パラダイム・シフト

神祇翠

神あれかし

 廃屋だった。

 廃屋である筈だった。

 廃屋でなければならなかった。


 宵闇に踊る草原が燃えている。

 高地に沿った緩やかな田園地帯は見る影もなく、雲一つない烏羽玉の夜空は、黄昏みたいに灼けて茜に染まっていた。

 見るが良い。

 夜空に坐す月が、その地獄を睥睨する。

 屋敷は燃えていた。

 草原は燃えていた。

 夜空は燃えていた。


 人は、燃えていた。


「……中々やる」

 地を這うように低く、研がれた刃の如く鋭利な声音こえが、颶風かぜを伴って虚空へ伝播した。

 滝の滂沱が如く降り注ぐ月光に、白刃の煌めきが鮮麗あざやかに映えた。

 ーーー男である。

 白地の着物に白黒鱗の羽織、普段は腰に佩くのであろう長刀が、月光を浴びて狂ったように煌めく。

 男は、眼前を見据えた。

 黒き、異国の法衣に身を包んだ影。影は十重二十重と重なりあって、男を囲むように配置している。鳥瞰して見ても、逃げ場はなかった。


「どうあっても少女おんなを攫うつもりか?」

「………如何にも」

「この私と斬り結ぶ結果になろうと?」

「仕方ありますまい」

 影達と男の間で、低く応酬される言葉の遣り取り。

 結論は早急に出て、男は呵々と笑う。

 獰猛にして鮮烈な笑み。

 男は国の宝とされる女を取り戻す栄華に、何より己の自慢の白刃えものを存分に振るえる歓喜に、釣り上がる口許を抑えられなかったのだ。

 抄、と颶風かぜが鳴いた。

 月光が影達にも降り注ぎ、その茫洋とした姿に輪郭を灯して行く。


「では……参る」

 厳かに一言。

 ただそれだけを漏らし、男は己の白刃を態々鞘にしまって見せた。

 降参か、はたまた停戦か。

 答えは否。

 男の積み上げてきた技が、静かに閃く!

「一のたちーーー睦月」

 白刃が、夜空に凪いだ。


 ◆

 かくて、世界は転生した。


 世界の歴史を描いた神書などには、飽きるほど記載されたのがこの一文である。似たような本が良く出回る昨今、しかしこの謳い文句だけは変わらず定着している。

 そして大体の本は、高確率でこう続く。


 全ては神の仰せのままに。


 さもありなん。世界は神によって転生を果たしてしまったのである。

 かつて、世界は人の支配する領域だったと言う。人間が人間の為に星を統治し、我が事だけを省みて星に君臨する。

 絶対王者人間。

 その時代は、確かにあった。


 だが、人間の統治はある期間に亡ぶこととなる。その王政は強固でこそあったが、絶対ではなかったという証左であろう。

 ある日、炎に包まれる人間が居た。

 疫病に苦しむ人間が居た。

 飢えに死に絶える人間が居た。


 ーーー地獄が、あったのだ。


 降り注ぐ厄災の中、人間は希った。

 二度と、こんなことが起こりませんように、と。

 星の終焉をまざまざと感じさせられて、またその原因が全て自分達の仕業によるものだと見せつけられて、すっかり人間は心が壊れてしまったのだ。

 滅び行く世界の中、人間は奇跡を目にした。

 世界が、転生の日パラダイム・シフトを迎えたのである。


 人間は、正しく神の存在を知った


 ◆

 薄鼠の雲が、墨流しみたいに天蓋を覆っている。

 吹き渡る微風は何処か湿っていて、雨の澄んだ匂いが鼻腔を擽る。

 折角の入学式なのに、なんて可愛らしいことを桜小路竜さくらこうじりゅうは考えない。晴れの舞台が曇っていようと、その胸中には落胆も期待も興奮もなかった。

 単純に、興味がないのだ。

 その胸中には何もない。

 しかし何もないことが、彼を少なからず不快にさせているらしかった。

 眉間に、皺が走っている。

 上背の高い、筋肉の引き締まった青少年だった。軍服めいた黒衣を着用し、鉛のような髪に黒瑪瑙の瞳を持っている。


「……結構遅いな」

 どうでも良さそうに、けれど何処か落ち着きなく、竜は言う。

 彼は現在、森林地帯と街区のあわいに居た。森林地帯付近は夜になると危険も多いが、昼、朝と危険度が下がって行く。

 朝ならば、まず安心だ。

「しかし相変わらず……何ともどう建っているのかわからない家屋だな」

 呆と視線をやり、竜は呟いた。

 彼の眼前には、ツギハギで造ったような、襤褸木造りの三角屋根が見える。家屋としての広さは申し分ないが、地震の一つでもあれば崩れてしまいそうな儚さだ。

 更に家の周りに並べられる壺、瓶、甕、況してや何に使うかさえよく分からない土偶や須恵器、地域の土人形などまである。

 それらがぐるっと家を取り囲むように配置され、まどかを作っていた。

 正直、野獣や神獣に壊されないのが不思議なくらいだ。

 とは竜の素朴な感想である。


 と、板を立て掛けただけのような引き戸が開いた。

 カラン、と音を鳴らす錆びた鈴。

 竜は口許を無理矢理引きずって弧に見せたかのような、何とも言えない笑みを自らの鉄面皮の上から

「おそよう。お陰で遅刻するんじゃないかと焦ってしまったぞ」

「あはは。申し訳ないなあ。更に申し訳ないことを言ってしまうけれど、僕を置いてこのまま先に行ってくれたって良いよ?」

「ダメよ!幾ら響馬さんが学園嫌いだからって、入学式くらいちゃんと出ないと!」

 竜の挨拶に、妙に覇気なく肩を竦める少年と、母のようなことを溌剌と言う少女。


 片や緋色の髪をハーフアップにし、白地に赤で彩られた矢絣の袴。髪と同色に瞬く瞳を備え、猫のように緩やかに、且つ溌剌に笑うハイカラな少女。

 片や灰色の髪を蓬髪にし、黒地の着物の上から青海波の羽織を着込む、蜂蜜色の瞳をした中性的な少年。片目に装着された片眼鏡が特徴的だった。

 桜小路龍さくらこうじりょう雅楽代響馬うたしろきょうま

 竜の妹と友人であった。

 響馬の方とはかれこれ、一年の付き合いになる。


「取り敢えず行こう。お前が渋ると思って早めに出て良かった。これなら、間に合いそうだ」

「………いざとなったら、僕抜きで入学式に行ってくれても良かったのに……」

「もう!またそんなこと言って。今日は学園長歓迎の挨拶だってあるし、講義説明だってあるし、部活説明や体験だってあるのよ?」

「そういう形式張ったのはどうもねえ。それに今日は空がいけないよ。お天道様が。こういう鼠色の空をした日はね、太古の昔から家に篭って読書をしろと決められているんだよ」

 どうにもイマイチ乗り気ではない響馬を尻目に、竜は空を見上げた。

 天気そらは相変わらずの、灰色。

「ま、諦めろ響馬。今日を乗り切れば、きっとこの曇天も変わるさ」


 ◆

 世界にある八大国が一つーーーシェオール。

 その中でもこの国は国と言うより、独立しただけの水上都市であった。

 一応教皇なる存在が統治している名目となっているが、そもそも国の政治は占いによって神の託宣いしを拝聴し、その通りに執り行うので、万国共に意味をなさない。

 なので、大体の国民は統治する国王だとか政治の行く末だとかに興味がない。特筆すべきはやはり、この国の風土であろう。

 この国は、世界中の色々な土地からその文化、風土、特色を雑多に取り入れ発展した都市だ。

 都市の街区は北西、南西、南東、北東の四地区に分かれている。都市を鳥瞰して見ると、中心に聳える神山ゴルゴダ。

 そしてゴルゴダから縦横に都市内を走る、十字架を模したかのような森林地帯。龍の脈レイラインと呼ばれる、街区間を区切る天然の壁であった。


 竜達はその中でも、北西の地区を歩く。

 先程も述べた通り、シェオールは雑多な文化の入り混じる都市だ。

 少し四辺あたりに目を向ければ、天を突く石塔が見える。立派な赤塗りの冠木門が見える。木彫りのトーテムが見える。石で掘られた金剛力士の像が見える。

 他にも少し大通りに出れば、見世物小屋が林立していて、曲独楽や民族ダンスなど、様々な芸によって賑わっている。

 そんな中を三人は歩いた。

 灰色の、少し湿った空気が喧騒によって染められる。大通りを抜けて、少し緩やかな勾配の坂道を登れば、一気に自然豊かな光景が広がった。

 丁度、北西地区の上端。

 縦の森林地帯に沿って歩くと、その建物は見えて来た。


 ーーー聖ウリエル学園。『神あれかし』と書かれた看板に、拵えられた大鉄門。

 翼の生えた赤子の像が、門の両隣に佇立しているのが見える。

 これぞ、竜達の目指していた目的地であった。

 シェオールに四つしかない学園の一つであり、荘厳な威容を備えている。

『ようこそ聖ウリエル学園へ!』

『歓迎するぞよ。神あれかし。神あれかし』

 両隣の赤子達が、竜達を発見するなりニィと石造りの唇を歪める。

 掘りの深い眼窩が、線に細まる。

 竜はほう、と感心した声音を挙げる。

「……土擬人ゴーレムか」

「聖書によると、人間は土塊から作られた。とは言え、これほど精巧な人間の声音を再現するとはねえ」

 土擬人ゴーレム

 泥や土、砂や石など大地の素材から造られた、人を模した自動人形。精巧に人間の挙動を真似れば真似るほど価値が上がり、義手や義足などにその技術が応用されている。

 一流土擬師ラビーに掛かれば、本物の手足が如く動かせる義肢の再現も可能という話だ。

「でもこの赤ちゃん。あんまり可愛くないわ」

「確かに赤子の笑みは気味が悪いな」

 兄妹で言い合って先を進む。

 響馬は暫く四辺あたりを眺めていたが、やがて肩を竦めて後に続いた。

『本当に歓迎させてもらうぞよ。熱烈にのう』

 赤子の低音声おんじょうだけが、虚空を伝播した。


 ◆


 学園の敷地は既に、人で賑わっていた。

 転生の日パラダイム・シフトを世界が迎えて、単なるの括りも大幅に増加されることとなった。

 普通の四肢を持ち、身体能力は低いものの、神との親和性は最も高い『人間』。

 獣の特徴を身体に持ち、身体能力の極めて高いとされる『獣人』。

 獣の要素こそ持たないものの、獣とは違う意味で特殊な性質を持つ『亜人』。

 ………そして、神との親和性が極端になく、神の加護を一切受けられない『神亡し子カイン』。


 人間、獣人、亜人の間には長らく確執があり、三者は対立の歩みを進んでいたが、この学園は人種問題に広く寛大であった。

 人間、獣人、亜人の入学は勿論のこと、申請さえ正式に受理されれば、神亡し子カインをも聴講生として講義を受けられる。

 その寛大さこそが、聖ウリエル学園の最大生徒数に繋がっていた。

 構内は、人種問わず活気に溢れている。


「うっわぁ。凄いのねえ広いのねえ!あそこには狐人が居るし……わあ、あそこなんて豚人が居るわ!!」

「あまりはしゃぎ過ぎるなよ愚妹。お登りを見られて恥ずかしいのは俺達だ」

「もう!夢がないのねえお愚兄にいさんは!」

 頰を膨らませて怒る龍。

 生来の童顔も相まって、中々にその姿は幼く思えた。

 響馬はくすりと笑う。

「まあまあお龍さん。この景色は確かに壮観だよ。何せ此処には、世界中のが一堂に会している」

「そう言うアンタらはえらく和風なんだなあ。高天原出身かい?」

 と、低い音声が三人の間に闖入した。

 黒瑪瑙と蜂蜜、緋色の瞳が一斉に其方を向く。音声を発したのは、若々しい青少年だった。

 曇天下に揺れる金髪の上から、民族特有の毛皮帽子ウシャンカを被っている。アイスブルーの双眸は荒々しく鋭利で、鼻梁高く掘りは深い顔立ち。普通に考えるなら険しい顔立ちだが、どうにも愛嬌のある笑みを湛えている。

「出身はな。だが俺と愚妹は物心ついた時からシェオールにいる」

「でも響馬さんは一時期世界中を周ってたのよねえ?」

「うん。まあほんの道楽だけどね。……それはそうと、そう言う君は北方筋の民族かい。珍しい帽子をしてるね」

「まあな。つっても小規模民族の、しかももう血筋も途絶えそうな民族だがな」

 悪態でもつくように笑って、青年は肩を竦めた。

「俺はオロチ・ハドウ。狩人志望だ。アンタらと講義が被るのかは知らねえが、一応同じ一学年ってことになるぜ。よろしくな」

「桜小路竜だ。国防志望。よろしく頼む」

「桜小路龍よ。巫女志望。お愚兄さんや響馬さん共々よろしくね!」

「雅楽代響馬。神職志望……っていうか既にフリーで営んでるけど……まあよろしく」

 四人は挨拶を終わらせて微笑み合った。


 学園は、将来を決める為に必要不可欠な機関だ。

 この機関は様々な役職の仕事場とコネクションを持っており、しかもこの学園で学んだという事実はステータスとなる。

 だからこそ、学園には年齢人種問わず多くの人達が集まる。

 年齢関係なく、入学して一年ならば一学年。二年ならば二学年と進み、全四学年の生徒達によって学園は構成されていた。

 決まったクラスはない。

 生徒が各自己の進路に向けて講義を選択し、決められた単位を取得する。その単位が必要基準数を満たしていれば、卒業できる。

 この制度こそ、学園の味噌であった。

 逆に言ってしまえば、必要基準数の単位を取れてしまえば、一学年の卒業も可能である。無論、四学年以上この学園に在学することは不可能。


「狩人か……ニッチだな」

「お前こそ、国防とは渋いな」

 鉄面皮で言う竜に、ハドウは悪童めいた笑みを湛えて笑い返した。

 両者共戦闘に属する科が志望であり、同じ講義を取る機会も多いと考えたのだろう。

「凄いなあ。戦闘方面の講義は実技が主流だって聞くよ。……僕にはまず出来ない」

「っていうか、ただの脳筋なんじゃないかな」

 竜とハドウの会話に響馬は感心し、龍は苦笑した。

 お前だけは言うな愚妹。と竜が口に出して指摘しようとした時、


『えぇ、構内に集まった一学年諸君』


 ヤケに朗々とした声音が、虚空を穿いて集まる人々の耳朶に浸透した。

 声音は、続ける。

『えぇ。皆さんには言いたいことが多々あります。本来ならば直ぐにでも会館ホールに集まっていただきたいのですが……その前に軽く、かるーくレクリエーションを行いたい所存です!』

 音関係の神による加護によって、敷地内を隈なく跳梁する声音。

 敷地内が、疑念の声音に騒めく。

「レクリエーション?」

「あら。聞いてない催しだわ」

 ハドウと龍もまた、疑念に目を瞬かせた。

 響馬は聴こえているのかいないのかぼんやりと空を眺め、竜はある一点を見つめた。

 竜達が登校して来た出入り口、大鉄門が閉まるのを、黒瑪瑙の瞳が捉える。

「来るぞ」

 竜の喉が蠢いた。

 声音と同時、地面が盛り上がり土饅頭を形成し、更にその中心が特出した。

『レクリエーションはーーー』

 声音が響く。

 刹那、土饅頭を突き抜けて現れるは、


『楽しい楽しいキマイラ狩りにございます!』

 獅子の顔に山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つ異形の姿。口腔くちから吐かれる山を震わすかの如き吠え声と、海をも炎上させる火焔の咆哮。

 正しく、異形の神獣に他ならぬ威容。


 ギリシャ神話に語られるキマイラが、其処に居た。




























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