第10話

 叩き付ける雨が、更に激しさを増す。豪雨に見る呪いが濃度を深めていく。時化シケが近く、そろそろこの橋も荒れ狂う怨念の波に呑まれるだろう。肌から伝わる凶念の渦が気味悪く、同時に似た者同士なのだと知れる。煙草にも見える薬剤の残量を確認し、俺は差し迫る雷雲に目を凝らした。


『ニァ・イン・ヴレス。モード、スペクトル・アルヴィレヲ』


 語って聞かせるような丁寧な発音。雲から視線を外し、声の主を見遣る。

 若い女性の機械音声ののち、討ち果てたリィェンがぎこちない挙動で立ち上がる。


 士々瓦が事前に教えてくれた通り、負傷した彼女は自動的に修繕戦闘形態スペクトル・アルヴィレヲへと移行していた。無事、生命線に内蔵された救命予備ストックオプションが起動したらしい。


 わざわざ新調し、好きだと言っていた服は見るも無残に焼け焦げ、跡形も残っていない。当然、胸には異変質技巧圧縮ストレザーヴによって穿たれた遺恨が刻まれ、戦闘用の身体とはいえ、全裸でヲサカナと敵対する姿を黙って眺めていた。


速級修繕フルスペクトルテージ17。あと90秒後にテージ100』


 声はなおもよどみなく告げる。同じ声帯を震わせているのにまるで別人だった。


『秒読み段階。3、2、1……モード、アルヴィレヲへ移行します』


 宣言の瞬間、ヲサカナが増水した地面に叩き付けられる。リィェンの放つ電気振動波レイザービームが見本のような正確さの射的威力で敵を穿った。硝氷ガラスのような身体から藻やカビをばら撒き、腕をよじらせてヲサカナが落下していく。喉の潰れた悲鳴を上げる。


『お見事です、士々瓦様ディーヴァ


 景録表晶ヴィデヲレンズに誂えられた眼球が焦点を合わせた先に、浮幻金属術師がいた。この橋の上でたった一人の技師であり、また俺と同じく異物でもある青年は、当然のことながら驚きはしない。彼自身が設計し、完成させたのだ。予想内の範疇はんちゅうに決まっている。


 まるで他人のような声と調子に合点がいった。意図せず、感嘆の声が漏れていた。


「なるほど。操縦士を切り替える仕組みか」

「そうッスね。敵の乗っ取りによる暴走を食い止めるのが主な使用方法ッスけど、この機体は元々、彼女のために製作してたんで」


 返ってきた言葉も落ち着いていて淡々としているが、心なしかたのしげに映った。


釵棘カンザシ・イバラと申します』

 機械音声の主である女性が控えめに自己紹介をする。お辞儀をする所作も美しく、先ほどのカウンターを見舞った張本人と結び付かない。


『あなたが陥没樹海メルトグリーン様ですね。お話は士々瓦様ディーヴァから伺っております。ふふ、安心して下さいませ。リィェン様は電圧迫瀕死ニァ・イン・ヴレスの状態……つまり息はございます。戦闘形態に差し支えない程度に修繕し終わりましたら、制御はお返し致します』


 それを聞いて安心した。仕組みはどうあれ、リィェンの実脳とイバラの電子脳が互いに干渉し合うことなく内在しているのだ。


『ですが、これはあなたの任務。終止符は御自分で』

「そうさせてもらう」

『モード、スペクトルはたった今、完了致しました。無論、説明するほどのことでもありませんが、リィェン様もモードアルヴィレヲをお使い頂けますので、一矢報いるというのならどうぞ。では士々瓦様ディーヴァ、御健闘を祈ります』


 そう言って棘は、人体に限りなく近い風合いを持つ戦闘用女性型機械から去った。いや、単に大人しくなっただけで、戦闘が終わるまではリィェン補助サポートに尽力するのかも知れない。ただの機械のように立ち尽くすままでは、どちらの人格か判断することは難しい。何と言って覚醒させようか、しばし迷っていた。


 しかしながら士々瓦はといえば、これ幸いとばかりに彼女の首から使用済みの救命予備ストックオプションを弾き出して新品と交換する。その手前――人体で例えるなら後頭部の辺り、より正確に位置を示すなら首奥の脳下垂体へと、リィェンが装填を試みたであろう誤急軌爆鎮静腋フクァ・ミリジエータを補填していた。行動は淡々としながらも、機械であり生命でもある彼女への気遣いだった。


「脳に異常はないと思うッスけど、念には念を入れたいッスね。リィェンには出来る限り戦闘は避けてもらって、オレもなるべく盾になるんで」


 真剣な眼差しでリィェンを見据えながらも、その機体をそっと横たえる。

 あまり時間もない。並々ならぬ瘴気しょうきが濁った水鏡を通して肌に刺さる。ヲサカナの気配だ。士々瓦が黙り込んだのを見届けてから、声を掛ける。


何時いつまで寝てるつもりだ、リィェン。そろそろ起きてくれ」


 一糸纏わぬ彼女が起きたらまず、服を手渡そうと思った。彼女はまだ、心まで朽ち果ててはいないのだから――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る