいつも通りなのよ。でも、アパートだけがないの」


「うーん。落ち着いてもう一回周り見てみろ。本当にいつも通りか?」


 似たような道に入っている可能性もある。今どき携帯もあるのだし、落ち着いてよく確認すれば大体はなんとかなるはずだ。


「ええ……いつも通り、あ。月、月がないわ。さっきまで見えていたのに」


「え?」


 今夜は晴れている。それに、新月の日でもない。にいる限り、それはどこにいても揺るがないはずだった。


「雲もないのに月がないのよ。でも、やけに明るいし」


「水瀬、今から絶対口を開くなよ。携帯持って動くな。今から行くから、何があっても声を出すな。いいな?」


「急に何よ……でも、わかったわ」


 その声もどこか焦っていて、急がなければと思った。


「じゃあ、電話切るぞ。すぐ行くから、声出すなよ」


 電話をポケットへ突っ込み、急いで玄関へ向かった、靴を履いたところで、むすっとした妹が、風呂上がりの濡れた髪のままやって来た。


「和兄、どこ行くの」


「悪い、急いで行かないと」


「……あっそ。気をつけてね」


 下を向いた妹の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。いつもなら怒られるはずが、今日は下を向いたままで特に何も言われなかった。


「明恵さんのこと頼んだぞ」


「うん、任せて」


「急いで帰るから!」


 走った。そのまま閉まりかけの最終バスに飛び乗って、父へ電話をかける。

 マナー違反だが、俺以外誰も乗っていないので大目に見て欲しい。


「もしもし、父さん? 出たって、どこで、何が出たんだ?」


「和臣、どうしたんだ急に。何かあったのか?」


 父の困ったような声を無視して。


「いいから! どこで何が出たんだ!?」


「出たのは————」


 父の言葉に、さあ、と血の気が引いた。


「場所はもうはっきりしないが、夕方孝臣たかおみのところの1人が役所の方で見つけたらしい」


「学校だ! 今水瀬が巻き込まれてる!」


「なに?」


「俺も向かってるから、兄貴呼んでくれ!」


 携帯を勢いのままに切って、学校近くで停まったバスから飛び降りた。

 こんなことならもう少し準備してくればよかった。そう後悔しても今更遅いが、嫌な汗は止まらない。


 ぐっと唇を噛みながら、携帯を握りしめて水瀬の家に走った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る