第12話

 目覚ましい速度で景下に運ばれてきた私達は初め、その異様さに息を呑んだ。

 先ほどの地震の影響か、床や壁のディベレキラは軒並み瓦解し、生活のかなめであった大河も二つに分断されている。流れていた遺物や水は橋の下へと滑り落ち、単調な滝へと変貌するあり様だ。戦争、という言葉が不意に頭をよぎった。


 競うように並んでいた露店や民家もバラバラに崩れ、家主の影もない。一方で大通りはこれ以上ない賑わい……もとい、嬌声や悲鳴の道列挙成パレードだった。逃げ場のない橋の上にも関わらず、大勢の人波が大挙してどこぞへと流れてゆく。普段はじっとりと息を潜める裏道も、声の聞こえない代わりに忙しない足音が、住人の存在を仄めかしていた。


 士々瓦さんが往来する人々を睨む。口元は堅く引き結ばれ、歯の根も動かない。今度は私を見据えた。何か言うのを待っていたが、次いで陥没樹海メルトグリーンさんへと視線を投げ掛ける。

 だが、またしても静寂と沈黙の後、最後には目を閉じた。掛ける言葉が見つからないのではない。湧き出る言葉が多すぎて、その全てを飲み下しているのだ。この橋の住人は皆、彼を黙らせるために、たくさんの事実と諦観を投げ捨てていった。あるいは踏みつけ、踏みにじっていったのか。生きたいという純粋な願望が、大勢の雑踏によってエゴイスティックな情緒を帯びる。彼はそれに辟易している様子だった。


「窓を閉ざして下さい。津波が来るッス」


 責務を果たそうと、士々瓦さんが無感情に言った。足音は離れ、閑散とした廃都の大通りに低い声が流されて消えた。人の活気と入れ違いに潮の気配が濃密になる。やがて罅割れたディベレキラの床や壁から水が滲み出し、垂れて、新たな川が形成されるも、呑み込むような勢いで荒波が何度もせり上がって街を破壊する。錆びた橋は、海の煽りを喰らって成す術もなく大地から剥がされてしまい、跡も残らない。一方でテスタメントハーマーはこの大時化オオシケに従って波に乗り、大海原を漂っていた。黒々とした波浪はろうの隙間から沈んだ街並みが見えるにも関わらず、誰一人として浮かんでくる者はいない。あの地底湖と同じように、この海も人間を喰らうのかも知れなかった。それも生きた人間を、だ。


「え、何で沈まないの……?」


 光の射さない大海原の遥か向こうを見遣って、囁く。正直な話、死んだと思った。私達だけでなく、戦っている陥没樹海メルトグリーンさんも波に呑まれて海の藻屑と化すことを覚悟していたのだ。叩き付ける雨だけが現実味を帯びている。


「声援はいいのか、リィェン


 雨の中、新たな煙草に火を添えながら陥没樹海メルトグリーンさんが呟いた。彼は平然と宙に浮いていて、私の態度に物申していた。この豪雨にあっても炎は消えず、どころかより一層の激しさを増して、炎は燃える。不自然極まりないにも関わらず、そういう異様さには安心感を覚えた。彼が息を吹き込むと、ごく小さな火炎が生命の如く脈動して猛る。たとえ身を粉にして倒れても、無敗の信念は討ち果てずに残るのだ。彼が教えてくれた、大事なこと。


 荒れる水面みなもでは新たな姿をした回生用地下鉄鎚テスタメントハーマーが幅を利かせている。名前の由来がこれで知れた。水陸両用の単壱機船滑車エレルメンツハンァード。それがテスタメントハーマーの着地点コンセプトなのか。


リィェンさん、黙っててすいません。けど、これだけはどうしてもむに已まれなくて」


 初めて士々瓦さんが訛り言葉をやめた。俯いたままに苦々しい口調でようやく呟く。


「テスタメントハーマーの制作は当初、本当に悩みました。この機体を完成させることはすなわち、仲間以外を見捨てて去るということですから」


 持ち上がった双眸そうぼうのギラつきはくらく、潤んでいるようにも見えた。


「もちろん、民話や寓話は全く信じていませんでした。彼の、メルトさんの助力がなければ、オレはこの街で浮幻金属術師を続けなかったと思います。戦武探究以前の命題で、どういった目的で創るかが要ですから」


 住人を見捨てるという選択肢は、それだけ彼にとって苦渋だったに違いない。


「けど、橋に襲来する洪水や大時化オオシケを見越したオレに、メルトさんは言ったんです。『この土地一帯の防衛が独りで出来るなら教えてくれ。俺は変える』って。あのヒトの眼差しは本気でした……。そうしてオレは自分自身の限界を知りました。代わりに、たとえ少数でも何が何でも護れるような絶対を創ろうと思ったんです」

「だから、これを?」

 テスタメントハーマーのソファを両手で押さえて、訊いた。彼は頷いた。


「だからどうしても――勝ちたいんです」


 海に沈んだドッペルテキンセンションは、程なくして海上から見えなくなってしまった。水圧に押し潰され、劣化と老化の進んだ建築物では巨大なまま残るとも思えず、諦めて宙を仰いだ。諦めの悪い陥没樹海メルトグリーンさんだけが、ヲサカナの暴威に立ち向かっているが、勝敗が決するのも時間の問題だった。義足は圧し折れ、義手は吹き飛び、顔や胴は傷だらけ。もう負けは決まっているのに、彼は認めようとしない。


「メルトさん!」


 不意に、窓から身を乗り出して士々瓦さんが声を張り上げた。


「勝って……勝って下さい!」


 上半身を雨水と潮水とで派手に濡らしながらも叫ぶ。まるで雄叫びだ。


「そうでないと、オレも仲間に顔向け出来ません! どんな顔で仲間に会えばいいかわからない! オレ自身を許せない!」

「士々瓦。正義は苦悩と死闘の末に待つものだ。俺もお前に証明したい」


 静かな口調で、陥没樹海メルトグリーンさんが気持ちに応えた。士々瓦さんが泣きそうな目で見返す。

 私達にしても、それぞれの正義を抱えている。その正義を全う出来ないでどうして安息の場所に帰れるというのだろう。全力を出し切っての死闘だというのに――。


リィェン。声をくれ。お前の声は絆を結ぶ」


 遠くにいる陥没樹海メルトグリーンさんへ答えるより先に、身体が動いていた。

 私が携帯用拡放射声キストマイクの電源を入れてからは、剣呑で殺伐とした戦闘の空気は跡形もなく吹き飛んでいた。戦闘さえも、ただいつものように三人でやり取りする長閑な風景の只中に馴染んでいる。真剣に叫ぶ私を、愉しげに鼻で笑う陥没樹海メルトグリーンさんの一撃一撃の間合いも速さも重さも、もっとずっと価値が増している。

 あれだけ豪語していたが、緊張していたのか……彼も。


「そうだな、そろそろ終わりにしようじゃないか。××××」


 聴いたことのない言葉で呼び掛けていた。

 ヲサカナへと微笑みを投げる陥没樹海メルトグリーンさんの顔には痣が浮き、唇からは血が滲む。義足にしたって骨格基盤は折れているだろうし、利き手の義手は砕けて跡形も残ってはいない。敵ではなく旧友でもねぎらう態度で清々しく笑っていた。

 そうしてもののついでのように、吸い終えるか否かの煙草を火の付いた状態で勢いよく海へと投げ捨てる。辺り一帯は文字通り、火の海になった。同じく宙に浮いていたヲサカナが狂声を上げて猛襲の嵐を見舞うが、死水から生まれた災害と害悪は瘴気を削り取られて徐々にその猛威を潜めていた。鉄と石膏と宝石で出来た骨格が露わになり、退廃した象徴のことごとくが削げ落とされて、一つの作品へと戻りつつある。


「あれは……」

「ようやく終わりが見えてきたッスね」


 私達はそれを閉め切った車窓からじっと見守るばかりだ。機工の空調と防炎対策により蒸し焼きになることは免れているが、いかんせん車内は暑い。


 雨が、弱まりつつあった。それは禁忌の終わりを示していて、同時に長い奮闘の終わりを表している。心身を賭して戦いに臨んだ面々は、ここで改めて武獣もののふの息を吹き返す。


 押し寄せる瘴気。されるも決して途絶えることのない覇気。

 超天変地異の如く吹き荒れる力のせめぎ合いの中、陥没樹海メルトグリーンさんの猛る笑い声が聞こえた。


 そうして、硝煙くすぶる火海の中、焼け焦げた武獣もののふは想いを胸にその身を転じる。

 まるで挿げ替わるような鮮やかさで変じてゆく――。


 義手も義足も身体から離れ、ただの金属片としてその役目を終え、下向に落ちて消える。

 の髪は長く金のたてがみへ。彼の表情は凛々しい猛獣へ。その四肢は太くたくましく、その身は雄大な伝説の化身そのものだった。どれほど姿が変わっても、レースの刻印も、あの獣染みた眼差しも、煙草の焼けた灰の臭いも、強く強く刻まれたままに鼓動を刻み続ける。大きな翼と太く収束する尾。長毛の生え揃った体躯からはどっしりとした四肢が伸び、力強く宙を踏み締めている。表情は気高く、眼光は細く鋭い獣そのものだった。


 だからこそ陥没樹海メルトグリーンさんはここにいると思えた。姿が変わっても彼なのだ。


「―――! ――、――――――!」


 彼は勇ましく愉しげな叫びを上げて、ほんの一瞬、一撃でヲサカナを打ち崩す。

 この一瞬をどんな人達が、どれだけの時間を掛けて待ち侘びたものなのか私は知らないし知る必要もない。だって、今を以て事態は収束したから。


 奇怪な文化の終わり。悪性橋の終わりが見えたから……。

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