第6話

 森の中で野営を終えた私達は、説明された目的通りに再びドッペルテキンセンションの下層部を訪れていた。会議の成果もあってか、簡潔な説明だったので、蚊帳の外だった私にも理解出来る内容だった。トォリさんも内容に理解があるらしい。


 聞くところによると、トォリさんは時間軸の狂い、もっといえば時間の異常な速度に気が付いていたらしい。サカナを生み出してしまった後悔から森を作り、街を築いた。それが香下だという。たった一本の植林が森に変貌した様子からして、この住人達も正しい時間の流れを振り切ってしまっている。本来ならば羊水の中だというのに、既に地を踏み、背丈が伸びている。


 目の前の女性――スーリンもその一人。姓名からして私の子孫に当たるのか。実感が湧かないどころか相手もまだ見つかっていないのに、どうやって生じたのだろう。


「大人数で、何のご用件です?」


 いかにも疑わしいといった表情でこちらを眇める女性は、冷たく言い捨てる。話す価値もないと思われているようだが、それは見当違いだ。


「それ、借りたいんスけど」


 大部屋の中央に聳える手円環式渾天球儀ラトステネスを指で示しながら、士々瓦さんが言った。


「士々瓦。順序があるだろ」

 脇に立つ士々瓦さんを窘めつつ、会話を切り出す陥没樹海メルトグリーンさん。

「何度も申し訳ない。実はこの地に巣食う魔を払う方法がわかったので協力して頂きたい。貴女の協力が必要なんだ」


 端的に説明して同意を求める。対する女はそこで初めて反応を見せた。わずかながら眉間に皺が寄り、一瞬だけ頬が引き攣った。

 これではっきりした。彼女も何か掴んでいる。


「それで――こちらの手円環式渾天球儀ラトステネスをお借りしたいと」

「はい」

 動揺を押し殺した、やや険のある普段の声。であるけれど、私には何かを躊躇っているように映る。そうすべきか、しないべきかで揺れ動いているように見えたのだ。


「わかりました」

 彼女が決断するのに、そう時間は掛からなかった。少々の沈黙の後、静かに答えた。


「こちらは好きに使っていただいて結構。ですが、そちらのお嬢さんをお借りしても?」

 湿しめやかに言って、私に目配せする。私はすかさず頷いた。彼女が知りたかったからだ。


「では皆様、失礼致します。お嬢さんはこちらへどうぞ」

 お茶でも飲みながらゆっくり話しましょうと、気さくに耳打ちして微笑む。私は彼女に名乗りもしていないのに、既に悟っているらしかった。さしずめ、女の勘か。


「いつから?」

 階段を上り終え、皆と距離を置いた場所で問い掛けた。我ながら低い地声だ。

「それはわかりますよ。血筋の前では隠しても無駄です。お婆様」

 わらう顔が私に似ているせいか、手を汚していた昔を思い出す。睨んでいてもまるで怯んだ様子もない。まるで隔世遺伝だ。


「そうやって呼ばないで。今はスーリィェンなの」

今は・・ですか。そう言えばわたくし、お婆様の本名をご存知ないわ」

「教える気はない。あれは捨てたし、そもそも記憶にない」


 嘘だ。永遠に老いぬし錆びぬ、この機甲義体オルトメタファになっても全て覚えている。過去を熟知した上で、この人生を選んだのだから。


「事故、でしたものね。人為的だったのでは?」

「ないよ。あのジジイの不注意に意味なんかない」

 吐き捨てるように告げる。もしそうならあのジジイも共犯者になる。私ならあんな頭の回転の鈍いノロマを引き入れることは絶対にない。

 でも、もしそうなら陥没樹海かれの隣を選んだ理由も打算ということなのか。


「椅子に座ったら如何かしら? お茶菓子もご用意致しますわ」

 硬く厳しい表情をしていたのだろう。考え事を始めそうな私に声が掛かる。


「そりゃどうも。孫の粗茶でも頂くとするよ」

「有り難う御座います」

 孫が打算的に笑った。




「それで? そろそろ本題に入ったらどう?」


 感情や打算を推し量る表層の泥仕合ゲームに飽き飽きしてきた時だった。頃合いを見計らって鋭く毒を吐く。戯れに、卓上のぬるい異国祖茶セイロンに砂糖を入れてかき混ぜる。こんな日常をいったいどこから買い付けているのだろうと、ふと疑問に思った。


「お婆様は本当に頭の回転が速いのね。周りが追い付かないくらい」

 向かいから柑橘蓮茶レモンティーの香りが漂ってくる。淹れたての熱いお茶だった。


「今回はお手上げだよ。お門違いもいいところだ」

 湯気の立つ紅茶を陶器の皿に置く。本当によく笑う孫だ。


「事態の究明なのでしょう?」

「あんたはどこまで知ってるんだ。リン

 刃を突き付けるような物言いで冷たく言い放ったにも関わらず、彼女は冷たく微笑み返しただけだった。やはり血は争えぬということか。


「ほぼ全て」

 間を置いて、苓が告げる。


「そもそも、あの術師面マスクの男は私に相談を持ち掛けた。けれど私は」

「相手にもしなかった、とか?」

「そうです」

 あまりの潔さに、思わず吹き出してしまった。


「で、術師面マスクのあいつは信用に足る人物を見極めるために鍾乳洞に引き篭もったと。泣ける話だね。可哀想だなー、あいつ」

「私を頼ろうとする行為自体が間違いです」

「そりゃそうだ」


 断言した孫を他所に嗤う。こんな孫に何を期待したのか訊いてみたいものだ。


「あの化物が本当に倒せると思って?」

「怖いからって規模を大きくするなよ。あれも単なる生物だよ? 殴れるし殺せる」

「では――」

「厄介払いだけだ。あくまでも事態の収束だからね」


 自然と語調が強くなる。厄介払いをしたかったに違いないが、それも見当違いだ。この孫には私達全員の意見が合致していることを端的に伝えるべきであって、おかしな希望を持たせるべきでない。


「心配しなくていいよ。もう二度と同じことは起きない」

「そう……ですか。頼みましたよ、お婆様」

「了解。まあ、あんたの是非に関係なく遂行するけどね」

「では、行きましょうか」

 話し合いは済んだ。後は覚悟の問題。


「時間が正常になれば香下の街は丸ごと消滅する。快く了承してくれてありがとう」

 扉を開く直前、私は真実を告げた。皆が気付いていたであろう真実を。

「現実を生きる人々に道を譲るのは当然のことです。我々は幻想ですから」

 そう言って、苓は儚く微笑んだ。




 階段を下りると、作業の片付けをしている士々瓦さんを見つけた。もう終わったのか、手持ちの道具を丁寧にしまう途中で私をちらりと見たが、それだけだった。


「もういいのか」

 苓に対して陥没樹海メルトグリーンさんが問うと、ええ、と短い返事があった。


「ありがとうございます。作業は無事、終了したっす」

 訛りの取れたやや硬い言葉遣いで士々瓦さんが告げて、深々と頭を下げた。彼にしては几帳面な行為だと思う。技術師としての敬意の現れだろうか。


「あとは予定通り、ここで待機させてもらうッス。リィェンはこれに乗ってハーキータ・ラックに向かって下さい」


 荷物を背負った士々瓦さんがおもむろに出入口へと向かう。扉を開けた先で目にしたのは、おおよそここにあるはずのない重鉄と鋼鉄の機体。一両だけで完結する鉄道車両。香下の緑を蹂躙し、圧倒する機械式の内燃駆動車。

 そう、回生用地下鉄鎚テスタメントハーマーだった。


これが停車している所以もまた、士々瓦さんの作品だからに違いない。制御装置の操作も担っていて当然という訳か。でなければ彼の作品ではなく誰かの模造品になってしまう。


 どこが扉なのかと思っていたが、その剛健な佇まいとは一転して使いやすいらしい。脇にある扉を横滑りさせるように開き、士々瓦さんが無言のままに車中へと促す。そしてタラップを上がった先、車内は想像した以上に狭かった。入口の向かいに二人掛けの対面式ソファと一脚のテーブルがあるだけで、他に何もない。テスタメントハーマーの総量と、この部屋の広さはどう考えても不釣り合いだった。私の表情を汲んでか否か、その理由も滔々と語りつつ、進行方向の壁――操縦壁の一点を指差した。


「前方には内燃駆動式の動力機工が組んであるッス。行先は既に入力してあるので、帰りはここの電源だけ入れて下さい」


 彼が説明する様子は至って真剣だ。口癖はまあ仕方がないにしても、目付きも表情も口調すら硬く、普段の気怠い自然体とは似ても似つかない。事態が事態だけに急を要するからか、それとも別の目的があるのかは計りかねた。


「うん、わかった」


 如何せん、業務的な会話に収まってしまったことが悔やまれるけれども、そんな些細な理由で気落ちしている場合でもない。


「メルトさんも無理だけはしないで下さいね。後が控えてますから」


 車中の私をよそに、士々瓦さんが唐突に振り返った。そこには当然、陥没樹海メルトグリーンさんがいて、会話の内容から察して見送りに来たのではないのだと知れる。むしろ、彼自身も悠然とテスタメントハーマーに乗車していく。


「ほどほどにする」


 彼は会話が終わったとばかりにタラップをしまい、後ろ手で扉を閉める。


 らしくもない言葉選びをした陥没樹海メルトグリーンさんだと思ったけれども、これは士々瓦さんを案じての逡巡に違いない。目的を達成出来ないのは誰にとっても不本意な結果だからだ。


 そうして、士々瓦さんが言葉を返す前にテスタメントハーマーが唸りを上げて緊急発進した。車窓から見た士々瓦さんは薄く――本当に薄く、笑っていた。

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