第24話 第三章 6 <<フラグ過敏症候群>>






 夕食の後、わたしは風呂に入った。

 昨日は病み上がりでお風呂に入れなかったが、この家には風呂がある。

 猫足のついた洋風のバスだ。

 湯に浸かって疲れを取るのにはあまり向かない形をしているが、ないよりマシだ。

 バスタブがあるだけ、ありがたい。

 普通は文字通り湯浴みでお湯を浴びるか、沐浴が一般的らしい。

 貴族は魔法の洗浄で服ごと身体を洗ってしまうこともあるようだ。

 風呂はは一人で入りたいと、ラルクと交渉を重ねる。

 結果、一人で入ることを許してもらった。

 のんびりとお湯に浸かる。

 疲れが取れていく気がした。

 このくらいのことで幸せな気持ちになれるのだから、わたしの幸せは案外、安い。

 濃かった一日に、バスタブに浸かりながら思いを馳せた。


 あの後、やってきた父はとても厳しい顔をしていた。

 手紙の件を聞いて、怒っている。

 だがもちろん、王子やその侍従に失礼な態度は取らなかった。

 表面上は穏やかに接する。

 しかし逆にそれが嘘っぽい。

 アンドリューは普段の父をよく知っていた。

 現国王の子供の中で、家に遊びに来ていたのは第三王妃の子であるアンドリューだけだ。

 父はアンドリューのことを甥として可愛がっている。

 アンドリューは父の様子がいつもと違うことに直ぐに気づいた。

 気まずい顔をする。

 居たたまれないように、早々に帰って行った。

 けれど、二日後に迎えに来る時間の約束だけは決める。

 父はやんわりと迎えを断った。

 たが王子は譲らない。

 結局、父が折れた。

 わたしと同様、初めて見る侍従を警戒したらしい。

 侍従が馴染みの者なら問題ないが、見知らぬ侍従の前では王子を立てなければ不味い。

 王子が帰った後、父は珍しく怒っていた。

 手紙が父宛でなくわたし宛のところに作為を感じるらしい。

 父ならば兄として王の誘いを断ることが出来たようだ。

 公務なら無理だが、プライベートは話が別らしい。

 だが、甥であるわたし宛だと無理らしい。

 なんとしても、国王は父とわたしを王宮に呼びつけたいようだ。

 すまないと父は謝る。

 自分の力不足だと反省していた。

 そんな父にわたしの方が心苦しくなる。

 そもそも、余計な苦労をかけているのはわたしの力のせいだ。

 わたしは黙って父に抱きつく。

 父も抱きしめ返してくれた。

 明後日までに対策を考えるとわたしに約束する。

 わたしは不安を覚えた。

 それってメアリーアンとの婚約じゃないよね?――喉まで出かかっていた言葉を、言えずに飲み込む。

 違っていたら、逆に公爵やメアリーアンをわたしが巻き込むことになるかもしれない。

 迷いが生まれた。


(一体、どこで何を間違えたのだろう?)


 ちょっと考えてみたが、失敗らしい失敗をした覚えがない。

 わたしはわりと上手くやれていると思っていた。


「ううーん」


 声に出して、唸る。

 だがわからないものはわからない。

 ぱしゃはしゃとお湯で顔を洗って、気持ちを切り替えた。


(まあ、いいや。後でシャルルと反省会をしよう)


 一人で考えてわからないことは、二人で考えればいい。

 それでもダメならラルクを巻き込めばいいとも思った。

 わたしは一人で何でもできるなんて、驕っていない。

 所詮、わたしはただの庶民だ。

 出来ることはそう多くないし、人より優位に立てることなんて前世の記憶があるくらいだろう。

 無駄に長く人生経験を積んでいるが、それだってたいした人生ではなかった。

 公爵家のご令息であるシャルルの方が12年でも濃い人生を送っているかもしれない。

 だから借りられる力はどんどん借りるし、利用できるものはなんだって利用する。

 庶民は雑草のようにしぶといのだ。


「シャルル様。大丈夫ですか?」


 なかなか風呂から出てこないわたしを心配したラルクが声をかける。


「今、出る」


 わたしは答えた。

 バスタブから出て、身体を拭く。

 ラルクに着替えを持ってきてもらった。

 着替えはラルクに手伝ってもらう約束をしている。

 新しい寝間着に着替えながら、わたしは欠伸を漏らした。

 そそくさとベッドに入る。

 横になって、一息ついた。


「なんか、濃い一日だった」


 ぼそっと呟く。


「いろいろありましたね」


 ラルクは頷いた。

 ランプを持って、部屋の明かりを消して回る。

 少し疲れた顔をしていた。

 公爵家の使用人にとっても今日はハードな一日だったのだろう。

 先王や王子様がやって来たのだから、当然かもしれない。


「でも、悪いことばかりではなくて良かったです。呪いをかけたのはお二人ではなかったのでしょう?」


 ラルクに問われた。


「二人じゃなかった」


 わたしは頷く。

 ラルクはそうだろうという顔をした。


「あのお二人がシャルルに様に危害を加えるとは思えません」


 言い切る。


「それは僕も思う」


 わたしは頷いた。

 シャルルは二人にとても愛されている。

 だが、憎しみと愛情は表裏一体だ。

 愛がなければ憎しみも生まれない。

 愛が深ければ深いほど、憎しみは強まった。

 そういう意味では怪しいと言える。

 潔白が明らかになって、ほっとした。


「ところで、父さま?」


 どうしているのか気になって、尋ねる。

 思いつめた様子だったのが、気にかかった。


「先ほど、お出かけになりました」


 ラルクは答える。


「えっ……」


 わたしは眉をしかめた。


(これもフラグ? わたしはまた、フラグを見逃したの? 対策を考えると言った父さまをあの場で問い詰めるべきだったの?)


 頭の中でぐるぐると纏まらない思考が渦を巻く。

 夜に一人で出かけるなんて、ミステリードラマなら死んじゃうパターンだ。

 不安しかない。


「こんな時間にどこに? 一人で?? 追いかけた方がいいんじゃない? 父さまに何かあったら……」


 心配してオロオロするわたしにラルクは苦笑する。


「行き先は侯爵様のお屋敷です。先触れを出しておいででした。直ぐ近くですし、遅い時間に侯爵様の屋敷に行かれることも、侯爵様がこちらにいらっしゃることも珍しいことではありません。そもそも、お一人ではありません。馬車に乗り、従者も連れています。シャルル様が心配されるようなことは何もありません。落ち着いてください」


 宥められた。


「そうか」


 わたしはほっと息をつく。

 父は一人で出かけたわけではなかった。

 ミステリードラマにありがちな、そのまま帰らず、朝になって死体で発見フラグではなかったらしい。

 落ち着いて考えてみれば、父と侯爵はよく会っていた。

 シャルルの記憶の中には、昔から互いの家を行き来している二人の姿がある。

 たぶん、週に半分くらいは一緒に過ごしているだろう。

 我が家と侯爵家はご近所さんだ。

 馬車なら5分ほどの距離にある。

 歩いても行けるくらい近かった。

 近いのはもちろん、偶然なんかではない。

 父がわざわざ侯爵家の近くの屋敷を買ったのだ。

 侯爵といつでも行き来が出来るように。

 それを執着と呼ばずになんと呼ぶのだろうとわたしは思うが、誰もそれについては突っ込まない。

 父が祖父のように恋に溺れた男になりたくないと思っていることは誰もが知っていた。

 実際、周囲が下世話な想像するような関係は父と侯爵の間には未だにない。

 このままでいいのだろうかと、わたしは思った。

 今の二人の関係は父の方はともかく侯爵には負担が大きい。

 父は王宮に行くことをやめてしまったので暇だろうが、侯爵はそれなりに忙しいはずだ。

 近衛隊の副隊長だと聞いているし、身分も高い。

 高い身分にはそれに見合うだけの責務がついているものだ。

 週に半分も父と過ごすのは、かなり大変だと思う。


「こんなに頻繁に会うなら、一緒に暮らせばいいのに。いっそ、再婚しちゃうとか」


 思い付きをそのまま口にした。

 はっとして、ラルクを見る。

 また呆れられると思った。

 メアリーアンをアンドリューに押し付けようとしたときのように。

 しかしラルクは真剣な顔で考え込んでいた。


「それは案外、いい案かも知れません」


 そんなことを言った。


「いい案なの?」


 わたしは思わず、飛び起きた。

 ランプを手に持っているラルクを見る。

 今、部屋の明かりはラルクが持っているランプだけだ。

 薄暗く、秘密の話をするのにはちょうどいい。


「メアリーアンの時には賛成してくれなかったのに?」


 わたしか驚くと、ラルクは苦く笑った。


「互いをライバルだと思って対抗心を燃やしている二人を結婚させるのと、互いに長年好意を持ちながら、踏み出せない二人を結婚させるのでは話は全く違います」


 正論過ぎる意見に、わたしはただ頷く。

 同意した。


「旦那様と侯爵様が結婚すれば、メアリーアン様とシャルル様は兄弟になられます。おそらく、結婚のために侯爵様は爵位を娘であるメアリーアン様に譲渡されることになるでしょう。メアリーアン様が成人なさるまでは、後見人として侯爵様が実務を行うでしょうが。それは今と同様なので、何も問題はありません」


 ラルクの説明をうんうんと頷きながらわたしは聞く。


「兄弟になったメアリーアンと様とシャルル様の結婚は無理ではありませんが、難しくなります。そして、侯爵位を譲られたメアリーアン様は婿を取ることになり、嫁に行くことは出来なくなるでしょう。公爵家を継がれるシャルル様は婿にいくことは出来ません。実質、お二人の結婚はなくなります」


 どれも納得が出来る話だが、一つだけわたしは引っかかりを覚えた。


「ちょっと待った。メアリーアンが嫁にいかず婿を取らなければいけないのは今でも変わりなくないか?」


 わたしは首を傾げる。

 メアリーアンは一人娘だ。

 状況に変わりはないと思う。


「いいえ。まったく違います」


 ラルクは首を横に振った。


「シャルル様にメアリーアン様が嫁ぐことが決まった場合、侯爵様は自分の親戚筋から養子を取り、侯爵家の継ぐのに相応しい嫡子を育てることになります。それにはもちろん、何年も時間が必要です。そしてその時間は十分にあります。侯爵様が引退されるまでの間に、嫡子を育てればいいのです。なんでしたら、シャルル様とメアリーアン様の間に生まれた孫を養子にすることも可能です。ですが侯爵様が旦那様に嫁ぐ場合、直ぐに爵位を継ぐ人間が必要になります。嫁として公爵家に入る侯爵は爵位を手放さなければならないからです。跡継ぎを育てる時間はないので、爵位は実の娘であるメアリーアン様が継ぐしかないでしょう」


 違いを説明され、思わず「なるほど~」とわたしは唸る。

 貴族社会は複雑だが、ちゃんと筋が通っているので理解はしやすかった。


「つまり、父さまとおじ様が結婚したら、僕とメアリーアンの結婚は完全になくなるんだね?」


 わたしの質問にラルクは大きく頷く。


「でもそれが、アンドリューと何か関係ある? なくなるのはメアリーアンとの結婚で、アンドリューとではないよね?」


 わたしは首を傾げた。


「直接的には関係ありません。ですが、間接的には大きく関係あると思われます」


 ラルクは妙に自信たっぷりに胸を張る。


「どういうこと?」


 わたしは問うた。


「アンドリュー様がシャルル様との婚約を焦っている理由があるとすれば、おそらくそれはメアリーアン様の存在だと思います。旦那様と侯爵様の仲が良いのは周知の事実です。本来、貴族の婚約は親同士が勝手に決めるものです。いつ、旦那様と侯爵様の間でシャルル様の婚約が決まっても可笑しくないと多くの貴族は思っています。そのことは当然、アンドリュー様の耳にも入っているでしょう。アンドリュー様はそれでやきもきしていると思われます。ですから、旦那さまと侯爵様が結婚し、メアリーアン様が爵位を継いだら、アンドリュー様は安心されると思います。婚約を迫ることはなくなるとはいいませんが、今よりはましになるはずです」


 ラルクは微笑む。


「ラルク、マジ有能!!」


 わたしは思わず、心の声をそのまま口にした。

 グッと親指を立てる。


「まじ?」


 ラルクは耳慣れない言葉に困惑した。


「誉めただけだから、気にしないで」


 説明するつもりはないので、さらっと流してもらう。


「今日はラルクのおかげでぐっすり寝れそう」


 わたしは満足な顔をした。

 起していた身体をベッドに戻す。

 そのまま眠ろうとして、はっとした。

 わたしにはまだやらなければいけないことが残っている。

 フラグらしきものは念のため、折っておきたかった。


「でもその前に、一つラルクに頼みがあった」


 もう一度、わたしは身を起す。


「なんなりと」


 ラルクは頷いた。


「何もないと思うけど、父さまがちゃんと侯爵家にいるか、誰にも何も変わりがないか、確認して欲しい。明日、おじ様と父さまに話があるから、今夜はおじ様の家に泊めてもらって、明日二人で一緒に帰ってきてとでも父さまに伝えておいて。なんなら、手紙を書くけど」


 わたしの言葉に、ラルクは紙とベンを用意する。

 自分で書けということらしい。

 ベッドの上に食事用のテーブルを置いてくれた。

 わたしはそこで手紙を書く。

 夜遅くに出歩くのは危ないから、そのまま侯爵家に泊ってほしいこと。明日、侯爵と父の二人に話があるから、二人で一緒に帰って来て欲しいことを書いた。

 そしてその手紙に護りの魔石を入れる。

 わたしの魔力を込め、持ち主に何かあったらわかるようにした。

 シャルルはマジックアイテムをいろいろ持っている。

 遠慮なくそれを使わせてもらうことにした。

 わたしとシャルルは元は一つの魂なので、必要な記憶は思い出せるからかなり便利だ。


 父も伯爵も普通の人より魔力が強い。

 何かあることは考え難かった。

 わたしにもそれはよくわかっている。

 だが、フラグっぽい気がして安心出来なかった。

 とりあえず、先手を打って折っておこうと思う。


「シャルル様は何がそんなに不安なのですか?」


 ラルクは心配そうにわたしを見た。

 過剰にいろんなことを気にするわたしの方がラルクから見ると不安を感じるらしい。

 わたしも気にし過ぎなのは自覚していた。

 だが、万が一があってからでは遅い。

 後で後悔はしたくなかった。


「何か具体的に不安なことがあるわけではない。ただ……」


 わたしは苦笑する。


「フラグ過敏症候群なんだよ、今」


 ため息をついた。

 何もかもがフラグに思えて、困る。

 自分でもちょっと気にしすぎで疲れてきた。


「それはなんですか?」


 ラルクは不思議そうに首を傾げる。


「僕が今適当につけた病名だから、気にしなくていい。いつもよりちょっと心配性になっているってことを言いたかっただけ」


 わたしは説明した。

 そしてラルクにも護りの魔石を持たせる。


「お使いに出したラルクに何かあったら嫌だから」


 そう言うと、ラルクは微笑んだ。


「ありがとうございます」


 礼を言う。


「こちらこそ、こんな時間にごめんなさい。よろしく」


 手紙を託した。

 そして今度こそ、わたしは寝る体勢を取る。

 ランプの明かりと共にラルクが部屋を出て行き、真っ暗になった。

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