第23話 第三章 5 <<折れないフラグ>>




 噂のアンドリュー王子がやって来たのは午後だった。

 昼食後にちょっと横になったらそのまま寝てしまう。

 ベッドに座っているだけなので疲れていないと思ったが、心は疲弊していたようだ。

 少し休むだけのつもりがしっかり寝てしまう。


「アンドリュー王子がいらっしゃいました」


 揺り起こされて、目を覚ました。

 渋々、起き上がる。


「まだ眠い」


 目を擦ると、その手を掴んで止められた。


「赤くなるので擦らないでください」


 叱られる。

 濡らして絞ったタオルで顔を拭かれた。


(顔は自分で拭きたいな~)


 心の中で思ったが、我慢する。


「喉が渇いた」


 呟くと、水を持ってきてくれた。

 グラスに入った水にはレモンか何か絞ってある。

 爽やかな柑橘の味がした。

 目が覚める。

 ポンポンと軽く手のひらで頬を叩いたら、ラルクがぎょっとした顔でわたしを見た。


「何をしているんですか?」


 眉をしかめる。


「気合を入れただけ」


 わたしの答えを聞いて、ラルクは微妙な顔をした。


「あまり変わったことはなさらないでください」


 注意される。

 何が良くて何が悪いのか、わたしには難しいようだ。

 気を遣ったのに、叱られる。

 強く叩いたら何か言われると思ったから軽くしたのに、ダメだったらしい。


(うーん。面倒くさい)


 愚痴は心の中だけに留めておいた。


(そんなことよりアンドーさんだ)


 気合を入れる。

 わたしは勝手に王子に愛称をつけていた。

 アンドリューは長いので、アンドーと呼ぶ。

 なんとなく呼び捨てにはしづらいので「さん」をつけていた。


「王子をお通していいですか?」


 ラルクに問われて、頷く。

 ラルクは王子を呼びに行った。

 王子は自分の従者と共にやってくる。

 13歳なので中学1年生くらいのはずだ。

 そのわりには大人びて見える。

 王子としての重責を背負っているからかもしれない。

 髪の色は赤みが薄い気がした。

 属性は火と風の二つなので、赤と銀が混じっているのかもしれない。

 瞳の色は祖父と同じ青だ。

 顔立ちも似ている気がする。

 子や孫の中で、一番祖父に似ていると祖母が言っていたことを思い出した。

 久しぶりに会うのだが、昔より祖父に似てきたかもしれない。

 シャルルの記憶にある姿より背が伸びていた。

 祖母が心配するのもわかる気がする。

 性格も祖父に似ていた。


(でも、婚約はしないから。そこは流されないから!!)


 わたしは心の中で決意を新にする。


「熱を出したそうだが、大丈夫か?」


 アンドリューは尋ねた。

 聞き方が曖昧で、王子が呪いのことをどこまで知っているのか判断できない。

 だが、知らないとは思えなかった。

 貴族社会は情報戦だ。

 疎いものから淘汰される。

 口調がただの風邪を引いたくらい軽い感じなのが、逆にわざとらしい気もした。

 風邪くらいで王子が見舞いにくることはないだろう。

 王位継承者として、王子が多忙な日々を送っていることは知っていた。

 自分が行けないから、シャルルの方が王宮に会いに来いと何度も手紙を寄こしていたことがシャルルの記憶の中にある。

 だがその呼び出しをシャルルはことごとく断っていた。

 用事があって行けません――と、返事の手紙だけ送る。

 それが嘘なのは王子もわかっていた。

 それでもしつこく誘いの手紙を送ってくる。

 毎日のようにやり取りするうちに、まるで文通のようになった。


(これって、シャルルが会いにくることはないとわかっているけど、せめて手紙くらいはやりとりしたくて、誘いの手紙を送ってきていたんだよね)


 わたしにはそう思える。

 その証拠に、誘いの手紙には花がついていたり、菓子がついていたりした。

 それらのプレゼントへの礼はシャルルも断りの手紙に書き添えている。


(普通に手紙を送っても返事をくれないから、呼び出しの手紙を装ってプレゼントを送っているのだとしたら、健気じゃない? アンドーさんいいやつなんじゃない?)


 ちょっと感動してしまった。

 嫌いになれそうにない。

 そもそも、王子はかなりのイケメンだ。


「はい。大丈夫です」


 わたしは返事をする。


「そうか。良かった」


 王子は安堵を顔に浮かべた。

 優しい目でわたしを見つめる。


「久しぶりにシャルルの顔を見ることが出来て嬉しいよ。元気そうで安心した」


 きゅんとするようなことをさらりと言った。


(うわー。イケメン、こわっ。ナチュラルに落としに来る)


 心の中でぼやく。


<落とされないでよ>


 シャルルの声が聞こえた。

 いないと思っていたので、びっくりする。


(いたんだ。テレビはもういいの?)


 嫌味っぽい聞き方をした。

 メアリーアンの時は出で来なかったのにとも思う。


<良くないよ。見たいよ。でも、こっちの方が大事でしょ。アヤに任せていたら、アンドリューと婚約しそうだもん>


 痛いところを突かれる。

 アンドリューと結婚することで揉めることなく国が上手く回るなら、それでもいいかなとちょっとだけ思ってしまった。


(だってアンドーさん、いいヤツじゃん。シャルルのこと大好きだよ)


 わたしの言葉をシャルルは即座にそんなことないと否定した。

 何故か、頑なに王子の気持ちを認めようとしない。

 言い合いするのは無駄なので、シャルルとの会話は断ち切った。

 脳内会話に時間をかけるわけにはいかない。

 目の前には王子がいた。


「心配かけてすいません」


 わたしは軽く頭を下げる。

 側にいる侍従の目が冷たく感じられた。

 迂闊なことは言わない方がいいだろう。

 言葉少なく会話を終えた。


「今日、明日と休んで様子を見て、平気なようなら寝台から出て普通に生活できると聞いたが?」


 王子に問われて、頷く。


「熱が下がったのでもう平気なのですが、父が心配性なので」


 元気であることを一応、アピールしておいた。

 妙な噂が流れると困る。

 隙は見せないのが一番だ。


「それは良かった。実は二日後、父上がシャルルを城に招きたいそうだ」


 その言葉に反応して、侍従がさっと懐から手紙を取り出した。

 それをラルクに渡す。

 ラルクは安全を確認してからわたしに差し出した。

 わたしは手紙を受け取る。

 蝋で封印されたちゃんとしたもので、王の紋章がついていた。


(不味い)


 わたしは心の中で呟いた。

 どう見てもこれはフラグだ。

 だが断ることが出来ないことくらい、わたしにだってわかる。

 正式な王の招待を断るなんて許されるはずがなかった。

 手紙が取り出された時点で、勝負はついていたのだろう。


(フラグなのに~。わかっているのに~。どうやったって折れない)


 わたしは心の中で愚痴った。

 それでも、一縷の望みにかけて手紙の内容を確かめることにする。

 ラルクに手紙を戻し、封を切ってもらった。

 中の手紙が安全を確認された後、わたしのところに戻ってくる。


「公爵と共に来て欲しいそうだ。熱を出して命が危なかったと聞いて、父上はとても心配している。私のように顔を見に来ることが出来ないので、すまないが足を運んで元気な顔を見せてあげて欲しい」


 王子は小さく頭を下げた。

 そのままの内容が手紙には書いてある。

 命が危なかったと聞いてとても心配していること。

 シャルルは可愛い甥っ子だから、元気な姿を見たいこと。

 久しく顔を見ていない兄(父)にも会いたいことなどが書いてあった。


(そう言えば、国王は極度のブラコンだった)


 わたしはふと、思い出す。

 現国王は父の弟だ。

 昔から兄である父のことが大好きで、王宮に始終遊びに来ていたらしい。

 おかげで、実の母よりクラウスの方に懐いていたようだ。

 それで祖母が苦労したこともあるようだが、本人は何も語らない。

 なにかとややこしい王家だが、家族への愛情は本物だろう。

 国王の手紙にもわたしや父への愛情が溢れていた。

 フラグだとわかっていても、断れるわけがない。

 わたしはちらりとラルクを見た。

 ラルクは青ざめた顔をしている。

 予想外の展開なのだろう。

 王に呼びつけられるなんて、思っていなかったようだ。


(びっくりしたよね。わたしもだよ。こんなところにフラグが隠れていたなんて、完全に抜かったよ)


 わたしは心の中でぼやく。


(これは行くしかないんでしょ?)


 シャルルに確認した。


<……ああ>


 とても不本意そうな返事が返ってくる。


「わかりました」


 わたしは頷いた。


「父と共に参ります」


 約束する。

 一人で行くより父がいた方がたぶんマシだと思った。


 この時点で、わたしの敗北感が半端ない。

 フラグを降り損ねたショックは大きかった。


(あれかなー。メアリーアンとアンドーさんをくっつけちゃえなんて乙女心を踏みにじるようなことを考えた罰が当たったのかな?)


 一人、心の中で反省する。

 すっかり呪いのことは頭から飛んでいた。

 どう考えても不味い。

 国王から王子との婚約の話を持ち出されたら、さすがに断るのは難しいと思った。

 内心はパニックに陥っていたが、なんとかそれを顔には出さずに押さえ込む。

 そんなわたしの手にアンドリューの手が触れた。

 右手を掴まれる。


(何するの!? アンドーさん!!)


 わたしは固まった。

 王子はそのままわたしの右手を自分の方に引き寄せる。


「これは?」


 中指に嵌まっている指輪のことを聞いた。


「これは、その……」


 わたしは口ごもる。

 魔力を入れて欲しいと頼む絶好のチャンスだとわかっていた。

 王子からふってくれるなんて、とてもありがたい。

 だが、頼めなかった。

 侍従の目が気になる。

 彼の前で魔力をくれなんて言うのはなんだか躊躇われた。

 アンドリューの侍従の顔はいくつか知っている。

 シャルルの記憶の中にあった。

 だが、彼と会うのは今日が初めてだ。

 黒髪で目つきが鋭い青年で、仕事は出来そうに見える。

 しかし冷たい印象があった。

 この人の前では余計なことは言うなとわたしの勘が警告している。

 諦めようとすると、ラルクが口を開いた。


「そちらの指輪は火の属性の魔石がついているのですが、空なので先ほどメアリーアン様に少し魔力を入れていただいたのです。でも頂いたのは少しだけだったので、すでに抜けてしまったようです」


 残念そうに説明する。

 魔石が空であることを話した。


(上手い!!)


 わたしは心の中で拍手する。

 何一つ嘘はついていない上に、上手に王子を煽っていた。


「メアリーアンが?」


 ぴくりと王子の眉が動く。

 不機嫌な顔をした。

 それがわたしとメアリーアンのどちらに向けてのものなのかは考えなくてもわかる。

 王子は明らかにメアリーアンに対抗心を燃やしていた。


(恋愛に性別が関係なくなると、全人類がライバルなんだな)


 わたしはふとそんなことを思った。

 大変だな~と他人事のように傍観する。


「その指輪の魔石、空では困るのだろう?」


 王子に問われて、わたしは頷いた。

 ここはラルクのアシストに乗るところだと判断する。

 怖い侍従の顔は見ないことにした。


「では、わたしが魔力を入れておこう」


 王子はそう言うと、わたしの右手を両手で挟み込むようにして握る。


(いやいや。指輪だけでいいんですよ、握るのは)


 心の中の突っ込みは、もちろん口には出せなかった。

 王子の魔力が魔石に注がれる。

 それは間に握られたわたしの手に魔力が触れることでもあった。


(ああ、違う)


 シャルルを呪ったのはアンドリューではないことがはっきりする。

 王子の魔力は暖炉の炎みたいに暖かい。


(アンドーさんが国王になったら、民は幸せなんじゃないかな)


 そう思えた。

 こんな暖かな魔力を持つ人は自国の民を飢えさせたりはしないだろう。


「もう、十分です」


 わたしは王子を止めた。

 小さな魔石はもう満たされている。

 キラキラと赤く光っていた。

 魔石は魔力がたくさん入っていると煌くらしい。


「そうか」


 王子は魔力を注ぐのは止めた。

 添えていた方の手は離す。

 たが、わたしの手を握っている方の手はそのままだった。

 握られた手をさりげなく引こうとしたが、王子は放してくれない。


(おいおいおい)


 心の中で突っ込んだ。

 ラルクに助けを求めたが、困った顔をする。

 この場で、王子を止められるのは侍従くらいだ。

 だがその侍従は何も言わない。


(仕事しろよ、侍従!!)


 心の中で毒づいた。

 だが心でいくら叫んだって、口に出さなければ伝わるわけがない。


<シャル~!!>


 わたしはシャルルに助けを求めた。


<無理。アンドリューってそういうヤツだから>


 冷たく突き放される。

 わたしはムッとした。

 困るのはわたしより、むしろシャルルの方だろう。

 手を握られるくらい、わたしには何ということもなかった。

 13歳の少年に口説かれるのはこそばゆいが、ドキドキするというより微笑ましい気分になる。

 手を握るくらいで満足してくれるなら、いくらだって握ってあげたいくらいだ。


(わたしは貴方なんだけど、いいのね?)


 わたしはシャルルに確認する。

 シャルルは他人事だと思っているようだが、握られているのはシャルルの手だ。

 シャルルがはっと息を飲む。

 状況を正確に理解したようだ。

 こういうところは12歳の子供だなと感じる。

 シャルルは年のわりにしっかりしているが、時々、とても子供っぽい。

 わたしはそれをシャルルの魅力の一つだと考えていた。

 だがたぶん、本人は嫌だろう。


<なんとか手を離して!!>


 シャルルは叫んだ。


(む~り~)


 わたしは流す。

 どうせもう直ぐ、父がやってくる。

 国王からの手紙が父にも宛ててあると知って、ラルクは父に連絡を入れていた。

 側に控えていた使用人の一人を父のところに行かせる。

 手紙のことを聞いた父は直ぐにやってくるだろう。

 そして父が来れば、さすがの王子も手を放すに違いない。

 焦らず、待つことにした。

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