第11話

 ゆっくりと目を開ける。

 どうやら覚醒したらしい。

 服も道具も木端微塵に消し飛んでいるけれど、そんなのは本当に些細なことだ。


「ごめん。心配掛けた」


 二人の顔を見上げる。正直な話、いつからこの地面に立っていたのかさえ分からないけれど、機械的生命線エピドートは保たれている。


リィェン、これを」


 雷鳴の轟く中、太く滑らかな声が響いた。

 黄色のフルジップパーカー。黒いスカートにタイツ。臙脂えんじのロングブーツ……陥没樹海メルトグリーンさんが手渡してくれたのは、私の普段着一式だった。わざわざ持参したのか、どれもこれも丁寧に畳まれており、靴に至っては磨かれていた。正直な話、戦闘があると踏んでいたために服の損傷など気にしても仕方がないとばかり思っていたが、彼は違っていたらしい。戦闘においても場数を踏んでいるということなのか、余裕が違う。


「ありがと」


 損傷の失せた身体に服を纏ってゆく。首にしても、調合薬を補填された感覚がある。


「痛みはないッスか?」


 雨の中で着衣している私の背に、士々瓦さんが問い掛けた。首だけ向けて返事をする。


「うん。脳も問題ない。ヲサカナは?」

「だいぶ消耗してるッスよ」

「そろそろ勝機の光が差してく  ッ!」


 会話が途切れて、音。硝氷ガラスの割れるような音、強く響く。


 いきなり背後に躍り出た陥没樹海メルトグリーンさんは、気配を潜めていたヲサカナの近接攻撃を腕一本で抑えていた。しかし硬化した義手には勢いよく亀裂が走り、次の瞬間には砕け散る。やはりというべきか、陥没樹海メルトグリーンさんは怯むことなく次の一手に転じた。


 と。


 士々瓦さんがいきなり私の手首を掴んでがむしゃらに駆け出した。近くにあった樹に雷が直撃し、爆風と轟音が襲った。雨のせいか、火は立たない。


「ちょ、ちょっと待って! 陥没樹海メルトグリーンさんはどうするの!」


息堰切って走る士々瓦さんは戦場から出来るだけ離れようとしていた。

「どうするもこうするもないッスよ! わかんないッスか? 味方が近くにいれば逆に戦いづらくなる。最悪、負けることだって有り得るッスよ?」


 そうだ。私は戦闘においては足手纏いで、二人のお荷物でしかない。

「けど、メルトさんは絶対に負けないッス。そのために悪性橋へ来たんスから」


 その言葉で思い出した。私にして欲しいことを、陥没樹海メルトグリーンさんはちゃんと伝えていた。彼の言葉を思わず口にしていた。

「他者の存在認証があってこその生だ。誰かに認めてもらわなければ存在さえ立ち消える。独りで存続出来ない……」

 情念の類が今回の問題を、危機を解決する。乗り越えるカギになる。

 ええと、何だったっけ? 思い出せ。私達三人の――

「そうッスよ。メルトさんは他人との繋がりで強くなる」


 そうだ。

 絆、もしくは信頼が陥没樹海メルトグリーンさんの存在意義、すなわち存在密度へと還元される。ならば高まれば高まるほど彼は本来の姿を取り戻す。とするならば――


「メルトさんは絶対に負けないッス」

 士々瓦さんが対峙する二者を見据えながら力強く呟いた。

 つられて上を見る。膨大な広葉樹の枝葉を踏み潰しながら陥没樹海メルトグリーンさんとヲサカナが互いの氣をぶつけ合っている。けれどまだ勝機が薄く、ジリ貧なのは目に見えていた。

 けれど私がやるべきことも、しかと見据えている。大丈夫。いつも通りにやればいい。


「ねえ、士々瓦さん。想拡放射送機関ヴァイト・ディファレンサって運転可能?」

「そりゃあ調整も終わりましたし、起動させようと思えばいつでも出来るッスけど……。何に使うんスか?」


 私は体内に仕込んでおいた携帯用拡放射声キストマイクをそっと取り出すと士々瓦さんの眼を見た。

「何ってそりゃあ? 応援以外にないでしょ」

 微笑みながら電源を入れる。キィンという鈴鳴りに似た音が悪性橋を通り過ぎ、やがて消えた。宣言通り、想拡放射送機関ヴァイト・ディファレンサとの接続は完了している。


 息を吸う。

 声にして届ける。


 陥没樹海メルトグリーンさんの身体損傷は著しく、押されているのは誰が見ても一目瞭然だった。


『何やってるんですか、陥没樹海メルトグリーンさん! 戦ってるならもっと気合い込めて殴って下さいよ! 私達、皆期待してるんですからね!』


 響く響く。響き渡る。

 昏い森に、街町に、橋の上下に。

 そして何より人々に――。


 私の叱咤激励が大音量の熱波となって人々の心に響く。呪いの大時化オオシケにさえ引けを取らない圧倒さを誇り、皆を勇気付け、彼を鼓舞する。


『負けたら承知しませんよ! あ、煙草は終わってからにして下さいよォ!』

 目を丸くして私を見下ろしている陥没樹海メルトグリーンさんに笑い掛けながら叫ぶ。隣の士々瓦さんは笑いを噛み殺しながら楽しそうに私達のやり取りに耳を傾けていた。


 叫んでいる間に、テスタメントハーマーが私と士々瓦さんを裂くかのように突っ込んでくる。本物の津波を回避するために彼が呼び寄せたのだった。

 二人が乗車するとまもなく橋の遥か向こう、真っ黒な大海から低い轟きが迫ってきた。ついに来たのだ。

 乱戦の最中、ヲサカナが大津波を呼び寄せ、死水の海を創造するに至る。




 甲高く、ゆったりとした金属の摩擦音。それが頭上から響いてきた。軋みとも唸りともつかない鉄の響きは、悪性橋の崩壊を示していた。


 足元からは地鳴りが響き、地盤崩壊と沈下とで徐々に侵食されてゆく。

 このままだと香下は崩れた橋の下敷きになり、景下は崩れゆく橋と運命を共にする。止まっていた時間が唐突に息を吹き返し、香下の住人達は広大な森と共に盛大に罅割れて、彼らの存在を否定するかの如く、木っ端微塵に消滅した。


 まさに青天の霹靂。残ったものは崩壊寸前の色褪せたドッペルテキンセンション以外には何もない。それもじきに灰色の金属砕屑物シルサレキに成り果てる。生き物は皆失せて、死の臭いだけが、かつて街だった場所に吹き荒ぶだけとなった。ここには最初から何者も存在しなかったのだ。生者の誇りなど、欠片も失せてしまった。動植物は全て息絶えたのだ。その中には当然、リンやトォリさんもいる。


リィェン


 士々瓦さんが短く言って、テスタメントハーマーを発進させた。彼は朽ちた都を一瞥すると、かつて腐葉土だった岩土いわつちに視線を落としながら、出入口の鳥居を見つめる。そちらも見る見るうちに石造りが脆くなり、色褪せて罅割れてゆく。鳥居の姿が大きくなるにつれ、かしいで廃退していく様子がまざまざと目に焼き付けられた。通過するかしないかの時だったか、規模の大きな地震が起きて、鳥居に備わっていた刃が降り落ちた。それを最後に、香下から物音までもが失われてしまった。

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