第14話 第二章 4 <<一つ目のフラグ>>





 さらっと必要なところだけ読んで、わたしは本を閉じた。

 一通りこの世界のことを把握して満足する。

 頭をフル回転させたせいか、疲れてしまった。

 本をベッドサイドに置くと、横になる。

 目を閉じたら、そのまま寝てしまった。

 ラルクに起される。


「シャルル様」


 身体を揺すられて、目を開けた。

 声をかけただけでは起きなくて、ラルクは強硬手段に出たらしい。

 目の前にラルクの顔があって、わたしはひどく驚いた。

 びくっと身体が震える。

 警戒してしまった。

 それに気づいたのか、ラルクはすっとわたしから離れる。

 怯えたことに気づいたろうに何も言わなかった。

 優秀な使用人はスルースキルも高い。


「夕食の時間です」


 用件を告げる。


「ありがとう」


 わたしは礼を言った。

 ベッドを降りようとする。


「どこに行かれるんですか?」


 ラルクに止められた。

 わたしは首を傾げる。


「食事に……」


 当たり前のことを答えた。

 夕食だと起されたのだから、食堂に行くのは普通だろう。

 この家では、食事は家族揃って食堂で取ることと決まっていた。

 シャルルの記憶にそうある。

 しかしそれを聞いたラルクは困った顔をした。


「食堂で皆様と一緒にお食事をしていただくわけにはまいりません」


 駄目だと首を横に振る。


「どうして?」


 わたしはラルクに尋ねた。


「寝間着姿で食事をするなんて、貴族のすることではありません」


 注意される。

 わたしは自分の姿を見た。

 肌触りのいいネグリジェを着ている。

 ワンピースタイプだが、別に女物というわけではない。

 この世界の一般的な寝間着であることは知っていた。

 父も兄たちも似たようなものを着ている。

 だが、寝間着で食事を取るのが不味いことは理解できた。


(貴族って面倒くさい)


 わたしは心の中でぼやく。

 寝込んでいたのだから、今日くらいは見逃して欲しい。

 だが言うだけ無駄なことはわかっていた。

 ラルクはマナーに厳しい。

 一回り近く年上のせいか、シャルルが間違ったことをしないよう見守る監視人を兼ねていた。

 我侭は通らない。

 もっとも、シャルルは我侭を言うような子供ではなかった。

 年より大人びている。

 ここでわたしが駄々をこねたら怪しまれるだろう。


「わかりました」


 わたしはベッドに座りなおした。

 枕に凭れかかる。


「お食事はこちらに運びますね」


 ラルクは満足そうに告げた。

 食事の準備のため、部屋を出て行く。

 わたしは複雑な気持ちでその後姿を見送った。


(ねえ、シャル)


 呼びかける。

 返事が来る前に、質問を続けた。


(ラルクは信用していい人なの?)


 ずばり聞く。

 回りくどく人となりを尋ねる時間はなかった。

 ラルクが食事の用意を終えて戻ってくる前に、わたしにははっきりさせておきたいことがある。


<どういう意味?>


 シャルルは逆に質問した。

 わたしは少し迷って、正直に話すことにする。


(実はわたし、ラルクを疑っているの。呪いをかけたのはラルクかも知れない)


 打ち明けた。


<はあ?>


 険しい声が響く。


<ラルクは僕が7歳の時から仕えてくれている。そのラルクがどうして僕に呪いをかけるんだ?>


 ばかばかしいと言いたげなシャルルにわたしは眉をしかめた。


(理由なら、今、思い浮かんだだけでも3つは挙げられるわよ)


 そう答えると、シャルルは黙り込む。


(一つ目はラルクが偽者とすり替わっているパターン。誰かがラルクに成りすましていないと断言は出来ない)


 わたしは理由を数えて指を折った。


(二つ目は、実はラルクは敵のスパイでシャルルを殺す機会を窺って何年も前から潜入していた。三つ目は人質を取られて脅迫されている。ああ、四つ目に何かの理由で殺意を抱いたっていうパターンもあるわね)


 考えればいくらでも理由は思い浮かぶ。

 人の恨みなんて買うのは容易い。

 殺意は些細なことでも生まれるのだ。


<そんな理由なら、誰にでも当てはまるだろ。 なんでラルクを疑うんだ?>


 責めるようにシャルルは問う。

 ラルクを疑うことにそうとう不満があるようだ。


(それはラルクがわたしに呪いをかけた術者と同じ火の属性を持っているから。そして、シャルルがラルクを信頼しているからよ)


 わたしははっきりと言う。


(ずっと側にいて味方だと思っていた相手が実は裏切り者だったというパターンはありがちなの。そういう相手が出てきたら、フラグかもしれないと疑った方がいい)


 説明しながら、私もちょっと心苦しい。

 母を亡くした後、父や兄たちはさらにシャルルを溺愛した。

 不憫に思い、甘やかす。

 そんなシャルルを躾けたのはラルクだ。

 シャルルにとっては家族同然の存在である。

 でもだからこそ、わたしはラルクを疑ってしまう。

 全てがフラグとしか思えなかった。

 それでも、ラルクが火の属性を持っていなければ疑わなかったかもしれない。

 だが、ラルクは火と土の属性を持っていた。

 わたしに呪いをかけた相手と同じ属性を使う相手を、小さな頃から側にいるからという理由だけで疑いから外すわけにはいかない。

 食事をわたしだけ別に取るということにも、実は引っかかっていた。

 寝間着姿が不味いなら着替えればいい。

 だがラルクは着替えるのではなく、家族と別に食事を取ることを勧めた。

 毒殺という言葉が脳裏を過ぎる。

 犯人を特定しやすい手段は選ばないと思うが、呪う理由が定かではないから可能性は何一つ排除出来ない。

 毒が盛られていた場合、どうしようとわたしは考えた。

 前世では毒殺の心配なんてしたことないから、毒には詳しくない。

 とりあえず、少量を口に含んでぴりぴりしたら吐き出そうと決めた。


<……>


 シャルルは黙り込んでいる。

 わたしの言葉に納得したわけではないだろう。

 だが、否定も出来ないのだ。

 わたしはラルクを疑いながら、術者でないことを願っていた。

 考えすぎであればいいと思う。

 12歳の子供を傷つけたいわけではないのだ。

 そんなことを考えていると、ラルクが戻ってくる。


 トントン。


 ノックの後、ドアが開いた。

 ラルクが食事の載ったワゴンと共に入ってくる。

 ワゴンは別の使用人が押していた。

 その頭には猫系の耳が生えている。

 虎なのか豹なのか獅子なのかはっきりしないけど、頭頂部の二つの耳はぴくびく動いていた。

 獣人のルークだ。

 ユリウス専属の使用人で、屋敷に獣人は彼しかいない。

 父の知り合いである獣の国の商人が息子を行儀見習いとして預けていた。

 ユリウス付きになったのは年が同じだからで、使用人というよりはボディガードに近い。

 獣人は身体能力が高く、まともに戦ったら人間は勝てなかった。

 ユリウスには専属が三人いて、仕事を分担している。


(何故ルークが?)


 不思議に思った。

 ルークが付き添うのは外出の時が多いので、滅多に外に出ないシャルルはあまり面識がない。

 わたしが思い出せる情報は少なかった。

 困惑していると、ユリウスがやってくる。

 それを待ってドアは閉まった。


「兄さま?」


 わたしは首を傾げる。


「気分はどうだい? シャルル。一人で食事するのは寂しいだろうから、来たよ」


 ユリウスはにこやかに微笑んだ。

 ラルクはユリウスのために椅子を用意する。

 ベッドの横に置いた。

 ユリウスは椅子に腰掛ける。


(寂しいけど、食べているのを見られるのもけっこう迷惑です)


 わたしは心の中で愚痴った。

 しかしそれを口に出せるわけがない。

 兄の行動が善意であるのはよくわかっていた。

 ユリウスが極度のブラコンであることを思い出す。

 家族の中で、シャルルに一番べったりなのはユリウスだ。

 小さな頃は手を繋いで、片時も離れない。

 幼い時はそれでも良かった。

 だが最近のシャルルは少しユリウスを鬱陶しく思っている。

 少し放っておいて欲しかった。

 マクシミリアンの方が適度に距離を取ってくれるので付き合いやすい。


(優しくて美少年で賢くて。極度のブラコンじゃなければ自慢のお兄ちゃんなんだけどな)


 残念な人だなと思う。

 シャルルと違ってわたしはそういうところも嫌ではないが、ご飯を食べるところを眺められるのはさすがに厳しかった。

 だが、そんな心配はまだ甘いことに気づく。

 ユリウスのブラコンぶりをわたしは軽く見ていた。


「私が食べさせてあげよう」


 ユリウスはにっこり笑う。

 わたしは聞き間違えたかと思った。

 だがユリウスは食べさせる気で、自分の前に料理を並べさせる。

 給仕をするのはユリウスの専属であるルークだ。

 そのためにルークがワゴンを押してきたらしい。

 わたしはちらりとラルクを見た。

 ラルクはこうなることを知っていて、ユリウスを連れてきたはずだ。

 わたしはそれを目で責める。

 その視線からラルクはふいっと顔を背けた。

 わたしと目を合わせない。

 ユリウスはリゾットのようなものをスプーンで掬った。

 食べさせようとして、遠いことに気づく。

 キングサイズのベッドは無駄に大きかった。

 届かないことにわたしはほっとしたが、そんなことでユリウスは諦めない。

 椅子から立ち、ベッドに腰掛けた。


「あーん」


 わたしに口を開けるよう、促す。

 いやいやとわたしは首を横に振った。


「自分で食べられます」


 断る。

 スプーンを受け取ろうとした。

 だがユリウスは渡さない。

 皿に戻した。


「シャルルは病み上がりなのだから、甘えていいんだよ」


 遠慮しなくていいと言われるが、遠慮しているわけではない。

 見た目は12歳美少年でも、中身はおばさんだ。

 15歳美少年にあーんなんてしてもらうのはとても後ろめたい。


(無理っ。無理無理無理)


 わたしはぎゅっと口を噤んだ。

 そんなわたしにユリウスは困惑する。


「どうしてそんなに嫌がるんだい?」


 悲しげな顔をした。

 憂いを帯びた目でこちらを見る。

 絶対、自分が美少年であることを自覚してやっている。

 わたしの胸はちくちく痛んだ。

 自分が悪いことをしている気分になる。


(美少年の切なげな顔なんて、反則すぎるっ)


 わたしは困った。

 わたしの中にいるはずのシャルルは黙して助けてくれない。

 ラルクの件で怒っているのだろう。


「嫌なんじゃなく……、その……」


 わたしは言い訳を探した。

 泳がせた視線がラルクの姿を捉える。

 あることを思いついた。


「もし毒が入っていたらと思うと、怖くて」


 毒殺を危惧していることをあえて話す。

 ラルクの表情をさりげなく窺った。

 小さく眉をしかめたが、特に動揺した様子はない。


(やはり毒殺なんてわかりやすい手段は使わないか)


 わたしは心の中で呟いた。

 少なくとも、ラルクは毒を入れていないように感じる。


「そんな心配しなくて大丈夫だと思うけど、シャルルの不安な気持ちもわかるよ」


 ユリウスはわたしを宥めるように微笑んだ。


「私が毒見役を買って出よう」


 そんなことを言い出す。


「え?」


 予想外の展開にわたしは驚いた。

 掬ったスプーンを自分の口に運ぼうとしているユリウスを見て、焦る。

 万が一がないわけではない。

 毒が入っていたらと考えると背筋が冷たくなった。


「やめて!!」

「お止めください!!」


 わたしの叫びにラルクの声が重なる。

 ユリウスの手を掴んで、止めた。

 手首を掴まれたユリウスは驚いた顔でラルクを見る。

 わたしは動揺した。

 ラルクの真剣な顔に、嫌な予感が胸を過ぎる。


(まさか本当に毒が入っているんじゃ……)


 疑いを抱いた。

 ラルクが犯人なのかと悲しくなる。

 だが次の瞬間、ラルクは意外なことを言い出した。


「毒見なら、私が行います」


 そう言ってユリウスからスプーンを取り上げる。

 自分の口に入れた。

 他の料理もすべて、毒見をしてみせる。


(あれ?)


 わたしは拍子抜けした。

 考えすぎだったらしい。

 ラルクの行動が、毒が入っていることを知っているからではなかったことにほっとした。

 ユリウスを危険から守りたかっただけらしい。


(ん? なんか変じゃない??)


 わたしは小さな引っ掛かりを覚えた。

 ラルクの行動に違和感がある。

 だがその理由を考える暇はなかった。


「シャルルはいい従者を持ったね」


 ユリウスは感心する。

 毒見をしたラルクを誉めた。

 ラルクは照れた顔をする。

 そんな顔をするのは珍しかった。

 貴族の従者として、ラルクは自分の感情を表に出さない教育を受けている。

 常に冷静で騒がず、周りをよく見ていた。

 ラルクは平民の出だが、実家はかなり裕福な商家だ。

 二つの属性を持ちそれなりに魔力も強かったので、魔力検査の後早々に貴族に仕えることが決まる。

 従者としての教育をきちんと受けていた。

 ラルクが公爵家で働くことは実家の商家にも恩恵をもたらす。

 上流貴族のお得意さんの多くは公爵家との繋がりで得たようだ。

 同じ出入りの商家の子息でも、ルークは行儀見習いで将来的には国に戻って実家を継ぐ身だが、ラルクは実家に戻ることはない。生涯、公爵家に仕えることになっていた。実家の跡継ぎはすでに弟に決まっている。

 ラルクが実家に戻るより公爵家にいる方が商売のためになるということだろう。

 実家のためにラルクが犠牲になっているように思えて、わたしは少し複雑な気持ちになった。

 だが、それはこの世界の一般的な考え方らしい。

 一族の繁栄は個人の感情より優先されるのだ。

 遺伝子はとことん利己主義だ。

 自分のコピーをよりよい環境の中に残したがる。

 ラルクはそんな一族の要望にきちんと応えていた。

 貴族の従者に相応しく、冷静沈着で落ち着いている。

 ラルクの慌てた姿なんて、ほとんど見たことがない。

 ユリウスを止めた時の動揺ぶりに、だからこそ驚いた。


(もしかして……)


 わたしは一つの可能性に思い当たる。


(ううーん)


 心の中で唸った。

 そんなわたしにユリウスはあーんを要求する。

 食べさせるのを諦めていなかった。

 観念したわたしは口を開ける。

 抗うのが面倒くさくなった。

 考えたいことが他にあるので、食べさせてもらうのが恥ずかしいとか気にしていられない。

 ユリウスに食べさせてもらいながら、わたしはラルクを観察した。

 側に控えているが、その視線はユリウスに向けられることが多い気がする。

 主であるわたしよりユリウスのことを気にしていた。


(ラルクはユリウスが好きなのね)


 心の中で呟くと、

<えっ?>

 シャルルが驚く。


<ありえない>


 否定した。

 この国では使用人が貴族に恋するなどあってはならない。

 身分には大きな開きがあった。

 平民と貴族の差は埋められないほどで、主に従者が思慕を抱くなど許されない。

 恋愛に男女は関係ないが、身分は大きく関係した。

 そしてそれはラルク自身が一番よくわかっている。

 だからこそ隠していたのだろう。

 ラルクは優秀だから自分の感情を隠すのも上手い。

 12歳のシャルルがラルクの恋慕に気づかないのも仕方ないだろう。


(ねえ、シャル)


 わたしは呼びかけた。


(わたしたちが死んだら、この家を継ぐのはユリウスなのよね?)


 確認する。


<……>


 シャルルは答えなかった。

 わたしが何を言いたいのかわかったのだろう。

 兄弟の中で、わたしの次に力が強いのはユリウスだ。

 わたしになにかあれば、跡継ぎはユリウスと決まっている。

 子宝の種の木にはちょっとした傾向があった。

 熟すのに時間がかかればかかるほど、強い魔力を持った子供が生まれる。

 そのため、兄弟がいる場合は末子の方が魔力は強かった。

 たいていの場合、跡継ぎは末っ子に決まる。

 ユリウスにとって、本来、シャルルは邪魔な存在だ。

 排除すれば自分が跡継ぎになれる。

 だが弟を溺愛しているユリウスがシャルルを害することはない。

 しかしユリウスを跡継ぎにしたい誰かが、シャルルの命を狙うことは十分にありえる。


<ユリウス兄さまのために、ラルクが僕を排除しようとしたと言いたいのか?>


 シャルルは問うた。

 動揺しても当然なのに、その声は落ち着いている。


(そうじゃないといいなと思っている)


 わたしは正直に答えた。

 だが、わたしを狙う四番目の理由がはっきりしたとも思える。


<ラルクはそんなことしない>


 呟くシャルルの声は泣いているようにも聞こえた。

 そうであって欲しいとわたしも思う。

 同時に、事実を確かめなければと心に誓った。


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