聖ウリエル学園
構内は、竜達の予想以上に閑散としていた。
彼らの予想よりも広大なホールには、これまた彼らの予想よりも多大な数の人々が集められている。
どうやら、キマイラ狩りに参加していなかった新入生もまた、多分に存在するようである。
そのことを、竜はさっと視線を流して思考した。
ホール内は、雑多な人種や単純な人数の多さを物ともせず、寂漠を保っている。
「しっかし、新入生歓迎レクリエーションで神獣……それもキマイラを襲わせるとは、人種格差に寛容な校風とは裏腹に、随分過激な学園長じゃねえか」
「……その割には余裕そうだったじゃないか」
「当たり前だろ。俺は狩人志望だぜ? 少なくとも獣相手になら余裕を保ってなくちゃならねえ。それが狩人の
竜とハドウは呟くような音量で話した。
こうして話してみて随分打ち解けたが、未だに謎な男だと竜はハドウのことを認識していた。
それは彼の眼窩から時々覗く、冷徹なまでの底知れなさであったり、物事を鋭く俯瞰する思想に反した軽薄な笑みだったり、彼特有の民族衣装や独特な意匠の弓だったりと、謎は多岐にわたる。
今だって、何かが臭うのか、ハドウの高い鼻梁がヒクヒクと忙しなく動いている。
だが、少なくとも竜からすると、ハドウは気の良い男であった。そしてそれは、響馬や龍からしても変わらないことだろう。
ならばどうでも良い。
竜は早急に思考を破棄した。
思考の破棄は、竜の得意分野だ。
パチパチパチパチパチパチパチパチ!
やがて、ホールに一人の男が現れた。
今か今かと溜められていた拍手が、台風の日の室内みたいにホール内を吹き荒ぶ。
白髪を後ろで纏った男だった。
白地の着物に、白黒鱗の羽織を纏っている。片目には眼帯をし、腰には長刀を佩いていた。
歳は取っているが、不思議と精悍な男であった。
狼の如く炯々と煌めく眼光が、凍曇を灯して冷ややかに揺らめいていた。
寒雨が、視線に宿る。
そんな男である。
「名乗ろう」
厳格に、男は言った。
「私の名は
まず男ーーー坂内は軽くそう言った。
飄々とした口調に、しかし厳格な音声であった。油断すると刃が飛んでくる。
不思議と、竜にはそんな気がした。
「………。随分と運が無さそうな人だね」
と、竜と龍に挟まれる形で座る響馬が言った。
竜はややハドウ寄りに向けていた視線を、反対へと流す。
「どうしてそんなことがわかる?お前の氏神は太陽神だったか?」
「……いや。僕は予知の加護なんて与えられちゃいないよ。ただ真っ白な髪だからね。相当ストレスが溜まってるんじゃないかなと思って……アレは数年後に禿げそうだ」
「響馬さんも髪色で言えば変わらないじゃない。どれどれ、ツムジの所見てあげよっか?」
「僕のは今や地毛みたいなものさ……だから若年性円形脱毛を疑うのはやめてくれ」
そう言って響馬は肩を竦めた。
「この学園を希望し、入学した諸君らは分かっていると思うが……此処は自由と寛容を校風としている。
それは徹底的な実力主義ということだ。
自由は束縛しないというだけではなく、
故に、今後諸君らが如何なる不祥事を起こそうと、私達学園側は対処しない。
諸君らの成績や諸君らの将来……総て自分で決め、自分で責任を取るのだ。それがこの学園の、唯一無二の
そこまで一息に語り終え、坂内は広いホール内をゆっくりと見渡した。
雪解けのような微笑を、その顔に湛えて。
「以上だ。諸君らの健闘と躍進を期待している」
パチパチパチパチパチパチパチパチ!!
再び拍手が吹き荒んだ。
先程が台風であるならば、今度は竜巻の如き荒々しさを備えたいる。
坂内後塵。
元々世界の覇権を握らんが為に行われた七国闘争や、その後も細々と継続したゲリラ的抗争亜人獣人闘争などでは無名だったものの、抗争終結後の人種間格差問題に大きく貢献。
曰く、武力無き戦争を世界に掲げた男であり、聖ウリエル学園の姿勢そのものが彼の行動の証である。と声高に述べる者も多い。
それが坂内後塵という男であった。
人間とは違う特徴を多く持つ亜人獣人、そして彼らよりも神との親和性が高い人間から来る彼らへの蔑視。
そういう差別は未だ根強いものの、この男の貢献により世界が大きく変容している事もまた、事実であった。
以降彼への憧憬を抱いた者は数多い。
新学生の中には、彼の思想に魅せられ、尊敬したが故にこの学園を選んだ者も多い筈だ。
そこからの流れは順調だった。
学園を代表する正規講師達は勿論、医療長や事務長など、各種学園のサポートにあたる人物達も含めた学園関係者の紹介。
更には学園の設備や特色を教えられ、授業の取り方や単位の取得方法、各種授業の将来性など細かく説明され、学園にある自由生徒団体などについても教えられた。
そして現在。
「では最後にーーー諸君らの入学を代表し、細やかながらパーティの準備をした。我らが歓待の証だと思い、是非楽しんでくれ」
学園長坂内はそう言った。
相変わらず厳格な物言いであったが、言葉が終わると同時に様々な民族服や、個性豊かな外装、中には不審者そのものとしか思えぬ者まで、ホール内へ続々と入ってくる。
この学園の在学生達である。
彼らがガラガラと手押しで運んでくるのは、大小様々な皿が乗せられた台だった。
「わぁ!えらく豪勢なお食事だわ」
「………驚いたな」
「ほう。タダ
竜達はその光景を見つめ、何処までも呑気に言い合った。
その間にも舞台には手早く机が設立され、運ばれて来た皿が並べられていく。
強烈な肉の
何処からともなく、唾の嚥下する音が聞こえる。
「おいおい」
ハドウは軽薄に笑った。
「奴さんら相当良い趣味してるらしいぜ。食料を用意してるとは臭っていたが……こいつはちと予想外だな」
ハドウが笑ったのを知ってか知らずか、在学生の一人が悪戯気に笑った。
その男は一際背が高く、精悍な顔立ちながら、悪餓鬼のように人の悪い目をしている。
「パーティの
◆
それは蠢く夜の軍勢だった。或いはもっと比喩的に表現してしまうと、烏羽玉の色をした驟雨達なのであった。
鉛の
それは良く見ると、人の眼窩だった。
漆黒色の光を灯さぬ眼窩が、多数の群を為して寄り集まり蠢いているのだ。
壮観である。
異様、でもある。
驟雨の中心に、男が立っていた。
傴僂の気がある、痩身矮躯の男である。細長い四肢からは肉の存在を感じられず、肌からは潤いが失せ、曲がった骨と腐りかけた皮だけが彼の様相を彩っている。
醜悪だった。
加護を受ける人とは思えぬほどの、醜悪な立ち姿である。
神の加護による容姿整形は、六十を過ぎればピタリと止まる。
そして、まるで報いとでも言うかのように、今まで遠ざけていた老いを加速させるのだ。
老いの訪れた人は、今までの輝かしい相貌が嘘のように劣化する傾向にあった。
男もまた、その一人であった。
「どうにもナッてねェ。ナッてないですねェ」
男は自嘲する風情で言った。
手に持つ
魚のようのギョロリと飛び出た眼窩が、無機質に室内を舐め回し、やがて静止する。
縫い付けられたように、一点で止まった。
「君」
「ーーーは、ハイ」
光の灯さぬ眼窩が捉えたのは、やはり此方も
見るからに、集団の一人。何故この男を選んだのかと言うことについては、特に意味が無さそうであった。
男の返答には焦燥と動揺の念が隠しきれておらず、その焦燥と動揺を見咎め、魚みたいにギョロリと飛び出た眼窩が笑みを描いた。
「地獄の閻魔に睨まれたわけでもあるめェし、そう慌てることもねェでしョうョ」
「そ、そうですよね。ベオーク神父」
ベオークは肩の力を抜くように嗤う。
「はい。私は少し、聞きたい事があるだけでねェ」
ベオークは一息。
「彼の聖女を奪ったのは誰ですかァ?」
「彼のい、異端神父であります」
ベオークは更に一息。
「で、その聖女強奪の下衆人を仕留めてみせたのが何処ぞの高天原の馬の骨……まあ、一応彼も神を信じる身であるらしいが……私は信用できませんねェ」
「その通りでありますね」
ベオークは更に更に一息。
「しかも、結局聖女は消失。未だ行方不明と」
「は、ハイ」
ベオークの息が止まる。
「ナッてねェよ。やっぱ」
カツン。
無機質な室内を木霊する
ふと、男が視線を流した。
何気なく向けた視線の先で、異常事態としか思えぬ現象が眼球を
先程まで己の前方に間違いなく佇立していた男が、影も形もなく消失していたのである。悲鳴はなく、また苦鳴もない犯行であった。
次瞬、男の重心がゆらりと
突然、唐突に身が軽くなった。一体何が起こったのかと眼窩を流し、男は失神しそうになるのを必死に堪えた。
腕が、消えていた。
まるで初めから亡くしていたかのように、斬断された様子さえなく消失していたのだ!
「ーーーひぃ」
悲鳴は出なかった。
悲鳴が
「哀しむことはありません」
集まった男達が騒めく事さえ許さず、ベオーク神父は発言を添えつけた。
「今消えた我が同胞達は、私の糧として今後の試練を手助けして下さるでしョう。そう、我々に今課せられているのは、試練なんですからねェ」
添えられるベオーク神父の厳かな
余りにも荘厳なそれに酔わされて、もしくは恐怖して、男達は見ていなかった。
ーーー水溜りであった。
立体の、円形をした水溜りが、ぴょんぴょんと蛙の如く跳ね飛び、ベオーク神父のズボン裾へと入っていくのである。
やがて水溜りが裾裏の、水膨れへと帰還した。跡には老人特有の弱々しい荒れた肌だけが残っている。
「行くのです。我が同胞達。全ては聖女の奪還と、我々の神が為」
男達は散会した。
誰も彼もが、必死の形相を携えて。
「ええ。それで良い」
ただ一人。
この場に残留したベオークだけが、嗤う。
「誰もが糧になるのを恐れていますからねェ」
◆
始業式は順調に終了した。
キマイラは本体である獅子の部分こそ、筋張っていて食えたモノではないが、胴体である山羊の肉は柔らかく美味だ。
ついでに尻尾の蛇は毒さえ処理できれば珍味として有名である。
少なくとも、竜達のあまり経験しない味だった。
自由生徒団体の運営する部活動や生徒会の紹介を粗方見た竜達は、自分達の今後について相談していた。ハドウは何やら日課の用事があるらしく、既に帰宅している。
「お龍さんはどうする?」
「そうね。取り敢えず、剣術部に行ってみようかしら。世界中の、色んな剣術を修めた人と模擬戦できるんだって!ワクワクしちゃうわ」
「あはは。お龍さんらしいね。うん。とっても楽しそうだ」
「……でしょ!」
「はっきり言って良いぞ響馬。女らしさのカケラもないなと言ってやれ。俺は常日頃そう思っている」
「お愚兄さんってば辛辣過ぎない!?」
今後一切竜には優しくしないと、龍が内心不貞腐れていたことは、この場の誰も知らない。
「竜はどうする?」
「俺は……あまり興味が湧かないな。今日の所は帰るとするよ」
「ま、お愚兄さんならそうでしょうね。全く、身体を動かすのが得意なんだからちょっとは運動系の部活でも見学すれば良いのに」
「好きと得意は違うだろ」
竜が、黒瑪瑙の瞳を響馬へと向けた。
「お前はどうする?」
「そうだね。僕はーーー」
響馬が続けようとして、止めた。
普段は爛漫な気を放って響馬を見つめる緋色の瞳に、不安の色を見て取ったからだ。
「ーーー剣術部の物見稽古でもしようかな。このまま帰るのは偲びないし」
「やったぁ!響馬さんも来てくれるのね!」
「……あまり甘やかすのは良くないぞ」
再び爛漫に喜ぶ龍に、竜は苦言を呈しておいた。
結局、彼らはそこで別れた。
それが、竜の運命を大きく分ける選択肢であったことを、竜は後に知ることとなる。
パラダイム・シフト 神祇翠 @saido3710
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