第11話 第二章 想像を超えた異世界 1 <<兄と鬼>>





 現実に意識を戻すと、部屋の外がざわざわしていることに気づいた。

 なんだか騒がしい。

 どうやら、揉めているようだ。

 気になって、枕もとのベルを鳴らす。

 チリンチリンと可愛らしい音が鳴って少しすると、ドアが開いた。


「お呼びですか?」


 執事風の服を着た優しい面立ちの青年が入ってくる。

 年は20代前半くらいに見えた。


「呼んだよ」

 答えると、彼は枕元までわたしの用件を聞きに来る。


(ラルクだ)


 近くで顔を見て、記憶が繋がった。

 彼はシャルル付きの使用人で、火と土の二つの属性を持っている。

 髪は赤茶色をしていた。

 この国では髪の色に持っている魔法の属性が現れる。

 光属性は金色、闇属性は黒。銀色は風で、火が赤、水が青、土が茶色と決まっていた。

 稀に二つ以上の属性を持つ者がいるが、その場合は髪の色も混ざっていることが多い。

 ちなみにシャルルの髪が黒いのは、6色全てを混ぜ合わせると黒になるからだ。

 6歳の時に魔力検査を受けるまで、周囲はシャルルの黒髪は闇属性の黒だと勘違いしていた。

 ラルクは平民だが、属性を二つ持っていたので使用人として召抱えられる。

 貴族に比べて、平民の魔力は弱い。

 しかしたまに強い魔力を持つ者や複数の属性を持つ者が生まれた。

 そういう平民は貴族の使用人として働く方が街で仕事につくよりずっと高い給金が貰える。

 ラルクも成人した16歳の時から公爵家で働いていた。

 シャルルが7歳の時から専属として仕えている。


「騒がしいけど、何かあったの?」


 わたしはシャルルとして問うた。

 小さい頃からずっと側にいるラルクはシャルルをよく知っている。

 中身が違うことはばれないようにしなければと思った。

 無駄に緊張する。

 内心、ドキドキしていた。

 そんなわたしにラルクは柔らかな笑みを浮かべる。

 茶色い目が優しくわたしを見つめた。


「ジークフリート様とマクシミリアン様がお戻りになられました。それぞれ、術者の代わりに、その……。鬼と悪魔をお連れです」


 困ったように答える。

 なんで鬼と悪魔なのだろうと考えて、魔力を持っている種族は天使と悪魔と鬼だと聞いたことを思い出した。

 人より強い魔力を持っているとも言っていた気がする。


「僕のために連れてきてくれたんでしょう? 何を揉めているの?」


 問いかけにラルクは苦く笑った。


「鬼も悪魔も人より強い魔力を持っていますが、信用していいのかはわかりません。国交のある鬼族はともかく、悪魔は人に友好的な種族ではありませんし……」


 全部は言わず、言葉を濁す。

 わたしは状況をなんとなく理解した。

 おそらく、わたしを診せるかどうかで揉めているのだろう。

 呪いは解けていないが、命の危機は脱していた。

 危険な状況なら藁にも縋る思いで診察を頼むのだろうが、今はそんなに緊迫していない。

 鬼や悪魔に診せて、逆に何かあったらと心配するのは家族として当然かもしれない。

 だが、わたしは鬼にも悪魔にも会ってみたいと思った。

 この世界の知識が圧倒的に不足しているわたしにとって、情報を収集するチャンスを逃すのは惜しい。

 鬼や悪魔を自分の目で見れるのは有益なことだと思った。


「せっかく兄さまたちが連れてきてくれたのだから、会うよ」


 わたしがそう言うと、ラルクは少し驚いた顔をする。


(しまった。何か失敗したかな?)


 わたしは心の中で焦った。

 シャルルらしくなかったのかもしれない。

 だがどこがシャルルらしくなかったのか、わたしにはわからなかった。

 ラルクは何も言わなない。


「では、そのように」


 小さく頭を下げて、部屋を出て行った。


(うーん。微妙な反応)


 わたしは心の中で唸る。

 だが冷静に考えれば、わたしをシャルルではないと疑うことはありえない。

 身体はシャルル本人だ。

 自分がシャルルではないという後ろめたさがあるからわたしが過敏になっているだけで、ラルクは何も思っていないかもしれない。


(そうだといいな)


 わたしは苦く笑った。

 もっと毅然とした態度を取らなければと自分を戒める。

 トントン。

 部屋のドアがノックされた。


「はい」


 返事をすると、ドアが開く。


「ジークフリート様とお連れの方をご案内しました」


 ラルクがそう告げて、兄と鬼の青年を通した。


「シャルル」


 兄が優しい笑みを浮かべて近づいてくる。

 父と良く似ていた。

 金の髪に青い瞳で、長い髪を後ろで一つに結んでいる。


(貴族に長髪が多いのは、髪に魔力が宿っているという迷信のせいだったっけ)


 思い出した知識の中にそのことがあった。

 魔力の優劣がそのまま地位や権力に反映する貴族は魔力増強を願い、髪を伸ばすらしい。

 だが実は髪の長さと魔力に因果関係はなかった。

 それでも迷信は根深く残っている。


(シャルルの髪が短いのは、強すぎる魔力が嫌だったからかな)


 そんなことを思って切なくなっていると、

<関係ないよ>

 シャルルに反論されて、びっくりした。


(急に話しかけないで)


 わたしは文句を言う。

 心臓がどきどきしていた。

 それはシャルルにもわかったらしい。


<ごめん>


 素直に謝られた。


<黙っているよ>


 沈黙する。


「熱は下がったと聞いたけど、起きていて平気かい?」


 ベッドの上で身を起しているわたしの横にジークフリートは立った。

 手を伸ばし、わたしの頬に触れる。

 優しく撫でられた。

 顔を覗き込まれて、わたしは照れる。

 だがそんな素振りは見せるわけにはいかなかった。

 にこやかに微笑み返す。


「大丈夫です。ジーク兄さま」


 答えた。


「良かった」


 ジークフリートは安堵の表情を浮かべる。

 長兄はおっとりしていた。

 穏やかで優しく、声を荒げた姿を見たことがない。

 誰にでも親切なので、老若男女問わず好かれた。

 だが、兄自身が誰かに好意を寄せている様子は見受けられない。

 ジークフリートは17歳なのでもう大人だ。

 本来なら、貴族は成人前に婚約者が決まり、成人すると同時に番う。

 だが兄は山のように来る見合いの話をすべて断っていた。

 貴族の妻を娶るつりはないと公言している。

 それが自分のせいではないかとシャルルは気にしていた。

 わたしはちくりとした胸の痛みと共にそれを思い出す。

 シャルルは警戒心が強く、他人を屋敷に入れたがらなかった。

 嫁を迎えるなんて無理だとジークフリートが考えても不思議ではない。


「ところで、呪いを解けるかもしれないので鬼族の友人を連れてきたんだ」


 ジークフリートは自分の一歩後ろに立っている鬼を振り返った。

 鬼は着物を着ている。

 額に角が無ければ見た目は人と変わらなかった。

 さらさらの髪は青黒く、フェイスラインに沿って切りそろえてある。

 角は額の真ん中に一本あった。

 鬼というよりユニコーンの角みたいに見える。

 鬼には角が一本の者と二本の者がいるらしい。

 その違いがなんなのか書いてある本を読んだことがシャルルの記憶の中にあった。

 でも、思い出せない。

 その本は父の書庫にあるはずなので、後で探して読んでおこうと決める。

 気になったことを放置出来ないのはわたしの性格だ。


「青流(セイリュウ)と申します」


 鬼は静かに名乗る。

 日本的な美人だ。

 切れ長の瞳は黒く、物静かで大和撫子という感じがする。

 おっとりしていて物静かな兄とは波長が合う気がした。


(東洋と西洋の王子様の邂逅ね)


 絵になるな~と二人の姿を眺める。


(こんな友人がいるなんて、ジーク兄さんはメンクイだったのね)


 わたしはウキウキと心の中でシャルルに話しかけた。

 綺麗なものは二つ並ぶとより綺麗さを増す。

 お互いの良さを引き立てあうように見えた。


<兄さまに鬼の友人がいるなんて、僕は知らなかった>


 シャルルは何故か拗ねている。


(ブラコンだな~。兄弟の友人関係を全て把握しているわけがないでしょ? 知らないのが普通よ)


 拗ねる必要はないと慰めると、何故か大きなため息を吐かれた。

 後で説明すると言われる。


 わたしはシャルルとの会話に持っていかれそうになっていた意識を目の前の青流に戻した。


「少し、触れてもいいですか?」


 外見に相応しいもの静かな声で問われる。


(いくらでもどうぞ~)


 心の中ではそう返事しだが、口には出せない。

 黙って、こくりと頷いた。

 青流はわたしの手を握る。

 魔力が手を通して伝ってきた。


「!?」


 わたしは目を見開く。

 青流の青い魔力がわたしを包み込もうとするのが見えた。


「大丈夫、調べるだけです」


 怯えるわたしに青流は微笑む。

 青流にも青い霧のようなものが見えているようだ。

 目が合うと、青流は静かに頷く。

 ただそれだけで、わたしは信じていい気になった。


<顔が良くてもいい人だとは限らないよ。人ではないけど>


 シャルルのツッコミが聞こえる。


(わかっている。でも、この力は違うわ)


 わたしは断言した。

 魔力には属性と色がある。

 青流の魔力は水の属性で青い色をしていた。

 だがわたしにかけられた呪いは赤い。

 呪いをかけたのは火の属性を持つ誰かだ。

 少なくとも、青流ではない。


 そんなことを考えている間に、青流の診察は終わった。

 すっと手が離れる。


「どうだった?」


 心配そうにジークフリートは尋ねた。

 青流を見る。

 青流は困った顔をした。


「確かに呪いは封じられいます。ですが、解けてはいません。そして魔力の半分も呪いと共に封じられているようです。そのため、今のシャルル様は本来の力の半分しか使うことが出来ません」


 魔術師のおじいさんより、ずっと的確な指摘をする。

 心当たりがありすぎるわたしは内心、ドキッとした。


「そうか」


 シークフリートは頷く。


「それで、呪いは解けそうか?」


 縋るような目で尋ねた。


「鬼の力でも難しいです。少なくとも、今すぐには無理です」


 ふるふると青流は首を横に振る。


「お役に立てなくて、すいません」


 謝った。

 申し訳ない顔をする。

 美人に辛い顔をされると見ているこっちも辛い。

 わたしの方が申し訳ない気持ちになった。


「気にしないでください。命に別状がないのでなんとかなります」


 励ますように言う。

 そもそも、誰かが呪いを解いてくれることをわたしは期待していなかった。

 自分が強大な力を持つことを、すでにわたしは自覚している。

 そのわたしに出来なかったことを、他の誰かが出来るとは思えない。

 呪いを解くには術者を見つけるしかないと覚悟していた。

 何よりも、誰が何のために呪いをかけたのははっきりさせておかないとわたしは安心出来ない。

 だから、無理に呪いを解こうとする必要は無かった。


 それを説明するべきかどうか、わたしは悩む。

 青流を見ると、兄が寄り添っていた。

 落ち込む彼を慰めている。

 二人の距離は近く、兄の手は青流の腰を抱いていた。

 青流はそんな兄に控えめにもたれかかっている。

 どうやら、二人は特別な関係にあるようだ。


(え? そういうことなの?)


 わたしが驚いていると、心の中のシャルルは沈黙する。


<…………>


 ショックを受けているのかもしれないと、わたしは気を遣った。

 シャルルは相当なブラコンだと思う。


(男同士でもいいじゃない。愛し合っていて、二人が幸せなら)


 説得を試みた。

 二人は仲睦まじく、引き離すのは忍びない。

 お似合いだとも思った。


<男同士は別に問題ない。貴族では少ないが、平民の間では普通だ。問題なのは人ではなく鬼というところだ>


 シャルルに反論される。


(男同士は普通なのか)


 異世界はボーダーレスのようだ。

 6種類も種族がいたら、男女の違いなんて些細なものなのかもしれない。人間というだけで同じ括りの中に入るのだろう。


「ジーク兄さま」


 放っておいたらいつまでもいちゃついていそうな二人にわたしは声をかけた。

 兄ははっとしたようにわたしを見る。

 二人の世界に入っていて、存在を忘れていたようだ。

 照れた顔をする。


「その……」


 言い訳しようとして、止めた。


「青流にはしばらく、我が家に滞在してもらおうと思っている」


 それだけ告げる。


「わかりました」


 わたしは頷いた。

 綺麗なお兄さんが増えることに文句はない。

 兄が幸せならそれでいいとも思った。

 だが、兄はそんなわたしを不思議そうに見る。


「反対しないのか? 他人が家に入るのを嫌がるシャルルが珍しいな」


 戸惑う顔をした。


(なるほど、そういうことか)


 わたしは心の中で呟く。

 唐突に理解した。

 さっきラルクが微妙な反応をした理由に気づく。

 6歳の時に襲撃されて以来、シャルルは他人を家に入れることを嫌うようになった。

 見知らぬ人とは接触を持たない。

 そんなわたしが鬼や悪魔に会うと言い出したら、奇妙に思うのは当然だろう。


「青流さまは大丈夫です」


 わたしの言葉に兄は嬉しそうな顔をした。


「シャルルにわかってもらえて、嬉しいよ」


 喜ぶ。

 その顔はとても幸せそうに見えた。

 青流も微笑んでいる。

 二人はもしかしたら、結婚するつもりでいるのかもしれない。


<……>


 心の中でシャルルは沈黙した。

 複雑な気持ちなのは察することができる。

 だが、一つ朗報があるとわたしは思った。

 兄が恋人を作らなかったのは、シャルルのせいではなかったらしい。


(良かったね)


 わたしはそう言ったが、シャルルは返事をしない。

 兄と青流は部屋を出て行った。


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