第8話

 住人が往来するにも関わらず、ディベレキラを躊躇なく踏み付けて一気に跳躍した。助走もなしに、身体はふわりと空中に躍り出る。風の抵抗を直に食らっているが、それさえも足の速さと機械の頑丈さを証明するための街頭演技パフォーマンスになる。


 音もなく降り立ったドッペルテキンセンションの人工砂利畳コンクリート。そこへ亀裂が入る。人体とは違って、重心移動が滑らかに出来ないといささか優雅さに劣るのが欠点か。


「中々に難儀なようだな。その身体も」


 息を切らせずに最上階まで駆け上がってきた陥没樹海メルトグリーンさんも、自重という点においてはやはり私と同じように難儀しているようだった。


陥没樹海メルトグリーンさんよりは軽いと思いますよ、きっと」


 言いながら普段とは違う扉を開ける。帰宅して最初に開けるものとは別の、防音扉。

「さーて、軽口叩きながら仕事しちゃいますか」

 操縦席さながらの席に腰掛けて電源を入れる。重く太い取手レバーを押して起動させたハーキータ・ラックの照明が灯り、様々な色彩の押令ボタンを縁取るように灯源ライトが走った。


「こんな使い方されるなんて思ってもみなかっただろうね、この場所も」

 拡放射声マイクの電源は切ったまま。

 紅線電磁波動レッドファイバーの波長を普段よりも強く、外側へ。

 細かいレバーを幾度も調整しながら鍵盤のように高速でボタンを操る。

 広々としながらも退廃した、香下のドッペルテキンセンションへと電波を届ける。



『出生はともかくとして、電気振動波レイザービームを撃てるということは、こちらも紅線電磁波動レッドファイバーでの妨害が可能かも知れないッスね。やれるだけやってみて欲しいッス』



 これは士々瓦さんの言葉。テスタメントハーマーで出立する直前に頼まれた。私が戻ってきたのはこの電波妨害作戦を実行するためで、逃げ帰るためではなかった。本当は電磁波そのものを阻害出来れば良かったのだが、そうそう上手くはいかないようだ。


 香下のドッペルテキンセンション。その大部屋の中央に聳える手円環式渾天球儀ラトステネスは、今やただの計測時機器ヘメ・ルーターではなくなっていた。士々瓦さんの調整と手腕によって、その働きを改められていた。橋上の住民も橋下の住民も一緒くたにして、悪性橋全体の想拡放射送機関ヴァイト・ディファレンサとして起動するのを待っている。


 心なしか感情連結香炉メメル・オメルタが加速する。左眠心青室レグネントの動きも右熾心赤室アーマネントの働きも活性化し、機械とは思えないほど活発に脈動する。


 ――紅線電磁波動レッドファイバーの波長は入ったままに。

 携帯用拡放射声キストマイクを手に、ハーキータ・ラックの照明だけを落とす。


 準備は万端。いよいよ反撃のときだ。聞こえない電子反響こえが橋全体に満ちるのを待つ。




 調整を終えた私が部屋を出ると、やはり陥没樹海メルトグリーンさんが立っていた。両腕は既に傷一つない新品に替わっていて、普段の硝煙の匂いが消えている。その代わり、手には分厚い革の袋を握っていた。士々瓦さんの武器だろうか。


 辺りには吸い終わった煙草らしき香りが立ち込めていて、空気が強い印象を受けた。心なしか頭がスッとする。壁に背を預けたまま黙りこくっているのかと思いきや、彼は「行こうか」と呟いて階段を降り始めた。私も後に続く。大河の前では停車場のない内燃駆動車が一両、ぽつねんと待っていた。


 二人で乗り込むと、今度は全自動フルオートで扉が閉まる。言われた通り、指定された壁の電源を入れる。テスタメントハーマーが唸りを上げ、街の空気を裂いて急発進した。


 見知った街はあっという間に車窓から過ぎ去り、さほど時間を掛けずにあの森と白い鳥居が出迎える。検問所だ。立ち寄って愛車バイクを受け取り、車内に積載した。

 万が一、ヲサカナを撃破した直後に崩壊が始まった場合のことを考えると、悪性橋から脱出する際、体積が小さい方が被害を抑えられるからだ。


 橋下のドッペルテキンセンションに到着すると、塔の付近でテスタメントハーマーが速度を緩め始め、やがては扉付近で停車して鳴りを潜める。

 外側から、がしゃんと扉が開く。出入り口の前にいたのは士々瓦さんだった。


「お疲れ様ッス。準備なら出来てるッスよ」


 普段の気怠い声で、けれど目付きは真剣そのもの。重そうな異国の鎧と、自身の倍以上もある大きな盾を携えて平然とした顔をしている。


「メルトさん、救命予備ストックオプションありがとうございます。念のため当初から内臓はしてありますけど、一つだけだとどうにも不安で……」

 受け取りながら横に視線を逸らす。何を見たんだろうか。


「なるべく早くケリを付ける」

 普段とは比べようもないほど険しい表情で陥没樹海メルトグリーンさんが告げた。

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