第5話

「うおっと!」


 大きく、機体が上下に揺れた。声を上げた私を一瞥いちべつして、陥没樹海メルトグリーンさんは「しっかり掴まれ」とだけ言った。まるでうっかり台詞を零したみたいに。


 橋の下は悪路だ。そして迷路、迷宮。いかに街へ続く道があろうとも、地図があろうともここではあまり意味がない。それもそのはず。ここには鉄と人工砂利畳コンクリートを埋め尽くす緑がある。生い茂っている。鉄も歯車も人間も文明も一緒くたに絡め、締め上げて養分とする膨大な生命力が根付いているのだ。だが恐るべきことに、この地下一帯に生を謳歌する植物は全て一本の樹木なのだという。たった一本の木にこの地は占領され、そのほとんどを支配されたのだった。


 土壌は言うまでもなく腐葉土だ。落葉によって作られた天然の土。それがぬかるんでタイヤに絡み付く。着ている服も既にいくらか湿っぽい。橋の下は雨期の真っ只中だ。


 悪路をだいぶ進んできた私は、距離と方位を確認する。左手に巻いた二重の腕時計のようなものは、計測器だ。銀色をした下部の大きな円形表示板が方位を、上部にあるカーキ色の小さな文字盤の数値が、距離を示している。


「あ」


 地図を広げるでもなく、私は直感した。確かこの辺りは――


 すぐ脇に、緑の壁を突き破る物量が迫っていた。空気を押し潰す独特の轟音が、横殴りに襲い掛かる。その襲来を事前に察知していたであろう陥没樹海メルトグリーンさんは、無言でアクセルを踏み、一気に前進した。あまりの速度に一瞬だけ浮き上がり、そして着地する。バイクが唸り軋んだ嫌な音を上げるが、真横から襲来した何ものかの気圧を一顧だにせず、通常運転に戻る。陥没樹海メルトグリーンさん本人も、ヒヤリとするでもなく至って冷静だった。


「あ、じゃないだろ。ぶつかっていたらどうする」

「責任は取れないね」


 あえて馬鹿みたいに答える。振り返りながら目にしたのは、重鉄と鋼鉄の機体。一両だけの鉄道車両。機械式の内燃駆動車。


 そう。この辺りはあの駆動車が……回生用地下鉄鎚テスタメントハーマーが幅を利かせている。一台だけしかないのに、ただそれだけで緑を一掃し、一両だけで完結する駆動車。これも士々瓦さんが作った作品の一つに数えられる。


「ともあれ轢かれないで良かった。なんでわかったの?」

わだちだ。根元から潰れた草木が二本の線になっていた」

 納得しつつも、私は陥没樹海メルトグリーンさんの観察眼に感じ入る。時速八十キロで疾走しつつ、路面の状態まではっきり捉えることは、並の人間ではなかなか出来たもんじゃない。


「しかし、テスタメントハーマーを過ぎたということは」

「うん。じきに地下街に到着するよ」


私の言葉に、真剣な表情で陥没樹海メルトグリーンさんが頷いた。

「まずはここの統治者に面通ししておかないとな」

「じゃあ、橋の下にあるドッペルテキンセンションに向かうってこと?」

「そうだ」


前方に見える石造りの鳥居が、街の存在が何たるかを教えていた。その白い鳥居は確かに石造りではあるが、断頭台のような刃が上部に構えている。部外者か、はたまた魔を払う儀式の一環としての機能かは釈然としない。


 門扉の代わりに大きくそびえる鳥居へ近づいていくと、さっそく二人の審査官が近寄ってきた。陥没樹海メルトグリーンさんが速度を落としてバイクを降りたので、私もついでに降りた。路面は根が這っていて危険だと判断したので、関門にバイクを預けておくことに決めた。

 彼らの提示する質問に答えて進入許可証を発行してもらうと、私達は鳥居の奥――香下の街へと、確かに足を踏み入れた。


「景下の者だ。ここを通してほしい」


 鳥居の真下で陥没樹海メルトグリーンさんが告げると、灰色の服を着た審査官は淡々とした調子で「目的は?」と訊いた。値踏みするのにも似た、低い声だった。


「訳あって、住み別れている古い兄弟に会いたい。久し振りに呼ばれてな」


 警戒の念を察したのか、彼は先ほどよりも明るい声で説明している。対する審査官は私達にいぶかしむ視線を送ってきたものの、調べるのも面倒だと判断したのか、そそくさとバイクを預かり、そばに建つ宿舎で進入許可証を発行した。




「兄弟とか言っちゃって~。親しい人なんて見たことないよ?」

「いや。生まれというのは別にしても、広義に解釈するならば間違いでもない」


 宿舎からやや離れたところで私はにやりと笑ったが、陥没樹海メルトグリーンさんは無表情とも言える神妙な面持ちで返してくる。一体全体、どういう意味なのか、さっぱりだ。


「冗談はほどほどにな」

「嘘吐いた人に言われたくないって」


 宿舎から離れてすぐに視界が狭まり、深い影に覆われた。どこを見ても樹木に覆われている。葉の茂りは豊かなように思えるが、そのせいで差し込む光が少なく、暗く怪しい印象があった。深い緑が至る場所に伸びている様子は街を侵食し、噛み千切っているようにも見えた。こんな道をずっと歩いていくと思うと気が滅入りそうだった。


「ねえ、ここの緑……嫌に瑞々みずみずしくない?」


 ままあって、私は橋の下に入ってから気になっていたことを打ち明けてみた。すると陥没樹海メルトグリーンさんは答える代わりに、伸びる葉の一枚をおもむろにちぎったかと思うと、顔に近付ける。どうやら匂いを嗅いでいるようだ。


「どう? 何かわかった?」


 神妙な顔をしていた陥没樹海メルトグリーンさんは一瞬の沈黙ののち、「いいや」と首を横に振る。彼は眺めていた葉を捨て、やがて歩き出す。


「そっか。じゃあ、単純にこの樹がすごいってだけかもね」

「ああ、確かにこの樹はすごい」


 言い捨てるような口調に戸惑ったものの、理由を根掘り葉掘り探るのは躊躇ためらわれた。観察で何かを掴んだということは、一枚の葉から樹木の謎が見えるということだ。


 そんな他愛のないことを考えていると、目の前が一気に開けた。それは住居区であり、最も栄える場所でもある。道の少し先に、蔦や苔に覆われた白い煉瓦れんが造りの家屋が並んでいるのが見えた。玄関口の両脇には大きな傘が備え付けられていて、傘下にはこれでもかと色を纏った立方体のランタンが釣り下がっていた。


 機械仕掛けの河川は、この街特有の鉱務用炉河アヴィシーラコンベイアと呼ばれるものだ。川に似たベルトの上を、不規則にまん丸い提灯が流れてゆく。地下では、過剰なまでに明かりを取る傾向にあるが、それは祭りが影響しているのだ。


「そういえばそろそろじゃないか?」

「ああ、韻燐祭ホロウ・ロマウアね。どうりで普段より灯が多い訳だ」


 雨期だけに行われる地下の魔払いはホロウ・ロマウアと呼ばれる。数千年に一度の豪雨をもたらす魔が甦り、人を呪い殺す。それを防ぐため、香下の住人は灯を入れるのだ。色に一定性がないのは、その魔が何色を嫌うのか、わかっていないからだそうだ。魔払いを祭りとも呼ぶが、幻想的な光に見る言葉遊びであって真実ではない。まあ、確かに壁一面がランタンと提灯でいっぱいにともされていれば美しくもあるんだろうけど。


「ホロウ・ロマウアだという情報は知っていたのか」

「たまたま被っただけ。もともと、『本拠地に辿り着ければ御の字』って算段だったし。単独行動で地下とか、危ないと思わない?」

「士々瓦の機巧きこう技術が漏洩するという意味では危険だな」

「まーた、そういうこと言う」


 軽口を叩いている間も、私達はゆったりとした足取りで街の風景を眺める。動物の声もなく、最初こそ暗く怪しい印象があったものの、暮らす人々に明るい印象を受けた。家屋を並べたような素朴な商店が軒を連ね、食料や日用品を売買している様子がある。時には金銭でなくて、物のやり取りも見受けられた。服装こそ景下と大して変わらないものの、何せこのナリだ。道行く人は物珍しそうに陥没樹海メルトグリーンさんへ目を向けてゆくが、本人は至って気に留めていないようだ。審査官にはああ言ったものの、観光目的ではないので商店街を素通りし、住人と言葉を交わすことなく歩く。興味本位で話しかけてきた住人には情報を求めて、目的地への方向を確認した。距離にして実に二十キロ、時間にして四時間ほど歩いただろうか。ようやく、ドッペルテキンセンションの根元が姿を見せた。


 塔の下層は畏怖を訴えるというより、荘厳さをことごとく失って退廃していた。原因が経年劣化と森の侵食によることはいうまでもなく、かつての栄華を誇るように建っていた。色褪せたために、朱色の禍々しさがより引き立っているが、上に比べて中は酷く静かだった。人の声がしない代わりに、どこかから水音が聞こえる。


「思っていたより早く着いたな」

「人間の標準より約一時間の短縮かな。それよりアポはあるの?」

「ないに決まってるだろ。入るぞ」


 陥没樹海メルトグリーンさんが目の前の両扉に手を掛けて、前進した。扉はゆっくりと開き、私達を迎え入れる。まず最初に飛び込んできたのは、大部屋の中央に聳える手円環式渾天球儀ラトステネスだった。二つの極点と天体を貫くのはガラスの筒鎗ランケアで、それもまた計測器の役割を果たしている。柄と刃先のどちらかに水の流れが生まれ、結果、ラトステネス全体が不規則に回転する仕組みだった。ランケアの内部にある瑠璃色の水が、規則正しい水音を響かせる。それに対して、周囲の巨大な手円環キルクレスト非脆導性金属フォルステアタイトのようだ。表面は艶がある。とにかく大きな装置だけれども、どんな性能を持っているのか気になった。響く水音が、時計の秒針を思わせる正しさで時を刻んでいるようにも錯覚させる。


どこからか、甘い香りが舞った。それは女性の訪れを予知していたが、陥没樹海メルトグリーンさんは突然に現れた人物に驚きもせず、身なりの整った妙齢の女性に問いかけた。


スーリン……で間違いないな。単刀直入に訊くが、ここに〈飴屋〉はいるだろうか」


 女性、蘇苓の服装はどこか艶めかしい。身に纏うワンピースは胸元が開いており、スカートの裾は全て背の方へと流れている。太腿は細いガーターベルトのみで、その上に編み上げブーツを履いているものの、危うい印象を受ける。対する上半身は堅く、コルセットの上に何重にもベルトを巻き、軍人と見紛うような上着を羽織っていた。左肩に帷子かたびらにも似た装飾があったからかも知れない。茶色や暗い紅などの色がベースとなっているためか、肌が色白に映る。背が高いためか、見下ろされているためか釈然としないけれど、この女性は何ら見劣りしないのだ。


「景下の住人ですか。この場所をご存知のようですが、生憎と〈飴屋〉なる人物は香下におりません。もし探すのであればご自由に。規制区域など、ございません」


 鋭く、冷たい声色からは少々の侮蔑が見て取れた。小馬鹿にした丁寧な物言いも引っ掛かる。けれど陥没樹海メルトグリーンさんは逆に何かを察したようで、続けて質問する。


「不躾ですまない。香下に火葬場か集合墓地の類はあるだろうか」

「お答えします。まず火葬場ですが、周囲が森のため一切ございません。集合墓地ですが、これも一切ございません。遺体は全て、水葬となっております」

「そうか、邪魔したな。行くぞ、リィェン


 呼び掛けるなり出口まで直行する陥没樹海メルトグリーンさんの背中を追って、私も扉を目指す。背後で出入口の扉の閉まる音が聞こえた。女性は階段の手すりにもたれ、私達が出ていくのを静かな様子で見つめるばかりだった。




「あの人、誰? なんで葬送なんて訊いたの?」


 香下のドッペルテキンセンションを後にした私はまたも、疑問に思っていたことを告げる。対する陥没樹海メルトグリーンさんは、待ち構えていたかのようにはっきりと答えた。


「大木の葉から腐臭がしたからな。屍を養分にしている可能性がある」

「……え?」

「にわかに信じ難いだろうが、水葬に絞られた時点でこの仮定が最も有力だ。ちなみに今は腐臭を頼りにして、地下に潜っている」


 突拍子もない話だった。けれど信憑性があるなら、それはそれで恐ろしいことだ。出来れば想像したくない。


「でもでも! まだ人間のものと決まった訳じゃないし……ね?」

リィェン


 唐突に名前を呼ばれた。冷静な声からはぞっとするほどの真剣さが滲んでいる。いや、これは緊張と殺意の現れなのか。


「見られている。異常なまでの執念を感じる」

「全然気が付かなかった。一体どこから? というか、誰が……!」

「視線を探るな。普段と変わらず会話すればいい」

「わかった」


 言われた通り他愛のない話を広げつつ、歩く。進む先は入り組んでおり、野生の迷路にも似ている。木の根も凹凸が激しいせいで歩きにくいことこの上ない。暗闇はより一層深まり、夜と変わらぬほどだ。適当な枝で作った松明の明かりがなければとっくに野営しているところだろう。



 ぽた。



 葉のざわめきに混じって、雫が落ちる音がした……ような気がした。

 次第に水音が増え、葉擦れの音を覆う。やがて足元に悪寒がしたかと思うと、嵐と紛うような狂った音のうねりが前方に迫っていた。


 当たるといけない。直感した後、バラバラに大破する自分の姿が脳裏に広がった。

 何者かの猛攻が全身に叩き付けられる前に、陥没樹海メルトグリーンさんが私の手を引いた。松明が音を立てて転がり、勝手に鎮火するのが見えた。


「悪いな、リィェン


 声が耳元で響いて、彼の腕に収まっていることをようやく知った。雨でもないのに無限に増殖する水音の根源を探るため、陥没樹海メルトグリーンさんは私を抱いたままで跳躍している。空のある高さまで跳んでいるようだった。森の中では何かと不利なのかも知れない。

 夕闇に染まる森を足元にたずさえ、その目は不可思議な第三者を捉えていた。


 宵に溶け入るようにして空中に佇んでいるのは、年齢不詳の女性だった。黒いレースを基調とした喪服に身を包み、不敵に笑っている。だが表情はうわべに過ぎず、滲み出る雰囲気は墓から這い出た死霊に限りなく似ていた。死の持つ恐怖や猜疑心をことごとく煽り、見た者の心のありようを不安定にさせる。艶やかに見えた髪は様々なカビで彩られ、粘液か何かで覆われて湿っていた。手入れという言葉からかけ離れた白髪には、美しさなどまるでない。肌も唇も総じて血色が悪く、もはや生きていないのだと如実に教えてくる。体には痣や火傷などがひしめいて、抉れた部分さえあった。


「お前は――」


 陥没樹海メルトグリーンさんが驚きを隠せない表情と裏腹に、眼前に浮いている女性へと静かに呼び掛ける。すると、女性もまた、こちらに視線を向けてきた。厚い布越しでもはっきりと理解出来るほどの殺意と執念が溢れてくる。森の中を歩く私達を見ていたのも、この視線のようにべったりとしていたように思う。


 目の前の死霊が、息を吸うために口を開く。ぼっかりと穿たれた虚構が姿を現し、あそこからどんな声が出るのか予想もつかない。ただただ恐怖を煽られる感覚があった。


「あめ!」


 幼く、快活な少女の声だった。腐臭のする外見からはとても想像出来ない。この言葉を受け、陥没樹海メルトグリーンさんが噛み締めるような丁寧さで、死霊に問う。


「お前は――なんと言う名だ」

「サカナ……」


 彼の問いで口から漏れたのは、呻く男性の声音だ。貧困に喘いでいるような引き攣った苦悶の表情が、声に刻まれている。私は知らないうちに我が身のことのように首を押さえていたが、勢い余って力んでしまった。これではまるで自分で気道を塞ぐために指をあてがっているみたいじゃないか……。


「聞くなよ、リィェン。これは呪詛だ。人間であったお前は主要基脳メインが死ぬ」


 そう言われて、感覚が失せて存在を忘れかけていた腕で、ようやく耳を覆う。けれど忠告した張本人が聞いても大丈夫なのだろうか。一抹の不安を感じた後に、少し遅れて思い出したように強い咳が聞こえる。私がせ返った音だ。


 それでいて瞳は依然として喪服を捉えている。レース越しからもったりとした唇の動きを感じ、台詞を察した。死霊サカナからの問いかけだった。


「オ前は、なニィ?」


 いうが早いが、サカナが凄まじい速さで間合いを詰めてきた。と同時に、私の体が浮遊感に襲われる。右に放り投げられたのだ。


「着地は一人で出来るだろ?」

「あっ、たりまえじゃん!」


 振り向くことなく発せられた声に言い返すと、上下逆さまになっていたままの体勢を立て直した。しゃがみ込むような姿勢を取って、自重の何十倍もの衝撃に耐え、相殺する。それでも私の体は軋むことなく、ガタが来ることもなかった。さすがは対戦闘用だ。


 どうにも心配になって、空を見上げる。あまりの速さに旋風を巻き起こしながら接近するサカナに対して、彼は既に迎撃の構えを取っていた。互いの間合いに触れた瞬間、瘴気と覇気がはじけて散る。


 陥没樹海メルトグリーンさんの突き出した拳は見事サカナに命中したが、黒く硬質な左の義手が攻撃と同時に砕けて、斜陽を浴びて煌めきながら落ちた。胴体にも強い衝撃が伝ったようで、歯を食い縛っていたが、行動は痛みに反して右足すら犠牲にしようとしている。私が叫ぶのも構わず、彼は蹴ったその足でサカナの間合いから離れた。距離を置いたところで、今度は陥没樹海メルトグリーンさんがサカナに特攻をかける。両足をばねに一気に跳躍して、いまだ健在する右の手を突き上げようとした時だった。


 何やら不穏な動きを見せていたサカナが突如、頭上からの攻撃を受けて落下した。それまで地の代わりだった木々にのめり込み、獣道へと叩き落とされる。私は咄嗟に空に向かって跳び上がる。正直な話、呪詛云々よりも巻き添えに遭うことの方が怖い。


「誰だ」


 私がそばに来たことを確認してから、いつになく険しい声音で空中に問う。すると、呆れたようなため息が聞こえ、困ったように髪を掻く姿があった。


「誰って……士々瓦ししがわら陽当ひあたりッスよ。というか、早く逃げましょう」


 久しぶりに聞く、気怠けだるげな声だった。

 ろくに手入れもしていない長髪を一括りにまとめ、紫のコートを纏った青年の表情は確かに見知ったものだった。記憶の中の士々瓦さんは私と変わらない背格好で、こぢんまりしていて手が器用で、何より解析や説明が得意な少年だった。


 奇妙な再会を果たした私達三人の間を貫くように、森から光の帯が放たれた。間髪入れずに、士々瓦さんが両手に持つ巨大な盾を構える。


「説明は後! この一撃に耐えてから!」


 切迫しながらも恐れのない面持ちで光線を睨むと、アタリをつけて姿勢を整える。あの恰好だと弾き返すつもりなのだろう。


 まず先に圧縮された電気エネルギーの塊が飛来した。甲高い音を派手に響かせ、盾と衝突し、ジリジリと融解させてゆく。結果を見た士々瓦さんが「やっぱり」と毒づいた。


「固まって!」


 一枚目の盾を躊躇いなく捨て、二枚目を全員に被せるように掲げたのは、膨大なエネルギー運動に付随する空気振動――すなわち、衝撃波への対処だった。落雷に音が存在するように電気振動波レイザービームにも音が伴う。機械である私はともかくとして、衝撃波である以上、二人に直撃すれば致命傷は避けられない。


 ゴウッという地鳴りに似た音がすぐ脇を通り抜け、思わずそちらを見る。ただの衝撃波ではなかった。空気中を微量な電気が縦横無尽に走っている。音と強さの秘密が見えた。


「これ、電気が流れてるよ!」

「わかってる! 腕が、痺れて……くッ!」

「士々瓦」


 強い語調で呼び掛けた陥没樹海メルトグリーンさんが、共に盾を握る。腕の痺れなど関係ないような冷ややかな顔で、盾を勢い良く突き返した。弾いた衝撃波が不協和音を生み、やがて消えた。


「逃げるぞ」


 腕の痺れた士々瓦さんと、呆けていた私を軽々と抱え、盾を手にした状態で陥没樹海メルトグリーンさんが森に向かった。再び獣道へと戻るが、彼は更に森の奥深くを目指しているようだった。墜落したサカナの気配は依然としてあるものの、深手を負ったせいか深追いされる心配はなくなった。代わりに、この道の末路が心配になった。




「どうしてわざわざ地下へ行くんですか。帰りましょうよ」


 もうだいぶ奥まで来た気がする。辺りには腐臭が立ち込め、森というか墓穴にでも迷い込んだ気分だった。日が落ちてからは時間の感覚が掴めない。


「ここまで来たんだ、確認しておきたい」

「何をです?」

「樹木の養分の大元だ」

「オレも見たいッスね、それ」

「賛成派ですか、士々瓦さん! 信じてたのに!」


 てっきり工房へ帰ると思っていたけれど、読みが外れた。士々瓦さんはよくわからない。


「今更ですがメルトさん、どうして腕を犠牲にしたんです? そんなに野蛮でしたっけ」


 担がれたままの士々瓦さんが不意に訊いた。


「奴が帯電しているのを、最初に降られた雨の性質から把握していた。あれは鋼鉄と遮香ロアで出来ている。神経接続には通電性の高い填爆水フィダーを使用してあったはずだ」

「要するに不利と」

「ただ手を捨てるくらいなら、敵の把握くらいしておきたいだろ」

「だからって殴らなくても……」

「硬度が尋常じゃなかった。利き腕が一撃で砕けた」

「わかりますよ。その辺から見てたんで」


 二人の会話が途切れ、静けさが間近に感じられる。私は掛ける言葉もなく、ただ黙っていた。やはりあのサカナに力で押されたことが響いているんだろうか。

 反対したにもかかわらず、二人を担いだままの陥没樹海メルトグリーンさんがようやく足を止めた。獣道を辿っていた私達はその先に洞窟が佇んでいるのを知る。


「こんな所に鍾乳洞?」


 ようやく慣れたと思いきや、何とも言い難い腐臭が奥の方から伝ってくる。人間の体がただ腐っただけとは違う、胸のくような居心地の悪い臭いだった。当然、担がれている状態から復帰していたが、あまり良いとは言えない感覚だ。


「もうほとんど廃棄場ッスね」


 地面に足を着いた士々瓦さんが私の顔色を察してか、感慨無さげに呟く。気怠い態度で睨むような眼を洞窟の奥に向けていたものの、やはり顔色は良くなかった。


「どおりで誰も近付かない訳だ。士々瓦、リィェン。これを」


 言うが早いか、陥没樹海メルトグリーンさんは自分の着ていた服の袖を難なく引き裂くと、口元に巻くように声を掛けてから私達二人に手渡した。


「その布なら害することはない。鍾乳洞に入っている間は外さないでくれ」


 それだけ告げると、彼は臆することなく白く硬化した路面を踏む。私達の中で唯一、陥没樹海メルトグリーンさんだけが胸の酸くようなこともなく、顔色を悪くすることもなかった。平時と変わらぬ恰好で鍾乳洞に立ち入っていく。




 蛍光色の水が所々に溜まって、標本を見ている気分になった。棚にも似た様式の内面も相俟あいまってとても毒が充満しているようには思えなかった。陥没樹海メルトグリーンさん曰く、鍾乳洞に蓄積される光る水と人間の肉が反応を起こし、毒の生成を促すらしい。聞いたところで理解が出来なかったけれど、大雑把に説明すると腐肉から生じたガスが水と結合するせいで空気に溶けた毒になるそうだ。つまり、毒を生み出すための地底湖が最奥にあるという仮説が浮上した訳で――。


「もう無理です! 帰らせてください!」

「じゃあ帰ってください。独りで引き返せればの話ッスけど」

「分かりましたよ、一緒に行きます!」

「全く、しっかりしてくださいよ。子供じゃないんですから」

リィェン


 士々瓦さんと行く行かないで揉めていると、不意に先を歩く陥没樹海メルトグリーンさんが柔らかい語調で呼び掛けた。何かと思って視線を前にやると、残った右手が差し出されている。どうやら最奥まで手を繋いでくれるらしい。その様を申し訳なく思い、握りながらも謝罪の言葉を漏らしていた。わがままが過ぎたと思いながら、並んで隣を歩く。


「ごめんなさい」

「謝るのはこっちだ。連れ回して悪いな」


 言って、彼は前方を睨む。木製の手は傷だらけで、所々がげていた。


「体、大丈夫ですか? その……さっきの戦闘から無理してません?」

「身体はここに来た時から・・・・・・・・ズタボロだ。義手と同じでこの姿も代替品に過ぎない」


 一拍置いて口を開いた陥没樹海メルトグリーンさんはそんなことを言った。


「隠すつもりはない。この話は必ずする」

「分かりました。陥没樹海メルトグリーンさんがそう言うなら」

「それに終着点が近い。のんびり会話してる暇もなさそうだ」


 言われた通り、尖った耳鳴りにも似た反響音がより近くに感じられる。一本道の先が白んできたのが見えた。不快感の元だった刺激臭は、そのあまりの強さに失せたかのような錯覚を起こし、足元では氷を踏んだようなパキパキという音が重なる。


「うっわ!」

「これは……」

「…………」


 視界の開けた先に湖が横たわっていた。それを眺める二人も思うところがあったのだろう。この湖が如何に自然的でないのか、一目見て分かるからだ。元は美しいと容易に想像出来るからこそ悪醜あくしゅうが際立つ。


 神秘的な装いを放つ真緑の湖水と、死体から漏れ出た深紅の血溜まりとが異様な層を成している。別の穿うがち方をすれば、湖が、人の手によって破棄された死者を食っている。人体を構成する全てを溶かし、血を啜り、骨まで食って水分にする。不気味な雰囲気でありながらも、超自然的でさえあった。そうして、先ほど遭遇したサカナを思い出す。


 ――風情がよく似ていた。


 陥没樹海メルトグリーンさんに話し掛けるつもりで湖から目を逸らしたとき、きわに何か見えた。どうやら人間らしい。くちばしの曲がった鳥の術師面マスクをしている。


「やあ、こんにちは」


 今の今まで座り込んでいたその人物は、唐突に立ち上がったかと思うと挨拶をする。声は驚くほど落ち着いていて、紳士じみていた。やや大きめの声を出し、呼び掛けてくる。


「ここで他人と会うのは初めてだ」

「お前が〈飴屋〉だな」


 開口一番に陥没樹海メルトグリーンさんが問い質すも、男は驚かない。どころか、悟ったような気配がある。心なしか、憑き物が落ちるのを待っている。


「その様子だと――知っているようだね。話すよ、これまでの経緯を」


 男がゆったりとした口調で言った。

 陥没樹海メルトグリーンさんは男を観察していた視線を離すと、辺りを見渡す。何かを注意深く確かめた後に士々瓦さんへ視線をやると、無言の頷きが返ってくる。一連の流れを終えて男に近付いていくと、私達はようやく湖畔に腰を下ろした。




 近くで見れば見るほど、男の様相は異常だった。陥没樹海メルトグリーンさん以上ではないが、香下の住人から見ても場違いなのだということはわかる。声と立ち姿からして、若い男性なのだろうがしかし、顔は鳥類のマスクで見えない。そもそも何故、人間の足を持っていないのだろう。棒のように細く、黄色い足は鳥足そのものだった。


「私に名はない。皆は啅織トォリと呼んでいる」

「啅織?」と思わず鸚鵡おうむ返しをしてしまった。確か祈祷師という意味ではなかったか。景下にはそういった職種の人間がいないため、俗称すら忘れていた。


「私はかつて〈飴屋〉と名乗り、〈飴〉を制作していた」

 文字通りの飴、つまり嗜好品である食用飴を作っていた訳ではないのだろう。では一体どういった物品だったのか。


「ヲサカナに会ったんだろう?」

 一拍置いてからトォリさんが言った。陥没樹海メルトグリーンさんが「ああ」と肯定すると、予想通りといった声色で彼は続ける。

「彼女は〈飴〉だ。作品名を音賢声ヲサカナという」


 喪服姿のサカナはこちらの呼び掛けに対して二通りの答えを返した。「あめ」と「さかな」二つの返事があったが、それはどちらも真実だったのだ。


「お前はかつて、地底湖の死体から芸術品を制作していた。この死体の溶けた湖水で」

 陥没樹海メルトグリーンさんが地底湖を眺めながら噛み締めるように問う。

 今度はトォリさんが肯定する。視線はどこか淋しげだった。


「その通りだ。ここは身体に毒だから誰も来ない。静かだし、材料にも事欠かない。そう思ったんだ。でも、予想しないことが起こった」

「呪いとか?」

 士々瓦さんが茶化したものの、トォリさんはそれさえ肯定した。

「そうなんだ。私はヲサカナを実の彼女のように形成した。それが災いしたのだろうな、悪霊が乗り移った」


 隣で「悪霊?」と小さく呟く陥没樹海メルトグリーンさんは訝しんでいる様子だ。眉間に皺がある。


「龍と蛇と魚をごちゃごちゃに混ぜたような種類の生き物が、私の目の前でヲサカナと同化してしまったんだ。物体を得たそれは、私の作品全てを破壊して外へ出た」


 突拍子もない話だった。地面に散乱しているのは氷ではなく、粉砕されたトォリさんの作品だったらしい。士々瓦さんはオカルトだと思っているのか、完全に興味を失った顔をしていた。仮に、実は機械装置として製作したと言われたら興味を取り戻すだろうか。


「お前の言う悪霊とやらを殴ったら硬かった。義手が砕けるほどな」


 唐突に陥没樹海メルトグリーンさんが声を発する。トォリへさんの牽制にも取れた。


「サカナは磁場とさえ呼べるほどの電磁波を発していた。その磁場によって悪性橋そのものが孤立し、地域によっては時間軸が狂っている。お前の言う呪術は要するに、局地的に誤差が生じるほどの強力な磁力であって、悪霊とやらは電磁波を使う芸術品というのが俺達の見解だ」


 いつになく長い台詞だったので私と士々瓦さんは面食らっていたが、要するにオカルトではなく、倒せるものだと立証したらしい。少々、強引ではあるけれど。


 トォリさんも察したのかおずおずと意見するが、まだ何かに怯えている様子だ。


「確かに飴は砕ける。だが、あの生き物は……!」

「心配するな。変わった奴には慣れてる」

 彼はそう断言し、立ち上がった。虚勢ではなく、むしろ呆れに似た態度だ。

「殴れば終わる。そうだな?」

 最後に念を押すように振り返る。


「まずは作戦を立てる。当然だが〈飴屋〉、お前も協力しろ」


 言いながら、荷物から大きな紙を取り出し、半分に裂く。士々瓦さんはもう片方を受け取ると、何を言われたわけでもないのに颯爽と地図を描き始めた。


「メルトさん、まず孤立した時間軸のことなんですけど、場所によってバラバラみたいですね。通常通りに流れている所もあれば、一定期間を経過すると遡ったり、逆に百年単位で進んでいたりと、不規則です。ちなみにここ、地底湖は時間が一切流れていません」


 地図を描く手はそのままに、淡々と調査報告をする士々瓦さん。

 それに対し、陥没樹海メルトグリーンさんは聞き取った内容を紙に書き付けてゆく。


「通常なのが景下の街と周辺の大河。止まっているのが地底湖。進んでいるのが香下の街と森。巻き戻っているのが#K396S-CF3131Xオメルテシック=ティルトティダーと周辺の丘……というわけか」

「はい」


 二人は澱みなく情報の交換を経て、作戦立案及び地図の作製を進めている。ぽつねんと残された私とトォリさんは、そっと互いを見やった。すると、穏やかな口調で質問される。


貴女あなたは、どうしてここに」

「大した理由なんかないです。あえて言うなら好奇心、ですかね」

「好奇心……。いいですね、貴女はまだまだ成長しますよ」

「もしかして、背丈のことですか?」

 それなら心外だと思い口にしたものの、彼はやんわりと否定する。

「いえいえ、心のことですよ。貴女方の絆は深いようですから、たとえ離れたとしても、大切にして下さい」


 意味がよくわからない。はあ、と曖昧に答える傍らでトォリさんが続けた。

「私は見納めですから。今の全てが」


 言葉の意味を推し量るために質問を返そうとすると、トォリさんが呼ばれた。どうやら作戦会議の手伝いをする気があるようで、そそくさと二人の間に割って入る。何となくだけれど、元々熱を帯びていた会議が更に白熱したように感じた。


 立ち上がる時に見えた淋しげな表情はどこにもなく、やはり穏やかな口調で二人の質問に答えていた。私はその光景を、ただ何となしにぼーっと眺めていた。地底湖の中だと時間の流れもよくわからない。私にはわからないことだらけだ。


 思い出したように腰に提げた懐中時計を眺める。夜更けだった。


陥没樹海メルトグリーンさん」


 さして大きくもない声で呼び掛けると「ああ」と返事が来た。


「もうそんな時間か」

「普通なら星が出てる時間です。街まで帰りましょう」


 私が軽くたしなめると、いかにも失念していたといった風に陥没樹海メルトグリーンさんが言い返した。


「言い忘れていたが今日は野営だ。一旦、外へ出るぞ」

「わかりましたよ、手伝います」


 あまり気乗りしないが仕方がない。瘴気に満ちた鍾乳洞の中で野営しようものなら、明日の朝どうなっているかわからない。

 それに墓の近くで寝られるほど神経は太くないつもりだ。

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