知らない男
イムログ・ファダに着いて最初に行ったのはかつて好きになった女の家だった。
すれ違っただけといえるような出会いだけど、病的な暮らしの中で一瞬吹き込んだ甘い風のようで、その存在感に強く惹きつけられた。
いや、正直に言おう。
あの時の僕はとにかく異性の承認というものに飢えていた。
自分が不能になってないか、今でも魅力のある男なのか、確かめられずにはいられなかった。
だがこのことで彼女をひどく傷つけてしまった。のちに記す。
結論から言うと、思いは達せられた。
焦燥感から乱暴に求める僕を彼女は黙って受け入れてくれた。
やることが山積みだったので早々に彼女と別れ、ホテルを取って荷物を置くと駅に向かった。
目的地は不動産屋。まずは住むところを確保しなくてはならない。
その日入ったところではめぼしい物件が見当たらなかったので改めることにして、次に銀行に融資の相談に行った。
クリニックを開くつもりだった僕にここの銀行は親身になって相談に乗ってくれた。
初期費用や開業資金の見積もりを依頼し、さて帰るかと思ったところ、担当から製薬会社と契約が済んでいるか聞かれた。
この国では処方箋を出すにしても院内処方をするにしても直接製薬会社と契約を結び、医師は契約した会社の薬しか出すことができないということだ。
煩雑なシステムだな、と思った。
契約のし忘れや書類の管理も面倒だし、第一この国の製薬会社はいくつあるのか……
と思ったら、ほぼ一つだけらしい。
フィッシャー兄弟社は初めての国産製薬会社で、ここと契約すれば国内で流通している薬のほとんどを処方できるという。
担当から社員を紹介してもらい、翌日詳しい話を聞くことにした。
あと、そうだ
入った時は店はガラガラだったのが、話し込んでいるうちに客がちらほら入ってきてて、その中の一人に韓国製の携帯電話を持った男がいた。
僕の視線に気がついたのか、あわててジーンズのポケットに携帯を押し込んだが、その時は自分がその男につけられてるんじゃないかと不安になった。
あとで知ったのだが、この男はMIFというイギリスの瞑想グループの一員のようだ。
MIFのメンバーは200人程度この国で暮らしており、数人単位でイェールの調査をしているらしい。
なぜ調査をするかといえば、そのグループが占いと魔術を請け負う団体だからだ。
占いをするには情報が必須。
それでイェールの未来を占うMIFは各地に調査員を送り込んで情報を収集しているとのことだ。
僕はよく人にタフだと言われる。
国を追われた身でありながら見知らぬ土地で何食わぬ顔で融資の相談に来るのは、人から見れば普通の神経じゃないかもしれない。
この時も不安になったのは一瞬だけで、ホテルに戻った時は男のことなどすっかり忘れてしまった。
我ながら確かに図太い。
でも、いつも安全な道ばかり選べるわけではないのだ。
危険な道か、死への道か
損失か破滅か
悪夢か最悪か
時にはそんな選択肢しか用意されていない人生で躊躇なく損失を選んでいく。
僕がそういう生き方をするようになったのは若い頃した長い旅で視野が広がったからかもしれない。
人生は多様だ。
解像度の低い視野では同じ「最悪」のくくりにしか見えなくても、さまざまな人生があると思う。
さて……関係ないことを長々と話し込んでしまったようだ。
今日はこのあたりにしておこう。
明日はフィッシャー兄弟社の社員と会う。
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