第20話 第三章 2 <<幸せの選択>>





 クラウスが残ったことに、わたしはドキドキしていた。


(え? なんで?? 何のために残ったの?)


 平静を装っていたが、心の中ではパニックが起きている。

 残った理由に心当たりが全くなかった。

 助けを求めてラルクを見る。

 ラルクは無理という顔をしていた。


(助けてよ、シャル。どういうこと?!)


 心の中で呼びかけるが、シャルルから答えが返ってくる前にクラウスが動く。

 伸ばした手が優しく頬を撫でた。


「可愛いシャルル。無事で良かった」


 囁きと共に抱きしめられる。

 いい匂いが鼻をくすぐった。

 思わずうっとりして、胸に顔を寄せる。

 柔らかい感触を期待した。

 だが、筋肉質で固い。

 ごつごつしていてびっくりした。


(なんか固い)


 戸惑ってしまう。


<おばあ様は剣の達人だから>


 シャルルの声が聞こえた。

 鍛えているので、柔らかくないのは当然らしい。

 近衛隊の隊長は名誉職だと思っていたが、違うようだ。


(なんてわたし、抱きしめられているの? 溺愛されているのはユリウスじゃないの?)


 わたしは状況説明をシャルルに求める。


<ユリウス兄さまを特に可愛がっているのはおじい様だけ。おばあ様は孫をみんな平等に可愛がっている。常識人だからね。僕のことは心配して気を配ってくれるけど>


 シャルルが答えた。


(心配されているだけなのか)


 理由がわかって、ほっとした。

 だが安心するのはまだ早かったらしい。


「ちゃんと顔を見せて。本当に大丈夫?」


 顔を覗き込まれた。

 色っぽい顔が目の前に迫る。

 自分の祖母だとわかっていても、ドキドキした。

 それと同時に、少しばかり後ろめたい。

 こんなに心配してくれるのに、わたしはシャルルではない。

 騙しているような心苦しさを感じた。


「大丈夫です」


 わたしは答える。

 多くを語るとばれそうな気がして、言葉少なに会話を切った。


「……」


 そんなわたしをクラウスはじっと見つめる。

 その目は疑っているようにわたしには思えた。

 ぞわり。

 不安が心の中に広がる。

 シャルルでないことがばれているように思えた。

 シャルルのふりをするなんて、無理なのだと弱気になってしまう。


「クラウス様。あまり遅くなられますと、スチュワート様が心配されます」


 ラルクが助け舟を出してくれた。


(ラルク、GJ!!)


 わたしは心の中で拍手喝采する。

 弱気になりかけていた気持ちも持ち直した。

 自分が一人ではないことを思い出す。

 ラルクが協力してくれるなら、上手くいく気がした。


(ありがとう)


 心の中でラルクに礼を言う。


「そうですね。拗ねると面倒だ」


 クラウスは困ったように笑った。

 そして、真っ直ぐわたしを見る。

 わたしは目を逸らしたくなるのを堪えて、クラウスを見つめ返した。


「実は、貴方に話しておきたいことがあるのです」


 クラウスは囁く。


 わたしはドキッとした。

 クラウスの口調から、それが良いことではないことは察せられる。


「貴方たちの父親は良くも悪くも真っ直ぐな子だから、貴方が襲われた件で腹を立てて、王宮や議会との関わりを断ってしまいました。でもそれでは肝心な時に情報が入らないのです。だから、私が教えに来ました。アンドリューが貴方との婚約の手続きを進めていると噂になっています」


 クラウスは心配そうな顔をした。


「え?」


 わたしは固まる。

 昨日、アンドリューがシャルルと結婚するつもりでいることはシャルルに聞いた。

 しかし、いろいろ問題があって正式な婚約さえ難しいと説明された気がする。第三王妃として迎えるわけではないことや他の王妃は娶らないと宣言していることで賛成を得難いようだ。


「驚くのも無理はない」


 クラウスは再びわたしを抱きしめ、背中をポンポンと叩く。

 子供をあやすように慰めた。


「アンドリューは子や孫たちの中で、一番気質がスチュワートに似ています。強引なところがあって、欲しいものは決して諦めません。王としての資質はあるようですが、だからこそ私は心配なのです。貴方が私のように、無理やり婚約させられ、王妃にされるのではないかと」


 わたしの顔を覗き込み、頬を両手で優しく包み込む。

 こつんと額同士が当たった。


「私は言えなかったけど、貴方は嫌なことは嫌だとはっきり言っていいのですよ」


 諭すように囁いた。

 わたしはその言葉にとても驚く。


「おばあ様はおじい様との婚約や王妃になることが嫌だったのですか?」


 シャルルの記憶の中にある祖父母はいつ見ても仲が良かった。

 祖父がクラウスを溺愛しているのはもちろんだが、クラウスの方も祖父に愛情を持っているように見える。

 二人が寄り添う姿は見ているこっちが居たたまれない気持ちになるほどラブラブだ。

 そんな祖母が祖父との婚約を嫌がっていたなんて、思いもしなかった。


「最初は嫌でした。当時の私はまだ6歳の子供で、行儀見習いのつもりで王宮の近衛隊の見習いとなり、週に一・二度王宮に通っていました。私は子爵の息子でそれほど裕福ではなく、他の貴族の子供たち同様、近衛隊で勉強することになっていたのです」


 昔話を聞きながら、貴族社会の学習環境についてわたしは思い出していた。

 平民には学校がある。

 なので、どの子も6歳になれば学校で学ぶことができた。

 だが貴族は自宅での個別学習が基本だ。

 裕福な貴族は何人も家庭教師を雇えるが、そうでない貴族は困る。

 そこで、近衛隊が見習いとして子供たちに勉強を教えたり剣術を教えたり、魔法の使い方を学ばせたりしている。

 近衛隊は王宮と離宮にそれぞれにあり、どの近衛隊に所属するかで将来の派閥も決まった。

 とても合理的なシステムだが、しがらみも多い。

 ちなみに兄たちは例の事件が起こるまでは王宮でアンドリューの近衛見習いを勤めていた。

 こちらはもちろん学習目的ではない。

 遊び相手の意味合いが強かった。

 アンドリューは6歳になるまで頻繁に遊びに来ていた。

 現王は従兄弟同士が仲良くすることを望み、息子の遊び相手にアルスロット家の子供たちを選ぶ。

 兄弟みたいに仲良く育った。


「それがたまたま謁見した第三王妃の息子に気に入られ、王子の近衛兵に抜擢されたのです。王宮に毎日通わなければならなくなり、2つ年上の王子と同じことを学ぶことになりました。6歳と8歳の時の2歳の差は小さくありません。わたしは本来ならばしなくていい苦労を強いられたのです。その上、第三王妃にする、婚約すると言い出して私の両親まで丸め込み、一月も経たないうちに私との婚約を成立させてしまいました。私は婚約者として王宮に住み、家に帰ることも許してもらえません。まだ6歳で親も兄弟も恋しい年頃だったのに、突然、家族と引き離されたのです。そんなことされて、シャルルは王子を好きになれますか?」


 クラウスは今まで吐き出すことが出来なかった本音を滔々とぶちまけた。

 静かに淡々と語るのが逆に重い。

 思うところがたくさんあったのがよくわかった。


「なれません。むしろ、嫌いです」


 わたしははっきりと答える。

 祖母の苦労が忍ばれた。

 気の毒に思う。


「そうでしょう? しかも、スチュワートはませた子供だったのです。8歳なのにキスしてきたり、触ってきたり。夜はベッドにもぐりこんでくるいやらしい子で。毎日私のベッドに潜りこんで寝ていることを見かねた侍従に、私の方が王子のベッドで同衾するように言われて。それを断ることも私は出来なかったのです」


 クラウスはむっかりと怒った顔をした。


「どうしてですか?」


 わたしは気になって、尋ねる。


「両親から言い含められていたのです。実家は私の婚約と共に子爵から一気に侯爵に格上げされていました。婚約解消なんて出来る状況ではなかったので、王子には逆らわないように言われていました」


 クラウスはため息をついた。


「では、嫌なことも我慢していたんですね」


 わたしは同情する。


「途中までは」


 クラウスは小さく笑った。


「スチュワートは私が嫌がることはしない。それに気づいてからは、本当に嫌なことは嫌だと伝えるようになりました。それと同時に、迂闊なことは口にしないようにも。些細なことでも私が望めばスチュワートは叶えようとする。だから私は何も望まず、何も願わないようにした。おかげで無欲の聖人なんて言われるようになりました」


 肩を竦める。


「おばあ様は幸せですか?」


 わたしは尋ねた。


「今は、とても幸せです」


 クラウスは頷く。


「愛しい息子がいて、可愛い孫が4人もいる。夫に愛され、大切にされて、幸せだと思っています。でも、その幸せが全ての人にとって等しく幸せであるとは思っていません。幸せの形は人それぞれ違います。私のように、愛されて子供を持ち、孫に囲まれることを選ぶ人間もいれば、そうでない幸せを求める人もいるでしょう。シャルルが選ぶ幸せが、私と同じ王妃である必要はありません。シャルルは自分の生きたいように生きなさい。貴方はそれが出来る家柄に生まれ、貴方の願いなら何でも叶えてあげようとする家族に恵まれているのです。婚約が嫌なら、止める手立てはいくらでもあります。シャルルが無理をする必要がないことは覚えていてください」


 優しい言葉にわたしの胸は熱くなった。


「おばあ様」


 わたしは自分から抱きつく。

 筋肉質な固い胸はとても頼りがいがあるように思えた。


 トントン。


 そこにノックの音が響く。


 ラルクがドアを開けに行った。

 父さまが立っている。


「母上。そろそろいらしてください。父上が煩くて敵いません」


 困った顔でクラウスを見た。


「そうですね。つい、余計な話をしてしまいました」


 クラウスはわたしを見ると、片目を閉じてウィンクする。

 さっきのことは内緒にという合図らしい。

 わたしは小さく頷いた。

 クラウスが部屋を出て行くと、代わりのように父さまが中に入ってきた。


「シャルル」


 ベッドに近づき、わたしの名前を呼ぶ。


「時間がかかっていたが、何かあったのかい? 母上が何か?」


 心配そうに聞いた。

 だがその心配はわたしのこと半分、クラウスのことが半分だろう。

 実は父さまはマザコンだ。

 クラウス大好きなことは家族にはばれている。

 夫にも息子にも愛されて、確かにおばあ様は幸せな人なのだろう。

 だが同じ道を選ばなくていいとおばあ様は言ってくれた。

 わたしはわたしの――正確にはシャルルの――幸せをよく考えようと思う。


「いろいろお話が聞けて良かったね」


 わたしはラルクに同意を求めた。

 クラウスの話は当然、ラルクにも聞こえている。


「私は何も聞いておりません」


 ラルクは首を横に振った。

 自分は知らないほうがいいと判断したらしい。

 正しい選択だとわたしも思った。

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