第4話

 陥没樹海メルトグリーンさんとはドッペルテキンセンションの内部で別れた。私はハーキータ・ラックで香下の街に行く準備をしていたが――


「ない!」


 棚を見ると、生体修復液化燃料マターテル・オートの材料が足りていなかった。常日頃使う分なら少なくても問題ないが、外出なら話は別だ。交流が少ないため、行ったことのない橋の下ともなれば予期していない出来事が起こって当然。何が起きてもおかしくないならば、相応の備蓄と対処をすればいい。難しく考えることなどない。




ということで、気分転換も兼ねて店まで足を向ける。燃料の素材ならここは事欠かない。


「あ、スーちゃんだ」「ほんとだ」


 通りを歩いていると、名も知らぬ少年少女が振り向いたので笑顔で手を振る。彼らは堂々と裸体痴処聖女ルーメイカンタ・ルラルの顔を踏ん付けているけれど、頓着していない。隣ではやはり服を剥かれた愚陥芸躰聖母ルーフェイカンタ・ルララも力なく横たわっているが、子供にとってはどうでもいいのだろう。私もどうでもいい。貴重に感じるのは、この橋独特の熱狂的な宗教信者だけだ。


「今日はなに話すの?」「面白いのがいい!」


 徐々に、または一斉に皆が口を開く。まるで小鳥の合唱だ。


「あー、今日はですねえ、サプライズがあるのですよ。だからお休みなのです」


 そう告げるとやはり子供達は盛り下がった。再度手を振りながらディベレキラの前から去る。今日は多少の覚悟を決め、骨を折るつもりだ。陥没樹海メルトグリーンさん曰く、この悪性橋は時系列に狂いが生じ、幾つかの区分に分かれてしまっているそうだ。その仮説が正しければ今回の目的はただ一つ。時間の歪みを元に戻すこと。その先に何がいるとか、何が起こるとか私には分からないことだらけだけど、陥没樹海メルトグリーンさんや士々瓦さんはもっと広い視点でものを見ている。それは分かるから、協力したいと心から思える。


酸跳鉄さんちょうてつ入りの蒸留水、五つ!」


 人工砂利畳コンクリートで建てられた露店の前。五本指を立てながら注文をすると、店主の座る灰色の事務椅子がゆっくりとこちらに回転した。軋みながら耳障りな音を立てる。


「おや、リィェン。灯を求めに来たのか。普通の女の子はそんな物騒なモン持たないよ?」

「ジョークはいいよ。そう言う爺ちゃんこそ、物好きなんだから。科学物質なんて売ってる店、橋の上じゃここしかないじゃん。身体の手入れのためにも必要な品だし。たまには全力出さないとね?」

「活きが良いのお。ワシにかれた時より若い気がするわい」


 言って、豪快に笑う老人はバイクの持ち主だった男であり、私を轢き殺した張本人だ。私はあえなく事故に遭い、生死をさ迷っていた。当時、士々瓦さんは楽器から武器へとシフトを変え、戦闘用女性型機械の試作機を組んでいたが、そこにちょうど瀕死の検体わたしがいるとの情報を聞きつけ、救うという名目で、勝手に機械へ組み込んでしまったのだ。


 それからというもの、私は一般人でありながら最強の身体を譲り受け、老人は士々瓦さんの影響で機械工学を独自に勉強し始めた。今ではこの店の常連で、足しげく通っている。


「轢かれた時は妙齢の女性だったんになあ……」

「なぁに感慨に浸ってんのさ。別にいいの。これはこれで楽しいよ」

「そうかい、そりゃ良かった。はい、注文の品。一本オマケしとくから。それと、このホルスターも持っていきな。液体燃料だけなら十本入る。試着してみな」


 言われた通りにホルスターを着けてみる。胸の前に背負うようなタイプで、中身が見えるように、革の部分には窓があった。身体にピッタリ合い、着け心地も悪くない。


「何から何までありがと、爺ちゃん。お代は今度払うから!」


 蒸留水の入った紙袋を渡しながら、爺ちゃんが言った。


リィェン。身体は丈夫かも知らんが、それを継続させることが大事だ。怠ればすぐに動けなくなってしまう。それに何やら物騒なことをするそうだが、起爆剤あっての強さだということをゆめゆめ忘れるな」

「それは生身の身体も一緒だよ」


 注文した品物を受け取って、私は店を後にした。




 報営機梯子棚ハーキータ・ラックと呼ばれている由縁は、家の隣に併設された放送室だろうと思う。自分自身で機材を操作し、相互循環教唆屋根ドッペルテキンセンションの上から情報を届けるのだ。それ故、私の声を知っている住民は多く、今では商店街を通るだけでちょっとした有名人のような振る舞いを受けることもしばしばだ。しかし、私の部屋は知られることがないので、ここであえて紹介しておこうと思う。


 玄関扉を押して入るとまず、正面に姿見と椅子が見える。独特の装飾が多い椅子は、士々瓦さんが手術祝いとして贈ってくれたもので、休憩場と荷物置きを兼ねている。出入口の近くに姿見があるのはメンテナンス道具を置く棚が扉のすぐ脇にあるからだ。部屋の中央に鎮座するガスタンクは緻遠爆核オルセスという気体が入っており、薬品調合やメンテナンスには欠かせない。オルセスが戦闘重機を動かす、重要な燃料核なのだ。私はなにぶん機械仕掛けなので、二人と違って入浴やトイレは必要ない。補給した水分も身体の中で分解されて何らかの熱量に変換される。熱量は脳を生かす一方で、身体を動かす動力にも使われるため、無駄はない。更に進むとシンクや化粧台もあって、背の低い柵も見える。私の家には、窓がない代わりにテラスがあるのだ。柵で部屋を仕切っただけの簡単な作りだけれども、歯車で出来た大きな水槽を置いたり、腰掛けがあったりで、なかなか充実した空間に仕上がっていると思う。部屋の奥にはクローゼットとベッドがあって、人間らしい生活感を思い出させてくれる一種のルーチンだ。最も奥にあるのは持ち運びの出来る薬品調合用の箱で、いつもブルーシートを広げた上で調合をしている。箱の中には道具が一式揃っているので、不自由はない。さっきも説明した通り、放送室と家とは隣接しており、ガラスで仕切られているものの、互いの部屋が見える仕組みになっている。電波を良く通らせるために部屋中に電線が走っていて、ついでに球形の加湿器も大量にぶら下がっている。


 さっそくシートを広げてマターテル・オートを試験管へ精製する準備を始める。まずは箱の引き出しから気体圧縮筒を出し、次いで配管を取り付けてゆく。銃のように複雑にも見えるが、実際は簡単だ。幾つかの回路ボツロ把手ツマミもしっかりと嵌め込んで三本構成の効拾区トークを作った。そうだ、完成品を詰める試験管も先に用意しておこう。あとは蒸留した気体を吸い上げるための注射器も必要になる。買ってきた紙袋から酸跳鉄入りの蒸留水を取り出して並べる。材料の炭素板と銅砂鉄の粉末も一緒に用意して、この段階から並べておく。精製は最初に固形を揃えて、それから液体という順番が基本だ。先に液体から精製の用意をしてしまうと両手が空かなくなってしまい、段取りが悪い。特に私のように精製する机などを持っていない場合は、固形からが基本になる。精製する試験管にそれぞれ炭素板を入れて、蒸留水を少々注いでおく。透明だった水は見る見るうちに色が付き、黄色くなった。銅砂鉄の粉末をトークへ入れたあと、注射器を使ってガスタンクからオルセスを抽出しておく。そのオルセスは蓋の部分からゆっくりと注入し、口を塞いでよく振ると、窓から化学反応を確認することが出来る。液体の中で火花が散り、燃え上がったのちに銀の液体が出来るのだ。液体をトークから試験管に移し変えて栓をして、同様に振る。元あった黄色い液体と先ほど作った銀の液体とが試験管の中で混ざり合い、発光した紫の薬品が完成した。これが自作の生体修復液化燃料マターテル・オートだ。作り方はだいぶ昔に士々瓦さんから教わった。


 お世辞にも女の子らしいとは言えない部屋で回復薬や甦生薬などの薬品を過不足なく精製し、数と種類を確認する。

 茶色を基調とした被薬品用の上着と、身体機械専用の隙のない戦闘衣裳メータスを身に纏う。まだ買って間もない装身具を肩や腰に巻き付けて整えると、気持ちまでシャキッとした。


 最後に、しばらく戻っては来ないだろう部屋を静かに見渡す。私の背後にはいつの間にか陥没樹海メルトグリーンさんがいて、黙って部屋を眺めている。


「心配するな人間。その身体は並大抵のことじゃ損傷しない。最高の鋼軟鉄ティルトティダー、高科学の生体修復マターテル、加えて感情連結香炉メメル・オメルタが備わっている。戦闘補助のための装身具が、お前にとっての命に等しい。そのメータスも士々瓦の試作だろう?」


 ただの事実を述べているだけなのだろうが、励ましの言葉にも取れた。お前は死なない、士々瓦の腕を信用しろと。そう言っているように聞こえた。


「そうだね。補填や組み換えが出来ないと戦えないし、感情連結香炉メメル・オメルタには感謝しないとね。意思がこんなに早く機械に伝達されてさ。まるで生身だよ」

「その言葉は職人冥利に尽きるだろうな」


 そう呟いた陥没樹海メルトグリーンさんはいつもと変わらない格好で、佇んでいた。

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