いとわしい生

街灯ひとつ灯らない漆黒の荒れ地の中をバスは進む。

車内は亡霊のように薄暗く、無言の乗客たちの顔に刻まれた疲労を濃く浮かび上がらせていた。


ようやく道程を半分は過ぎた頃、遠くに街が見えた。

いや、街かどうかはわからないが、点々とした明かりが見えたのだ。


物寂しい土地に突如あらわれた人里の気配にホッとしていると


「あんまり見なさんな。取り込まれるから」


隣に座っていた中年の婦人が声をかけた。

ふりむいたが、彼女は私のほうは見ずきつめに唇をむすんでいる。

私達の間に沈黙が流れる。彼女は再び口を開いた。


「あれは廃村だよ」


―――廃村。


では、あの灯りは民家ではないのか。工事のあかりか何かだろうか。

そういうこともあるだろうと思った私は「ああ、そうなんですね」とねぼけた返事をした。


「私が子供の頃はまだ人が住んでたんだけどね」


「時代の流れとはさびしいものですね」


「ちがうね。あの村は時代に取り残されて消えたんじゃない。

あの村はね、まるで吸い込まれるかのように、いつの間にか消えていったよ。

……あの村では誰もが前世の記憶をもってたんだ」


彼女はそう言ってひとかたならぬ歴史を語りはじめた。



はじめは、たわいない子供の戯言だったらしい。

金物屋の娘が前世のことを語り始めたのだ。


やがて子どもたちの間で前世のことを話し合うのが流行り、

翌年生まれた子も、その翌年の子も、誰もが前世を持つのが当たり前となった。


『死んでも記憶を持ったまま生まれてくる』

それは、あまり喜ばしいことではなかった。


ある仲の良い夫婦がいた。

二人はパンと菓子の店を営み、長い幸せな人生の果てにほとんど同じ頃に死んだ。

二人は生まれ変わっても一緒になるつもりだったが、

夫が生まれ変わった家は貧しく、中産階級の家に生まれかわった妻とは結ばれることはなかった。


記憶を引き継ぎ、考え方や内面が変わらなくても時代は変わっていく。

前世ではうまくいっていた商売や生活が、今生ではすたれている。


産業革命の時代になっても鋳掛物屋をはじめようとする男に、世界を飛び回るジャーナリストになった女は旅先で別の男と恋に落ちた。


それでも無理に前世の契を引き続き守ろうとする男女はいたが、たいていはうまくいかず相手に失望するだけに終わった。


そして人々は「仲直りする」という技術に長けていなかった。

そのため、一度亀裂が入った人間関係は修復されることはなかった。永遠に。


一度の失敗が、いつまでも相手の記憶に残ってしまう。

人々は交流することに恐れを感じるようになり、秘密主義になった。

財産のありかも知恵も知識も技能も何もかもを自分一人だけのものにしようとした。

一人でできることなどたかがしれているのに。


誰も彼も敵のように思えるようになった。

生まれた子供すら得体のしれない敵に見えるようになった時、その村は滅んだ。




「にわかには信じられない」


話を聞き終え、私は思わずつぶやいていた。


「どっちだっていいさ、信じようが信じまいが。

あれが神様のいたずらか、なんだったのか、今でもわからない。

いずれにせよ、二度と起きてほしくないね」


婦人はのどをうるおすためにキャンディを取り出して口に含んだ。


小さな廃村はすでにかなたに遠ざかってしまったが、私はバスの後方の道をもう一度眺めた。

一緒に眺めた婦人は「ああ」と感嘆の声をもらした。


「あの月をごらん。陰惨な話をするのにもってこいの夜だ」


インチジェラでも見上げた毒気のある銀の月がギラギラと迫っている。


「何もかもが新しく、昨日までの世界とはまるっきり変わってしまった」

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