第9話

 獣道で再開したヲサカナは紅線電磁波動レッドファイバーでの妨害が効いているのか、酷くやつれているように見えた。頬が火傷を負ったように黒ずみ、ただれて身体から滴り落ちる。目を覆いたくなるような胸の悪さを感じていた。思わず奥歯を噛む。


――瞬間。


 何の前触れもなく、水圧が生じさせる重い音が前方から塊となって襲い掛かる。最初に遭遇した時と同じ攻撃手段。高速で撃ち出される死水しにみず。寸でのところで避けると辺り一面が雨雲に覆われていた。まもなく死臭のする雨が降ってくる。土の匂いも空気の匂いも徐々に変化して侵食される。この森全てが腐敗した臭いを露わにした。



 ぽた。ぽたぽたぽた。



 既に出来上がりつつある水面みなもを見て確信する。この雨は地底湖の比ではない。大海原を超える呪いと化すだろう。肌が突っ張ったような感覚があり、雨音が呪詛に変わる。

 目の前に立ちはだかる存在の何たるかを、水の響きが助長して五感を束縛される。


リィェン!」


 陥没樹海メルトグリーンさんの呼び掛けでようやく前を見据える。けれど今の今までずっと敵を見ていたはずだった。なのに視点がぐらついて定まらない。一時的に機能停止に追い込まれたのだと悟るが、敵の動きは止まらない。敵は私を両目に捉えている。滑らかに泳ぐように、だがあまりの遅さに違和感を生じる。けれど豪雨を伴い、旋風を巻き起こしながら接近するヲサカナは紛れもなく、今までに見た中では超高速の部類ともいえる動きで邪魔者を落としに掛かる。襲撃に対して迎撃の構えを取り、私は渾身の蹴りを放つ。

 飛沫が上がった。雨の灰色と血の褐色。その両方が勢いよく散る。


「ぃイぎいィい!」


 高音域の雄叫び。それも錆とヒビの入った、割れて潰れた悲鳴だった。そのすぐあと、同調するかのような電気大振動津波ディレーザービームが見舞われるも、上手く見切りを付ける。

 しかし、その折りに放った長低級音波による異変質技巧圧縮ストレザーヴを予測出来なかった。


「あっ、がァ……っ!」


 惜しくも胸部に直撃。装備していた調合薬は全て砕け散り、ベルトどころか服ごと焼き払われて燃え失せる。事前に仕込んでおいた生体修復液化燃料マターテル・オートでは当然回復が追い付かず、バキバキと異音を発しながら胸部が割れ裂ける音をはっきりと耳にする。すぐさま首奥の脳下垂体に誤急軌爆鎮静腋フクァ・ミリジエータを打ち込もうとするが、時既に遅し――。利き手が痙攣けいれんし、微細な動きを受け付けなくなってしまった。神経網の損傷が激しいがために、あっという間に全身へ痛みが伝播する。せいぜい出来たことといえば、最期さいごの力を振り絞って落下の衝撃に備えたことくらいだった。


 視界が赤く遮断され、けたたましい警告音と共に身体制御を奪われた。今現在、泥沼のような地面に突っ伏しているのか、立ち上がったままなのか。

それさえも、私には判断が付かなかった――。

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