あなたを追いかけて

ためひまし

第1話 13 minutes

 『またあの顔だ』


 今日はいい天気だ。太陽はこれ見よがしにその明るさと温かさを自慢してくる。そんなことをしなくても人類はいつでもあなたを尊敬しているというのに。そんな太陽を拝みに散歩にでも繰り出そうと思ったぼくは急いで部屋でいつもの服に着替え、重軽いドアを目一杯外の空気へと押し込んだ。ドアの隙間から清々しい風と共に最近は生温かい風も乗ってくる。そんな風もドアを全て開けてしまえばもういない。目の前に広がるのは眩しくて誇らしい太陽の姿とぼくらの町だった。

 早速歩き出そうとしたのだが、靴紐の機嫌がどうも悪いみたいだから少しだけ直してから行くことに。かがみこんで、ちょうちょのように結びなおす。どうやら機嫌も直ったみたいだ。今日のファッションは、暑さ対策のための白で無地のポロシャツとこちらも通気性に特化した薄い生地の黒のワイドパンツ。あとは機嫌の浮き沈みが激しい靴。その靴で一歩と二歩を繰り返す。今日の散歩は、途中でバテそうになったから大都会、渋谷にすることにした。ここなら日陰も多くて生きていけそうと考えたぼくは直で渋谷まで行けるバスに乗り込んだ。

 このバスは本当に冷房がたいしたことない。電車の冷暖房がうらやましい。けれど、外にいるよりかはずっとましだ。ものの三十分でこの大都会に到着してしまうこのバスはぼくの住んでいる町を考えれば革命的な移動手段だ。このバスはいつもなんだかんだ人がたくさんいるバスで本数に見合わない人が乗車している。とはいえ、平日のこの昼間に居る人はそういない。ぼくと一緒に乗っている人は六人。ぼくが二番目に若くて、一番若いのは運転手の真後ろの席に陣取り通学カバンのようなものを持っている。勤勉でえらい。他には二十代半ばの男性と女性が三人。それぞれ一人専用の席に腰かけている。そのうちの一人は見たことのあるような青年。きっと近所の人なのだろう。それと、優先席にどっぷりと腰を落とした初老のカップルを乗っけたバスはゆっくりと走り始めた。ぼくはと言うといつもの席と言わんばかりに運転手と対角線の端に居座っていた。ここからだと、客の姿が見られて退屈な車窓も見ることもなく、ゆったりと人間観察ができる。人間観察って言うと聞こえは悪いが、それはぼくの成長のための大きなステップだ。ここで乗ってくる乗客の良いところを見つけてはその人をさも完璧な人間であるように見せるという訓練をこのバスで行っている。しかし、今日は珍しく途中で乗ってくる人がいなかったのでとてつもなく退屈なバスの旅となった。

 バスから降りるその前に、足が止まる。バスの甘さに浸かっていた時間が長かった分、あの見るからに暑そうな地上に降りたつのがためらわれたからだ。ぼくが最後の乗客だったから多少長く時間を使うことができるとはいえ、それでも運転手を待たすわけにはいかない。そう日本人の血が騒いだ。

 生温かい感触に身体全体は包まれた。なんとも気持ち悪い感覚だ。こんなことならバスなんかに乗るんじゃなかった。


 『またあの顔だ』


 住む町とは違う景色に首を酷使して辺りを見回す。本当に高いビルばかりだ。人がたくさんいて居心地が悪い。ぼくには不釣り合いだ。こんなアメリカの朝食の卵料理のような交差点を渡ってから、ぼくにとっては聖地であるタワレコへと歩みを進めていく。どこに行っても人しかいない。本当に人しかいない。この調子ならストーカーしてもバレなそうと思い、頭のどこかで可愛い女の人をつけてみようかと思ってしまうほどに人しかいなかった。それでもぼくには女の人よりもCDショップだ。

 やはりここは涼しい。聖地であるために人もたくさんいて、今日発売のCDがあるのか長蛇の列ができていた。そんなこと我関せず、一階の売れ行きのアーティストを眺めてからぼくを待つ六階の地へ向かう。

 いつ来てもこの情報量には驚かされる。どうにもこうにも口角が上がって仕方がない。物色に物色を重ね、二時間をかけて選んだCDはたったの二枚。まあ、二枚に絞るからこそ時間がかかったともいえるのだが、なにせ持ち合わせのお金が心もとなかったので仕方なく二枚に選出することにしたのだ。


 店を出てからというもの何かの視線を常に浴びている気がする。それでも家に帰ってしまえばそれまでだ。バス停へと向かう。

 歩き始めてから五分から十分。気のせいだったのか視線が無くなった。このまま歩けば五分もしないうちに極楽の旅へと変わる。こんな薄気味悪い街はとっとと抜け出してしまおう。


 『またあの顔だ』


 気のせいなのだろうか、『あの顔』からの視線は全てぼくに刺しているような感じがする。要するに、今目と目が重なっているわけだ。何か危ないものを感じたぼくは踵を返し、ここからさほど遠くない駅まで歩いて電車で帰ることにした。電車で帰るのは正直嫌なんだ。七十円安くなるだけでバスと到着時間がたいして変わらないんだ。それに、電車の方が駅から歩く、十五分くらい。バスだと二分だ。かなり違う。


 『またあの顔だ』


 混乱に陥りそうだったが、これでつじつまが合う、この違和感の。きっと後をつけているんだろう。そうなれば、まず警察か……

 考えに考えを巡らせて警察よりも少しだけ場所のつかめないタクシーに乗ることにした。きっと最善の手だっただろう。警察ではぼくの言うことなんか信じてもらえないに決まっている。だからこそだ。タクシーがたくさん停まっているいる場所へ駆けて行き、できるだけ話を聞いてくれそうな人を探し、ひとまず乗り込んだ。

 「すいません、少しいいですか?」

 気弱そうで細身な運転手は戸惑ったように相槌を返す。

 「ああ、はい」

 その言葉を聞く前にぼくは話す気しかなかった。

 「今、誰かから後をつけられているんですよ。バスに乗ろうとしたらそいつが先回りしてて……それで、お金はないんですけどそいつを巻くのに協力してくれませんか。お願いします。今本当に切羽詰まってて」

 運転手はぼくの言動をかみ砕いて話した。

 「それなら警察に行ってみてはどうですか。そっちの方が堅実だと思いますよ」

 ぼくは食って掛かって答えた。

 「これじゃあ、だめなんですよ。まだ被害の受けてない未成年男子をこの大都市の警察が誠実に対応してくれると思いますか」

 苦虫を噛みしめたような顔をした運転手は車にエンジンをかけてゆっくりと動かした。

 まず、車が走らせてからはぼくにもすこしづつ余裕が戻りつつあり、冷静に今自分に起きていることを徐々に話していった。運転手も理解してくれたようで一時間程度のドライブの旅に出かけることになった。

 車を走らせて十三分ほどしたくらいで、ぼくは完全に冷静さを取り戻し、スマホに視線を落とす。今ぼくが持っているお金は二千円足らず。家に帰るだけでもお金が足りないわけだ。本当に安心できた。この運転手が優しい人で良かった。

 

 バンッ!


 破裂するような音がして、ぼくの垂れ下がった頭はすかさず上がった。わかりやすく慌てふためいた運転手。ぼくは何が何だかわからずに声も出せずに辺りを見回していた。ものの数秒で運転手はドアを蹴破るように出て行った。

 ぼくも気になって野次馬のように一定の距離を保ってタクシーの窓ガラスから覗いてみせた。

 運転手に隠れてあまりみえないが、人がひとり倒れているようだった。この瞬間に人をはねたことを確認する。

 少し怖くなって背もたれにもたれかかる。一度二度深呼吸を繰り返して状況を整理する。時間がおよそ三分。さっき倒れていた人が運転手の肩を借りてぼくの下へとやってきた。片手片足を骨折しているようで、歩きずらそうにやってきた。

 運転手の肩からするりと落ちるようにぼくの隣にやってきた『あの顔』はうつむいたままだった。声がでない。

 「お客さん、ごめんなさい。この人をひとまず病院に連れていくのでそこまでつきあってください。どうせあの人を巻こうとしていたんでしょう」

 ぼくは声を出せずに首を縦に振るだけだった。

 運転手はその合図を見た瞬間にドアを閉め、運転席にまで回りこもうと歩き出した。この瞬間、ぼくと『アイツ』のふたりきり。

 にやりと微笑んでこう言った。

 「なんでぼくから逃げるの……巻こうとしてただなんてひどいな」

 そう言ってぼくの目を覗きこみ頭を垂れた。



 何事もなく、病院に着き次のタクシーの到着を待つよりも先にぼくは歩きだした。



 明日は部活だ。そろそろ最後の大会も近い。自主練もしておかなくちゃ。

 

 最後も最後。さあ行くぞ。

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