キマイラ

『狩りに成功した個人。或いは団体には、相応の単位をプレゼントしまーす!!』

 興奮に震えた声音が告げる。


 ギャオオオオオオオオオオオオオオオン!!


 大地を揺らす咆哮が、火焔を伴って放たれた。

 その熱量、太陽の顕現に等しく。その光量、星の爆発に等しい。

 正しく規格外。

 神獣の中において、トップクラスの知名度と実力を誇るエリュシオン産であり、更に言うならばその中でも有名なキマイラだ。

 神獣。

 本来何の変哲も無い筈の野獣が、何を罷り間違ってか神の加護を授かることで、神話の怪物に等しい特徴や生態を兼ね備えるに至った、言うならば突然変異の産物。

 神話に語られるキマイラの威容は、知るまでもなく強力無比。彼の英雄ベレロポーンを追い詰めた伝説は、最早語るまでもない。


「……響馬。アレは一体どう言う神獣なんだ?」

「ギリシャ神話に語られる怪物だね。獅子の顔に山羊の胴体、毒蛇の尻尾。言うまでもなく強力な火焔を吐くから、気を付けた方が良いよ」

「……鵺みたいなモノかしら?」

「ううん。あれ実は奴延鳥とかいう寂しげに鳴く鳥のことらしいからね。何故か源頼政が退治した怪物と声が同じだから同一視されてるけどね。ああでも、生物的なキメラという意味なら間違いはないよ。鵺と同じで、正体不明ってことさ」

「で、キマイラの伝説としては?」

「悪魔であったり縁起の良い聖獣であったり、地域や神話によって色々だね……まあそこら辺の有り難い由来は置いておくとして、キマイラと言えば古くは『イリアス』にも記載がのる由緒正しい神獣だよ。

 やはり有名なのは、英雄ベレロポーンとペガサスによる退治譚だろう。ギリシャ神話にはよくある、王様による無理難題の怪物退治だ」

「……ギリシャの王様って、どうしてそんなに危ない怪物をいっぱい知ってるのかしら?」

「……しかも匿ってるからねえ。正直英雄より凄いんじゃね?って思うことがままある」

「メタ的に言えば、英雄を活躍させる為の華だからだろ」


 即座に議論を交わす三人を見て、ハドウは一瞬目を瞬かせるが、すぐに苦笑した。

「へえ。想像以上に面白そうな奴らだな」

 如何にも余裕そうにハドウは微笑んでいるが、彼の眼前では既にキマイラ狩りが敢行されていく。

 初めに飛び掛った集団は四人だった。

 男が二人、女が二人の団体パーティである。それぞれ湾曲刀ショーテル、硬鞭、細剣レイピア、戦鎚を手にしている。

 見知った肢体と動きから、恐らく人間であろうとハドウは当たりをつけた。

 ……人の性能は、神の加護によって大きく改変された。

 一つは顔面整形の変化。神の加護を受けた人は、神の加護によって美形を備えて産まれてくる。神の加護を受ける彼ら彼女らは総じて美しく、輝かしいとなっているのだ。

 一つは身体能力の基本向上。膂力や敏捷性、耐久力と言った基本は勿論、視覚や聴覚、嗅覚などの五感感覚。更には第六感にまで強化は及ぶ。

 即ち、神の加護を受けた人間は総じて超人。

 尋常離れした速力と膂力、況してや単純な外殻硬度と自然治癒能力を高位に備えている。


 言うなれば、二足歩行する怪物。それが彼らの基本性能である!


「ぐはっ」

「ダメだこりゃ」

 キマイラは尻尾の毒蛇を鞭のように一閃し、横薙ぎに払われた毒蛇それが、颶風を巻き込んで彼らを捉えた。

 攻め方としては悪くない。

 如何なる神獣怪物とは言え、多方向から囲んで狩るは上策だ。無双の達人であろうと、四方八方から攻められれば呆気なく頽れることもある。

 だが、ことキマイラに関してはダメだった。

 答えは簡単。

 奴の胴体に繋がる山羊の頭が、無機質に四辺あたりを睥睨している所為ゆえだ。

「おいおい。こりゃあ中々ハードだぜ。あの山羊頭、火炎放射に千里眼と来た。背後から奇襲、なんて真似はそもそも通じねえ」

 さして窮した風でもなく、あくまでもお手並み拝見。と言った様相でハドウは言った。

 狩人志望として、狩りならば彼の専売特許。故にハドウは、今出会ったばかりの三人を彼なりに試しているのだ。

「で、どうする?神話にはどういう退治の方法が示されてるんだい?」

「……力づくでも俺は構わんが」

「私も!」

「まあ待ちなさいよお二人さん。なあにキマイラ狩りはそう難しいものじゃない。少し良いのさ。

 つまり、平面でダメなら、立体で攻めれば良いって寸法だよ」


 ◆


 キマイラが吶喊を開始したのは、四人がこの恐るべき神獣の対策を語り合った後のことであった。

 強靭な四足が地を馳せる。

 大地を鳴らし、颶風を貫通しつつ進む獣特有の猛追。獰猛に冴える双眸が目指すは、一人の少女だった。

「ひぃ」

 目的に定められた少女の顔が歪む。

 群青の瞳が水を含んで揺れ、形の良い唇が恐怖に引きずった。

「こ、コッチにキタァ!ええん、助けて師匠ォ!!」

 細い肢体が多感に震え、脱兎の如く両足が駆動し逃亡する。鈍足そうな見た目にたがい、颶風のような速度であった。

 だが、それは愚策だ。

 如何に多生物の混合とは言え、キマイラは本体としては獅子。要はネコ科。

 つまり、動く者に過敏に反応する!


「ひ、ひぎゃああああああ!なんでぇぇぇ!?」

 哀れ、キマイラがネコ科ということに気づかず走り続ける少女。

 捕食者を逃さない吠え声が、構内を轟いた。

 だが、駆けるキマイラの足下。地面が再び土饅頭を作り、石塊と泥が女の如き繊手を即時形成。細い骨格や女性らしい曲線美のみならず、白磁の肌まで完璧に再現する無駄な技芸であった。

「優しく」

 添えるように、言葉が放たれる。

 男の声音だった。

 見ると、艶やかな金髪を綺麗に切り揃えた青年が、高らかに笑っている。

「あははは!イケないねえ子ネコちゃん!綺麗なヒトをイジメてはいかんよ!!」

 喝采のように笑み、道化のように大仰な挙動。

 だが特筆すべきは、やはりその両耳であろう。見れば耳朶は尖り、異様に長い曲線を描いている。

 亜人ーーーそれも耳長なのだ。

女神の腕フィダンツァート・ブラッチア

 同時、細腕がキマイラの足を捉えた。

 雄々しい吶喊が嘘のように停止し、キマイラの駆動が転倒という結果に終わる。

 地面に、それも狙った部分の素材だけを使用し、土擬人ゴーレムの腕を作成する、土擬師ラビーの技である。

「どうだいこの完璧な造形!精巧かつ強靭だろう!この技に少しでも心砕いた方は、是非我がバンボラ商会へ!!」

 大仰にお辞儀をして見せる男に、しかし隣りの幼女は瞳を眇めた。新緑の髪をサイドテールにした、深緑の瞳の幼女だ。

「なんで女性の腕をあんなに精巧に再現できるの?」

「ふふ。それは仕事だからさ!……あぁ、引かないで!違う!違います!!これは浮気とか決してそういうアレコレではなくてだね!」

「私の腕と寸分も違わなかった」

「僕の心がいつでも君に首ったけてことぐぼぉっ!?」

「興味ない」

 幼女の拳が男の鼻筋を捉える。

 男は頽れた。強烈なストレートである。


 と、キマイラがのそりと起き上がった。

 尻尾の毒蛇が周囲を威嚇し、胴体の山羊がギラつく眼光により睥睨する。

 以前、彼の怪物は何も衰えてはいなかった。

 再び、行動を開始する。

 だが、既に一人の男が行動していた。黒髪をオールバックにした、刃のように鋭い双眸をした男だ。

 三首の脅威を持つキマイラに対し、男は全くの無策。何かしらの作戦を練るでもなく、真正面から直進するのみ!

「グゥル!」

 大地を一蹴し、颶風となる男に向けて、キマイラの胴体部ーーー山羊が、勢い良く呼気いきを吸い上げた。

 火焔が、放射状を灼き尽くす!

「九重流ーーー七転八倒!」

 だが、目に余る火焔という脅威に対し、男が取った対策は至極単純。

 まず倒れるような前傾姿勢。そしてそこから腰に佩いた刀を抜刀、逆袈裟に切り上げたのである。

 宛ら転んで倒れた人間が、起き上がるかの如き挙動。それ即ち、七転八倒。

 斬撃が真空の刃と化し、火焔を斬り裂いてキマイラの顔面を抉った。その閃光、実に七線。

「くだらん。何をこんな野獣如きに手間取る?」


 ◆


「お前は参加しなくて良いのか?スティール」

 隣りから聞こえる低い音声に、しかして男は鼻で笑った。

「テメェだって参加してねえじゃねえか」

 猛犬の如き耳と、正真正銘野獣の牙を携えた引き締まった筋肉の男。鼻は真面な人間のものとは言え、異様に毛深い四肢が特徴的だった。

 男ーーースティールは笑う。獰猛な笑みであった。

「良いんだよ。あんなネコ公と喰いあっても楽しかねえからな。喧嘩なら、あのネコ公を狩った奴に売れば良いだろ?」

「違いない」

 スティールの簡潔な言い方に、隣りの男もくつくつと喉を鳴らして笑った。痩身痩躯の、スカルマスクを被った男であった。

「それによ……俺達の目的は一つだぜ。オメェに今更言うまでもないだろ?」

万国祭オリンピックへの出場だな」

「そうだ!知力、体力、膂力!全ての総合力において、トップクラスの生徒だけが出られると言う万国祭オリンピック!俺は必ずその出場権を獲得する!!」

 スティールの猛る声音が、風を貫く。

 スカルマスク越しからキマイラの様子を絶えず見つめ、男は一つ息を吐いた。

「その為に学園は踏み台か。つくづく酔狂な男だぜ」

「ハッ、何とでも言え!は稀有じゃなきゃやっていけねえよ!!」

 声音には、野卑た願望が灯っている。

 男はそれに、あえて気付かないフリをした。男の眼前で、事態が動く。

「お。どうやら本格的に始まるぞ」

 スティールは不意に真冬の驟雨が如き、冴え冴えとした双眸になった。

「……獣狩り、か。如何に弱点を捉えるかが重要だな」


 ◆


「へぇ。中々やるねえ!早く動かないと乗り遅れちゃうよぉきょーまさーん!」

 キマイラの顔面を抉った斬線を見つめ、弛緩した猫のように相貌を崩し、溌剌とした声音で言う龍。

 彼女の視線の先で、響馬は笑った。

「大丈夫大丈夫。キマイラは神獣の中でも特別ビックネームだからね。弱点を突かない限りそう簡単に殺られはしないよ。あれくらいなら、即時再生するんじゃないかな?」

 響馬が言うが早いか、キマイラの顔面を抉った斬線が消失した。

 流れる血も途絶え、後には傷一つない獅子がぶるりと身体を揺らす。毛繕いでもするかのようだった。

「ホントだ!さっすが響馬さんね!でも一番手をずっと譲ってるってのは気分良くないかなあ」

「なに。お龍さんの出番はもうすぐ先だよ。ほんの少し、後ちょっとで……」

 と言葉を紡ごうとした時だった。


 ヒュッ。

 颶風を貫き、虚空を裂く音が響く。

「そらきた!」

 響馬はニッと笑った。

「今だよ二人共」

「了解だ」

「任せて!」

 瞬間、桜小路兄妹が颶風と化した。

 一点突破するのは先の男と変わりないが、二手に分かれ、両側から挟むように吶喊する。

 だが、山羊の瞳は左右の両者を捉えていた。

 獅子が前足を屈め、尻尾を突き出すような姿勢を取る。毒蛇の鞭だ。彼の猛獣の一薙ぎは音を超える。逃げるどころか受けるも不可能!

「行け!竜爪!」

 竜の手元に、いつのまにか取り出された黒線。グルグルと縦回転し、遠心力と共に放たれるソレは、鎌と鎖、次いで分銅の三つ一体!

 宙空で弧を描いた鎌が、毒蛇の鞭を振るわれるより尚速く、キマイラの屈んだ足を捉えた。

 刃が、深く突き刺さる。……のみではない。

「ーーーーフッ!」

「グルゥ!?」

 力任せに、竜が鎖を引いた。

 すると何と、キマイラの重心が大きく傾いたのである。

 恐るべきは竜の膂力。

 単純な腕力にて、彼の神獣に引き勝つ恐るべき怪力の武芸であった。

 元々屈んでいた所を崩され、キマイラの重心が大きく前足、それも左舷のみに傾いた。駆ける龍が狙うは、当然左前足そこである。

「ーーーー八岐剣術、一の剣」

 龍の腰に佩いた刀身しろがねが、曇天下に牙を剥く!

「ーーーー蛇足」

 剣が、虚空てんを撫ぜる。

 鞘から抜き放たれた刀身それが、波のように蛇のように龍のように蛇行し、まるで天に昇るが如く斬り上がった。

 すらり。薄皮一枚斬るように、足の健を断ち切るは剣技わざの冴え。

 後には苦鳴さえ忘れ転倒するキマイラと、その重心によって地の鳴る音が鳴動した。

「シィィ」

 制動する龍の呼気いきと、残心と共に刀を仕舞う鞘当て音だけが、ヤケに大きく響いた。


 見事倒れたキマイラ。

 だがこれだけならば、結果は先程と同じだ。

 先の男の傷を治してみせたが如く、傷を即座に癒し立ち上がることであろう。

 何せ敵は、不死に限りなく近い怪物であるからだ。

 だがそうはならなかった。

 間髪入れず、キマイラの側頭を射抜く矢。ヒュッ、という風切り音が、異様に遠く聞こえる。

「当たり」

 ハドウは笑った。

 悪童めいた笑みであった。

 彼の両手には、民族特有の意匠が施された弓が握られている。


 種を明かすなら簡単だった。

 桜小路兄妹が吶喊する前に、ハドウは矢を上空へと放っていたのだ。

 そして桜小路兄妹の行動によって転倒したキマイラの側頭部を、見事落下した矢が死角から射抜いたのである。神の加護による、遠矢操作の絶技であった。

 幾ら不死に近い神獣であろうと、本体は獅子であり、次いで弱点は普通の生き物と変わらない。つまり頭は格好の急所である。

 なので頭を射抜かれれば、死に至る。

 断末魔さえ挙げる暇もなく、キマイラは死に絶えた。

「「「「イェーイ!」」」」

 四者は手を叩き合った。

 キマイラの絶命を告げる吐息は、彼らの共同作業が成功した証左であったのだ。

 奇しくもキマイラは、弓矢による死角からの射殺。という神話通りの死因を迎えたのであった。


























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